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異世界転生のみならず転性しちゃいました  作者: kilight
一章 まずは地道に探ろう
4/49

2話 この世界は異世界だと理解する

天井に空いた穴から朝の陽射しが太郎の顔に当たる。

太郎はガバッと胴体を起こすと、体をさする。


……やっぱり、夢じゃないんだな。


細い腕に長い髪。若干の胸の膨らみに、男だった頃に比べて鮮明に色の違いが分かる瞳。

「……。役得……」

胸に手をつけて、軽く揉んでみる。

……虚しいだけだった。なんか違う。


横を見ると、自身より図体のデカい男が寝ている。

妙子はまだ目が覚めていない様子だ。

寝ぼけた目をグリグリ擦り、ついでに髪もボリボリと掻く。

些か髪が汗っぽくなっているのに気付き、不快感が襲う。

「風呂……」

太郎はベッドから出て、そのまま階段を降りる。

リビングは太陽の日差しを浴び、その日差しに目立つ程の埃が見える。

「掃除したいなぁ、これ……」

でも、それより先に風呂に入りたい。

台所に向かい、右手の所に大きな桶がある。これが風呂桶か、と近づいて見ると、違和感を覚えた。

「これ、風呂桶じゃなくね?」

風呂桶にしては高い。桶に水を入れる分には丁度いい高さではあるのだが、人が入るにしては高過ぎる気がする。

もしかしてこれ、貯水槽じゃないのか?と、考察してみる。

実際、台所の隣に壁も用意せず置かれている方がおかしい。

桶が置いてある方の先を行くと、裏出口があった。

「やっぱりこれ風呂桶じゃねぇ……」

しかめっ面になりながら、この事態を受け入れる。


裏出口から家を出ると、一般の下り道が目の前にあった。試しにそこを降りてみると、500メートル先に湖があった。

……大体意味が分かってきた。おそらく、前の宿主はここから水を汲んでいたのだろう。

そうだとすれば、風呂はどうやって入っていたのだろう。

「……妙子が起きたら聞いてみるか……」

妙子はその辺知識があるので、頼れる時に頼っておこう。そう思いながら、家まで戻った。


その道中、腹に妙な違和感を覚えながら。




一方、その頃妙子も起き始めた。

周りの汚れた景色で、これまでのが夢でない事を思い知らされる。

ゴロリと体を転がし、後ろを見る。太郎はすでに起きているようだ。

体の軋みを感じながら、起き上がる。

……考えても見れば、サイズの合わない服を着たまま。よく破れなかったものだ。

「あ、いや。破れてるじゃん……」

背中の袖山の部分が両方とも破れていた。

「うわぁ……勿体無い事したなぁ」

この時代において、衣類がどれほどの価値があるかは分からないが、現在この世界における通貨を持っていない為、今ある服は自身らが着ている服を除けば、ここに来て服を畳むまで乱雑に捨てられていたチュニック5着のみなのである。


とりあえず、これ以上服を破かない様に上着のブレザーは脱いでおいた。

ブレザーを脱ぐと、後は白いカッターシャツと、ブラのみになった。そこで妙子は自身の体のある一部に強い関心を示した。

「うぉっ。雄っぱいでけぇ」

鍛えあげられた胸筋がそこにはあったのだ。

まさか女性だった時、胸を大きくしようと頑張った筋トレが、こんな所で発芽するとは。

これは凄い。後学(BL同人誌)の為、しっかり確認しておこう。

そうして、胸にそっと手を添えたその時。


ガチャリ。と、扉が開く音がした。

バッと顔だけを音のなった方へと向ける妙子。

そこには、ドン引きしている太郎の姿があった。


「……キモッ……」

最初は小声だった。しかし一度出てきた思いは、言葉に乗せた瞬間、膨大な量となって太郎の心に、一つの言葉を発しようと轟く。


「キモーーッ!!」

「別にいーじゃん!自分の体なんだからさぁ!」


妙子は必死に弁明するが、しかし太郎は止まらない。


「いや、やっぱりキモいよそれ!自分の姿よく見てみろよ!ムッキムキの男が女もののブラつけながら自身の胸を揉んでるんだぞ!気持ち悪いよ!吐き気を催すよそれ!」

「なんだよー!ちょっと気になっただけじゃんよー!そっちだって自分の胸揉んでるんでしょどうせー!」

「な、なんでバレたし」

「ほらー!ならいーじゃん!というか、女子がいる部屋にノックもせず入るってどうなのよー!」

(じょ、女子……?)

