6話 今後の為に
この世界に来て3日目。
昨晩でのスケルトンとの戦闘で生まれた過度な疲労によってベッドに入ってからすぐに寝落ちした太郎が目を覚ましたきっかけは空腹感からだった。
「うっ……」
太郎は思わず起き上がり、両手で泣き声をあげる腹を抑え赤面する。そして、妙子に気付かれてないかと隣を見る。
「お腹空いた?私もなの」
妙子には普通に聞かれてしまっていた。どうやら先に起きていた様子でベッドからは出ている。
「今の聞いていたのかよ」
「ばっちし」
「ぐぁぁぁぁ……!」
堪らない羞恥心に両手で顔を隠し、胴体もろとも屈伸するように伏せて悶絶した。
「お、お前!そういうの止めろよな!マジでデリカシーっていうかさぁ!」
「喚くほどのもの?それって」
喚くとは人聞きの悪い言い回しだが、実際に太郎的にはそこまでではない。ないのだが、やはり襲ってくる羞恥心には何かしらで誤魔化すしかなく、結果として叫ぶしかなかっただけなのだ。
とはいえそんな内心を悟られるのも嫌なのでもはや顔を合わせないという事でしか自身を正当化出来ないでいた。
「まぁまぁ。食料自体は一応集めて来たからリビングに行きましょ」
そう言って妙子は寝室の部屋の扉を開いて下へと降りていった。
その後、再び鳴る腹の音にまたも恥ずかしさを感じつつ、ベッドから降りた太郎はそのまま妙子を追うように階段を下る。
階段を降りてすぐそこにあるリビングの机の上にはいくつかの果物が転がる様に置いてあった。
カゴなどもなく、机と椅子は苔生していた為、あまり清潔とは言えないが、昨日一昨日の間にそれらを綺麗にする時間の余裕がなかったのだから仕方はない。
ただ、このリビングの中にあって、妙子だけはクッションを使って椅子に座れているのが凄く羨ましく、またズルいと思ってしまった。
とりあえず、残り二つの椅子の席には腰を降ろさず、立ったまま机の上に置いてあるきのみを一個手に取る。そして、机に触れていた部分を手で払ってから口にする。
見た目はリンゴに似てはいたが、日本で食うリンゴとは決定的に味が違っていた。
苦味とエグ味が強く、そのくせ甘さが薄い。
これに太郎はつい嫌そうな表情を出してしまう。
「まっず……」
「仕方ないわよね、これは。品種改良されてなかったらこんなものよ」
そう嘯く妙子も、顔は太郎と似た顔をしていた。
「品種改良でここまで違うものなのかよ」
太郎はとりあえず空腹感が勝っていた為全部食いはしたが、あまり好んで食いたいとは感じなくなった。
「私が聞いたことある話に、日本の果物は海外に比べて甘すぎるってのがあってね」
「甘すぎる?……そうか?」
改めて太郎はまだ机の上に置かれているきのみに手を取る。
「ほら、例えばバナナとか、海外だと日本のに比べて硬くて味もしないんだって」
「へー。妙子博士はなんでも知ってるんだな」
そう言いながら先ほど食ったリンゴの様なきのみを口にする。
「……」
……言われてみれば、バナナの話の様に食感も硬いと思えてきた。プラシーボ効果なのかもしれないが。
そうして二つ目のきのみも食い終わった太郎。残り一個、きのみが置いてあったが、どうも味が慣れないので手を止めた。
「さて、もういいかしら?」
「うん」
太郎が頷くのを見ると、妙子は残ったきのみを本棚の所に置いて行く。
そして、リビングの机の下に置かれていた昨日の戦利品を机の上に置いた。
銅製のナイフ、木製の弓、そして赤いビー玉の様なもの。
「昨日の戦利品だけど、この中でよく分かんない物があるわよね」
「このビー玉だよな?」
太郎はその玉に触れて見る。が、特に変わった感じはしない。本来のビー玉とは違ってガラス製品ではないのか冷たいとは感じない。
「なんか変なものだよな。透明感あるからてっきりただのビー玉かと思ったけど、冷たくはないし、触感としては紙に近いザラザラとした手触りだ」
「見た目はどう?ほら、私目が悪いから」
なるほど、そういえば妙子は普段メガネをかけてはいるが、この世界に来てからはメガネを外している。だから見えにくいのかと納得して太郎はそれを目に近づけてじっくり見る。
ガラスの様な透明感だがしかし、艶というには光り方が少しおかしい。まるで氷の様な感じに見えた。中がボヤけていて動かす毎に、万華鏡の様に模様を変える。しかし、それでも一貫性がある様にも見えた。
「なんか火っぽいエフェクト模様があるなこれ」
「火?」
