11話 生物の理
少し鬱展開があります。
グロシーンと呼べるものもあります。
それが無理な人はブラウザバックをお願いします。
妙子は狩りを知らない。現代日本でそのような事を実際に知っている人はどれだけいるのだろうか。
漫画やアニメ、小説などではその様な作品は有りはするが、それを真面目に観たことはない彼女にとって、これから行う狩りを如何にして成功させるか不安であった。
弓の使い方すら勉強したことはない。触れたことすらこの世界に来る前はなかったのだ。
妙子は試しに一本の木に向かって一本弦を引き絞る。
「……スゥー……」
一度深呼吸して震えを抑え、狙った場所を凝視する。
そして、息を吐くと同時に弦を離す。しなっていた弓は元に戻ろうとする反動で響く様な音が鳴る。
矢は妙子の予想を上回る速さで空気を掻き分けーー狙っていた場所を大きく外し隣奥の木に刺さってしまった。
「全然ダメかぁ……」
渋い顔で肩を落としながら矢を回収する。
妙子は絵師として、弓の絵や弦を引く時の構えなどは勉強していたが、実際に出来る訳ではなかった。というよりその構えすら、絵とは違う構えになっている事を自身も理解していなかった。
そして、妙子はもう一つ気付いた事があった。
弓を引くと言うのは思いの外肩がこる。胸元を開く様に構えないといかず、弦が硬いのでちゃんとその構えを維持する為の力も必要になる。ここがかなり疲れてる所だが、そこに重心を支える為の足腰にも気を配らなければいけない為難易度がかなり高い。
この様な事に苦戦すると、妙子は一人呟く。
「ボウガンとかあればいいのに……」
このように妙子は弓の使い方に苦戦はするものの、筋肉質な肉体故か二回、三回と繰り返していく内に慣れてきて、命中精度こそ変わらなかったが、弦を離すまでの行程はさほど問題にならなくなってきた。
「よっし、準備運動は終わりっ!さて、動物を見つけなきゃ」
妙子は左手に弓を持ったまま、歩き出す。
「見つけなきゃ……」
歩き回る。
「見つけ……」
さらに回る。
「……どこにいるし!」
どれだけ歩き回っても動物の影すら見つからなかった。
「おかしくない?!狩りに行く前は結構動物いたじゃん!なんでさ!」
1時間程歩き回っても見つからなかった為、さすがの妙子さんも叫んでしまう。しかし、これが良くなかった。動物にとって人は恐ろしい生き物として認識されている。それはどの世界でも共通で、人特有の声なんかが森に轟いたら逃げて隠れもするものである。
叫んだ後で妙子もその事に気付き思わず手で口を塞いだ。
(ならどうやって動物を見つけようか。うーん、やつらの巣はどんなだっけ……)
しばらくその事を考えながら歩いていると、ルビーに煌めく泉……、この世界に来て真っ先に見た場所に辿り着いてしまった。
妙子は意識してここに来たわけではない。気がつくと引き寄せられていたのだ。
「あ、あれ?なんでここに着いたのかしら……」
どことなく何かがいそうな気がして向かっただけだった妙子にとって、それは少し奇妙に捉えられた。
気付くと周りがざわついている。巻木の上から何かが蠢いていた。
風ではない。
ーーおそらく生き物だ。
妙子は手に持った弓を構える。姿が見えないので狙うことは出来ないが、姿を見せたらすぐにでも放てる様に意識を向ける。
すると途端に蠢いた木が静謐を保った。
「……?」
あまりに大人しいため不気味に思えた妙子は、思わず矢を放った。
カッ!という木に突き刺さる音のみが静かな森の中に響き渡る。
……草木を分けて進んだ矢を追いかけて見つめたその先には何もなかった。
代わりに巻木に付いていたザクロの様な果実が中身を垂れ流す。
それは粘膜性のある赤い液体で幹を伝って降りてきた。
「誰も、いないか」
きのみだけだった事に落胆し、矢を回収しようと近寄る。すると、芳醇な香りが漂ってきた。
ザクロの様な果実から出ていると妙子はすぐさま気付く。マンゴーの様な香りに近かった。
それで、気になって垂れている果汁に触れて見た。とても粘っこく、まるで木工用ボンドに触れているかの様な感触であった。
何度か人差し指と親指で潰しては広げてを繰り返すとますます粘度は増し、硬くなっていった。
「……これ、使えそう」
例えばログハウスで穴だらけの場所を木の板で埋める時のボンドの代わりになりそうだ。
香りも不快感がないどころか心地いいのでアロマの様な使い方も出来る。部屋で単純作業を繰り返す太郎の気を休める事にも貢献するだろう。
「予想外の収穫ね。とは言っても、このまま指についてるのもちょっと大変……」
手につけた果汁は妙子の人差し指と親指にへばりつき、拭っても取れなかった。
とりあえず妙子は水溶性かと思いルビーの泉にその手を浸けてみる。
そしてその予想は当たり、水に触れた箇所から柔らかく解けて行き、手もすっかり綺麗になった。
同時に、この泉が赤い理由も分かった。恐らくはこの果実が原因だったのだろう、と。
(……いや、私って結構この手の予想外れやすいから違ったりして)
白い塔を見ただけで思ったのと違うと予想して結局割と普通に中世ぽかったりしたのは本当に恥ずかしい思いだったので決めつけないで行こうと思った。
他にも予想は出来る事ではある。