一回女子の定義を見失いかけた太郎であった。

目の前の筋肉質な男の姿を見て常識的に考えれば、女子などとは決して言えないし言いたくない。が、ここは自身らの常識など意に返さない異世界。

そしてそれは、自身らの身にも影響を与えているのだ。常識など、とっくの昔に廃れているのだと、太郎はこの時理解した。

きっとこの先もよく分からない奇想天外な事態が起こるのだろう。

これは、その第一歩なのだと、太郎は覚悟した。


「えぇー……と。ご、ごめんなさい」

とりあえず深くは考えずに謝罪した。

「うん。今回私悪くない。……いや、私も熱くなっていたわ」


互いにほとぼりが冷めて、しばらく妙な空気と空間が生まれる。



この状態に先に居たたまれなくなったのは妙子であった。

「そ、それで?なんか用があったんじゃないの?」

声をかけられ、ようやく太郎も気を取り戻す。

「あ、あぁそうだ。ちょっと聞きたいことがあってさ」

とりあえず来てくれ、と言われ妙子は服を整えて太郎の後をついていく。


連れてこられた場所は、風呂桶と思っていた場所であった。

「これって貯水槽だよな?風呂ってどこ?」

「えっ」

妙子は一瞬たじろぐ。

改めてその桶を見る。

……確かに、やたら桶が縦に長い気がする。

妙子は、自身の身長が伸びていた事を忘れていた。これくらいならまぁ、入れはするだろうと思ったが、太郎を横に並べると、確かに風呂桶にしては高すぎる。

そうして、太郎の予想が正しいと思った上で、妙子は心底がっかりした。

「あー……、これが風呂桶じゃないなら、多分ないわね」

妙子自身、些か風呂桶がある事を願っていた。それもあってこれが風呂桶だと思ってしまったのだろう。

「そ、そんな。ならどうやって髪洗うんだよ?!」

太郎も余程ショックだったようだ。

「うーん。これが貯水槽なら、多分裏側の所に井戸か湖とかあるんじゃないかしら」

と、妙子は桶の奥に向かうと、裏出口を発見した。

「よくわかったな。確かにしばらく下ると湖があったぞ」

「あ、もう行ったんだ」

なんと行動力があるのだろう。それ程風呂に入りたかったという事なのか。

「まぁなら、間違いなく湖で水浴びするしかないんじゃないかしら」

「ま、マジで?冷たいじゃん……?」

太郎は顔が真っ青になっていた。

「いや、私だって暖かい風呂に入りたいわよ。でも、熱い風呂に入るのは日本独自の文化だから、諦めるしか……」

ある程度覚悟していたつもりではあったが、いざ直面すると、やはり色々な所で抵抗感が生まれる。

恐らくこれからも、様々なギャップに見舞われる事だろう。

果たして、二人はどこまで耐える事が出来るだろうか。それがどうしても不安だ。

「うぅ……、帰りてぇ……」

太郎は割と早くも耐えきれてなさそうである。異世界に飛ばされて嬉しいとか最初の方は言っていた癖に。


ふと、なんかお腹の調子が悪く感じた。

……ーーあれ、もしかして。

「あとさ、もう一つ聞いていいか?」

太郎がなんか腹を抱えながら言う。

「な、なに?」

妙子も、なんとなく何がいいたいのか察していた。この腹痛には、男になった後でさえも身に覚えがある。

「トイレの紙ってある?」


やっぱりである!

昨日食ったあのきのみ。それによって二人は食あたりを受けたのである!


