28話 家政婦パナケイア
『それではまず服の洗濯をしましょうか!』
太郎とマカオンが歓談しているなか、パナケイアは妙子を連れて風呂場へと向かう。
そして、風呂場近くに置いてある大きな桶を湯船の隣に置き、ゴム製のホースをまず湯船の中にいれた。
空気を抜き、片方の先端を指で締めて少し水が溜まった桶に放る。
と、そこから湯が流れて行った。
「……驚いた。サイフォンの原理を知っているのね」
『何ですか?それ』
「今やっているそれよ。どこで知ったの?」
『あぁ、これですか。これは主が書籍として出された【クスィピニーステにも分かる!家庭の秘技100選!】で書かれた神の水導術という、プネウマを使わずにできる技でして……』
「いやいや、サイフォンの原理よねこれ!?そんで、この世界の神、やたら神々しさってのを感じないタイトルを出版しているのね!」
『主は私達と同じ目線に立ってくださいますからね』
そう言ってパナケイアは、着替え室から洗濯前の服を
籠いっぱいに持ってきた。
その量、およそ大人男性30人が一気に入ってきたかの様な数である。
それを見て妙子は悠々と持ってくるパナケイアに驚いた。
「よ、よく持てるわね。変わるわよ」
『あ、大丈夫です!それより、奥にまだあるのでそちらをお願いします!』
「えっ?」
そう言って、妙子は着替え室の中を見る。
パナケイアが持っていたものでも結構な量だったのに、それがもう一つあるのだ。
『さぁ!やりましょう!洗剤はあそことあそこにありまして、それから……』
と、パナケイアは指差して色々説明してくれるのだが……。
「ちょちょちょちょちょ、えっ、ちょ待って?ん?何この量」
『これですか?実は、クスィピニーステとの戦闘でたくさんの人がここに搬送されて来まして。何分忙しかったので、ここまで溜まってしまったのです。昨日ようやっと殆どの方が退院したので、今日やろうと思っていたのです』
「……へー……」
恩返しのためとは言え、これほどの量をやるとは思わなかった。
いや、しかし、太郎も入れれば早く終わる……
『タロウさんはお兄様と楽しく話してますし、私達で済ませましょう!』
「あっ、はい」
押されるがまま、妙子は黙々と手をシワシワにしながら服を洗っていくのだった。
そうして、1時間ほど経ち、ようやっと水洗いし終えた服達を籠に戻し、持ち上げる。
最初に比べて水も吸っているため重量がある。
パナケイアは最初に持ってきた量の半分を入れ、周回する様だ。
『さすが男の人は力持ちですねぇ』
「あははー、そうかなー」
なんか複雑。
とはいえ、余裕なのも確かだった。妙子はパナケイアが残した分も自身の籠に入れた。
『わっ。ありがとうございます』
「なんのなんの。外に持っていけば良いのよね?」
『いえ、廊下に出て左へまっすぐ行った部屋に乾燥室があるのでそこまでで良いですよ』
「乾燥……?」
どんな部屋なのか気にしながら妙子はパナケイアの後をついていく。
その道中の左右に個室がいくつかあった。スライド式の扉が開放されているが、その中に一つだけ、閉じたままのもある。
「あの部屋ってなんかあるの?」
『あぁ、これはまだ入院している人の部屋ですよ。クスィピニーステとの戦いでかなり重傷を負いまして。
ここにきてから、体は治りましたが未だに意識不明でして』
「……そっか」
そんな話を聞くと、より自身達がいかに危険な場に居たのかが痛感出来る。
場合によっては、本当に死んでいたかもしれない。
不安と安心が混濁した得もいわれぬ感情を抱きながら、妙子は歩いた。
乾燥室は沢山の物干し竿に囲まれていた。
その部屋の隅には沢山のハンガーが乱雑に置かれている。
パナケイアは服をハンガーに通し、妙子に手渡した。
そして、妙子は物干し竿に次々吊るしていく。
これも随分な時間がかかり、全てを吊るし終えた時は異様な達成感があった。
『ささ、次は外に出てセトーニを畳みにいきましょうね』
そうしてパナケイアはテキパキと動いていく。まるで家政婦そのものだ。
家の外、裏に回ってプネウマセトーニを畳むスイッチを押し、全ての部屋に陽の光が当たる様になった。