例えば泉が赤いからきのみも赤い、だとか。
それだと今度はなぜ泉が赤いのかの説明がつかないが。
……一応元の世界でも赤い泉というのは存在する。
その泉が赤い理由は硫黄の成分が非常に多いからだという。
硫黄は融解すれば赤い粘度のある液体に変わるらしい。一応ここまでならきのみとは共通点があるが、臭いが違うこと、硫黄は特定のもの以外水に溶けにくいのに対しこちらは良く溶けている。
この世界に来た初日でこの泉に触れたことがあるが、人体に影響を与えてこないので毒という訳でもない。
なので硫黄の泉というわけでも無い様に思えた。
「んー……」
分からないものが分からないままというのはなんと歯がゆい事か。
無意識にここにやってきてしまった理由もなんかありそうな気がするのにその手がかりが全く分からない。
「……いやいや、今は獣狩りが大事だからそれは後回しにしないと」
そう、当面の目標は今日中に獣を狩り、血肉を入手することなのだ。
森の中では塩や鉄分は入手出来ない。両方とも欠いてしまうと土を舐めたがる様になるとどこかの本で見たことがある。
太郎がそんな事をすればもはや末期だろう。
それより先に肉を食わせなければならない。すぐさまきのみに刺さったままの矢を回収しようと手を伸ばす。
ーーすると今度は遠くの方から物音が聞こえて来た。
「……今度は何……?」
じっと遠方を見つめる。そこにいたのは、兎だった。
「ーー!」
ようやく見つけた標的に妙子は回収しようとした矢の事を忘れ、すぐに弓を構えて残り3本のうちの一本の矢を放った。
ーーそれは偶然ながらも兎の背に突き刺さった。
「!やった!」
まずは当てる事の出来た事に歓喜し……その後、顔が暗くなった。
矢に刺さり、自身では抜く事の出来ない状態で血を流し、苦しみの声を上げる生々しい兎の姿を見てたちまち罪悪感が押し寄せたのだ。
兎に駆け寄るまで兎は倒れ伏せたままジタバタと暴れまわり、次第次第に弱っていく姿を目の当たりにして、自身がした結果である事を認めたく無くなった。
ーーこの兎も兎の一生があったのだろう。親に育てられ、いつしかひとりで生きられるようになって親離れをして、一日一日を懸命に生きていたのだろう。自分より大きな天敵からも懸命に逃げて、ここまで生きて、生きて、生き続けて。
もしかしたら子供を持っていて、餌を探しにきていたのかもしれない。子供にご馳走を与えようと草根を分けて探している最中だったのかもしれない。
家族の為に。種のために。
それを、自身の軽い一撃で全てを壊したのだ。
その様な事を思うと心がズシリと重たくなるのを感じる。
それで、あまりに可哀想だったので思わず矢を抜いてしまった。
抜いた所から更に血は流れ出し、ピクピク……と、弱々しくなっていく姿を見て、また失念してしまった、と、これ以上手を出せなくなってしまった。
思わず後ずさる。謝罪を呟きながら。
この時、妙子自身こんな感情に縛られるとは思わなかった。
日々、肉は良く食っている。命を殺して食っている事を小学生の頃から習っていたから分かっていた。
分かっていたはず……なのに、実は何も分かっていなかった事を今になって気付いてしまった。
自分の手で殺めていない為に軽い予想だけを真実だと思い続けていた。
命に感謝しましょう、などと小学生の頃は偉ぶっていた頃の事を思い出し、それがただの自己陶酔でしかなかった事を思わず恥じてしまう。
漫画で良く食う子が可愛いと賛美していた事が凄く猟奇的であると今になって感じ取ってしまう。
「……あ……っ、ご、ごめ……」
自身の手が赤く血塗られていくような気味の悪い感覚に襲われる。手に持った弓は思わず落としてしまった。
そうしてすっかり戦意喪失した妙子の様子を見計らうかのように、兎は途端に立ち上がり、素早くその場を立ち去っていった。
ーー不器用な足取りで。
「ーーえっ……?」
突然の事で唖然となった。
思いのほか動ける事に。
そして、騙されたと憤るのではなく、むしろ安堵の気持ちが強かった事に。
覚束ない足取りの為に無事に生きれるのだろうかとむしろ心配してしまった事に。
自分でやった事のくせにこのような感情を抱くなんて、予想もしていなかった為、ますます呆気にとらわれてしまう。
手に持った血の色に染まった矢を見つめ、心は動揺したまま動けずにいた。
「……あ……と……」
しかし、このままではいけないと心の中で必死に叫ぶ自分の感情の声で目を覚まし、気を取り直す。
「あ、後を追わなきゃ!」
そうして、落とした弓を手に取って追いかけた。
その兎は、追いついた時には狐に首を完全に砕かれた状態で死んでいた。
狐は兎の首を噛み掴みながら妙子に唸り声を上げて去って行く。
あの兎は、血を撒き散らし狐に居場所を知らせてしまったのだ。
既に弱っていた為に狐にとっては最高の標的だった事だろう。
生気を失った兎の目を見て、命が消える所を見て、妙子は思わず膝をつき、両目に涙を溜めていた。
「……あぁっ!……あぁ……うっ……ああぁ!」
嗚咽を漏らしながら涙を流す。
(私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ!私が矢を放たなければあの兎は死ぬことはなかったのに!)
