第19話「有頂天と必死のパッチ」
「お、やっとんな!」
練習試合を終え、機材をグラウンドへ戻しに帰還した野球部の面々が見たのは、食堂前のスペースで吹奏楽部、チアリーディング部の一部と談話する、応援団の面々であった。
龍太朗が挨拶に向かうために、持っていた荷物を託された進一郎が当惑する中、野球部主将の暢気な声に気づいた応援団副団長は、肩を竦めて出迎える。
「お前さんの気まぐれに付きおうとるんや、軽い挨拶で済まさんでほしいな」
応援団長代理改め、副団長となった敬造に悪い悪いと詫びとも言えぬ詫びを入れておき、十数人の輪の中へと入っていった龍太朗。団長に立候補した生徒会長の菱沼実絵に、副団長の敬造が顔を連ね、幹部長として特に不良メンバーを統率する役回りになった陣は、チア部の面々とやたら会話が弾んでいる。
だるそうにするメンバーもいる中視線を移していくと、龍太朗の目は同じクラスの二人に止まった。
「あれ? 叡山に榛原? 二人もやるんか、兼部大丈夫か?」
「私はいいけど、叡山さんは……」
「だいじょうぶだよ~! 顧問から『毎日じゃなければやってもいい』って言われてるし、リカっちと一緒に色々できるんだし、楽しみだもんねぇー!」
「YES! 皆で盛り上げていきマショー!!」
気落ちしたときの表情を想像できない利華と肩を組み、同じように屈託のない笑みを浮かべている叡山ひとみは、それはそれは楽天的なバレーボール部員である。成績は今一つだが、元気の良さは学年でも飛びぬけた存在で、バレー部でもムードメーカーとして活躍している。父親の仕事の都合で、3歳から3年間イギリスに居住し、利華とはそのころからの仲である。一応帰国子女ではあるが、語学はさっぱりであるのは本人の談。
隣の二人のハイテンションについて行けず、苦笑いを浮かべている榛原名菜瀬は、現在すでに茶道部と家庭科部に所属しており、応援団まで所属となると3部を股に掛けることとなる。控え目で礼儀正しい少女は、吹奏楽部の早霧と“はとこ”の関係にあり、利華とも中学時代からの同窓である。ふんわりとした七三分けのロングヘアを靡かせる大和撫子は、美里・利華に次ぐ程度に男子の目線を奪ってしまっている。
チアリーディング部の華々しさには手が出なかったが、誰かを応援することが楽しそうだと参加を決心した。が、応援団のチャラい男子に高確率でからまれることになり、困った状況になったと若干後悔している。
「それはそうと龍太朗、今日の試合は?」
「いやぁ、さすがは古豪てところか。今回は負けた。野球の緻密さの違いって奴かもな」
「おいおいしっかりしてくれや、勝ち進んでくれんとワシらの出番無いからな!」
「分かっとる分かっとる!」
この日翔聖ナインは、府内で随一の歴史を誇る古豪、府立弁天高校と対戦、4対3で辛くも敗れた。セーフティバントやエンドランを絡めてきた弁天高校に掻き回され、ジリジリと点を奪われていった。
龍太朗の7イニング128球の力投も虚しく、堅実な守備にも阻まれてヒットは出れども、あと1点が遠かった。
「ただ、ヒントは貰えたと思ってる。俺らの現在地も分かった。俺らがやりたかった野球を“まんま”やられたとも思っとるし」
このゴールデンウィーク、野球部は練習試合で連戦を重ねていた。最終日である今日は敗れてしまったが、この数日は収穫の多い日々であった。
初戦は私立の桃李学院。府内では2回戦突破がやっとの高校で、龍太朗は快調に投げた上、打線もつながって18対3の6回コールド勝ちを収める。
翌日は府立十三第一。現在では府内随一の進学校だが、戦後しばらくの甲子園で優勝経験を持つ文武両道の野球部と対戦。本大会を想定し連投で先発した龍太朗を5回まで投げさせ1失点。勝輝がエラーも絡み1イニングで1点を失うが、打線はジリジリと点を重ねていき、6対2で勝利。7回から進一郎が1回、透が8回から最後まで投げきり、打たせてとる投球が見事にはまった。
一日空けた3戦目、私立校・國與商工と対戦。70年代には府内私立校でも指折りの強豪校で、近年でもベスト4に顔を出すほどの有力校であるが、先発した透が圧巻の投球を魅せた。内外の制球が抜群で、9回まで被安打1本の完璧な投球。凡打の山を築き無四球完封。4対0と快勝を収めた。
