ナイジェルのお願い
ナイジェルが公爵家に戻ってきたのは、夜遅くになってからだった。
シャルロットが図書室の本に興味をもっていると、報告は受けていた。
食事も部屋に運ばせて、読みふけっていると。
扉をノックしても返事がないが、自分が来るのは分かっているだろうと扉を開け声をかける。
「シャルロット?」
居間は人気がなく、灯りもついていない。暗くなる前から寝室にいるのだろう。
ナイジェルは、シャルロットの部屋の居間に灯りを付けて息を飲んだ。
床にネズミの死体が転がっていた。
「キエト!」
ナイジェルが呼んだのは家令ではなく、従者のキエト。
すぐに駆け付けたキエトも部屋を見て驚いた。
「公爵、これは」
キエトはすぐに処理をしだしたが、いたずらにしても悪質過ぎる。
こんなに騒ぎになっているのに、シャルロットは居留守だ。
騒がしいな、ナイジェル様の声がする、ぐらいである。もちろん、ベッドから出ない。
寝室をノックもなく開けてナイジェルが入って来た。
「シャルロット大丈夫か?」
サイドテーブルには灯りが灯り、夕飯だろう食器が置いてあるが、シャルロットが寝ているだろう姿はデュヴェの中に隠れていて見えない。
バッ、とデュヴェをめくると、身体を丸めているシャルロットとナイジェルの目が合う。
「あ」
シャルロットはパンを背中に隠す。夕飯にでたものだ。
「どうされましたの?」
すまして令嬢言葉のシャルロットの口の周りにパンくずが付いている。
口元を押さえ、身体を屈めて声を出さずにナイジェルが噴き出した。
身体が小刻みに震え、はは、と笑い声が小さく漏れる。
「失礼でしてよ、笑えばいいのに」
プイと横を向くシャルロットの口元に、ナイジェルが手を伸ばしてパンくずを取ってシャルロットに見せる。
「付いてた」
ナイジェルは笑いを押さえているので声が震えている。
「ありがとう」
まるで花を貰って礼を言うように、シャルロットがすまして言うから、とうとうナイジェルは声を出して笑い出した。
「あははは!」
ナイジェルは、テオドアが領地に向かう馬車に乗る時にかけられた言葉を思い出していた。
『姉は、あの容姿なので誤解されやすいですが、見かけ通りではありません。公爵にとって不良品であるか、最高級品であるか。
返品はいつでも受け付けますが、融資額はお返しできません。
僕は姉の幸せを願ってます、公爵を選んで正解だったと思いたい』
ああ、最高級どころか唯一無二の至高の品だろうな。
「ずっと寝室にいたのか?
だれか来なかったか?」
ベッドに腰かけながらナイジェルが尋ねると、シャルロットは頷いて肯定する。
「ミラベルを下げた後、居間に誰か来てたみたい」
ベッドに起き上がって枕にもたれたシャルロットは、ナイジェルに引き寄せられ腕に囚われた。
「ちょっと、これ」
シャルロットが離そうと慌てるのを、ナイジェルはシッと囁く。
「声を出さないで。
君に頼みがあるんだ」
ナイジェルは部屋に来た目的を話す。
「俺は軍が忙しく、今はまとまった時間を取るのが難しい」
小さな声で耳元に囁かれると、聞き逃しちゃいけないとシャルロットは耳に集中する。
「父の代から、金鉱山の代金が怪しい。
君はこの屋敷に来たばかりで、屋敷を探検しても不審がられない。
家令が鉱山をまかせている役人と繋がっていると思っている。
今朝、君が愛人と間違った立派な首飾りの使用人が家令の娘だ。
領地経営を手伝っていた君ならわかるだろう、証拠を探って欲しい」
そんな面倒な事、ごめんだ。
この家がどうなっても関係ない、と言い切れるシャルロットである。
「これからフェルシモ伯爵領への融資が滞っても困るだろう?
好きなドレスでも宝石でも報酬をつけるよ」
「ドレスも宝石もあまり必要ないから、いりません」
ナイジェルにしてみれば、女性はドレスや宝石が大好きのイメージである。これがダメなら、他の報酬で釣ろうと考える。
「横領されて回収できる半分を、援助金に追加するよ」
それは魅力的だが、働きたくないシャルロット。
「えー、でもベッドから出たくありません」
ナイジェルは思いもしない言葉がシャルロットから出て驚くが、ベッドの中のパンを見ているだけに病弱と結びつけて考える。
とても病弱のような肌色をしていないどころか、健康的な肌であるが。
「我が公爵家は、名物のドライフルーツの固パンがあるんだ。こんど、部屋に運ばせようか?」
シャルロットの表情が変わったのを見て、ナイジェルはドンドン押してくる。
「デザートもつけようか?
イチゴのタルト、桃のムース、チョコレート・・」
「プディングでお願いします!」
しまった、と慌てて口を押えるシャルロットだが、手遅れだ。
「ベッドに運ばせるよ」
契約成立とばかりにナイジェルは話を終え、シャルロットの頬にキスを落とすとベッドから立ち上がった。
「おやすみ、シャルロット」
「ちょっと、無理だから!」
シャルロットがキスされた頬に手を当て反論するも、ナイジェルは笑いながら寝室の扉を閉めた。
隣の居間ではキエトだけでなく、騒ぎで駆け付けた家令のデーゼルがいた。
隣とはいえ、シャルロットの耳元で話したので、聞かれていないだろうと、ナイジェルはデーゼルにも指示を出す。
「シャルロットは気がついていない。必ず犯人を捕まえる。
俺の大事な婚約者だということが、分かっていない人間がいるとはな。
使用人の中にいないことを願うよ」
シャルロットの存在が邪魔な人間、おのずと限られてくる。
気が付いてから泳がせてきた、今なら油断しているに違いない。
シャルロットのあの容姿ならばなおさらだ。
ナイジェルは、シャルロットに笑ったのとは違う笑みを浮かべ、家令と侍従を連れてシャルロットの部屋から出て行った。