1−2: 事務局長
系外惑星探査プロジェクトのクルー選考を担当するトム・ハーネルとキャリー・クランスは、プロジェクトの主任であるダグラス・アイゼルとともに、プロジェクトの事務局長であるネイサン・オブライエンを訪ねていた。三人とも、さして厚くはないフォルダを抱えていた。
オブライエンは、三人を応接用のソファーに座らせ、自身は窓を背にして、机の向こうで椅子に背を預けていた。
部屋の壁の一角にあるサイドボードの上には、系外惑星探査プロジェクトとは関係がありそうにないサーティフィケイトがいくつも並べられ、あるいはさらには壁に掛けてあった。
トムはダグラスの肩越しにそれらを眺めていたが、聴講のサーティフィケイトもあるのに気付いた。
「それで、クルーの選考なのですが、山村 優太郎君を船長にと考えています」
ダグラスの言葉を聞くと、オブライエンは机の上の資料に目をやり、すぐにダグラスに戻した。
「彼は重度の知的障碍があると資料に書いてあるが?」
「そこは、重度の知的障碍と言うのは正確ではなく、SAHテストでのSクラス記録者ですが」
「なにが違うのか教えて欲しいね」
オブライエンはトムをみつめた。
「ご存知と思いますが、上部委員会にいるドクター・ハワードらが考案したSAHテストは、IQテストの側面だけでなく、人格に関してのテストも含んでおり」
「そんなことは知っている。重度の知的障碍というのと、SAHテストでSクラスを記録したというのはどう違うのかね?」
トムはキャリーを見て、それからオブライエンに顔を戻した。
「ドクター・ハワードらによる著作で確認していただくのが確実だと思いますが」
オブライエンは鼻を鳴らした。
「それくらい読んでいるよ。まぁいい。話を戻そう。本気かね? 」
「どういうことですか?」
オブライエンは机の向こうで首を左右に振り、溜息をついた。
「ミスター・アイゼル、このプロジェクトにいくらかかっているかを知らないとは言わないな?」
オブライエンは胸ポケットから黒い金属軸のボールペンを取り、そのボールペンの先をオブライエンに向けた。
「それを、重度の知的障碍者を船長に? 君は正気かね?」
「それには基礎的な理由があります。ミスター・オブライエン」
「サー」
トムの言葉に、オブライエンは短く応えた。
「は?」
「サーだと言っている。何回言えばわかるのかね? いいかね? 君らはあくまで技術面の主任であり、その下位部門の担当であるにすぎない。対して、私はプロジェクト全体の責任者だ。それなりの敬意を期待してもいいはずだが?」
オブライエンはボールペンを、いくつものサーティフィケイトに向けた。
「はぁ…… それは…… そういう解釈もできるかもしれませんが」
トムはダグラスを見た。
ダグラスは苦笑いを浮かべながらうなづいた。
「わかりました。ミスター……」
「サー!」
オブライエンは語気を強めた。
「わかりました。サー・オブライエン」
「ふん」オブライエンは鼻を鳴らした。「それで、重度の知的障碍者を船長にする理由は?」
「えぇ…… まず、知覚のパレイドリア効果、ユングの元型、プロップのファンクションに代表される、人間の認知機能はSAHテストSクラス記録者であってもAクラス記録者、Hクラス記録者と同等です」
「ならば、より知的な人間を選考するべきではないかね?」
「それについては、先にお渡ししてある資料にもありますが。まず、アセンドの精度の問題があります。第二に、アセンドに付随するアップリフト効果の影響があります」
オブライエンは眉をひそめた。
「なんだね、それは?」
「資料は先にお送りしていますが……」
オブライエンは机の上のフォルダに目をやった。
「君ね、こんなつまらんものに一々目を通す暇があると思っているのかね? 私は忙しいんだ。資料を送ってくるなら、要点を的確に、端的に、完結に。以前からそう言っているね?」
「そうしたつもりですが……」
「君ね、」オブライエンはボールペンをトムに向けた。「こんな細かい数字や専門用語を、一般の人が理解できると思っているのかね?」
「それは、プレス相手の場合であれば……」
オブライエンは身を乗り出し、机に両肘を着いた。
「ならば、私をプレス相手だと思いたまえ。いいかね? 君たちとプロジェクトのことを思って言っているんだよ? 普段からそういう対応ができなくて、必要な時にできるのかね? 一般の人にこのプロジェクトを理解してもらい、賛同してもらうために注意しているのだよ? それはわかるね?」
「はぁ…… ですがミスター……」
「サー! 何回言わせるんだね!?」
「ですが、ミスター・オブライエン、内部での詳細な資料の確認は必要ではないかと」
オブライエンは勢いよく立ち上がると、右手を伸ばし、持ったボールペンをトムに、キャリーに、そしてダグラスに向けた。
「君たちのそういう態度には、まったくうんざりしているんだよ! 少しは敬意を払ったらどうかね!」
「まぁ、同感ですね」ダグラスも立ち上がって静かに応えた。「私たちも、あなたのそういう態度にはまったくうんざりしていますよ」
サイドボードへと向かい、いくつものサーティフケイトを見た。
「プロジェクト管理資格」 ダグラスはそのサーティフケイトが納められた額を手に取り、後に放り投げた。「役に立っていませんなぁ」
「昇任試験」ダグラスは、そのサーティフィケイトが納められた額を後に放り投げた。「いったいどういう試験なんでしょうなぁ」
「物理学コース聴講」ダグラスはまた額を手に取り、後に放り投げた。「役に立っていませんなぁ」
「量子力学コース聴講」ダグラスはまた額を後に放り投げた。「役に立っていませんなぁ」
「情報工学コース聴講」ダグラスはまた放り投げた。「“Hello World!” くらいは書けるんでしょうなぁ」
「ほぉ、XX大学卒業でいらっしゃる」そう言い、また放り投げた「ご立派ですなぁ」
「XX大学 大学院 修士 修了」そう言い、また放り投げた「たいしたものだ。お情けでなければですがね」
「あぁ、MBAもお持ちで」また放り投げた。「役に立っている様子はありませんなぁ」
「さて、ほかには……」ダグラスはサイドボードの上に残ったサーティフィケイトを眺めた。「これと言って、ないようですなぁ」
ダグラスは残りの額も、まとめて足元に落とした。
「どれもこれも役に立っていませんなぁ。学位記の一つでも飾ったらどうですか? ミスター・オブライエン。飾れるものならですが。いかがですか、ミスター・オブライエン?」
ダグラスはオブライエンに向き直り、言った。
「よかろう。君たちの解任動議を出しておこう」
「その場合、全員がここから移るでしょうな。プロジェクトは停止か、よくても遅延は避けられないでしょうなぁ」
ダグラスはトムとキャリーに向き直った。
「こちらで打ち合わせを済ませよう」
その言葉とともにトムとキャリーは立ち上がり、ダグラスを先頭にオブライエンの部屋を出た。