妙子は目的の為に行動した。その行いは決して間違いではない。太郎に肉を食わせなければ太郎が弱ってしまうのだから仕方ない事なのだ。
しかし、そうと理解しながらも同時に命を殺める行為にとてつもない抵抗感が生まれてしまった。
もはや、弓を引く事は出来ないだろうと思えるくらいに。
ふっーーと、一つの風がある臭いを乗せてやってきた。
この臭いは獣特有の臭い。そして、ーー血の臭い。
先ほどの兎の血の臭いではない。
気づくとその臭いの居場所が段々と分かってしまった。
妙子は太郎を救うという使命感のみで立ち上がり、ふらふらとその場所に向かう。
そこは、岩が露出した段差のある場所だった。その岩の下に少しの隙間がある事に気付き覗いてみる。
……そこにいたのは左足を痛めた子鹿だった。
荒い呼吸をしながら、もはやこちらを睨め付けるしか出来ない程に弱っていた。何もしなければ間も無く死んでしまいそうな程に。
おそらく先ほどの狐に狙われていたのだろう。狐がたまたまそれより狙い易い兎に標的を変えた為に命辛々逃げ果せ……しかしこうして死に瀕している。
これは天が妙子に与えた好機だ。
この鹿を狩る事で目的が達成される。右手に持っている血に染まった矢で首を突き刺すだけでこの鹿は完全に息の根を止める事が出来る。
弓を引く必要すらなく、呆気なく殺せるのだ。
「ご、ごめん……」
矢を握り、鋭利な部分を鹿の首に向けてから少しばかり持ち上げる。
それを見た子鹿は首を振りながら訴える様な眼差しで妙子を見つめ、弱々しい威嚇をする。
ーー命の懇願を目の当たりにした。
「ごめん、なさい……ごめんなさい」
右手はガタガタと震え始め、大きな的でありながら狙いが定まらなくなっていた。
ーー何がごめんなさいだ。今からこの子鹿を殺すというのに、何故謝罪を述べるのだ。
謝るくらいなら殺さなければいいのに。
謝るくらいなら手を引けばいいのに。
誰が為だとかそんな立派な事を振り撒けば命を奪う事に整合性を取れると思ったら大間違いだ。
殺す事が正しくないのなら他の正義という名分は偽善でしかない。偽善とは自分の為にいい人ぶる事を言うのだ。
謝るな。
今からこの子鹿を殺すのは自分たちが生き残るための必要経費だ。そこに正義など持ち出すな。
正義なぞ、人を陶酔させる為の精神麻薬でしか無い。
殺せ。
今すぐ殺せ。
一息でだとか、苦しませない様にだとか、そんな自己正当化なんて要らない。死んだらそれで終わりなのだ。
殺すのならば、殺した奴らに一生恨まれる覚悟を決めろ。それが唯一の正解だ。
さぁ、右手を振り下ろせ。
それで念願が叶う。命を奪って成就するのだ。
「ーーあ、あぁぁぁぁあっ!!」
感情がドス黒くなっていくのが分かる。
これまでにない程に心は正義を拒絶していた。ただただ、理に適った事を述べる冷たい鉄の様な感情が顔を出した。
そして、気付けば右手に持った矢で確実に子鹿の命を奪っていた。
最初は顔が天を仰ぐ様にしていた子鹿が、ゆったりと妙子の腕にのしかかる。
その時の体温を妙子はきっと忘れない。
先程までほんのり温かった肉がまるで氷の様に冷たく、硬くなっていく様を殺した右腕全体で実感したのだ。
妙子の目からも少し光が消えていた。
ーー殺した。自分の手で、本当に殺した。
あのドス黒い感情の赴くままに体が勝手に動いていた。
妙子はあの感情の正体を知っていた。
自身の血肉。頭からつま先に至るまでの体が当たり前の、本当に当然の事を言っていただけなのだ。
血も涙もある。
あるからこそ、血を求めてしまうのだ。
ーー命を求めてしまうのだーー
――――――――――――――――――――――――
それからの処理は特に無く、肩に弓を、子鹿を殺した時に使った矢はもう使い物にならなくなり適当に捨てて、子鹿の首を持ち手にしてズルズルと引きづる様に帰還した。
