19話 湖の上で
街から帰って3日後。
きのみの量は減ったが、代わりに塩が入手出来たことにより、彼らの食生活はマシな方面に向かっていた。
しかし、塩一つで一喜一憂するなど、現代社会では無かった経験をすると、現代生活を良き思い出の様に感じ始めた。
「なんていうかさぁ。今の俺ら、もしかしたら戦時中の人と精神状態同じなんじゃね?」
そこらにある食える草を茹でた後に塩をまぶしただけの料理を口に運びながら言った。
「まぁ、ひもじさという意味では確かに」
太郎が作ったこの料理は、苦味が強く、アク抜きしてないのが分かる。とはいえ、このアク自体は味が良くないだけで体にはむしろいいと聞いたことがある妙子は素直に喉に流し込んだ。
「でもね。下手な人よりかは今は裕福よ。ほら、あんなにも塩が手に入ったのだから」
妙子はそう言って本棚の底に置いておいた塩の入った袋を指差す。
そこには一ヶ月は持つであろう塩があった。
「まさか、塩があんなにも安く買えるなんてね。塩って結構高いイメージあったからつい沢山買っちゃった」
それを見て太郎は訝しむ。
というのも、その塩のおかげで有り金が見事に底をついたからだ。
「だからって買いすぎだろ。なんであんなにも買っちまったし。……あー、いや待て。予想するわ」
太郎はそう言って少し頭を悩ませながら、しばらくして一つ唱えた。
「どっかの動画で聞いたことあるな。なんか女はストレス発散の為に衝動買いをするとか。お前、それだろ」
太郎がそう言って指差すと、妙子は草を加えたままわざとらしく首を傾げながら「はて?」と応えた。
「『はて?』じゃないんだよなぁ〜。図星か」
それを言われると妙子は明後日の方を向きながら黙った。
その動画で見た事が真実であるかはさておき、妙子自身は正にそれが理由だった為誤魔化すしかなかったのだ。
「なんだかなぁー。頼りになるようでちょいちょい頼っちゃいけない感あるよなお前な」
「いやいや、何を言うか。お爺ちゃんに任せておきなされ」
「父なのか母なのか爺ちゃんなのかはっきりしてくれ。キャラがぶれぶれなんだよな〜」
などと、冗談を交わし合う2人。
初期に比べたら食事の際の会話も弾むようになってきた様に2人とも思った。
「ところで」
と、太郎が話を切り替えた。
「斧の方はどうだ?いい感じか?」
それを問われて、妙子は調子よく答えた。
「バッチリ!木を切るのは変わらずしんどいけどね。あれ伐採用じゃないし。でも薪を作る際には神がかり的にサクサク割れて楽しいわー」
街に行った時に砥石も買い、その日のうちに研いだ斧は、その翌日には猛威を振るっていた。
また、太郎が今持っているナイフも切れ味が上がっている。
雑草を切るのにも使えるし、ツタを切り裂くことも容易で、それはつまり紐制作の効率アップも望めたのだ。
「この調子なら船とか作る余裕もありそうだな」
まるで遠足前の子供の様に浮かれている太郎は、声色を高くして言った。
「登山はあっても船に乗ったことは一度もないからなぁ。しかも自作の船ともなれば気分も高まるってもんだ」
「分からないでもないわね」
ここに来て張り詰めた生活ばかりだったので、自ら娯楽の為に取り掛かる行動は生活をする上でとても有意義であった。
太郎がこの二日間、ひたすら紐制作に心血を注いだのも分かると言うものである。
前もって水に浮く木の種類は調べていたので準備に抜かりは無かった。
この日はその船を作ろうかと一応の計画を立てていた日であった。
食事を済ませると2人は大量の縄を持って湖へと向かう。
木はその湖近くに用意しておいた。
最初は並べた木の幹を縄で縛って湖に押し込んだが、その途中でバラけるか、いざ浮いたと思ったら縄が解けてしまった、などという弊害が生まれた。
なので、進水台でも作ろうかと思ったが、面倒に感じて巻木の赤い果汁を利用して無理やりくっつけた。