余談として、3戦目に登板した透はその日142キロの直球を放ち、自己最速をさらに更新してみせた。決め球のスライダーはいつも以上にキレキレで、小さく曲がるシンカーやスプリットも組み合わせ、その快刀乱麻の投球は國與商工の敵将をも唸らせるものであり、龍太朗の困惑をさらに高めることとなった。
今年創部された、1年生選手11人でしか構成されていない駆け出しの、悪く言えば“ぽっと出”の野球部である。そんなチームが、府内の実力校に善戦以上の成績を残してきたことに、周辺の高校やマスコミも注目をし始めているようだ。
第一、元プロ野球選手の息子が二人いるチームである。新設校ということでまるで眼中にないという扱いであった翔聖学園が、この成績に外部が浮足立ち、これ以降マスコミや周辺校の女子たちがちらほらとグラウンドの周りで観戦し始める。
「この連休は3連勝で今日の負け終わり。収穫は多いけど、勝って終わりたかったのう」
「ま、龍太朗が気落ちしてへんなら、大きなプラスやろ。反省はしつつでな」
「にしても正直、タッツーの活躍は予想外やったな」
「竜嶋か?」
「おう、硬式のバット重うて振られっぱなしやけど、当たってるんが不思議や。ってゆうたら悪口なってまうかな?」
翔聖ナインがこの連戦の日々で納得のいく成績に自信を手に入れた中、慧次朗の活躍は良くも悪くも想定外この上なかった。
慧次朗の守備は、この数日間それはそれはひどいものであった。キャッチングに不安のある選手に一塁を任せることもできず、ライトの守備に就いた慧次朗は、フェンス直撃の長打処理を誤り、ゴロヒットを弾き、明後日の方向へ悪送球するわ、近い位置への送球を自分の真ん前でバウンドさせるわと、本戦出場となれば致命的ともなるミスが山ほど出ていた。
しかし、打撃に関しては周囲が驚くほどの打棒を見せていた。初戦では失点全てが自らの後逸に由来するものだったが、それを払拭する連続タイムリーを放ち、2戦目でも悪送球から失点につなげてしまったが、この日は長打や四球でチャンスを作り、きっちりホームに還ってきていた。
3戦目に至っては貴重な先制ホームラン。当然人生初の会心の当たりに、打った本人が驚愕していた。
何せフォームが決まるどころの話ではない。体幹や下半身の鍛錬もしていないド素人が、硬式バットをコントロールできるはずもなく、肩の開きも腰の開きも早過ぎる、それはひどいスイングであったが、それが当たるのだから不思議な話である。
9イニングを戦っただけでヘトヘトになるほど体力も追いついておらず、ひぃこらぜえぜえ息を切らしながら、用具を背負いグラウンドへの坂を上っていく。
「竜嶋ぁ! もっとしゃんとしろ!」
雄々しく煽る敬造に、慧次朗は左手を高速で横に振った。「ったく、あんなんで大丈夫かいな……」と苦笑する敬造が野球部主将に目を移すも、腕を組んだ龍太朗の眼差しは、父親のような温かさと棋士のごとき鋭さを秘めていた。
「初めは誰だってあんなんや。無理に引き上げようとしたらいかん。まずはマイペースにさしたらんと」
「ノビノビ野球か」
「まあ、そう思といてくれ」
「そのせいで成長が“延び延び”ならんかったらええけど」
「誰がうまい事言えゆうた?」
ジェスチャーを含めてボケた敬造へ思わずツッコんだ龍太朗に、敬造は大笑いし始めたが、「いや、おもろいとは言うとらん」と冷静に返された龍太朗に「えぇ~っ!?」と叫ぶ敬造である。
「呑気にやっとったら俺が追い抜かされてまう。今であんだけ打ててるんや、モノになったらどないなるか。ウカウカしてられんで」
どれだけ当の本人が、ヘタレで、ド下手で、弱気だと言って憚らないとしても、プレーから垣間見える必死さは十二分に伝わっていた。その覚悟は必ず今後の結果に結びつくはずだと、龍太朗ははにかんでいた。
「いやぁ、いい一週間だったな!」
「おっさんか! お前はっ」
高校の最寄り駅までの途中にあるファミレスで、コーラをがぶ飲みし、泥酔親父のごとく「カーッ」と声を上げた勝輝が隣に座る龍太朗にツッコまれる。
「でも、ここまでできてるなら、上出来は上出来だよね」
