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第13話「戦友(とも)と自分の現在地」

 それからの龍太朗の投球は、粗削りながらも圧巻だった。

 見破られるクセを振り払おうと躍起になった彼は、快調に走る直球と高速スライダーだけでも三振と凡打を積み重ね、フォークを投げれば相手はてんてこ舞い。

 きっかけを掴んだかに見えたカーブは、しかしながら痛打される場面は多いものの、見せ球に使ってからの続くストレートは極めて有効で、3回以降は無失点を続けていった。

 翔聖打線はその後も小刻みに得点を重ね、冒頭は2打席連続三球三振だった慧次朗も4打席目のチャンスにサードの上を越す強烈なライナーを放ち、初安打・初打点を記録。

 最終回となった6回には透がマウンドに上がり、内外に完璧に投げ分けた直球とインローのボールゾーンから滑り込むように変化するスライダーで三者連続見逃し三振と圧倒。

 終わってみれば失点は2回の3点のみ。翔聖ナインが6回表に再度畳みかけ、15対3でコールド勝ちを納めた。

 なお試合終了後、合川が泣きの1イニングを嘆願し始めたが、翔聖ナインは呆れ果て、キシコーナインが総出で頭を下げつつ威厳のへったくれもない主将をグラウンドから引きずり下ろしていった。



「さすがだね、龍太くん」

「よう言いよるわ。序盤はヒヤヒヤもんやってんで、ほんまに~」

 相手側の厚意により、岸和田工業の面々と試合後共同練習を行って、気が付けば日がやや傾く時間帯になった。疲れ果てたようにヘナヘナと返す龍太朗に、喜びの微笑を湛えて美里が隣を歩く。

「どうにかなってよかったわ。あんなよう分からん男に美都野をやれる訳ないっちゅうねん」

「龍太くん……」

「ほらそうやろぉ? 当たり前やがな。……って、もしかして、まさか案外悪い男やないとか思っとったんか!?」

「そんなことないよ!! 怖かったもん」

 不意に立ち止まり、そんなバカなことあってたまるかという顔で振り返った少年に、少女は拳を握りしめて断固否定し、先ほどの怯えた顔をぶり返す。

「ほうか。やとて、あんな男の頼み、一旦は飲もうとしとったんは驚いたわ。負けとったらどうなっとったか……」

「それは……、一回教えたらもし何かあってもアドレス変えちゃえばいいだけだし」

 スパっと居合切りするような対処策をさらりと言ってのけた彼女に、隣を歩き出した龍太朗は再度足を止め、「ヒィ~」と両手で自らを抱き、おどけてみせる。「ちょっと! もう!」と膨れる少女に、少年は両手で「まあまあ」と宥める。怪訝な顔だった少女も、仕方がないなと口元に笑みが戻る。


「本当に相っ変わらず付き合ってるようにしか見えねぇな」

「まあ、まだ紆余曲折が足りないってとこじゃない?」

「そんなもんかぁ?」

「そういうもんだよ。ま、そう言ってる僕らがまだ彼女いないってところは問題だけどね」

「そこはノータッチで」

 駅に戻る道中で、一組の少年少女の後方から付いてきていた集団の先頭で、透と勝輝はいつも通りの二人の姿を見、向こうに聞こえないように茶化している。

「あいつら付きうてへんのか」

「おっと、聞いてたかい竜嶋の旦那」

「歌舞伎町のキャッチかなんかか?」

「要素どこだよ!」

「じゃあ銭湯の番頭か?」

「女湯見れるかな?」

「何言い出しとるんやこいつ……」

 間に入ってきた慧次朗に冷たくツッコまれる勝輝は、笑いながら正気に戻る。 

「あんな感じでもう5年ぐらい、だっけか?」

「小学校時代から? えらい長いんやな」

「色々あるんだよ。二人ともお互いにね」

「なんやそら……。あっ、そういや確か美都野て、東京から越してきたっちゅうんは多少聞いたけど、それと関係あるんか?」

「う~ん、だいぶ……かな」

 掻い摘んだ情報だけであるものの、景気のいい話でなさそうなのは間違いなさそうだと慧次朗は腕を組み、駅への歩みを進み続けた。




 夕闇迫る街を駆け抜けてきた薫風が、暮れなずむ住宅街の外れにある小さな山の麓にまで至ると、往時からの威厳そのままの大きな武家屋敷が見えてくる。ここは地元の名士として名を知らぬ者はいない早河はやかわ家、その邸宅であり、龍太朗の同級生である早河清将(きよまさ)の実家である。