水溶性ではあるものの、これなら運び終わるまでの間は非常にスムーズに成し遂げる事が出来る。
そうして出来上がったイカダは無事湖に入り、果汁の赤い色を滲ませながら浮き上がった。
早速2人は沈まないか恐る恐る順番に乗って行き、無事沈まない事を確認すると、ハイタッチを交わした。
「いい感じね!これ!」
思わず妙子も楽しそうな声色に変わり、今度はパドル制作に取り掛かった。そのパドルも興が乗ったのか迅速に出来上がり、太郎用の小さなパドル二個と、妙子用の大きなパドル一本が出来上がった。
細い幹の先に沢山の木の枝を紐で束ねただけの松明の様な見た目のものだが、一応効果は見て取れた。
早速妙子が漕ぎだすと、漕いだ力に合わせて旋回する様に動き出した。太郎もそれをまっすぐに進む様に漕いで行く。
遅くはあるが、確かに進んでいるのを陸から離れていくのを見て実感する。
そして地につかない所まで漕いで行くと、パドルをイカダの上に置いて、周りを見渡した。
見晴らしの良い場所がそうなかった森林の中での生活とは対比して、360度どこを見ても平面が広がっていた。
穏やかな太陽の陽射しに仄かに香る甘い匂い。囁くような風に髪をなびかせ、ゆったりと煌めきながら反転した世界を映し出す水面。
この無限にも感じられる安堵の空間に、2人はふっとため息を漏らす。
「悪くないわねー」
魂が少し抜けたかのような浮いた声色で妙子は呟く。
「そうだなー」
それは太郎も同様だった。
週に一回くらいはやってもいいかもと思い始めた2人だったが、ふと、太郎がある異変を感じ取った。
ピクリと動き、周りを見渡していると、妙子は太郎の様子に察した。
「どうしたの?」
「いや、なんか……変じゃね?変な泡が湖の底から湧いてるような……?」
太郎が水面を覗き込むように見ていると、底から凄まじい速さで上がってくる白い物体があった。
「……!?はぁ?!なんでっ?!」
言い終わるより先にその白い物体は太郎の襟元を掴み湖の中へと引っ張った。
その瞬間を妙子は見逃さなかった。
それは間違いなく人のスケルトンそのものである。
妙子は考えるより先にパドルを太郎のいるであろう方向に突っ込み入れた。
そして、すかさず重たい反応。太郎がそのパドルを掴んだのだ。
妙子は急いで引っ張り上げると太郎がずぶ濡れの状態で顔を出した。その表情は緊迫した面持ちである。
どうやら思わず水を飲んでしまったようで何度もむせ返り、苦しそうに涙を流していた。
妙子はそんな太郎の手を掴みイカダまで引っ張りあげようとする。が、その直後にまた重い反応があった。
太郎の足元に先ほどのスケルトンが張り付き、引っ張りあげるのを妨害しているのだ。
『スコートセ!スコートセ!デン ダ セ シンコリソ ポテ!』
水中から響く年老いた人の声。それは憎しみのこもった声色であった。
「こっ……の!」
妙子は水中に足を入れながら思いっきりそのスケルトンを蹴り飛ばした。
頭が離れ力を失った瞬間を見計らい、太郎を引き上げる。
その太郎は酷く狼狽し、息を荒げながら仰向けになって転がった。
「大丈夫!?」
「あぁ、助かった!」
太郎は起き上がり、すぐさまパドルを取った。
「早く逃げよう!陸に向かうんだ!」
太郎の言葉に頷きながら2人は急いで漕ぎ始める。
その時、多方面からまたあの泡が浮き上がってきた。
一筋の汗を流した瞬間に、その泡の正体は姿を現した。
小さな骨の群れが水面から跳ねるように飛び上がって道を塞いでいる。
「熊のスケルトンもいるなら当然いるわな……!」
そこにたのは魚のスケルトン。その群れであった。
それはイカダの上を飛び跳ね周り、噛み付こうと突撃してくる。
「こ……のっ!」
手で追い払う2人。骨はそこまで重くも硬くもなく軽くあしらえた。
しかし、あまり長居するといつか痛い目を見そうだ。
2人は急いで陸へと向かってパドルを漕ぐのであった。