妙子はその玉を見る。いまいち分からないが、赤い色からそんなおもちゃなのか、とも感じた。
「それ以上分かんねーや。スケルトン軍団が持っていたから武器だと思うんだけどなぁ」
「普通はそう考えるわよねー。でも使い方分かんないんじゃ仕方ないか」
「ゲームとかなら投げれば割れた所から火が出たりするアイテムだったりするけど、試す?」
「流石にゲーム脳すぎるでしょそれ。使い方が分からない内は大事に取っておいた方がいいと思う」
だよなー、と太郎も同意して、先程のきのみが置かれた本棚の所に添える様にして置きに行った。
「とりあえず目下の課題として、魔物が本当に出現すると分かった以上、その対策が第一前提だと思います!」
妙子はそう宣言し、太郎も頷く。
「じゃぁ、まずは柵でも作るのか?」
「その通り!あんまりこだわった物じゃなくてもいいから、適当に木を切って杭みたいなものを並べておけばそれっぽくならないかしら」
「あの」
太郎が挙手する。
「どうかした?」
「ハンマーないのにどうやって杭を打つんですか?」
「……」
妙子は黙った。
「おいおい」
太郎はツッコミを入れるが、太郎自身もあまり名案がないので、杭を作る自体は賛成ではある。
改めて、こちらには必要な物が足りないと思った。
今使える工具なんて斧とナイフだけだ。いくらなんでも学生二人程度でどうこう出来るものではない。
「……作る」
妙子の言葉に、太郎は耳を一度疑う。別段難聴系主人公という訳でもないのでなんと言ったかは聞き取れはしたが、あまり受け入れたくない言葉だった為、目が点になる。
「なんて?」
「無ければ作ればいいのよ!」
「お前今まで智慧者みたいな立ち振る舞いしておいてここに来て力技かよぉ!?」
太郎は叫ぶ。
(いや、妙子の事ならもしかしたら作り方を知っているのかも知れない)
そう思い、どのようにして作るのか問う。すると。
「えっと、ね。……んっと……」
(わかんねぇのかよ!)
えぇ……と声を漏らす太郎。それを聞いて俯く妙子。
これには妙子も少し焦る。
たしかに見切り発車な発言ではあったが、実際にそれはこれからの生活に必要な事なのだ。しかしいかんせん、これまで太郎に対して頭いいアピールをしてマウントを取っていた妙子にとって、この事態は芳しくない。
妙子はすぐ様頭をフル回転させる。
ハンマーの作り方などよく分かってはいない。特に柄をつけるための穴をどうやって作るのか分からない。
無難に考えて鋭利な石で打っていくのだろうが、石の問題にまで行くともはや勉強外の話になる。
(昔の人って本当にどうやってここまで築いてこれたのかしら!?)
讃えるべきは当時の賢者の力だ。ある程度学のある身であると自負していたが、実践すると所詮その程度であると露呈してしまう。
そんな中で、妙子は一つの答えに辿り着く。石器時代というイメージから導き出された答え、それは。
「棍棒が代わりになってくれるでしょ!」
叩く、という概念において棍棒は実にシンプルな武器である。おそらくは人類史で最古の武器であり、その使い勝手の良さは現代にまで存在している。
どうせ先の太い棍棒作ればハンマーの代わりにはなるだろう、という安直な考えではあるが、今は斧とナイフがあるので大雑把な丸太を作るのも、それを削いで棍棒にするのも可能である。
「ひのきの棒の次に手に入る武器をまさか斧の次に使うことになるとわ」
些か棒読みで太郎は言った。が、割とありな様な気がしていた。
「なら、まず棍棒作って杭を作ってそうしてようやく柵を作るのか」
言っただけとはいえ太郎は、うわ面倒くせぇ……と思ってしまった。しかし、行動しないと始まらないのも分かってはいるので頷く他ない。
頷くのを見ると妙子も返し、二人は斧とナイフを持って外に出るのであった。
そして、家から数十メートル程離れた場所で木を伐採する事となった。
「木の切り方って知ってるか?」
太郎は斧を持って構える妙子に言った。
「最初に半分くらい切ってから反対側を切ると望んだ方に木が倒れるらしいぞ」
「知っているわよ、そのくらい」
どこかで見た覚えはあるので、妙子もその事は知っている。とりあえず二人が巻き込まれない様な位置に倒せればいいな、くらいの気持ちで振りかぶった。
が、一撃が浅く、思いの外切れない。
「うわ、かったい」
しかも、斧を幹から外すのも中々力が要る。切り進めれば進める程、外し難いと感じた。
というのも、この斧自体は薪割りの為に作られている事と、老朽化によって刃こぼれが目立っていたのが原因であった。