「みんな必死だもん。これぐらいやれなきゃ!」
「焦るのはよくないけど、ひとまずは喜んでおこう」
同じテーブルの透とハジメ、隣のテーブルに座る学も勝輝に同調するが、弘大と盛隆は乗らない顔である。
「もしかしたらホントに甲子園行けたりするかな!?」
「楽観的にもほどがあるだろ」
「でも鬼頭、お前1年以内に行けなきゃ野球辞めなきゃいけねえぞ」
「分かった上で言ってんだ」
進一郎の言葉はさすがに引っかかってしまった弘大が語気を強めるが、盛隆に詰められて一段と表情が険しくなる。
「なあ、明日から1週間休みにしね?」
締まりのない顔で、頭の上で手を組んだ勝輝からノー天気極まりない提案が飛び出した。
「大阪の上位陣にここまでやれてんだぜ? ちょっとお暇したってバチ当たりゃしな――」
「勝輝~、そりゃまた随分なご身分やのぉ!」
ペペロンチーノに刺さっていたフォークをガチャリと落とし、龍太朗はこの世のものとは思えぬ形相で勝輝を睨みつける。
「俺は甲子園に行きたいて言うてるやろ? こんなところでのん気にやっとってええてか? そもそも今日は負けた。大会入りゃリーグ戦とちゃう、分かり切ったことやろ? 1回負けるだけでハイチャンチャン、や。恥かきに行ってんとちゃう」
「お前そんな根性で野球やってたのか!?」
「羨ましいご身分だな」
「そうまで言うなら運動神経オレに譲れや」
龍太朗は低い声で唸るように語気を強め、怒りの沸点がいかんせん低い弘大は周囲も構わず立ち上がり、盛隆は頬杖ついて呆れ返り、馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに慧次朗は叶わぬ願いを唱えていた。
「わ、悪りぃ……。ってタッツーさすがにそれは無理」
「無理と言うな、こっちゃ必死のパッチであの“ド”がつく下手な守備やぞ、どないしてくれんねん」
「いやそこの責任は保証の対象外だから」
「どっからも買っとらんわ」
「それは知らねぇし!」
漫画の主人公が落胆した際に引かれる縦筋が、ズラリと並ぶであろうドン引きの顔で間に合わせの謝罪をした勝輝だが、慧次朗には慣れないツッコミをするばかりである。
「勝って、兜の緒を締めよ……」
「ん、秋田?」
美雪が不意に、しかしキチリと口走ったのは、龍太朗を挟んで勝輝が隣テーブルの弘大からネチネチと説教を受け終えてから少し経った頃である。「あ、ごめんなさい」と平謝りする彼女に、「思ったことあるんなら言うてくれ。今の俺らにゃ、どないなもんでもヒントや」と、龍太朗は続きをせがんだ。
「今日は負けてしまいましたが、好成績に有頂天が過ぎれば、それは顔に、所作に、心に隙が生まれます」
女子メンバーが集まったテーブルで微笑みつつ、チキンステーキを淑やかに食べていた数分前とは打って変わり、背筋を伸ばし凛とした表情で、ゆるやかなれど滔々と言葉が流れゆく。
「浜風くんの言葉が、もっともだと思います。今日は負けてしまいましたから、だからこそ余計に、気を引き締めないと。私もまだまだ、スコアブックを付けるのは覚束ないですが、皆さんの力になれるように、これからも精進するつもりです」
美雪は富豪の令嬢として、音楽への研鑽を積んできたと同時に、華道や茶道だけでなく、薙刀まで嗜んでいる。武芸ともに妥協せず、最後まで決して気持ちを緩めない。美雪にもその心が強く宿っているからこそ、勝輝の発言には一家言あったようだ。
「美雪ちゃんさすがやわ。カッちゃん? こういうとこやで!」
「わーったってだからよぉ」
「ウチらも、やで?」
「そら分かってるって。なぁ、みさっちゃん!」
「ふぇっ!? ……、ごめん考え事してた」
「ちょっとぉ、しっかりしてよ~。美都野さんがド素人の秋田さんと私のこと引っ張ってきてくれたんだからさー」
美雪に感心する清香は勝輝を煽り、桜は念のため清香に釘を差しておく。不意を突かれた美里に、美央は近所のおばちゃんのような身振りでたしなめてみせる。その横で、問答についていけなかった美里の様子にわずかながら違和感を持った龍太朗だが、勝輝に対してさらに説教を続けようとした弘大をそろそろ止めるために思考を逸らした。




