テオドアの家族愛
「いたーい」
「ヒィィィ」
昼前から、シャルロットの悲鳴のような情けない声が館に響く。
「お嬢様は元はいいのです。
せめて髪だけでも梳いてくれていればよかったのに、なでてもいませんでしたね」
香油を塗っても、櫛がスムーズに通るまで時間がかかった。
みるみる艶がでて綺麗だと思うが、客も来ない領地の生活での優先順位は低い。
つまりは面倒なのだ。
「ぎゃあああ」
背中の肉を胸に寄せる時は、悲壮な声が出ていた。
「無理、無理!」
「大丈夫です、もう少し締めれます」
貴婦人は苦行である、それがシャルロットの心理だ。
余計に夜会や茶会が嫌いになる。
テオドアが部屋に迎えに来たときは、すでに夕方になっていた。
「テオ、ステキよ」
まだ成長途中ではあるが父親の礼服がよく似合っている、まるで王子様のようだ。
テオドアも母の血を引き、金髪碧眼の美少年なのだから。
もう子供ではない、とシャルロットは感動だが、テオドアの方は淡々としたものだ。
「姉上もさすがです。これなら一人や二人つれるでしょう。
お綺麗ですよ」
どこまでも上から目線である。
「当然よ、私だってやる気になれば凄いんだから!」
寄せて作った胸の谷間を強調するようなシャルロット。
「姉上、下品です。
そうではなくってこう」
そういうテオドアは少し屈んで、シャルロットを下から見上げるようにする。
「そして、少し目を潤わせるといいかもしれません」
実際に涙をためてみせると、分かっているシャルロットでさえドキドキする。
これなら、女も男も釣れるだろう、と思ってしまう。
「無理、無理、そんなのに引っかかるのはバカな男しかいないわよ」
「そのバカな男を狙うのです。
賢い男は、赤字の伯爵家になんて金を出しません」
「テオーーー!」
「換金できる物ならば、宝石でも何でも貰える物は貰うように。
それからさっきの仕草でお礼を言うのを忘れずに」
それから、とテオドアは緑色のビロードのケースを取り出した。
その中には、売ったと思っていた母の形見のネックレスとイヤリング。
「テオドア」
感激しているシャルロットに、テオドアがたたみかける。
「我が家で残した数少ない財産です。
絶対に落とさないように!
特にイヤリング、片方失くしたなんてなれば王宮の隅々まで探させますからね」
執事のハンスが馭者をして、二人を乗せた馬車は王宮の夜会に向かった。
二人しかいない使用人なので、何でもこなさねばならない。だが、執事とはいえ、その仕事自体がない状態である。
馬車の中の会話は、ほとんどテオドアからシャルロットへの注意事項だ。
「王子殿下に近寄ってはいけません。
姉上が気に入られると、我が家が取り潰されるかもしれません」
「干ばつの救援金を増額してもらうにも、王子殿下に気に入られる方がいいんじゃないの?」
ジロリとテオドアがシャルロットを睨む。
「姉上、一生ねこを被って、ボロを出さずに妃の公務が出来るとお思いですか?」
僕には思えません、と言外ににおわせるテオドア。
「我が家の格では、王家にだって嫁げるのですよ。
姉上の失敗は我が家の廃退。
姉上は修道院に送られて、質素、清貧まではいいとして、労働の生活です」
労働の言葉に、シャルロットの頭に赤信号がつく。
「嫌よ、絶対に王子に近寄らないわ」
「そうです、狙うのは格下。
金のある男爵、子爵です。
ちなみに、ヒロウド男爵子息、ギブン子爵子息、エバンス伯爵子息、この辺りが金があって婚約者がいません」
テオドアの上げる名前で、頭の中の貴族年鑑を引っ張り出す。
シャルロットの怠惰な生活は、寝ると寝転がって本を読むの二本柱で成り立っている。
当然、貴族年鑑も読んでいて妄想の要因の一つになっている。
エバンス伯爵子息ではなく、隣国に嫁いだエバンス伯爵令嬢アフロデーテで、隣国のお国事情に合わせて騎士と駆け落ちを妄想をしたことがあった。
「着きましたね。
姉上、妥協ですよ。
大物は狙わない、我が家は逼迫しているのです。
適当なところでサッサと金を巻き上げるのです」
テオドアは、姉の容姿、教養ならば高位貴族の正夫人だって狙えるのはわかっているが、姉の生活態度からはまともな結婚生活は無理だろう。
それなら、この容姿を使って我が家の役に立ってもらい、後は自分が面倒をみよう。
本人も珍しくやる気を出しているし。
傷物になるが、引きこもり予定の姉にはどうでもいいはずである。
センセーショナルなデビュタント後、干ばつの被害が大きく領地に戻り、昼寝の時間がないと文句を言いながら領地経営を手伝っている姉。
病弱な身体で、領地の復興に尽力しているスズランの君。
身も心も美しく聡い花の妖精。
姉の美貌でごまかして援助を引き出すのは、間違った噂が流れている今しかない。
姉の性格も生活も長居すれば、すぐにバレるだろう。
短期決戦、婚約では大きな金はでない、結婚させねばならない。
噂と違うとバレるのは、生活を一緒にすれば直ぐだ。
姉は教養高く知識も深い、それも使う気が無ければ無いのと同じである。
どんなに美貌があろうと、怠け者の姉では髪が毛玉になり、部屋に持ち込んだ菓子の残飯で臭う時もある。
姉の部屋は足の踏み場がないほど散らかっている、メイドの人手が足りていないだけではない。
耐えられるのは、生まれた時から一緒の家族しかいない。
上手くいって実家に出戻ってきたら、欲しがっていた隣国のロマンス小説を買ってあげよう。