これには筋肉に自信がついてる妙子も少し手こずりそうだと思った。
なので、太郎にはそれまで他の事をやってもらった方がいい様に思った。
「ねぇ、太郎さんや。ちょっとこれは時間かかりそうだから、少し他の作業やってもらっていい?」
「ん?あぁ、いいぜ。俺も見てるだけじゃ退屈だしな。何すればいい?」
太郎も積極的に動きたい様で頷く。
「昨日弓矢がいくつか飛んでいたじゃない?矢の作り方もよく分かんないからあれを再利用したいじゃない?だから回収して欲しいのよ」
「成る程確かに。オッケー、なら集めてくるわ」
そう言って太郎は昨晩駆け巡った場所に向かって走っていった。
「何かあったらすぐ私の所に戻ってくるのよー!」
すでに遠くまで走って行った太郎に妙子は声を高くして言った。
「分かったー!」
それに太郎も返して、探索を開始した。
一人で歩く中で、太郎は昨日の事を思い耽り、考えていた。
たとえばクマやウサギの骸骨達。アレらは普通にここらに生息する野生動物の死骸なのだろう。なので、アレらが多く群がって現れたのは自然と言える。
しかし、それならばスケルトン、あの3人の死体は一体なんなのだろう。
疑う余地もなく、あのログハウスの住人の遺体だったのだろう。
アレら、というのは少し配慮に足らないので、一応女性の声と体だったという事で彼女ら、とするが、彼女らはどうしてログハウスから姿を現したのだろう。太郎的にはそれが一番気がかりであった。
そもそもスポーン地点が決められているのかすら甚だ疑問ではあるが、少なくとも彼女らは一度はログハウス内に居たのだ。
少しオカルトになるが、もしかしてこれはログハウスの主人である彼女らが、勝手に入って来た俺らを追い払う為にやってきた祟りなのではないかと予想した。
「うわ、なんか急に申し訳なくなった……」
少し嫌な汗が垂れる。
勝手に入って勝手に使った挙句に追い返しに来た主人を焼き討ちにしたとか申し訳が無さすぎる。ましてやゴミ捨て場に落とすとか、屑にも劣る所業に思えた。
そう考えるとより一層そう感じてしまった。
「そういえばあのスケルトン達はなんか呟いていたもんなぁ……」
何を言っていたかはさっぱりだったが、もしあれが「帰れ。帰れば危害は加えない」的な意味だったなら凄く善良な亡霊じゃないか。
太郎はホラゲーが苦手である。そして、祟りというのを内心信じている。その二つが噛み合い、太郎の足は貝塚の元へと走って行くのであった。
貝塚の元に辿り着き、底を見る。そこには昨日よりもバラバラに砕けた白い骨の屑が埋まっていた。
もはや人の骨か獣の骨かも分からないくらいの有様である。
冷や汗をダラダラと垂らした太郎はとりあえず合掌して膝をついた。
「あぁ、すみませんすみません!勝手に焼却とかしてしまって!突然の事だったので頭が回らなかったのです!どうか許して下さい!妙子も悪気があったわけじゃないんです!どうしてもログハウスが使いたかっただけなんですよ!」
とりあえず思いついた言葉をつらつらと述べる。
朝だと言うのに太郎はガタガタと震えていた。
そんな太郎に、ある奇跡が舞い降りる。
『デン ミー ピィラーズィ。マーロン サセ フェリスト ペィディア。カリィ ティーヒー』
それは、死した亡霊である彼女らの言葉であった。優しい声色で風に乗って太郎の耳に届く。
その言葉の意味は「構わないで。むしろ貴方達には感謝しているのです。どうか、幸がありますように」。
太郎たちは気付きもしなかったが、偶然にも彼らがやった事は正しかったのだ。
骨のみとなった体にしがみついてしまい、今日に至るまで天へと還ることが出来なかった彼女らは、この言葉を最期の言葉として成仏することが出来たのだ。
そのような風のせせらぎの音を聞いた太郎は天を見上げて涙を流す。そして、太郎は……。
「ギャァァァァア!ほんっとうっ!!本当にすみませんでしたぁぁぁぁ!だから許して下さい頼みますよぉぉぉぉ!」
全力の命乞いであった。
太郎には彼女たちの言葉が分からなかったのだから無理もない事であるが、目元は涙でたまり、身体中は失禁してしまったのかと疑う程に震えていた。ヘタレ、ここに極まれり。
しばらくしても何も起こらなかったのでとりあえず立ち上がり覚束ない足取りで周りを伺うが、特に変化はない事に少しばかり安堵のため息をついてからまた貝塚の中を見る。
