28話 おはようとよろしく
久しく忘れていた安らかな夜から翌日。
天井からカーテンが開いた様な音と共に光が差し込んできた。
太郎はその光に目をやると、青空が顔を出していた。
「……?」
普段とは違う目覚めに一瞬何事かと思いつつ、昨日の出来事を思い出す。
……あぁ、そうか。そう言えばマカオン達の家に泊めてもらったんだった。
リセットしていた記憶を戻しつつ、胴体を上げる。
ボーッとした表情で隣を見るが、そこに図体のデカい男の姿はない。
それはそれで物足りない……などと思い始めてすぐ頭を振る。
「慣れって怖いな……。ヤダヤダ、隣に寝てるのは女の方がいいって」
自身の常識のズレが恐ろしくなりつつも、ベッドから出ると扉からノック音が鳴った。
『タロウさーん、おはようございまーす。起きてますか?』
扉越しから聞こえてきたのはパナケイアの声だった。
「あ、起きてる起きてる」
返事と共に扉を開くと、太郎と同身長のパナケイアが薄い布をワンピースの様に着込んだ姿で出てきた。
『お風呂が沸きましたから入りましょう』
「えっ」
刹那、太郎の脳裏に雷走る。
太郎目線では同じ背丈の女が起こしに来て、しかも風呂が沸いたとかなんとか言っているのだ。
有り体に言えばそれだけで太郎は興奮ものである。
目は覚め、血潮が滾る。
「い……一緒にって事っすか!?」
少し気持ち悪い声色で尋ねる太郎。
そしてそれをキミ悪がりながら横に首を振るパナケイア。
『何故そんな発想になるんですか……』
『ははは、パナケイア。彼らの文化じゃ一緒に入ると言う事は親友の証なんだ。だよねタロウさん?』
「えっ」
太郎とパナケイアの会話に割って入ったのは奥の部屋から寝巻きの姿でやってきたマカオンと妙子である。
何やらよく分からないがマカオンからのそれっぽいフォローに太郎はチャンスを見出す。
「そうそう!だから一緒に入ろ……」
といった所でマカオンの隣にいる妙子から鋭い視線が注がれる。
ゴミを見るような眼差しだ。
「んー……一人で入るー……」
妙子の視線に耐えきれず、そういうと、マカオンはそのことに対して首を傾げた。
『いいのかい?タエコさん、僕たちはどうしようか』
「えっ!?」
いきなり振られて今度は妙子が動揺する。
……いや、しかしここで男の裸を見て一緒に風呂を入るだなんてそんなの……。
ーー絵の参考になるし妄想の材料になるし最高じゃない!
この妙子という人物は、すでに自身が女であることを捨てていた。
「じー……」
「……はっ!」
今度は太郎の視線に正気に戻る。
妙子がゴミのような視線であるなら太郎の視線は汚物を見る目だ。鋭くはないがこのままだと決定的な何かを失うぞと言われているかのようだった。
「わっ、……私も一人で」
そう言うとマカオンは少し残念そうな顔をしていた。
(アンタ、なんなのよその視線は……!)
(いや、ぶっちゃけキモすぎんだよなぁ。なんで乗り気だったんだよ)
(はぁ!?10歳の子と風呂に入りたいとかいう高校生に比べたらかなりマシなんだけど!?)
(うっせぇ!こっちからしたら歳なんて大差ないわ!見た目同年代なんだよ!)
『そっか。せっかく二人の世界の文化を楽しめると思ったけど残念。それじゃパナケイア。二人で入ろうか』
『はい!お兄様!』
「「!?」」
太郎と妙子が裏で口論してる中でとんでもない事をマカオン達は言い出していた。
「えっ!?ちょい待った!……ん?!二人は一緒に入るのか!?」
『パナケイアはまだ10歳だからね。12歳までは大人の人が一緒に入らないとダメなんだよね』
「あっ……、あー、そういう法律とか?」
『法律……というのは少し大げさかな。まぁ、この町の風習かな?』
曰く、この町ではその昔、子供が一人で入浴する際、溺死や転倒事故で死去した例が多分にあったらしく、それを防止する為にこの様な方法をとっているらしい。
『タロウさんは16歳だから大丈夫だとは思うけど少し心配だなぁ。タエコさんとは姉弟なんだよね?一緒に入った方が安心かも』
「「嫌です」」
『そんなに嫌なんですか?』
『んー、まぁ、多感な年頃だからね。パナケイアもいつかはこうなると思うよ』
ーーそんなんじゃないです。
『えっ!?そんな事ないです!私はお兄様とずっとお風呂に入りたいです!』
「……すぅー……」
「太郎さん、どうしましたよ」
「こんな妹が俺にも欲しかった」「キモい」
「うっさい」
それから四人は浴場に向かう。
内容としてはシャワーというものはなく、広いとはいえ、それこそ湯船と石鹸などがあるだけの空間だった。
頭を洗う際は湯船のお湯をバケツで救い上げて被るといった方法で、この部屋の隅に椅子と石鹸が一定間隔で置かれていた。