『さぁ、今度は山菜を摘みに行きましょう!』
「早い早い早い!」
間髪入れずとはこのことか。
家事に慣れているのか、基本ここらで休憩と行きそうな所で彼女は次々と進めようとする。
「パ、パナケイアちゃん、疲れないの?」
『タエコさんが手伝ってくださるので負担も半分で済んで楽ですよ?』
次元が違った。やだ、この子、私のはるか彼方にまで女子力があるのかしら。
「これこそ魔法でどうにかならないの?」
『この程度で魔法を使ってはすぐプネウマ切れになりますからね。手の届く範囲で使うのは勿体無いですよ』
「えー……そういうものなの?思っていたのと違うわ……」
洗濯なんて、洗濯機で乾燥まで丸っと終わるのに、この世界じゃそれも無い。
正直言って辛いしよく生活出来るなとすら思った。
「現代人の甘え、なのかしら」
『どうしたのですか?』
「いーえ、何でも無いわ。恩返し、恩返し……」
そう言って、妙子は諦めた様に山菜取りの手伝いの為、パナケイアの指揮のもと、準備を行うのだった。
対して太郎とマカオンは、時間を忘れたかの様に談義していたが、1時間ほど経つと、マカオンは席を立ち、話を中断した。
『ちょっと用があるから待ってね』
そう言って、食堂を出る。
太郎もその後をついていくと、マカオンはある部屋に入って行ったので、同じく入室した。
そこには、一人の男性がベッドの上で深く眠っていた。
金色の短髪と、隆々とした筋肉をした男性だ。患者が着る様な白い服を着ているが、同時に頭と胴体は包帯が巻かれていた。
また、体には所々肌の色の違いが見られた。
太郎と同じく体を損傷していたのだと察するに余りある。どれも他の肉を移植しているが、それが自然では無いのは明白だった。
『……まだ起きないか』
マカオンはため息を吐きながら、彼の包帯を取っていく。
その包帯された箇所には傷が一つもついてはいなかったが、包帯の裏は、紫色の血の様なシミが大量についていた。
「この人は一体誰だ……?」
『クスィピニーステとの戦闘で勇者を身を挺して守った武人、ニコラオスさんだよ。ただね、彼はかなりの負傷を負ってしまった。
沢山の毒に侵され、体はどこも致命傷一歩手前の刺し傷だらけだったんだ』
「魔法でどうにかならないのか?」
『医療は施したし、峠も越えた。あとは彼の頑張り次第ではあるかな』
「……あぁ、無事ではあるんだな。良かった」
人の寝たきりの状態と言うのは初めて見た。故にどこか生々しさを感じずにはおえない。
マカオンは汚れた包帯を巻いて、ポケットに入れてあった袋に入れる。
その後、体温チェック等々を行なっていく。
『うん。とりあえず体調は安定している。部屋のハーブを取り替えようか』
そう言ってマカオンは部屋に置いてある葉のある植木鉢を数個取り上げる。
『あ、タロウさん。出来れば食堂に置いてある、今僕の手に持ってるものと同じものを入れ替えてきてくれないかな』
「お、おう、分かった」
そう言ってマカオンは手に持った植木鉢を外に持って行き、太郎は空いた場所に食堂に置いてある同じ葉のなった植木鉢を入れていく。
と同時に天井から陽がさした。
「うぉっ、おうおうおうん、おん、んんっ」
いきなりな事で変な声が上がり、誤魔化すためにまた変な咳をする。
「……オーウ……ンン……」
「おおう!?」
いきなりの声にまたしてもビビる。
声の主はベッドに横たわっているニコラオスからだった。
それに気づくと太郎は植木鉢を一旦置いてニコラオスの手を握った。
「おい、大丈夫か!?……いや、大丈夫か、はおかしいか……。ともかく!おい、しっかりしろ!目を開けろ!」
太郎は大きな声で返事を求める。
「……ン、ン……アァ」
ニコラオスもまた、その声で意識を取り戻しつつあった様だ。
ぼんやりと霞む目を凝らして、ニコラオスは太郎を見つめる。
この世界では珍しい、真っ黒な髪を見て、ニコラオスは言った。
「……タ……タカスギ……?」
「えっ……?」
それは、太郎が。いや、同じ学校に住む人なら等しく知っている人物の名前だった。
高杉晴翔。一年上の、学校1の優等生。
その名だった。