「と、とりあえず埋葬した方がいいのか?……他の獣の骨と混ざっちゃうのは嫌……だよな……」
太郎は迷っていた。とりあえず分けて埋葬した方がいいのだろうと思ってはいるのだが、いかんせん先程の幻聴のせいで未だにあの骨の中に動くものがいて、骨を拾った矢先足元を掴まれそのまま貝塚の中に引き込まれるのではないかと、その様な危惧から貝塚内の対処が出来ないでいた。
こうして悶々と考えても時間の無駄だと感じた太郎はとりあえず矢の回収を先に済ませようと考えた。
「あとでちゃんと埋葬しときますのでホント、それまで待ってください……!」
もう一度合掌してから、太郎は貝塚から離れ、矢の回収に向かうのであった。
これまで通った道をなぞりながら歩き、矢を見つけていく太郎。
初めて弓を持ったスケルトンを見た場所に着くまでに見つけた数は4本。思いの外少ない様に思ったが、自身らが打たれたと分かる回数は二回程度だったので、割とそのくらいだったのだろうか。
とりあえず近くにあったツルを取って矢を束ねる。
これで仕事は完了してしまったので、少し手持ち無沙汰になった。
どうしようかと悩んでいたが、ふと体に痒みを覚えた。
「そういえばあんな汗かいた後、そのまま寝たんだよなぁ……」
汗で身体中にホコリでもくっついたのか、今体は結構汚れていた。気付けばますます気になるもので、風呂に入りたい気持ちが強くなる。
しかし、ただの水浴びはなんか嫌だというワガママも出ていた太郎はどうにか暖かい湯船に浸かれないかと頭を悩ませる。
一応湖はあるので水は問題ない。問題があるとすれば湯の作り方だろう。
ドラム缶などもないので、下から薪を炊くなんてことは出来ない。
「あれ、これは無理じゃね?」
今から木を伐採してどうのこうのという話なのに温水とかそれこそ温泉を引き当てないと無理な気がしてきた。
それでも諦めきれない太郎は、周りの散策も合わせて何かないかと模索してみようと試みる。
自分も何かしらの功績を示さないと、本当に要らない奴になるし、それは絶対に嫌なのでここでガツンと俺はスゲーと思わせたい。
一応の時間制限を設ければどこまでいってもいいだろう、とスマホを取り出して今の時間を見てみる。
16時丁度を示していた。
「えっと、フランスと日本の時差は確か七時間だから……」
妙子に教えてもらった時間差を計算に入れる。スマホに書かれている時間より7時間遡ればいいので、現時間は9時という事になる。
「めんどくさいなこれ」
一々考えるのも面倒なので太郎は自身のスマホの時間設定をフランスの時間帯と同じにした。
……まぁ、ここが本当にフランスであるかも疑わしいが。
とりあえず15時位に戻って来れば問題ないだろう。
集めた矢をとりあえずログハウスに置いてから、太郎は探索を開始した。
昨日は木ばかりを見ていたが、今回は他の所にも目を向けようと心掛ける。
とは言っても、思いの外周りの環境で普通とは違うと思えるものは結構少なかった。
逆に変化が著しく思えた場所といえば……と思い、真っ先に思い浮かんだのは、この世界に転生して見つけた赤い泉である。
とりあえずアレを調べながらなんか面白い事でも見つけられるのではないかと思い、そこに向かって行く。
道の途中でいくつか野生の動物を見かけながら、その見た目がやはり知っているものと若干違っていると分かる。
そして、偶然かもしれないが泉に近づくほどに、例えばウサギの角は伸びていた。
到着すると、とりあえずルビー色の泉に顔を近づけて行く。
決して透き通っているという訳ではないが、光に当てるととても煌びやかであった。
「本当に不思議な存在だなぁ、これ。他の所にはなかったから、なんか特別な環境でもあるのか?」
周りを一周してみるが、よく分からない。
初日の時に泉の水には触れてはいるが、特に体に異変はないから毒ではないのだろう。
では、これはどの様な作用があるのだろうか。
ワインの泉でしたー、とかそんなものであったなら実にファンタジー要素があるように思えるが別にアルコールの匂いはしない。もちろん、ぶどうなどは周りにはない。
あるとすればあの絡まった不思議な木から実ったザクロみたいなきのみくらいだ。
「もしかしてこれか?」
一応周りはこの木が多く存在していて、地面にはそのきのみが散乱してあった。土を軽く掘れば、その土も赤く染まっている。
そういえば、と太郎はログハウス近くの湖の事を思い出す。
(あの湖の水の色って透明だったっけ?)
