1−4: アップリフト効果
ダグラスは、トムとキャリーとともに自分のオフィスに戻った。
応接用のテーブルの右にあるソファーをトムとキャリーに勧め、自分は向いのソファーに腰を下した。
「実際のところ、確かに重度の知的障碍者を船長に起用するというのは疑問ではある」
そう言い、ダグラスは抱えていたフォルダを開いた。
「トムが言っていたように、基礎機能は健常者と変わらないとしてだ」
フォルダに挟まれた資料をめくりながら呟きとも質問ともつかない言葉を口にした。
「Aクラス記録者やHクラス記録者の、それも高度な訓練を受けた者ではいけない理由は?」
ダグラスは顔を上げ、トムとキャリーに目をやった。
「まずは私から」
トムがフォルダを開き、資料を何枚かめくり、そのままテーブルの上に置いた。
「先ほども言いましたように、厳密には重度の知的障碍者とは異なりますが。SAHテストでのSクラス記録者です。そのような対象の場合、なにより、アセンドできるデータの量が違います」
「それは健常者の方が多そうに思えるが」
「私たちもそう予想していました。実際、SAHテスト中位以上、おおむね健常者の方が全体としては多くのデータをアセンドできます」
「全体としては?」
トムが示すデータを眺めながらダグラスは訊ねた。
「えぇ。全体としては、です」
「ということは、基礎機能に関しては……」
「えぇ。基礎機能に関しては、むしろSクラス記録者の方が緻密なアセンドが可能です」
「ふむ」
ダグラスは自分のフォルダの中の資料をまためくった。
「ということは、船長というのは、他の乗組員の基礎機能をそれで補うという意味なのかな?」
その言葉を聞くと、トムはキャリーに顔を向けた。
「そのような補完を考えていますが。実際に船長に起用するのが妥当かと。というのも、補完されたアセンデッドの人格や高次機能の復元がまだ……」
「そうだろうね」
ダグラスはキャリーの説明にうなずいた。
「だが、必要ならそうしないわけにもいかないだろうな」
ダグラスは、また資料をめくった。
「このシミュレーションだと?」
「あくまでシミュレーションですが。SAHテスト中位、つまりAクラス記録者が対象の場合、およそ半数が元の人格や高次機能の復元には程遠く、またSAHテスト上位、つまりHクラス記録者が対象の場合、機能不全を起こすと考えられる場合も無視できない割合で存在すると考えられ」
「それはアップリフト効果を考慮に入れても?」
「アップリフト効果は……」
キャリーは自分のフォルダから資料を探し、トムのフォルダの上に広げた。
「アップリフト効果というのは、計算資源とデータベースへのアクセスによるもので。基礎機能や高次機能そのものの高性能化ではありませんので」
「それらを適切に使えなければアップリフト効果もたいして期待できないのか」
「はい。もちろん、アセンデッドの無意識の段階でのアクセスを可能にしたいですし、目途も立ってはいますが。アセンドそのものとは別のものと考えていただくのが」
「さっき機能不全と言ったが、それはどういう類いのものなのかな?」
ダグラスは自分のフォルダの資料をまためくった。
キャリーはフォルダを取り、トムにうなずいた。
「それはですね……」
トムはテーブルの上で資料をめくった。
「基礎機能によるデータ処理の結果と、高次機能におけるデータ処理の間の齟齬というか」
「大雑把に言えば、高次機能が期待するデータが来ないということかな?」
「えぇ。大雑把に言えば、だいたいそういうことです。アセンデッドの慣らしで解消できる可能性もありますが。慣らしに持っていく前に機能不全に陥る場合も考えられ」
「ふむ…… 想像でしかないが、少なくともアセンデッドは混乱するだろうな。その結果が機能不全か」
「えぇ。ですので基礎機能の補完は少なめに抑えるしかないかもしれません」
ダグラスは始めの方の資料に戻った。
「それで、SAHテストでSクラス記録者の対象を船長にというのは、どういう根拠なのかな?」
「先程も言いましたが、基礎機能のアセンドはそのような対象の方が緻密なものが可能です」
「うん」
ダグラスはうなずいた。
「高次機能についてはSクラス記録者はなんらかの阻害があるため、充分なアセンドができなくてもかまわないと考えています」
そう言うと、トムはキャリーを見た。
「そして、高次機能の阻害は、この方法の欠点ではなく利点だと考えています」
「つまり?」
「つまり、より円滑にアップリフト効果を引き出せる可能性があります。もちろん、シミュレーション上ではですが」
「アセンデッドのハイブリッドと考えていいのかな?」
「はい。いわば人間の基礎機能と、計算機による高次機能のハイブリッドです」
「そして、計算機には充分な知識、手順、データを積み込めると」
「えぇ。もちろん宇宙線などの影響はありますので、エントロピー隔絶フィールドを前提としてですが」
「宇宙船の保護の面からも、どっちにしろエントロピー隔絶フィールドは必要だからな」
「えぇ」
「そっちはそっちでずいぶん進んでいるようだから、まぁ、それはいいだろう」
ダグラスはフォルダを閉じて言った。
トムもテーブルからフォルダを取り、そして閉じた。
「ところで、ダグラス。さっきのはなにか手立てがあってのことですか?」
ダグラスはしばらく、フォルダを前後に振っていた。
「いや、ないな。ただ、あぁいう馬鹿と顔を合わせるのも飽きたってだけだな」
その言葉を聞くと、トムもキャリーも苦笑した。