しかし、空が見える開放的な空間は湯船の色を綺麗に見せ、また湯船が四角形に囲われている為深さを除いてプールの様な感覚であった。
『それじゃ僕たちから先に入るね』
そう言ってマカオン達から妙子、太郎の順に入っていった。
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「はー、生き返った気がする」
久々にお湯に浸かれた事で、身体中の疲労感というのが消えた感覚と共に、用意してもらった服を着て食堂に向かった。
そこには既に食事の用意を済ませ、席に着く三人がいた。
『それじゃいただこうか』
太郎も席につき、マカオン兄妹は神への祈りを、太郎達は手を合わせて料理に手をつける。
出されたのはホルターピタと言うピザのような見た目のパンとコーヒー、そして小さい皿の上に薄切りにしてあるチーズがあった。
パンの中には沢山の野菜が入っており、スライスして取っていく。
それをマカオン達はチーズを上に乗せて食す。
太郎達も彼らの食べ方を見様見真似で食っていった。
ほかほかのパンの上に乗せたチーズが口に運ばれる最中に溶けていき、噛むとトロッとした食感と共に、パンの中に含まれる野菜の瑞々しさが舌の上で踊る。
「美味い……」
太郎は急ぐように次のパンへと手を伸ばしていく。
「太郎さん、行儀悪い」
『いえいえー、沢山どうぞ!』
太郎が本当に美味しそうに食べるものだから、パナケイアも新鮮さと嬉しさが湧く。
パナケイアの嬉しそうな姿に朗らかな気持ちになりつつマカオンはコーヒーを一服したのだった。
「所で、朝に風呂に入るってなんか不思議な気分だったな」
『そうなんですか?』
食事を終え、コーヒーを少しずつ飲みながら、太郎はそのような感想を述べる。
「俺らのとこって夜に風呂入るもん。なぁ、妙子さん」
「そうね。少しだけ新鮮だったわ」
『そうらしいね。文化の違いなのかな。僕たちからしたらわざわざ夜に湯に浸かる方が変わって見えるけれど、二人からしたら僕たちの方がおかしく見えるかい?』
マカオンはここに来て、どこか楽しそうな表情を見せてきた。
「だって、昼間に汗かいたりしたまま寝るのってなんか気持ち悪くないか?」
『寝る前は服を着替えるからそこまで気にならないかなぁ。むしろ朝起きた時の寝汗とか眠気の方が気になるかな』
『あと、外に出るので、ちゃんと綺麗な姿で見せないといけませんからね』
「あー、なるほど。海外の人も朝シャワーとか基本らしいものねぇ」
人の営みというのは土地の気候や文化によって異なるものである。
元より日本では風呂は1日の終わりにリラックスとしての目的も含まれていた。対して海外において湯船はメジャーではない。
その理由は明確で、日本のように雨がよく降り、水を蓄えやすい環境下ではなく、水が貴重であったからである。
「あれっ……?」
ふと妙子がそこで違和感を覚えた。
なぜこの家では朝の湯船が主流なのか。
海外では軽く洗う目的でシャワーを桶の中で浴びる程度だ。
故に狭く、またトイレと同じ部屋に存在している。
しかし、ここは風呂専用の部屋が用意されているのだ。日本文化が入っているならそれこそ夜に入るようになる筈だが……。
それを聞くとマカオンは乗り気で答えた。
『水に関してはどこの土地ももう供給が出来ているよ。80年前に我らの主によって計画が進められて今ではどこでも簡単に水を使うことが出来るんだ』
曰く、彼らのいうゼウスが前の世代の文化を取り入れ、この星の人達に提供したのだそうだ。
元々この星に住む人達の住み場所はゼウスによって勧められた場所に移転した為、水に困る様な場所に住む人は居なかったらしい。
その上でそれの企画、制作を一身に受け持ち、30年という月日を経て、この星の全世界に普及させたのだから、人の扱いが上手いと言えよう。
「この世界の神すげぇ……」
『凄いですとも!なので、毎日感謝の祈りを捧げるのです!プネウマを通して、主はその威光を保っておりますので!』
『まぁ、僕たちの家の様な風呂はそれこそ病院か銭湯にしかないけどね』
そう言って、あの規格の風呂は他にはそうはないことを付け足す。
『夜に風呂に入らない理由は、まぁ、さっきの説明とは矛盾しちゃうかも知れないけど、やっぱり水が勿体ないからだね。朝と晩に入るのは流石にね』
「あー、いや、私達の世界もその感覚はあるから分かりますよ」
『あとはやはり洗濯物ですね!』
そうパナケイアが言った。
風呂から出た後は、皆の服をそのお湯を使って洗濯をしているらしく、朝の内に洗い、乾かした方が効率が良いのだそうだ。
流石に洗濯機というものはないらしく、手や足で汚れを落としているようである。