それまでの道のりで不思議と他の動物は寄らなかった。
なので、ログハウスに帰還する事に関しては割と簡単に出来た。
ただ気がかりなのは、これから殺した子鹿の皮を剥いで内臓を取り出し、肉を割く作業を行わないといけないという事だ。
ログハウスに着いて真っ先に現れたのは太郎の元気そうな姿であった。
朝は随分と疲れていた様子なのにすっかり元気になった様で何よりだが、まずは言うべき事があると思いこう言った。
「安静にしなさいって言ったでしょ。何普通に外出てんのよ」
「別に平気だって言ってんだろ?それよりも、鹿を捕まえたのか!すげーじゃん!」
自分の抱えた罪悪感やら何やらを知らずに嬉々として話す太郎を見て少し……、
(いや、この為に狩りに行ったんだから大成功か)
妙子はニッコリと笑う。
「すごいでしょ?もっと褒めてもいいのよ?」
「よっ!プロハンター!」
太郎もノリ良く担ぎ上げた。
その後、太郎が手探りながらも皮を剥ぐ事になった。
理由は妙子がやりたくなかったから、ではなく、太郎本人の希望だった。
試したいという事なら吝かでもないので、妙子はリビングで心の整理がてら休憩をして、太郎は台所裏の外で皮を剥ぐ。
使う刃物は銅のナイフだ。
太郎は昔見たアニメで、服を脱ぐ様に皮を剥がす工程を見た事があった。
その時の対象はリスだったが、首周りわくるりと皮だけ切って、後は尻に向かって引っ張るだけで剥がしていた。
なのでこちらも同じ要領でいい筈と思い、切れ込みを入れようと試みる。
が、中々鹿の皮は硬く、切るのにだいぶ苦労と時間をかけた。
うっかり首の骨まで折ってしまったが、やむなしと思い続けーーどうにか剥がす事に成功した。
と言っても、いくらか止まり、腕や足回りを切ったり、首から腹を通って尻尾まで縦に切ったりと試行錯誤をして随分と形の荒い毛皮になってしまった上に、肉も土まみれになってしまった。
これはちょっと不味いと思い、湖に運んで洗ってから焼くのがいいと思い妙子に相談した。
「えー……、まぁ、いいけどね」
少し疲れの見える妙子だったが、そのまま鹿のいる所まで連れて行き、皮が剥がされた鹿の首を持って降りて貰った。
その時の妙子は特に驚くという様子はなかった。
太郎でさえ、皮のなくなった鹿に気持ち悪さを感じていたが、随分タフだなぁ、と感心した。
太郎は未だに焚べていていた焚火と、数本の薪、リビングに置いてあった弓矢を持って行った。
それから妙子が鹿を洗い、太郎が焚火を湖の近くに作り、弓矢の矢先を火の上に向く様にセットする。
そして準備が完了し、太郎がナイフで豪快に肉を切って立てかけた矢に突き刺し、焚火で焼いていく。
「うん、これだよこれ。まるでキャンプじゃん!」
太郎は心底楽しそうに言った。
「今までこんなに苦労したんだから、これからは楽しまないとね」
妙子がそう言うと、「おう!」と元気な声が返ってきた。その姿を見ると妙子も心が穏やかになっていく感じがした。
そして、充分に火が通ったのを確認し、二人はその肉を食った。
「「……!!」」
二人ともギョッとした様子で味を噛み締めた。
「……うっわ!何だこれ!スゲェ生臭い!血の臭いかこれ!?味もしねぇし!」
太郎はその味にそう言った感想を述べた。
太郎は皮を剥ぐ際に内臓をいくつか潰してしまっていた。
また、鹿を殺す時、妙子は血抜きをしていなかった為に肉の部分に血が周り、生臭い味に落ちてしまったのだ。
だが、そんな味に対して妙子が抱いた感想は太郎とは別だった。
太郎の言葉が反響して聞こえる中で、一噛み、一噛みする毎に味が身体中を駆け巡る。
妙子はその味に恐怖を覚えた。
不気味な程に、
これまで食った事がないくらいにその肉は
ーー美味しかったのだ。
思いの外、動物は殺せないものです。
モンハンやバイオ大好きな自分が言うのだから間違いない(偏見)