「あぁ、ダメだ!トイレ行く!」

と、すぐそばのトイレ部屋と思われる扉を太郎は開けた。

妙子がおかしくなった、その扉を。


「あばばばばば」


太郎はすぐさま扉を閉めた。

彼もまた、一時的狂気に陥ったのだ。

妙子は、そんな彼を見て動揺する。様子がおかしくなった事に、だけではなく。どこか見覚えがある内容である事に。しかし、それがどのようなものかは定かにならない。が、とてつもなく恐ろしいものである事は理解できた。

「た、太郎……?大丈夫?」

「あー?」

あっ、良かった。ちゃんと返事出来るのね!

……などと、安堵したのも束の間。

「あぶだぶーー!!」

「!?太郎さーん!?」

やっぱりおかしい!なんか、こう……?!

それはうまく明言出来なかった。今から起こるであろう事実から目を背けたいだけなのかも知れないが。


「あっー!ぶー!」


これは、間違いなく。

「幼児退行してるぅーー!?」


妙子は思わず叫んでしまった。

なんて情けない声を上げているのだろう、この女の姿をした男は!キャラ崩壊にしたってもう少しマシなのなかったのか!

そう切に思う。

取り敢えず、早く正気に戻してあげなくては。……でも、どうやって?

妙子が迷っていると太郎はこちらを認識し、急に黙った。

恐る恐る妙子は、その太郎に近づこうとする。と。

「びぇっ……」

「っ?!」

途端に、両目に大粒の涙を蓄え始めた。そして、それは早くも溢れ出す。


「びぇぇぇえ!!」

号泣!号泣である!

妙子自身は鏡を見ていないから分からないであろうが、この幼児化した太郎の目からすれば、高身長筋肉質な癖にピチピチなシャツをつけながら、スカートを穿いた男がゆっくりと近づいているのである!

どう見てもホラーなのである!


「なんでさー!」


しかし、そのような事は妙子の認識外にある。ただ、近づいたら泣いた。その事実のみなのである。

ふと、胸元に手を添える。何故か、チクリと痛みを感じたのだ。

これはそう。腐女子になると心の中で決めた時に、共に捨てたはずの乙女心だ。それが顔を出し、痛い、痛いと泣いているのだ。

そうだと分かった瞬間、妙子の目にすら、涙が溢れた。

なぜ、こんな思いをしなければならないのか。

妙子は独白する。

もう、早く終わりにしなければいけない。


のしり、と妙子は太郎に寄る。

びくり、と太郎は後退する。


「えぇい!逃げるなー!」

ぐわっと、妙子は太郎の襟首を掴む。太郎はジタバタと暴れる。

「ちょっ、痛い、痛い……!精神的に!」

屈強な男が貧弱な女を力のままに蹂躙しているようにしか感じなかった。別にそんなつもりないのに。

ペチペチと弱々しいパンチが何度も体に当たるが、全く痛くないのも、なんか罪悪感が湧く。

「もう、さっさと正気に戻りなさいよ!」

このような心苦しさの中でそう言って、太郎にデコピンをした。


「いったーい!」

そしてこの事件は指先一つで、太郎は正気を取り戻す事に成功した。

が、その為に支払った代償はあまりにも大きく、重かった。この心の傷はしばらくは癒えないだろう。

そう思うと尚更辛くなり、また目頭が熱くなっていた。


そんな心中にあって、太郎は突如デコに痛みを覚えた事しか分かっていなかった。

額を撫でながら、涙目になってこの痛みの原因であろう妙子をひと睨みーーしようとして、次の瞬間唖然となった。

「えっ、なんで涙目になってるんだよ……?」

涙をボロボロ流しながら嗚咽する妙子を見て、なんか知らないままに申し訳なくなってしまった。

「じょう゛ぎに゛な゛っだの゛ね゛」

「お前が正気になれよ!」

とりあえず太郎は妙子を宥める。

が、次の瞬間忘れていたものが暴れ出す。

「うっ、腹が!と、トイレ!」

そう言って、また太郎は同じようにあの扉を開けようとする。

何という事だろうか。人は同じ過ちを繰り返す生き物なのだ!


