12話 皮を鞣してみよう
鹿の肉を食い終わった二人は残った骨や肉を分ける作業に入っていた。
というのも、骨がいきなり動き出すような世界なのでちゃんと処分しないとまた襲われかねないからだ。
肉は後々また食うかもしれないので一旦大きな葉っぱの上に添えておき、骨は束ねて貝塚に落として焼却する事に決めた。
その時太郎はまたバツの悪そうな顔をしていた。きっと人の骨をまた燃やすのが申し訳無いのだろうと思った妙子は一つの提案をする。
「あの骸骨達が気になるなら回収する?」
「おっ?出来るの?」
太郎の言葉に是の頷きを見せる。
「ほら、縄があるんだからそれを使って降りればいいじゃない。大丈夫、今のアンタは軽いからすぐに引き上げる事は出来るわよ」
「お、おぉう。……俺が軽いんじゃなくてお前が強くなってるだけだとは思うがそれなら」
太郎はそう言ってやる事に決めた。
とはいえ、太郎本人は正直おっかなびっくりな心境ではある。
あの穴の中に入ったらあの骨達が襲いかかってくるのではないかとか考えるとちょっと怖いのだ。
しかし、それではずっと気になったままで気持ち悪いので男の意地を見せようと自身を奮い立たせた。
とりあえずその場にあった火をしっかり消して肉をまずはログハウスの中に片付けてから縄を持ち出した。
貝塚のある所で妙子は太郎の腰回りに縄を巻き、逆の端側を木に巻きつける。
これで太郎が落ちても簡単に引き上げることが出来る。
「よっし、準備はいいな!俺、行きまーす!」
「いってらー」
太郎はそう言って貝塚の穴のそばまで走り、縄を掴みながらゆったりと穴の中に入って行った。
それを見て妙子も縄に手を持ち、すぐにでも引き上げれる様にする。
恐る恐る降りて、骨の残骸がバラバラに撒かれている地点にまで辿り着く。
そして、ここからが太郎にとっては怖い事で、この骨の残骸を手で掻き分けながら骸骨を探す必要がある。
いつ太郎の手を強く掴みかかってくるかも分からない状況なのだ。
……とは言っても、それは太郎視点の話であり、実の所もうこの骨達が動く事は決して無い。
そうして骨を掘ると表現するのが正しいくらい手を潜らせていくと、一際大きな感触に手を止めた。
その場所を確認すると、骸骨が顔を出した。
「っ……スゥー……」
一旦深呼吸をして精神を落ち着かせる太郎。目当てのものは見つけたのにちょっと驚いた。
「一人見つけた!引き上げてくれ!」
太郎は上にいる妙子に声をかけて、それに応えた妙子は言われた通りに軽々と引き上げた。
「本当に回収するとは」
妙子は太郎が手にした骸骨から少し離れていった。
「おう、男に二言は無いからな(イケボ)」
「イケボっぽく言ってもアンタの今の姿と声で言ったらおままごとに聞こえる」
「……マジで?」
妙子視点からだと、自身の背丈が上がったのもあり、まるで小学生の女子がお父さん役をやっている様に見えて若干滑稽だった。
ともかく、この流れで残り2人分の骨も見つけた太郎は別の場所にこの骨を埋めようと考えた。
スコップがないので木の枝で掘り進め、70cmほどの深さの穴三つを作ってそこに埋めた。
そして木の棒二本と細い草の紐で結ばれた十字架をそれぞれ埋めた土の上に刺した。
「え、何それ」
「簡易墓標だよ。あった方がいいと思って紐作りに飽きた時に作っていたんだよ」
「……マジかー。完成度高いわね」
さりげなくこの様な事もしていたのが少し驚きだった。妙子としてはこの骸骨にそこまでやる程の関心は無かったので、ここまでこの遺体に対して尽くしているのがとても凄いと思った。
……なんというか、太郎という人物の性根の良さ、みたいなものが見て取れた様に思う妙子であった。
「ほら、とりあえず成仏出来るように祈ってやろうぜ」
「成仏……?」
十字架の墓で成仏とか宗教のごちゃ混ぜ感が凄いが、まぁ異世界なので自分たちの知っている宗教なんて微塵も関係ないから構わないか。
結局の所自分たちが自分たちにしてやる祈りではあるので、太郎の横に並び沈黙の祈りをこの三人の墓の前で捧げた。
ーー妙子はこの三人の遺体に祈るだけでなく、あの鹿にも祈りを込めるのだった。