青い空と緑の山が写っていたのでなんとなく青い感じに見てはいたが、しっかり確認はとってなかった。
こうして改めて考えて見ると、どうだったか記憶を疑う事がでてくる。
そして、気になったら確認もしたくなるのが人の常であろう。
とりあえず川の水を飲んだ所に向かって確認しに行く。
「んー、こうして見ると少し赤い……のか?」
川の水を手で掬いじっと見つめて見る。若干赤く見えなくもないが、肌の赤い部分が映っただけの様にも見えるのでなんとも言えない。気のせいだと言われればその通りだと言ってしまいそうな程だ。
少なくとも先程の泉程に明確ではない。
とりあえず川の周りの様子を伺うが、木は杉の木が多くあった。あの絡まった木……一々めんどくさいので巻木とでも名称しよう。その巻木は先程の泉に比べて少なかった。
これだけで確定するのは多分良くはないのだが、因果関係はありそうだなと思った。
あの泉の近くの動物は、ログハウス周りの動物よりも変わった部位が成長している様にも見える。
例えば先程のウサギの角もそうだが、リスも出っ歯の主張が激しくなっていったり、トカゲなどは心なしか大きく見えた。
ゲーム脳な太郎はこれらから一つの答えを導き出した。
「あの赤い泉にはなんかこう、セープポイントみたいな特殊な加工がされた魔法空間だ!」
と。
半ば投げやりの答えに行き着いた太郎はここであのルビーの泉についての疑問に終止符を打った。
要は投げやりである。
太郎的には風呂に入るアイディアが欲しいのであって、あまり関係ない事に思考を割く事は出来なかったのだ。
とはいえ、あの周りの動物はみんななんか強そうな感じだったのであまり近付かない様にしようと思った。
もちろん厨二病もしっかり患っている太郎的にはあそこでアロマセラピー的な事をして肉体強化なんて事が出来れば上々だとは思ったが。
そのような事を考えてると、川の上流からピチャン、という音が聞こえた。
そこに目を向けると、魚が川を下ってきていた。
「おっ?マジか」
太郎は思った。これを捕まえれば久しぶりの肉が食えると。
2日連続できのみだけで、しかもあまり食う機会もなかった為にその手の物に飢えていた太郎は絶好のチャンスだと思い、どうにか手に入れようと考える。
「あー、ナイフ持ってくりゃよかったな。血抜きとか出来ねぇ」
そんな事を口にしながらも、魚を捕らえる事は決定事項である。
風呂の事はまたも置いておき、魚に集中する太郎。
ズボンと靴を脱ぎ、下半身はトランクスのみになった状態で川に入る。
川の底は土が大体を占めていたため、底から土埃が舞い、川の中の視界を妨げる。
「うぉっと……気をつけないとなぁ」
これのせいで魚が捕まえられなくなるのは嫌なので、ゆっくりと歩き直す。
底の土埃が流されていくと、改めてゆっくりと歩き出す。
捕まえ方は至ってシンプル。昔テレビで見たクマの映像みたいに、叩くようにして川から陸に薙ぎ払う。
腰を低くし、前屈みになって魚がやってくるのをじっと待つ。
そして、魚が近付いた瞬間を狙いーー。
「!そこだ!」
思いっきり川を叩く。手が水の表面に当たる破裂音が耳に響く。
しかし、太郎の手から陸に上がったのは水しぶきと流れてきた小枝のみで、肝心の魚は上流へと登っていく。
「だーっ!失敗した!」
最初から成功するとは思ってはいないが、それでも手に入らなかったのは悔しい。なので川に入ったまま、ズカズカと太郎も川を登っていく。
川の中を見て、魚が通らないか注視しつつ。
これまで肉を食えなかったこともあり、その注視は洗礼されていた。それこそ、川のせせらぎしか聞こえてこない程に。
そうしていると奥から水を叩く音が聞こえてきた。
そして、陸に突如魚がもがきながら現れた。
「ぅをぉ……、スゲェ」
誰がやったかは知らないがお見事と言うしかない。これはかなりの熟練だと思った。
「いやぁ、凄いですね!お見事です!」
「グルル……」
「ぐるる?」
太郎は顔を上げて、声のなる物の顔を見る。
クマである。紛うごとなきクマである。
「クマって、……これマ?」
全身に嫌な汗がブワッと流れる。
スケルトンとかも怖かった太郎であるが、このクマに関しては怖いの方向性が違う。
スケルトンはホラー要素としての恐ろしさが前面に出ていたのでビクついていた事が大きい。さしずめ虫を嫌う人がその虫を退治するために奔走するようなものである。
しかし、クマに関してはもはやそれとは違う。
物理的に怖いのだ。チカラがあって、頑丈なのだ。
もし先ほど魚にした仕打ちを太郎にもしたら、太郎の頭蓋が先ほどの魚同様陸に転がる事であろう。
しかもよく見るとこのクマ、よく知っている一般的なクマと違い、手が異様に大きく爪も鋭い。
まるで格闘ゲームに出る為に生まれてきたかの様ではないか。
(いやいや待って待って!こんな事あり得る!?なんでこんな事になってるんだよ!祟りか!?祟りなのかチクショー!)