「ステーイ!ステイだ太郎!」


妙子はすぐさま太郎の肩を掴み止めに入った。

また太郎が発狂して、自身に精神的ダメージを与えてこられたら正直引きこもってしまいそうだ!それだけは絶対阻止しなければならなかった。


「えぇい!なぜ俺の花摘みタイムの邪魔をする!」

「ダメだから!その部屋の扉だけは絶対開けてはならない禁忌の扉だからぁ!」


太郎は早くトイレに行きたいが、妙子は絶対に扉を開けさせない覚悟を決めていた。

太郎の脇にまで両手を移してそのまま持ち上げる。それはまるで赤ん坊に高い高いと遊ばせるように。

「その持ち方止めろ!なんか恥ずい!」

「だってこうしないとあばれるじゃん!」

そのまま、妙子は太郎を外に連れ出し、森の茂みの中に置いた。


震える瞳で、太郎はこう言う。

「俺、トイレに行きたいんだけど」

その言葉に対しての返答はこうだ。

「そこでしなさい」


「ハァァァァア?!」


分かってる。妙子だって分かっている。こんな所で用を足すなど、自身だってしたくない!が!

この場において、これしか正解がないのだ!これも致し方ない犠牲なのだ!

「お、お前……」

ふるふると震える太郎に対し、妙子はこれ以上の言葉を思いつかなかった。これ以上は太郎が決心して貰うしかない。

太郎も、妙子の様子を見て、他に選択肢がないと悟る。

(けど悟りたくなかった!)


改めて今の現状を把握してみる。

小さく貧弱な女の姿をした自身が森の茂みで用を足す……。


(なにそれ変態かよ!)

太郎はそんな事を過ぎりながら、しかし覚悟を決めるしかなかった。

あぁ、いいとも。やってやる!俺はやる時はやる男だ!

「……分かったよ。仕方ないもんな……」

「えぇ、それがいいわ」

「でさ。一ついいか?」

「?」


「紙、どこ?」

「……ーー!!」


失念!そういえばそうである。トイレに行くのは、そこにトイレットペーパーがあるというのも大きい。

しかし、こんな廃墟にそんなものはない!つまり、拭くものがないのである!


しかし、妙子はこの時ある事を思い出す。

(ある……!紙なら……!しかし……っ)

妙子は躊躇いがあった。なぜなら、その紙とは。

寝室となりの部屋にあったなんかの【聖書】なのだから!

聖書の紙で拭くなど、ぶっちゃけ罰当たり以外のなにものでもない!だが、これしか紙がないのもまた事実!

背に腹は変えられなかった。妙子とて限界なのだ。

きっと、神もこれには寛容に許してくれるだろう、と信じたい。


待ってて!という声と共に、妙子は聖書のあるところまで全力で走る。

バッとその本を手にした時、やはり勿体ないと感じた妙子は、せめて記憶に残るようにとスマホを取り出す。

そのスマホの時計には午後2時と示していたが、それに気が回らなかった。

ハラハラと焦りながらも慎重に、後ろから4ページ分を写真に残す。

「よしっ!」

そして、後ろ二枚を思いっきり引き剥がす。これだけでも随分と罰当たりな事をしている気がする。が、今はそんなことより大事な事があった。


紙二枚を手に太郎の元にまで戻り、紙を一枚渡す。

そして、妙子も太郎から離れた所でスカートを脱いだ。


刹那、両者に戦慄走る。

自身の体が異性になった事で、用の足し方に困惑したのだ。

しかし!


太郎(17歳未成年)はこれまで見た薄い本である程度は理解し!

妙子(17歳女性)はBLモノの見過ぎでそれに恥じる事などなかった!


両者が例えば知人の体と入れ替わっていたのならばおそらくもじもじしていた事だろう。

しかし、この体は自身の体に他ならない!


結果、性転換ものによくあるトイレの問題については恐ろしいほどスムーズに解消出来た。



「ふっ……、我ながら恐ろしいぜ」

薄い本のお陰で難を脱する恥知らずさに。


「まぁこの程度で慌てふためくほど、腐女子の心は脆弱じゃない」

さっき号泣していたことはなかった事にした。


―――――――――――――――――――――――


そうしてスッキリした二人はログハウスに戻った。

そして、そのあとすぐに妙子は太郎に向けて突如頭を下げた。

「うおっ?なんだよ」

「ごめん!ホントにごめん!昨日のきのみのせいで!大丈夫、なんて言って全然大丈夫じゃなかったわ!」

「い、いや、まぁ仕方ないんじゃねぇの?工程一個すっ飛ばしていたんだろ?なら分からないってそんなの」

「アンタは天使か!」

「いや、違うけど」

太郎が思いの外優しいのが心に沁みた。

しかし、妙子の失敗はその事だけではないのだ。

「実はさ、食べ物の剪定ってさ。実際は4日はかかるんだよね」

「えっ」

「いや、私の記憶違いでさ。様子見の時間を完全に忘れていたんだよね……」

「えぇ……」

太郎は少し呆れたような声を出していた。

いや、本当にその通り!

