36話 仕立て屋の息子 その2
2階から降りた少年、アンテロースはすぐにパナケイアの元に駆け寄る。
パナケイアより20センチ程背丈の高い姿に、前髪が目元まで伸び目が隠れている状態の髪型、そしてインクなのか、墨の様な黒いもので汚れた衣装が印象的だ。
そんな見た目のために表情は見えないが、声の明るさで喜んでいるのがわかる。
『お菓子も持ってきましたよー、後でみんなで食べましょう!』
と、パナケイアがカゴいっぱいのお菓子を彼に渡す。
二人とも明るく話しているので仲の良さが伺える。
『あ、それと……、途中でディケーさんと出会いまして、これはその時貰ったお菓子です』
と、メロマカロナというクッキーのようなものも渡すと、アンテロースは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「(ディケーさんかぁ……。あの人ちょっと苦手なんだよなぁ……)」
と、口をこぼす。
「なんて?」
と、妙子がパナケイアに言うと、『アンテロース君もディケーさんが苦手なのです』と返答した。
「アンテロース君、も、ね」
『あっ……』
と、パナケイアは失言した自覚を持った。
ディケー本人はパナケイアを気に入っていた様子だったが、どうやら片思いのようだ。
(……まぁ、それはそうよね。私もそうだし)
仕方ないと言って励ますと、パナケイアはなんとも言えない表情になった。
マカオンに負けず劣らず気の優しすぎるタイプのようだ。
「(あの人はなぁー……、凄いんだけど中身がなぁ)」
『この街ではどうやら彼女は有名なようだな』
悪い意味で……、と心の中でニコラオスは付け足した。
「(まぁそうだねぇ。この街の代表と言ってもいいよ。
今回の勇者様の為に用意した服だって全部彼女が作ったし)」
『ほう。アレをか』
と、ニコラオスは高杉達が着ていたローブを思い出す。
光を放つ繊維を織り交ぜた精巧な作りだった。
主が言うには斬撃や刺突で傷つくことのない作りをしているのだと言う。
「(ただねぇ。思ったことをすぐ口にすると言うか、周りによく毒を吐くからみんな苦手意識あるんだよねぇ)」
そう語るアンテロースだったが、ふと思い出したように首を振った。
「(そんなことよりも本題に入ろうよ。
マカオンさん、手紙でくれた絵って誰が描いたの?)」
と、配送主のマカオンに尋ねると、彼はそのまま妙子を紹介した。
「(へぇ!そうなんだ!初めまして!)」
と、アンテロースは妙子の右手を両手で取り、握手してきた。
マカオン達より一回り小さい少年がよもや自身にここまで好意を持たれると妙子は思っていなかったようで、心のどこかにときめくものを感じる。
「ど、どうもー」
と、返事をするがお互い何を言っているのかしっかり分かってはいない。
「(勇者様の言葉がよく分からないのは不便だなぁ。パナケイア、通訳お願いしてもいい?)」
『いいですよー』
と、二つ返事で返ってきたので、アンテロースは口元が緩み、そのまま妙子とパナケイアを連れて二階へと駆け上がった。
『……どうやら余程楽しみにしていたようだね。
僕たちもついて行こう』
と、マカオンがそう言ったので太郎達も遅れて階段を登っていった。
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アンテロースの住むこの建物は三階建てとなっている。
2階は一階よりも生活感のある開放的な空間だった。
階段を登ってすぐに段差があり、その向こうには、中央に置かれた、面積が広く低めの机の上には沢山のペンと服の絵の書かれた紙が散乱している。
そして、その奥には厨房が見えた。
アンテロースは段差のある所で靴を脱ぎ、机の元で腰を下ろした。
「(さぁ、早く!もっといろんな服の絵が見たいんだ!)」
ゲーム発売日に気持ちが昂っている子供のようなはしゃぎようでアンテロースは言った。
「なんて言ったの?」
『もっと服の絵が見たい、と言っていますよ』
「ほうほう、そっかそっか。私も久しぶりに絵が描けるし、腕によりをかけちゃうわよー」
と妙子もすぐに机の前にまで向かい、散乱したペンの一本を手に取る。
細長い炭を紙で巻きつけた様な見た目はダーマトの様だ。
「(そうだ!出来ればパナケイアによく似合う服を描いて欲しいな!)」
「えっ?なんだって?パナケイアちゃん、お願い」
と、妙子が聞くが、パナケイアは何やら口籠もった。
どころか、どこか頬を赤らめている。
おやぁ……?と何かを察した妙子。
そんな後ろでマカオンがやってきて、妙子の耳元で二人に聞こえない様にこう言った。
『パナケイアによく似合う服描いて欲しいってさ』
ASMR!
これは中々グッと来るものが……じゃなかった。
「ほうほうほうほう!なるほどねぇ?ふーん、そっかぁ」
と、オタク特有の気持ち悪さを隠しきれなくなる妙子。
そして、アンテロースとパナケイアは何やら弁明のような事を言っているが何を言っているのかわからない、と言う定でいった。
「オーケーオーケー。そう言う事なら頑張って描こうかしら!」
と、妙子はますますやる気が満ちてきた。
そのやる気は、本来デジタル派の彼女がアナログで描いても支障が出なくなるほどにあった。
(そうねぇ。ここに来るまでにワンピースやニットの服がなかったのよね。
あー、パーカーも捨てがたい……、どうしよっかなぁ!)