この他にも、本来この星の文化では朝に軽く水浴びをするのが基本だった為、朝に風呂に入る文化が残ってしまったようだ。
日本人が未だに米を食べているのと同じだと考えると、成る程、合点がいった。
『ねぇ、君たちはこれからどうするんだい?』
風呂の話を終え、今度はマカオンが尋ねた。
どうするか、と問われ特に考えてもいなかった為、太郎は妙子の方に目を向ける。が、どうも妙子も特にこれからの事を思慮してはいなかったようだ。
とはいえ、長くここに迷惑をかけるべきでもないだろう。さりとて恩義に報いる事なく去るのも申し訳が立たない。
どうするべきか……と一度考えてみてもどうも思いつかない。
『もし良ければだけど、我らが主の元に連絡をつけてどうにかするって方法もあるけど』
「……えっ!?ほんと!?」
神に連絡を取れるという事に妙子は驚いた。神というからにはそうそう会えない存在なのかと思いきや、そんな電話をかけるかの様な気楽さとは。
「な、ならお願いします!……あっ、でも……」
と、一瞬戸惑ってしまった。
もし皆の元に帰れるのだとしても、妙子には暗い影が残る。
それはクラスメイトの人達の事だった。
妙子は皆にとって、持ち前の目つきの悪さや引きこもり的な性格を持った嫌な子として写っていると自覚している。
何より、あいつらの事だ。居なくなって良かっただなんて事も言っているように思う。
「……」
そう考えると帰りたいなんて事を思いたくなくなってしまった。
「どうしたよ?」
隣の太郎がなんとなくのトーンで聞いてきた。
「あっ……いや」
妙子はどうにかそれっぽい言葉で誤魔化そうとするがなんと言えばいいか分からない。
「ふーん。……あのさ、マカオンさん達」
と、太郎はマカオン達に目を向ける。
「是非ともそうしたいんだけど、その前に俺らにはやらないといけないことがあるんだ」
『やること?』
マカオンも、パナケイアや妙子もなんの話かと目を向けた。
「そう、恩返しだ。俺たちはこんなにも良くしてもらったのに何もしないで帰るなんて許せないんだ!だから、それまでは待ってくれないか?」
「えっ、太郎さん……」
太郎は別に帰った所で居場所はあるだろう。同じオタク仲間がいて、その人たちの顔を見て安心したい筈なのに。
なのに、そんな事をいうのは、なぜ?
まるで太郎は自身の気持ちを察していたのようだった。
『オンガエシ!つまりブシドー!だよね!?』
対してマカオンは恩返しという言葉に物珍しさを感じたのか、喜びが見える。
「そーう、武士道だ。ジャパニーズメンタルだー」
『ジャパニーズ?って?』
そしてパナケイアは兄ほどに関心が無いためか何を言っているのか分かってない模様だ。
「日本、つまり俺たちのいる国さ。拙者、恩に報いるでござる!」
(今時オタクでも言わない事を)
などと妙子は心の中で思った。
すると、太郎から背中を押された。
「そうだろ、妙子さん」
あっ、これは察しているな。……などと、妙子さんは気付き、少し口元が緩んだ。
「えぇ、そうね」
と、妙子さんは頷く。
「せっかくこんなに良くしてくださったのだもの。何か力になれる事はないかしら。せめて泊めさせてもらった分は返したいわ」
『そうだね……。んー、どうしようかなぁ。やっぱり君たちの世界の話が一番気になるかな!』
と、マカオンはニマニマした様子で言った。
パナケイアはそんな兄の様子を見て微笑んでいた。どうやらマカオンがこの様に嬉々とした姿を見せるのはそう無いことの様だ。
『とりあえず話を全部聞いたらオンは返してもらおうかな!』
「なんか変な日本語だな」
『そうなの?オンってなんなのかよくわからないけど、返すってそう使わないの?』
「んー……言われてみれば……」
と、太郎とマカオンはそのまま日本についての話で盛り上がっていった。
『お兄様が楽しそうで何よりです。……あっ、そうだ。お兄様が満足するまでここに泊まっていっても良いですよ』
パナケイアは妙子に言う。
「良いの?」
『はい!人がたくさんいた方がここも明るくなる事でしょう。それに、これまで住んでいた場所よりは住みやすいはずです』
「それはそうね」
結局、恩を被ったままの様な気もするが、そう口にしてくれたのは嬉しかった。
クラスメイトの人達に比べて、ここにいる人達はみんな話しやすい。
それは、学校での暗い自分を知るものがいないからなのか。はたまた異世界転生という形で男になって自信がついているからなのか。
ただ言えるのは、この恩はとても大きいと思えた事。そして、それをしっかり返そうと思えた事だ。
「それじゃ、よろしくね、パナケイアちゃん」
そう言って妙子は手を出す。
『はい!よろしくお願いしますね』
パナケイアも彼女の手を取り握手したのだった。