「ホントごめん!……私、知識無双系なろう主人公の称号を返すわ」

「いや、返されてもこっちが困るんだが」

太郎は珍しく誠意を込めて謝る妙子を見て、らしくない、と思った。

「まぁ、間違いなんてみんな良くある事だろ。例えこれがお前のミスだとしても、それでもやっぱり俺よりお前の方が知識あるんだし。俺は変わらずお前を頼りたいからそう気を落とすなって」

「アンタは大天使か!」

「だから違うって」

妙子は太郎を絶賛し始めたが、こんな事で賞賛される程、自身はろくでもない人間だと思われていたのだろうか……などと思ってしまう太郎。

とりあえず妙子の気が済むまで言わせておいて、落ち着いたら次の目標について語ろう。



そうして妙子に熱が冷めてから、太郎が切り出した。

「それで、次はどうする?見つけたあの道を降りてみるか?」

「えぇ、そのつもりよ。でも、その前に調べたい事があるわ」

「調べたいもの?」

太郎が問うと、妙子は一冊の本……先ほど後ろ二枚を破いた聖書を見せた。

「これをちょっと調べたいのよね」

「本?それがなんの意味があるんだよ?」

「文字がもし知っているものなら、色々融通が利くし、分からなくてもある程度の文字の知識は入るでしょ。これは今ある数少ないこの世界の情報源なのよ」

ふーん、と太郎は生返事をする。

正直、太郎にはこの本の価値を妙子程に理解出来なかった。というか、小難しいものは苦手なのだ。

「なら、しばらくしてから行くのか」

「そうなるわね。今のうちに水浴びしてきたらどう?」

「あっ、そっか」

先程の事件で忘れていたが、風呂に入りたかった事を思い出した。

「なら風呂に……。はぁ……」

暖かい風呂に入りたかった。湯船に浸かって体をほぐしたかった。

その思いは残念ながら、現状では無理である事を認めつつ、太郎は湖に向かう。


「行ってらっしゃーい。……さて」

リビングの椅子の上のホコリを払い……。

しかし、コケやらカビが残っていたので外で木の葉を集め、寝室に置いてあるブレザーの袖山を完全に切り離し、その袖の中に先程の木の葉を入れ、両方の口を折りたたんでクッションにした。

ちょっと勿体ない気もするが、こんな汚い椅子に座りたくはないから、仕方のない出費、という事にしておこう。


「よし、読む準備完了っと」

クッションに腰を下ろし、膝の上に本を置く。


パラリと捲り、そこにあった文字は……やはり、知らない文字であった。

どの国の文体に似ているのだろうと考えてみる。

とりあえず日本語の文体とは違う事はわかった。スペースなどがあるので、英語に近いのだろうか。


ページを進めると、ところどころに違和感を覚えた。

なぜなら、そこには絵が印刷されていたからだ。

ーーなんで絵が印刷されているの?しかも()()()で。


色の付いた絵が印刷出来るようになったのは確か20世紀からの筈だ。


「なにこれどういう事……?」

絵の内容も自分の知っているものではなかった。

最後の晩餐や、キリストの磔刑などの絵が存在しないので、キリスト教の聖書ではないのだろう。

なら、この本は一体どのような経本なのか。

描かれていた絵には、光に包まれている男性がいる。

例えばまるで、人に叡智を与える使徒として。

或いは国を治める王として。その男は君臨している。


……読めない文字にその人物について書かれているのだろうが、解読できない以上、これで終わるしかなかった。


本を閉じて、大きな溜息をついた。

「まぁ、とりあえず街を見てからかなぁ」

百聞は一見に如かず。この本からでは、基本な事すら分からなかったのだから。


とりあえず、ネタの材料を搔き集める事を優先しよう。


「こういう時、スマホが使えたらなー」

時代検証などまで考慮すると、正直スマホがないと出来ない。いつ、何があったかまでは覚えてないのだ。

少しスマホをいじってみる。

……あれ。

「午後3時?」

スマホにはそうあるが、今はどう見ても午前7時くらいだ。時差……?


