テオドア16歳
フェルシモ伯爵が病気の為に、嫡男に爵位を譲る書類が提出されたのはすぐの事だった。
嫡男はまだ16歳、先日の夜会に一度姿を見せているが伯爵家が金策に困っていることは皆に知られている。
いくらシャルロットの容姿が好まれようとも、その伯爵家と縁を結ぼうという貴族は少ない。
「バーナード」
王太子が弟王子の執務室を訪ねたのは、それが承認された後だった。
「兄上」
椅子から立ち上がり、バーナードが王太子にソファをすすめる。
「陛下の承認がなされた。後見人がお前という事で驚いておられたぞ。
近いうちに謁見があるだろう、その時は私にも紹介してくれるのだろう?」
バーナードは笑みを浮かべると、侍従から書類を受け取り王太子に見せた。
「兄上、お力添えありがとうございます。
姻戚関係にない僕が後見人につくのは、王家として問題の多いことでした。
ましてや、資産、領地共に問題のあるフェルシモ伯爵家ですからね」
王太子は書類を見ながら、眉をあげる。
「これが実行されれば、王都だけでなく国内の食料事情が変わる。
そうか、干ばつで農作物が被害を受けた今だからこそ、広大な伯爵領を牧畜に転換できるのだな。
良く練られている」
それは、パーシバル公爵家から融資を受けるにあたり、テオドアが提出した再建計画書であった。ナイジェルからバーナードへと貸与されていた。
「これを考えたのが、まだ16歳というのが信じられん」
「ええ、見た目だけなら女も男も誑かせそうな美少年ですよ」
王太子が読み終えるのを待って、バーナードが答える。
「ずいぶん気に入っているな。後見人に名乗る程だ、優秀だと思っていたが、それだけではあるまい」
王太子が面白そうに顎に手をやる。
「お聞きおよびと思いますが、姉は儚げな美貌で、あれを絶世の美女というのでしょう。
妃にとも思いましたが、そのうち弟の方が面白くてね」
バーナードの話す表情を見て、王太子もフェルシモ伯爵家の姉弟への興味が高まるのだった。
ナイジェルとシャルロットの婚約は、新しく伯爵を継いだテオドアのサインで正式に書類が提出され、王の許可も得ている。
だが、前伯爵のサインでもう一つの婚約が提出されたままなのだ。
これを解消しないと、シャルロットの婚約を公表するわけにはいかない。
雨が降っていた。
傘をさして歩いているのは、テオドア・フェルシモ。
伯爵を継いだとはいえ、爵位では侯爵の方が上である。今日も会ってもらえず、テオドアは侯爵家を後にした。
家令が御者をしている馬車は少し離れた所に止めてある。
眼の前で止まった馬車から声がかかる。
「乗りたまえ」
聞き覚えのある声に、テオドアが顔を上げる。
「殿下」
扉を開けられたが、テオドアは濡れた身体で乗るのを躊躇う。
「殿下、申し訳ありません。
家の馬車に帰るように、言伝をお願いできませんか」
バーナードが頷いたのを見て、テオドアは身体に着いた水滴を払って乗り込んだ。
「僕は誰だ?」
向かいに座ったテオドアに、バーナードは言う。
「王族だとか、王子だとかの答えは期待していないよ」
テオドアは、少し苦笑いをして答えた。
「殿下は、僕の融資者です」
「そうだ、融資するのは金だけじゃない。
侯爵よりは、上にいるんだよ。
パーシバル公爵を使うことだってできる。
君らしくない、何をトロトロしているのだ」
さも、自分を使え、とばかりにバーナードは言う。
はぁ、と一つ大きく息を吐くと、テオドアはバーナードに向き合った。
「甘やかさないでください。
頼ってしまいそうになります」
バーナードはテオドアの腕を引寄せると、頭を押さえて自分の肩に置いた。
「まだ16だ。君はふてぶてしい子供でいいんだよ」
バーナードの肩に頭を置いたまま、テオドアは囁いた。
馬車の中は他に誰もいないのに、バーナードだけに聞こえるように小さな声で。
「融資者の希望に応えて、甘えてあげます」
ほんの少しだけ間をあけて、テオドアは言葉をつむぐ。
「アイツをつぶして」
「了解」
テオドアの肩が小刻みに揺れる。
「子供じゃいられなかった。
父親はすぐに人を信じて失敗ばかり。
姉が売られそうになったのは、今回が初めてじゃない。
だから、姉を守ってくれる人に売ろうと思った。
不出来な姉だけど、可愛いのです」
馬車の静かな揺れが心地いい、テオドアは身体の力を抜いてバーナードにもたれかかる。
「今だけ、抱き締める許可を与えます」
バーナードがテオドアの身体に手を回すと、テオドアの顔は俯いて見えないが、耳が赤い事に気が付いた。
バーナードは、姉弟二人で助け合ってきたのだな、と思ったが、現実は一方的に弟が姉の後始末をしていた状態だ。