4−2: 人格調整3
小さな会議室だった。テーブルにはミネラル.ウォーターのペットボトルが五つ置かれ、そこにダグラス・アイゼルは四人の老人を招いていた。
「ドクター・サミュエル・ハワード、ドクター・アラン・ソーン、ドクター・スティーヴン・マケンジー、ドクター・ナオミ・エドニー。来ていただき、ありがとうございます」
「堅苦しいのはなしにしようや。それより、お茶はないかな」
サミュエル.ハワードが応えた。
「失礼、ミネラル・ウォーターよりもお茶の方がよかったですか。お茶だとキャリーの方が詳しいかな」
ダグラスは席を立ち内線を取ると、キャリーに伝えた。
「いろいろな意味でうるさ方だからな」
そう付け加えて、ダグラスは内線を切った。
「そのうちに来ると思いますので」
「いや、まぁ好みだろうが。ミネラル・ウォーターじゃぁ味気ないじゃないか」
席に戻ったダグラスに、サミュエル・ハワード応えたた。
「私たちは、別段うるさ方ではないと思いますよ」
ナオミ・エドニーは笑みを浮かべながら、他の面々を見た。
「そうは言っても、議長に、SAHテストの方々ですからね。こっちは緊張もしますよ」
「ただのおいぼれだよ。脳細胞の数なんざ、若い連中の半分もあるかどうか。なぁ?」
スティーヴン・マケンジーは冗談めかして言い、他の三人の同意を求めた。他の三人は笑いながらうなずいた。
ダグラスはその反応に、苦笑で応えるしかなかった。
「そう固くなるなって。で、Aの扱いとのことだが」
アラン・ソーンはダグラスを見て言い、一同の笑いを鎮めた。
「えぇ。先日ご覧になった中継をどう思われますか? これはドクター・ソーンにお聞きするのが適当でしょうか?」
「アランでいいよ」
アランはそう応え、目の前のペットボトルを取ると、手の中で回した。
「そうだなぁ。話を後になって聞くなら、スティーヴンの話からの方がわかりやすいんじゃないかな?」
アランはペットボトルをスティーヴン・マケンジーに向けた。
「歴史的に系統立ててということなら、そうなるかもしれないな」
「ところで、お茶はまだかね?」
サミュエル・ハワードが割り込んだ。
「ドクター・ハワード、それはどういう反応を期待してのことですか?」
ダグラスは真顔で答えた。
「ボケとらんよ」
ダグラスを除く四人は笑った。
「サミュエルは、最近、そういうのがお気に入りなのよ」
ナオミ・エドニーは笑いを抑え、ダグラスに説明した。
「どこに行ってもお偉いさん扱いなのが気に入らないみたい」
「我に一式の計算機を与えよ。されば何をも計算してみせよう。なのに、触らせてもくれやしない。そうだろう、スティーヴン?」
「まったくだ。私はごく普通の計算機でちまちまやっているがね。あぁ、サミュエル、そういうつもりだったのか」
サミュエル・ハワードは笑みを浮かべた。
「だが、まぁ、順序立てて話そうか。歴史はパーセプトロンに遡る。最初のStochastic Machine、統計器だな。それから隠れマルコフ・モデルとニューラル・ネットワークが現われる。n−gramもだな。それらが、確率が知性の一端を描き得ることを示した。さらには深層学習、言うなら全体としてはより大規模なニューラル・ネットワークだが、その段階になって人工知能は大きく進歩した」
スティーヴィン・マケンジーは、そこで一旦言葉を切り、ダグラスを見た。
「隠れマルコフ・モデルにおいて、それは既に現われていたのだが、他のものの場合、ニューロンの計算を逐一行なっていた。もちろん大規模だろうとそうでなかろうと並列計算機であれば、一つのプロセッサを一つのニューロンに割り当てるなどという無駄はしていなかったがね。この先はすこしサミュエルに任せた方がいいだろう」
「ところで、お茶はまだかね?」
サミュエル・ハワードはまたその言葉を言い、ダグラスを見た。
「二回めなんだ、笑ってもいいと思うが。まぁいい。きっかけは、チョムスキーの言語獲得装置、LADなんだろうな。それまで、脳は空白の石版と考えられていた。乳幼児は、なにもかもを周囲の観察と反応から学習していると考えられていた。だが、チョムスキーはそれに一石を投じた。あとは、技術の進歩とともに、脳は空白の石版ではないことが明らかになった。低次機能においても高次機能においてもな。つまり、低次機能においても高次機能においても、どのように神経細胞が配線されるかはDNAにエンコードされているわけだ。ここで問題が持ち上がる。自分で歩き周れないようにした子猫の実験は知っているかな?」
サミュエル.ハワードはダグラスに訊ねた。
「回転カゴに入れた子猫の、低次視覚野の話ですか?」
「そう、それだ。周囲の縦棒だったか、横棒だったかは忘れたが。その環境だと、どっちだったかを認識する機能が構築されなかった。では、どこまで機能はエンコードされているのか? どこまで空白の石版ではないのか? だが、低次視覚野にはカラム構造が存在し、最も低次においては、それらが様々な角度の線や曲線を認識する。通常の環境で育った子猫はな。では問題を出そう。回転カゴに入れられた子猫の場合、認識できない傾きの線を認識するはずのカラム構造は存在したのか、しなかったのか?」
サミュエル・ハワードはダグラスに問いかけた。