確か、フランスやイタリアと日本の時差がこのくらいだったはず。

これもまた検討材料になるだろう。しかし、わざわざ日本からそこまで飛んできた理由はなんなのかが分からない。

「あっ、ヤバ」

スマホの電池残量が23%になっていた。

あまり電池を無駄に使うことは出来ないだろう。充電方法もないのだから。

一応、ネットに繋がるか試し……やはり出来なかったので早く電源を切った。


「調子はどうなん?」

それと丁度のタイミングで、太郎が帰ってきた。髪は随分と濡れていた。

「全然分かんなかった」

「ふーん、そっか」

随分と素っ気ない返答であったが、どうやら太郎はこの世界の真実についてはそこまで気にしていないようだ。

ふと、太郎は周りを不自然に見渡していた。

「どうしたの?」

「髪を拭くタオルがないかなって」

「あー」

確かに湿っているのは気持ちが悪い。凄い分かる。

とはいえ、ここに綺麗なタオルの存在など望み薄だろう。

「残念ながら汚い服しか今はないわね。扇いで乾かすしか多分今はないわ」

「そっかー」

そう言って太郎は髪を何度も持ち上げながら扇いだ。

「まぁ、街に着く頃には乾いてるだろ」

そう言って髪の事は気にしなくなったようだ。

……凄い男らしいな、それ。

妙子も自身の髪をいじり……、どうにか櫛を手に入れたいと思った。



家を出て道なりに行くと、しばらくした先に半壊状態の馬小屋があった。

二匹分のスペースがある。中は、干からびた草が散らばっているのみで、後は地面から生えた雑草が占領していた。

「馬小屋があるって事は、街は結構遠そうね」

「まじか」

太郎はこれから続く、まっすぐ伸びた道を眺める。

「半日で辿り着ければいいんだかな」

そう言いながら、太郎は歩き出した。


妙子は後ろにあるログハウスを一瞥して思う。

あの家の主人はなぜここに家を建てたのか。

都会の喧騒に疲れたから、など、現代的過ぎるか。

まだあの家には謎が多いと思う。もし帰る事があれば、改めて調べるとしよう。

見切りをようやくつけて、妙子も歩き出した。




それから三時間経過して街についた。

徒歩にしては随分短い時間でついたように思う。


しかし、二人とも予想を上回る光景にまずため息がついた。


それは、ファンタジー物の世界にしては電子的で。

それは、SFとしては幻想的だった。


数多に並ぶ白い円錐の塔。それを中心に覆われる幾何学模様の帯。

一際目立つ円錐の塔には、そのような帯が乱雑とも言えるくらいの量を持って覆われている。

更に恐るべきは、その帯は実体ではなく、ホログラフィーで出来ていたのだ。

街全体は塔の白とホログラフィーの青の2種類を基調にしていた。



「すげぇ……」

そう呟いたのは太郎である。

太郎としては、中世ファンタジーに来たつもりでいたが、それを裏切る結果となった。

「マジでゲームのようじゃないか!」

太郎は高揚していた。まさに、魔法と科学の世界と言えよう。

ここならば太郎の思い描くファンタジー物語を実体験出来る、と信じたのだ。


太郎は急ぐ。

この先にある望みを手に入れる為に。

妙子も、この街の中を見てみたい、と思った。


が、ここで妙子はある事に気付いた。



この様な仰々しい佇まいでありながら、塔などの建築物に()()()が一切使われていない事に。

思い返せば、あのログハウスにもガラスは見かけなかった。


「成る程」

妙子はそう呟いた。


時代考証など、考えるだけ無駄だったのだ。既に、文化は自身の知っている物からかけ離れている。

そうして妙子はこの世界が異世界だと理解した。

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