 大きな池のある日本庭園に、小さな一軒家ほどはあるだろう蔵が複数、かつては大会まで開かれていたという弓道場まである広大な敷地内の一角に、龍太朗が慣れ親しんだ剣道場がある。彼が野球を始めてすぐの頃から、習い事として剣道を始め、そこで汗を流していた。

 蛍光灯が煌々と灯された剣道場で、藍染の袴に身を包んだ龍太朗は竹刀に比べて倍以上は重い木刀で、重い風切り音を響かせている。

 板張りの剣道場で聞こえるのは、木刀の風切り音と外の風にそよぐ竹の葉の擦れる音、そして龍太朗の足運びの音だけ。少年の集中力は、椿油でよく手入れされた木刀の切っ先が、迫力と鋭敏さに金属的な煌めきをすら纏うようだ。

「鼠にでも入られたかと思ったが、お前か浜風」

「おお、清将! 帰ってたんか」

 くぐもった足音が廊下から聞こえた後、引き戸から龍太朗を超える背丈の清将が僅かに屈みながら道場に入り、神棚に一礼して続ける。

「寮には入ってないって言っただろ。ここから通ってるんだからそりゃ帰ってくるだろう」

「ああそうでっか、こりゃ失敬」

 はにかみながら手のひらを額に当てて戯ける龍太朗に、家主の息子はスルーして板張りに正座する。

 清将は今、京都の歴史ある名門校、平禅へいぜん高校へと進学し、野球と勉学とも懸命に励んでいる。

「何の用だ?」

「何の用やて、好きに振らしてくれてもええやろうに。少なくとも親父さんには許可もらってんで」

「そりゃそうだ。そうでもなきゃ不法侵入で俺はお前を警察に突き出さなきゃならん」

「同級生に対しての発言がおっかなさすぎるねんお前は」

 マシンガンのようにツッコむ龍太朗に、相変わらず元気そうだと、いつもであれば厳しくも凛々しい、キュッと閉じている一文字の口から白い歯がこぼれる。

「今日練習試合あってやな。そこそこ早めに終わったからこっち来た」

「勝ったのか?」

「15対3。コールド勝ちや」

 そう言いながら、龍太朗は脇にそっと木刀を置き、相変わらずアイロニカルな少年の隣で胡座をかく。

「ほう。あの時、あれだけ言ってたんだからな。春の大会は初戦で躓いてたが、それ位やってもらわないとな」

「手厳しいなあ。ただ、序盤はめっちゃ慌てたわ」

「何があった?」

 しゃんと伸ばした背を曲げて真剣な表情に変わった清将の期待を裏切らないよう、龍太朗は気持ちたっぷりと間を持たせる。

「清将、俺の投げるときのクセってなんかあったか?」

「投げる前に一息吐いてたらストレートって話か?」

 間髪入れない、一刀両断とは真にこのことである。一切表情も変えないまま一言いい終えて正座を崩した清将の気迫に「あっ、ようご存じで……」と返すしかない。

「ようやく気付いたか。攻め所が一つ無くなったな」

「前から知っとったんかい! って、まさか意図的に言わんかったんか……」

「そりゃそうだろう。これだって情報戦の類いだ。お前たちに勝たないといけないからな」

「そっちゃ京都や、こっちゃ大阪や。地方予選じゃ戦わんぞ」

「甲子園で戦う時のために決まってるだろ」

「そりゃそうかもしれんけどやなあ……」

「俺はお前の実力を認めている」

 淀みなく続いていた会話が、噛み締めるように発した清将の言葉でせき止められる。


「だからこそ、強豪校に行かない浜風の姿勢ほど理解できんものは無かった。行かないのなら、甲子園に行く機会なんて至難の業だ。なら、改めて実力でねじ伏せる。浜風があれだけ大風呂敷を広げたわけだ。その責任はお前自身でキッチリ取ってもらう。そのためにも負けられない」