その祈りが終わると、鹿の骨と火と草を貝塚に入れた。
「フハハハハァ!燃えろ燃えろぉ!」
なんか物凄く楽しそうに高笑いをしながら太郎が叫ぶ。しかし、元々そんな可燃性があるわけでもないので、草が燃え尽きると火は次第に消えていき、終いには乾燥したのが分かる鹿の骨が原型を留めて残っているのみだった。
「……楽しめましたか?」
「もうちょい火柱欲しかった」
どうやら今の太郎の流行は魔王ぶる事の様だ。別にそんな事やった所で何かしらの力が手に入るという訳でもないだろうに……、と妙子は思いながら2人はログハウスに戻っていった。
「さて、せっかく皮を入手したので皮を鞣したいと思います、はい」
「なめし?って?」
「……知らんの?」「知らんな」
太郎の発言に少し面を食らった顔をする妙子。よもややり方以前の問題とは。
鞣しとは、動物性の皮を革にする事である。
現代日本では海外の牛などから皮を買い取るか、国産の豚の皮を使って革を作っている。
黒い革などはクロム鞣しで行われているが、あいにくと今の2人にその様な物は存在しない。
これから妙子が行う鞣しはタンニンを使う事になる。
タンニンは苦い植物に含まれている為、それらを潰して水と合わせて皮をそれに浸からせる事で鞣す事が出来る。
だが、その前に皮の裏にある脂肪分を剥ぎ取らなくてはならない。そうしなければネバネバした感触と、肉の持つ臭みが残って大変扱いにくくなるのだ。
「なので、今から脂肪を取りやすくする為になんちゃって洗剤を作ります!」
「ちょっと待って。情報量多い。もっと簡潔に」
太郎は話についてこれてない様で少し困惑気味であった。具体的には洗剤をいきなり作ると言った辺りが。
「灰ヲ水ニ漬ケル時ニ出来ル灰汁作ル。皮、ソレ漬ケル。脂肪、取ル。草粉砕、水ト合ワセ皮、ソレニ漬ケル。以上」
「なんでカタコトなんだよ……」
とツッコミを入れながらも割と簡単に思えてしまったのがどこか悔しい太郎だった。
「でも、なんで灰を水に入れて……その、灰汁?が必要なんだよ?灰汁って鍋とかで味が不味くなるアレだよな?」
「その灰汁って肉の灰汁でしょ?今回のは炭の方だから別物よ」
「へー、別物なんか。でもなんで炭?」
「何故って?いいでしょう、教えてあげるわ。厨二病のアンタも知っていて損はないわよ」
厨二病の、というワードに少し反応したが、別に間違ってはいなかったので、その様な事を言われたら耳をそばだててしまう太郎。
それを見て、妙子は話を続けた。
「炭って言うのはね、弱アルカリ性があるのよ。ほら、肉とかの脂肪って酸性じゃない?だから、それ同士をぶつければ中性になるって訳。
で、灰を水に浸けて浮かび上がった上澄みにはそのアルカリ性がしっかりある灰汁が出来るのよ。昔なんかはそれとかで服を洗ったり手を洗ったりしていたらしいわ。あの原初の宗教と言われるゾロアスター教とかにも灰は神聖なものとして扱われているもの!はい!ここ厨二病ポイント!」
「あっ、灰ってそれが理由でなんかカッコいいのかぁ!ほー!なんとなく『灰になって消えろ!』的なワードで勝手にカッコいいと思っていたわ!」
そう言ってなんか楽しそうに太郎は言った。
……思いの外太郎の反応が楽しい。結構嬉々として語っているのを見るとなんかこっちまで楽しくなる。
「そんなわけで今から灰汁を作るわよ!灰なら既に昨日の焚き火の分とさっき鹿肉を食った時に回収済み!」
そう言って妙子はポケットにしまっていた灰を見せる。
「おぉ!さす妙!」
「後は水を注いで灰汁を取るだけ!」
そう言った所で、太郎は素朴な質問をした。
「水はどうやって運ぶん?」
「……ーー。スゥー……」
妙子は深呼吸した。
「……いや、スゥー、じゃないな」
ここまで好調だった妙子がいきなり静まりかえった。
実際問題、これまで気にしない様にしていたが、小さな桶がない為水を汲む事が出来ず、手を洗う時は一々湖まで行かないと行けなかった。
仕方ない事と流していたが、いよいよこの大きな桶を使うにあたり、水汲み用の桶が必要になった。
しかし、困った事に木の桶を作るには実力も素材もなかった。