声には出さないように心の中で叫ぶ。
実際に叫んだら間違いなくクマが激情して自身の首が空を飛ぶ。
ゆっくりと、太郎は深呼吸する。
(大丈夫、大丈夫……。クマに遭遇した時の対処は勿論知っているとも)
クマを見ながら、ゆっくりと、ゆっくりと後退していく。刺激しないように、穏便に。
魚からは離れ、木の側まで行き突進への対策を作るのだ。
息が詰まる思いとはこの事だ。
川からゆっくりと陸へと上がったら後は木に隠れて逃げてしまおう。
そう思っていた。が、陸に上がる時の些細な水しぶきの音が鳴って、クマを刺激する。
そしてクマは四足歩行から二足歩行へと変わり、太郎を凝視し始めた。
内心の太郎はもはや何度目になるかわからない絶叫が溢れる。
(妙子さんタスケテ!)
そう思うが、今叫んだらクマに殺されるし、妙子本人も対処など出来ないだろう。自分でどうにかしなければならない。
とりあえずまだ襲われてはいないので、ゆっくりとズボンに手を取る。
(クマのガン見こえぇ!)
動物園とかならつぶらな瞳とか言って可愛いとか言う所だが、いざ危険な状態に置かれるとあの目が怖くて仕方がない。
目で殺すという言葉はまさにこの事なのではないかというほどに。
靴は目の怖さに怯えて履くことが出来なかったが、どうにか木の側まで着く。
が、しかし。クマはゆっくりとではあるが太郎の方に寄ってきた。どうやら今のクマの関心は自身が捕まえた魚より女の姿の太郎の方が強いようである。
……本来ならば、クマが近付いてきた場合、木に登って、高い所から手を振って話しかけるなどして警戒を解くのが一番いいらしい。
しかし、太郎はそこまでの余裕がなかった。もっとも、杉の木などに登る事が出来なかったのもある。
ともかく、こうした状態で太郎が取った行動は結果として最悪の物になる。
背中を向けての全力ダッシュである!
精神的疲労のピークは既に超えていた太郎は、もはやこれ以上のストレス要因になる物を見ると思考が停止してしまっているのだ。それにもたらされる逃げたいという衝動。
当然、これを見たクマはその姿に対し、更なる関心を示してしまう。特に、背を向けた姿、素早い動きに野生の動物は敏感である。
結果、太郎はクマに追われる事となった。
太郎は川を下る様に走っていく。
余談だが、クマは時速60kmで走る事が可能だという。車の標準速度と同じ速さである。
そして、女体化している太郎は当然ながらそれほどの速さはなく、持久力もなかった。これは元の体も同様であり、引いては平均的だった身体能力はさらに下方修正されている。
その状態でしばらくしたら下り坂に突入し、太郎の疲労はさらに蓄積されていった。
この結果、もはや追いつかれるのは時間の問題であった。
そればかりは太郎も理解していた様で、ズボンを後ろに投げて目くらましを図る。
クマに向かって飛んだズボンは見事、クマの両目を塞ぎ、一時しのぎではあるもののクマを硬直させる事に成功した。
これを機に逃げ果せようと前を向いた時、太郎は川を下る様に逃げる事への後悔が押し寄せた。
目の前の坂に、道が一線を隔てて消えているのだ。
「……ーー!」
滝。
大きな断崖がそこには出来ていた。
それを太郎が理解した所で、太郎は止まる事が出来なかった。全力で下り坂を走った状態では人はいきなり止まる事が出来ない。
(このまま、飛び込んでしまうのかーー?し、死ぬ、のか……?)