「清将……」

 勉学も野球もとにかく真剣に取り組んできた清将の真っ正直な言葉が、彼の侍の如き表情に決意を上積みさせている。

「だからこそ、早くレギュラーにならないとな」

「そうやそうや。最近どないやねんそっちは」

「どうしても層は厚いな。ベンチ枠にどう分け入っていくか。我武者羅にやるしかないのは分かってるんだがな。追い抜くべき人間が多すぎる。これは急ぐ旅だ、薙ぎ倒すつもりで行く」

「おお、言うたな。頼むで若殿」

「使用人以外には呼ばせてないと何度も言ったろう」

 ウザったさに満たされた顔で叱りつける清将だが、龍太朗は「ええやないかそれぐらいは」と悪びれる様子はない。それなら、と清将は話を切り替えた。

「だったらそっちはどうなんだ? 美都野との関係は」

「……、何の話や? なんで美都野の名前が?」

 全くピンと来ていない龍太朗に、清将は呆れ返る。

「まだ何もないのか。そろそろ付き合い出してもおかしくないと思ったんだが」

「うぇっ!?」

 言い切らぬ内に五臓六腑の底から叫んだ龍太朗に、大音声だいおんじょうが清将の右耳に突き刺さる。

「でかい声を出すな」

「突然なんや思たらお前がそんなこと聞くんか!? 心臓に悪いわ」

「俺が俗世間に興味が無いと勝手に思うな。そもそもそんな程度で驚いてどうする、馬鹿馬鹿しい」

「聞き捨てならんこと聞いたんはお前やろうに! ホンマにもう……」

「で、何もないのか」

「なんか起こってたらその方が大問題やわ。何度も言うとうやろ、美都野に対してそういう感情は無い」

「本当にそうなのか?」

「なんも無いっちゅうねん!」


 わちゃわちゃした会話も落ち着き、龍太朗は袴から普段着に装いを戻し、自宅へと帰ろうと玄関で靴ベラを借りる。

「ほな清将、また」

「あぁ、いつでも来い」

「木刀頼むで、手入れ」

「来る頻度減ってるんならそろそろ引き上げてくれてもいいんだが?」

「そう言われてもなあ……。椿油までは持ち合わせないし、ほんなんしたらここ来る理由減ってまうぞ」

「俺は一向に構わんぞ」

「たった今いつでも来い言うた人間が何言うてんねん」

 龍太朗が笑いながら遠慮無くツッコむと、ふと虚空を見上げ「……、確かに」と朴訥に返した清将もなんだか可笑しくなって、吹き出すように笑い出すのだった。





 嵐のような会談から逃れるかのように、袴を小脇に抱えながらの早河邸からの帰路、龍太朗は自宅に向けて緩い坂を下っていく。右手側に目をやると、しばらくぶりの姿が見える。中学までバッテリーを組んでいた風間司が、自宅の庭でストレッチに励んでいた。

「司、帰ってたか」

「おう、龍太朗。清将んとこ行ってたの?」

「木刀振らしてもらってた」

 庭の中へと促された龍太朗は、元相方の家の門扉を開く。

「精が出るな。そっちは寮住まいやったよな」

「うん。今度の連休から練習試合が連戦だし。帰りたいなら一旦帰っていいって。まあ比較的近いっちゃ近いからね。そんなん和歌山からの子とかもいるし」

「まあ、その辺はなぁ」

 司は兵庫県屈指の強豪、妙徳みょうとく学園に入学した。キャッチャーとして大柄ではない彼は、自らの長所をどう生かすかに頭をひねっていた。

「初戦、大敗だって聞いたよ。序盤は持ってたらしいけど」

「ああ。一回りまでしか持たんかったわ。あれでいろいろ目が覚めた」

「そりゃあ目ぐらい覚めてもらわないと。無駄に足掻いていきなり甲子園なんて目指して、むちゃくちゃの極みだよ」

「ああ、辛辣やなぁ。もう懐かしくすら感じる」

「この程度でそう言われても」

 シニカルな側で皮肉屋な司だが、久々の相方との会話に笑みがこぼれる。

「正直、僕の目の前は壁だ。本当に各地からすごい人ばっかり来てる。練習はついていけてるけど、注目されるかどうかは、なかなか……。それを登れなきゃ、ベンチ入りは遠いだろうね」