と、随分と筆が乗っている様子であった。
それを見た太郎は、どことなく安堵した。と言うのも、自分だけがはしゃいで、妙子はどことなく自制しているのを感じたからだ。
思えば熊の一件から色々気を使われていた様にも思う。
あとは……、クラスメイトの事か。そう言った話が出ない空間なのが大きいのかも知れない、と太郎は思いながら、適当な場所に腰掛けた。
そうして10、20分と経ち、大雑把な服を3枚ほど描いた。
描き終わるたびにアンテロースがその絵を見ては「(なんだ、この服?!どういう構造になってるんだろ?)」
と、新しい文化に心を躍らせていた。それを隣で共有しながら楽しんでいるパナケイアもまた、ここが好みだ、と言った話を膨らませていた。
『へぇ、誰も可愛らしいし斬新だね』
と、マカオンもその絵を見る。
『タロウさんはこの中で誰が好きなんだい?』
「ん?俺?」
と、パナケイアが着たら可愛い服を想像して見る。
そして軽く考え、ワンピースの服を指さした。
『そっか、たしかにタロウさんによく似合いそうだね』
「……、ん?」
パナケイアに似合う服の話ではなかったのか?と、太郎は一瞬思考が固まった。
『アンテロース君、彼女のサイズに合うこのワンピースを作ってくれないかな』
「えっ、いやちょい待って」
「(えぇ!勿論!こんな素敵な案があったら全部作りたいです!)」
とアンテロース君迫真の決意表明。
「え。なんで話進んでんのこれ」
「太郎さん!」
「あ、はい」
「私も太郎さんのワンピース姿ぶっちゃけ見たい!」
こ、コイツ!絵を描くついでにコスプレさせたい欲が顔を出していやがる!
心浮き足立ち、やりたい事を言葉でぶちまけていた。
元々、女の姿の太郎は美少女のそれだった為、黙っていれば可憐なのだ。
せっかくだから可愛くしたいと思うのはごく自然な事だ。
「というわけで出来たら着なさい!というか着ろ!」
「嫌です!なんで俺が着なきゃなんねぇんだよ!」
『なんだ、シロスクの方が良いってか』
と、ニコラオスが隣から言ってきた。
「アンタそればっかりだな!」
『うむ。なんかこう、語感がいい』
「ちくしょう!そんな事言わなけりゃ良かった!」
「とりあえず決定事項だから。大丈夫よ、私がしっかり着せてあげるから。
ねぇ?お姉ちゃん?」
「ここぞとばかりに家族設定を利用するんじゃねぇ!家族間でもそれはアカンだろ!」
『まぁまぁ。今のままの服よりは良いんじゃないかな』
と、マカオンは言う。
実際この世界ですら古いと感じる服だ。しかも随分と傷んでいる為、まともな服を着たいのは事実だが……。
「出来れば男もn」「ワンピで行こう」
「いや、俺は」「ワンピで行こう」
「r」「貴様に人権はない」
「なんだお前!」
「せっかくなんだからやりましょうよ!ね!?」
押しが強すぎる。こんな妙子さんは初めて見た。
『良いじゃねぇか。ここまで押されたならむしろ来てやらないと人が廃るってもんだ』
「他人事だと思って!ならニコラオスさんもこのワンピース着ろよな!?」
『……あぁ、いいよ?』
「えっ」
断ると思ったのにそう切り返された太郎は呆然とした。
『なら、ナロウも着ると約束てくれ。
漢なら、破らないよな?』
ーーしてやられた。この場において太郎の味方はいなかった。
ニコラオスと妙子は謎の友情が生まれ、互いに握手を交わしている。
「(話聞いていたけど、あんな筋肉ある人にこの服着せて、なんの需要があるんですか)」
至極当然の言葉だった。
その言葉は太郎と妙子には伝わらなかったが、マカオンは少し困った表情で笑う。
『まぁ、一回しか着ないだろうねぇ』
「(……まぁ、一着だけなら練習用として作れはしますけど……それでいいですよね)」
『うん、ありがとう』
と、言った所で一階から女性の声が聞こえてきた。
それを聞くなりマカオンは急に固まり、顔色を悪くする。
その声の主はディケーではなかった。
それよりももっと穏やかで柔らかい印象を受ける声色だ。
「(あのぉー、すみませーん。誰かおりますでしょうかぁ)」
「(あ、はーい)」
と、アンテロースは立ち上がり下へと降りていった。
その女性はゆるふわなボブカットで薄ピンク色の髪が特徴的な柔和な女性だった。
「(ここに、マカオン様は来ていませんか?)」
「(えっ?あぁ、それなら2階に)」
と、アンテロースの言葉を聞くや、二階へと足を踏み入れていった。
そして、マカオンを見ると、柔和な顔からうっとりとした表情を見せた。
対してマカオンは彼女を見てこの世の終わりの様な顔をしていた。
『ク、クローリスさん?!なんでここへ!?』
「(勿論、マカオン様のいるところに私はいますとも)」
と、美しい姿勢で、声色で言った。
……が、この場にいる皆は、マカオンの態度を見てなんとなく察していた。
多分この女も地雷なのだろうと。