死を悟ったその時、太郎に走馬灯が走る。
この世界に飛ばされた時の事。
妙子が川を下るのは良くないと言っていた事が今になって真の意味として理解する。
川の水の流れではなく、走った勢いそのままに、ではあるが。
後10m。
この瞬間に過去の記憶が一気に押し寄せる。
走馬灯というのは、死に直面する際、過去の記憶から解決策がないか検索をかける時に流れる物なのだと言う。
果たして、太郎はこの瞬間に思いついた物の中にある映像が流れ込む。
とある映画のワンシーン。ある種コラ画像などにも使われるシーン。
それは、主人公が高い所から飛び降り、いくつもの庇を破りながら勢いを減らして地面に着く頃には死なない程度にまで緩和する、というものであった。
それを思い出した太郎は一か八か、体を並び立つ木々にぶつける様に体を傾ける。
「っつぅ……!!」
木に当たった部分には当然大きな擦り傷を作り、そして体そのものはピンボールよろしく反対側へとよろけさせる。
一応少しばかりは勢いを殺せたが、飛び込みを止めさせる程の減速を見せず、また、足は疲れでまともに動かなくなり転倒して川に落ちる。
そして、太郎は川の水もろともに高度100mの高さから落下した。
(こ、こんな下らない事で死ぬのかよ……?嫌だ。……嫌だ)
遥か高い景色。目の前には大きく広がる森の大海があった。絶景といって差し支えないその世界に、しかし、太郎は関心を示せない。
感じるのは濡れた体にまとわりつく様な滝の水と、空気抵抗で生まれた冷たい風。そして、恐怖という名の魔物による心臓掌握。
もはやどんなことを言ったって無駄である様に思った太郎はただ、こう言った。
「嫌だぁぁぁぁ!まだ死にたくはない!」
この叫びは森中に広がり、太郎はその後直ぐに頭部への衝撃によって意識を失った。
「……太郎?」
森のざわめきに妙子は耳を傾ける。
周りの動物がどことなく騒がしく感じる。特に、鳥が異様に飛び立っていた。
木を今やっと10本切り倒した妙子は、この時何かいい知れぬ不安を覚えた。
「ちょっと作業中断した方がいいかしら……」
妙子は伐採を止めてログハウスに戻ってみる。
「矢は回収済みなのにどこに行ったのよもう……」
太郎に任せた仕事は既に済ましてあるのが分かった。しかし、家の中に太郎の姿は無かった。
一旦、スマホの電源をつけて時間を確認する。
フランス時間で15時だ。
「何事もなければ良いけど……」
もう少し待ってみてもいいだろうか。いくら太郎でも死にかける様なバカはしないはず……。
「……」
そうは思いながらも妙子の心の中にある不安は深まる一方であった。
「こんな時に電話が出来れば良かったのに……!」
もし仮に太郎がまた遭難や、野生の動物に殺されかけていた場合、大変不味い。
心配性かもしれないが、最悪の事態だけは避けた方がいい。
「あー、もう!どっか行くなら私に言ってからにしてよ!」
このざわめきはとても言い知れぬものであると悟り、妙子は太郎を探しに向かうのであった。
「とは言っても、どこに行ったか……」
とりあえず、昨日は風呂が気になっていた様子なので、水浴びしている可能性を考えて湖に向かう。
が、居ない。
しかも、水浴びをしていたならば多少なりとも陸の土が濡れているはずだがそれもなかった。
「水浴びじゃないとすると……」
太郎が行きそうな所……。
あまり思いつかないが、あるとすればあの貝塚の中だろうか。
もしかしたら貝塚に落ちて出れなくなったのかもしれない。
「うわ、有り得そう」
実際その確率は低いとは思いながらも、どこにも居ない太郎を探す妙子にとって、出来るだけ早く近くに居て欲しいと願った結果、貝塚に落ちてしまったというオチを考えた。
しかし、やはりいない。
貝塚の中は既に焼き朽ちた動物とスケルトンの骨のみだ。
目星2つとも外し、いよいよどこにいるのか分からなくなった。
こうしている間も心は非常にやきもきさせられる。
ーー妙子は幼稚園児の頃を思い出す。
買い物に出かけ、親が買い物に夢中になっていつのまにか姿を消して、自身は懸命に探すも何処にも居なかった時のあの怖さ。
自身を置いて帰ってしまったのではないかという恐怖。それに近いものを感じた。