「えらいマイナス発言やな。司らしゅうない」

「現実が見えてるって言ってよ。それも含めて覚悟はしてたから」

 悲観的観測を零す司であるが、諦念ではなく諦観が垣間見える眼差しに、龍太朗は少し安心する。

「で、目標の立て直しはできた?」

「いや? 目標は変わっとらん。なんなら甲子園、ホンマにいける気がもっとしてきた」

 息巻くように返した龍太朗に対し、元女房役はしばし固まり、明後日の方を見やりながら盛大にため息を吐く。

「龍太朗……。何度も言っとくけど、出来ないことを出来るって言うもんじゃない。透や勝輝はいても、清将も僕もいない。人が山ほどいるわけじゃない。時間も経験も全く足りてない。現実的に考えて、出来ると思うほうが怖いっての」

「うわぁボロカスに言われてもうたな……」

 司の言葉にタジタジになるほか無い龍太朗だが、その志が折れるほど、もう彼は柔ではない。

「司、そうまで言うなら言うてたらええ。必ずその言葉、ひっくり返したる」

「マジで言ってんの?」

「俺はこの勘みたいなもんを信じようと決めた。もちろん穴は山ほどある。でも、この伸びしろは夏まででも十分間に合わせられると思っとる」

「おめでたい話だ」

「ああ、そう言うたらええ。俺らのチーム、そんじょそこらのアマちゃうで。想像以上のポテンシャル秘めてる」

「ポテンシャルは、秘められてたままじゃ意味ないよ」

 送り出した言葉が、悉く矢継ぎ早に切り返されていく。

 司はマイナス思考というよりも、リアリストと呼ぶべきだろうか。シニアリーグでも、冷徹なまでに状況を見定め、如何に相手バッターの意表を突くかを考えた配球を信条に、龍太朗の奪三振ショーを陰ながら演出した立役者である司だが、その口から出る辛辣な言葉は、日常の彼が持っているはずの子どもっぽい朗らかさを堅い頬袋の中に隠してしまっている。

「司の言葉は、ぶっ刺さってきよるな……」

 やれやれと頭を掻くばかりの龍太朗は、しばしの沈黙の後、既に暮れてしまった空に瞬く星を見上げ、呟くように続ける。

「俺な、でけへんって思われてることをできる限りひっくり返してみたいんや。ちっちゃい頃の俺に見せつけたるねん。『今の俺はここまでできるようになったぞ』って」

「決意みたいな感じ?」

「まあ、そんなとこやな」

 気を取り直した元相棒に、司の口元が微かに綻ぶ。

「龍太朗……。失敗して気落ちしないようにね」

「司ぁ、こういうときはホンマに容赦なしやの! あっ、そうや司。俺が球投げるときになんかクセとかってなかったか?」

「クセ? いや、気にしたこと無いなぁ。正直配球のことだけで手一杯だったし……」

「そうか、司は分からずやったか」

「ん、どうゆうこと」

「ああ、何でも無いんや。色々見直しておかんとなっていう話や。そろそろずらかるわ、邪魔したな」

 なんとなしにはぐらかしたつもりの龍太朗の背中に、司は「ああ、お疲れ」と間に合わせの挨拶をして、またストレッチに戻った。



「君がクセに気づこうとしなかったから、僕は君から離れようとしたんだ。気付けたなら仕方ない。実力で超えてやる。待ってろ龍太朗、必ず勝つ! 必ず打つ!」

 下り坂の先へ遠ざかる少年を、体を前へ折りながら見送る司の目には、既に沈み切った夕日が昇り直したような、挑戦への炎が揺らめいていた。




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