板なんてカンナがなければ出来ないので、現状作れない。
或いは土砂のある所で粘土を集めて土器を作るという手もあるが、あいにくとその様な時間はない。
そうして悩み抜いた結果、妙子は一つの答えを導き出した。
「……この桶を湖まで運ぶわよ!」
まさかの力技だった。
「お前さぁ!時折ゴリ押しするのさぁ!どうにかなんねーの!?知識無双が恥ずかしくないの!?」
「うるさーい!やらねばならないならやるしかないのだ!」
妙子はそう言って強行した。
流石に妙子でも1人では持てないので太郎に手伝う事になった。というのも、大きさがなかなかのもので、家から出すには少しばかり難しいのだ。
そうして太郎の力も借りてなんとか外に出すと、桶を横にして、坂を下っていく。
「ゴロゴロ回すだけで降りてくれるんだから割とアリだとは思わない?」
「えぇ〜……、まぁ、たしかに」
時折ブレーキをかけながらその様な事を話す。最初は割とゴリ押し感が強かったが、いざやってみると割とサクサク進んではいるので悪くない様に思えた。
そして湖に着くと桶を立てて灰を中に入れ、後は2人で必死に両手で水を掬い、桶に入れていった。
チビチビとしか増えないので面倒くささが高まる。
「くっそめんどくせぇ!」
太郎はそう叫び、チュニックと靴を脱いで湖の中に入っていった。
「ちょっとどいてろ!思いっきりぶち込む!」
そう言われて妙子は桶から離れる。どうやら水かけの要領で桶に水を入れる腹積もりらしい。
それでもなかなか水が入らないので、妙子は桶を傾けて水を入れやすくした。
「お、これいいじゃん!入る入る!」
そうして桶の三分の1くらいまで水を入れたら桶を起こした。
「これで灰汁が出来るんだな?」
「えぇ。後は上澄みを掬えば」
「どうやって掬うんだ?」
「……スゥー……」
「またかよ」
「いや、この際上澄みとかどうでも良くない?」
妙子が前提をぶっ壊した。
「お前、それでいいのか」
「大丈夫大丈夫、どうせ効果が微妙に薄くなるだけでそんなに変わらないって」
と言って、妙子は皮を桶の中に入れ、洗濯物を洗う様なノリでゴシゴシと洗い始めた。
これは、裏にある肉質を落としやすくするだけでなく、毛のついた側の汚れを落とす意味合いもある。
そして、しばらくやって取り出すと、ふやけた皮が出来上がった。
「これをどうするんだ?」
太郎が聞いてきたので、桶の水を捨てながら答える。
「一旦毛の方が乾燥したなって感じるまで木に乗せて乾かす!んで、その後、ナイフで脂肪を剥がす!」
「で、それが終わったらタンニン鞣しって事?」
「そうそう!」
妙子はその皮を持って木を切り倒したままにしてある作業場に向かった。
太郎もその後をついていく。
そこには整頓もされず適当に散らかしたかの様な木々の群れがあった。
妙子はそんな木のうちの一つに寄って、木の皮を剥がした。すると、その中からは綺麗な幹が顔を出した。
その上に先程の鹿の皮を貼り付ける様に置いた。
「よしっ!次はタンニン鞣しの準備ね!」
タンニン鞣しの今回のやり方。
とりあえず湖の近くに穴を掘る。そして、苦い葉っぱを適当にかき集めすり潰し、水と一緒に入れる。
その中に皮を入れる、というもの。
「はい、これ適当に穴を開けただけなので水は抜けちゃうからちゃんと毎日やろう」
「これがデイリーミッションですか」
まぁ、毎日体を洗うために来ているのでそこまで難しい事ではない、と太郎は思うことにした。
「それで、そのタンニン鞣しはどのくらいの期間やるんだ?」
「んー、最低二週間かな」
「!?」
思わず太郎は妙子の方を凝視した。まさか長期間ここに滞在するつもりなのか、と。
「いや、先の見通しもつかないならこういうの、ちゃんと地道にやらないとじゃない?」
言っている事は正しいが、これからこの生活を享受する必要があるのだろうか。
太郎は先行きの暗さにため息をついたのだった。
これから二週間後の未来までに、果たして2人はどうなっているのかすら分からないが、とりあえず力強く生き抜こう。
太郎はそう思った。
そうして、この日は終了したのだった。