こういう時ほど思った通りには動かないもので、今はただ、懸命に探し出すしかないのだが、やはり焦ってしまう。
「……っ、何処にいるのよ、もう……!」
不安が募る。積もる。溜まる。
本人の気にしない所でため息は多くなり、独り言も多くなる。
もはや神頼みすらしたくなった妙子は、よりにもよって昨晩敵だった貝塚の中の骨に祈りを込めた。
「どうか、太郎が無事でありますように」
……こんな事をしてもムダだ。と妙子は思っている。
こんな無機物に意味などありはしないのに、と。
魔法の世界ではあっても、この二度も殺された身に魂など宿っては居ないだろうと。
だが、この祈りには意味があった。
太郎が祈りを捧げた様に妙子も祈った。それを天に昇った元スケルトンの名前すら知らない彼女らに届いたのだ。
天啓、とはこの事を言うのだろうか。
草木が突然揺れて、大きな川のある方を指し示していた。そして、その先には普段より明るい光があった。
妙子は何がなんだが分からない。しかし、分からないままでも、進んだ方がいいだろうと直感した。
「……川に行けばいいのね。いいわ、従ってみる」
これはただの妄想に過ぎない。
妙子はそう思う事にして川へと向かった。
特に変わった様子は無いように思えた。とりあえず少し川を下る。
と、川のすぐそばで太郎が履いていた靴を発見した。
「……!なんでこんなところに靴が……?」
周りを見渡す。が、ほかに衣類は見当たらなかった。足元には血の跡も見えないので襲われたというわけでもないだろう。
血の代わりにあったのは食い散らかった魚の残骸のみ。
妙子は下った方の川に目を向ける。
「川に入って一体何をしていたかは知らないけど、この先に多分太郎はいる」
もはや女の勘と呼べるシロモノであったが、妙子は靴を見た瞬間から何かしら良く無いことが起こっていると確信した。
この女の勘。妙子も気付いてはいないが、ある違和感がその確信を導き出していた。
太郎は女の姿になって今日に至るまで、体の大きさが合わないためにズボンはいつも掴みながら歩いていた。手を離せばずり落ちてしまうのだ。
そして、ここに靴が置いてあると言う事は、太郎は川に入ったという事。なぜ川に入ったか。おそらく魚を捕まえようとしたのだろう。
その様な行動をする際、果たしてズボンはどうするだろうか。
きっと邪魔になる。ーーだから靴と一緒にズボンも置くはずなのだ。
ならズボンはなぜ置かれていない?
決まっている。何かが起きたからだ。
陸に上がった魚の残骸はおそらく太郎がどうにか捕まえた魚を野生の動物に食われた物だろう。
魚を捕まえて陸に上がった後、ズボンを履く時に動物が現れ太郎は靴を置いて一目散に逃亡。
そして、動物は野生の本能で逃げた獲物を追いかけたーー。
これが妙子の導き出した答えである。
「いや、ヤバくないこれ?」
もしこれが本当なら一大事だ。
そう思い、妙子は急いで川を下って行った。
そして、滝のあるすぐそばで太郎のズボンを見つけたのであった。が、その状態はあまりよろしくはなかった。
鋭利な刃物の様なもので数カ所破れている。それを見て恐怖が宿る。
「血は付いてないからまだ大丈夫、大丈夫……のはず……」
そうは言いながらも妙子は血の気が引いていた。本当に太郎は無事なのだろうか……。
しかも、崖の近くにズボンが落ちていたのは何故なのだろう。
妙子は一つ、目星がついてしまった。
しかし、こんなものは当たって欲しくはない。
「た、確かめないと……」
見るのが怖い……。もし、崖の先、遥か下に太郎の死体があったらと思うと体が震える。
……嫌だ。こんな所で死んで欲しくない。
……私のせいだ。太郎は弱いのは分かっていたのだから1人にさせるべきじゃなかった。
……今までだって太郎はどこか自身に自信を持っていなかった。きっと頑張ろうと無茶したのだろう。
それを私は気付いていたはずだったのに、配慮が足りなかった。
崖の底を見るのが怖い妙子は、最後の足掻きとばかりに、目を閉じて思わず叫んだ。
「太郎ー!どこよー!」
「なにぃ?」
「?!」
崖の向こうから素っ頓狂な太郎の声が聞こえてきた。