3−2: 人格調整1
ダグラスはトムの居室の前に立つと、ノックをした。
「はい、どうぞ」
トムの声が返ってきた。
ダグラスはドアを開け、フォルダを掲げ挨拶を返した。
「それで、メールしといたとおりAクラスの人格調整についてなんだが」
その声を聞きながら、トムは応接セットに手を向け、椅子から立った。
ダグラスはうなずき、ソファーに座った。
トムはエスプレッソ・マシンにコーヒーカップを置き、コーヒー豆をタッピングするとハンドルを回し、抽出のスイッチを入れた。
「それじゃぁ、キャリーも呼びましょう」
「いや、電話を入れたから、もう来ると思うが」
「そうですか。あ、ダグラスはカプチーノのでよかったんですよね?」
トムは一旦机に戻ると書類を避けてフォルダを手に取り、応接テーブルにフォルダを置いた。
エスプレッソ・マシンに戻ると別のコーヒーカップを置き、コーヒー豆をタッピングし、ハンドルを回すとスイッチを入れた。冷蔵庫からミルクを取り出し、二杯のマグカップに注いだ。
「なんかこういう時間は手持ちぶさたですね」
エスプレッソ・マシンが抽出する音を聞きながらトムは言った。
「そういう時間もかまわんさ。話すことをまとめているんだろうしな。とは言え、普通のコーヒーサーバじゃだめなのか?」
ダグラスが訊ねた。
「私が話すことは、さしてありませんけど。こっちの方が好きっていうくらいですよ」
抽出が終ると、トムはミルクが入ったマグカップを持ち、エスプレッソ・マシンのスチームのスイッチを入れ、ミルクを泡立てた。まず一杯、そして二杯。それを二杯のコーヒーカップに注いだ。
二杯のコーヒーカップをテーブルに置いた時、ノックの音がした。
「入って。カプチーノ淹れたから」
ドアが開き、キャリーが入ってきた。
「あら、そう。エスプレッソはちょっと苦手だけど、カプチーノなら。あなた、普通のコーヒーサーバを買いなさいよ」
キャリーはフォルダを抱えたままソファーに座った。
もう一回、トムは今度はデミタスを置き、コーヒー豆をタッピングすると、ハンドルをセットして抽出のスイッチを入れた。
「こっちの方が好きなんだよ。コーヒーだっていう感じがしてさ。クリーム状くらいになるのもあるらしいけど」
一回笑ってからトムが答えた。
「その濃さが苦手なのよね」
キャリーは一口飲んだ。
「カプチーノなら、まだ飲めるけど」
トムは抽出が終ったコーヒー豆のハンドルを取り外し、横にあるコップに立て掛けた。カップを手に取り、トムはソファーに向かった。
「で、人格調整ですが」
「うん」
ダグラスは一口つけたカップをテーブルに置いた。
「ウィリアムが気にしていてね」
トムとキャリーはおのおののフォルダを開いた。
「それぞれでシミュレーションを組んでみたんですが。性善説を取るなら、不要だと思います」
トムはフォルダをテーブルに置き、結果を指差した。
「トムが言っている性善説っていうのは、楽観的なだけなのよ」
キャリーもフォルダをテーブルに起き、結果を指差した。
「ウィリアムの懸念は妥当だと思いますよ。世論の動きのモデルから考えると、正のフィードバックがかかってカタストロフィー曲線に足を踏み込めば、ある一点を超えるとドカン」
キャリーは両手を広げた。
「宇宙船としては機能不全に陥ります」
「そうなると、人格調整は必要かなぁ」ダグラスが呟いた。「だが、方法となると……」
キャリーは資料をめくった。
「アセンデッドは統計モデル、あるいはエージェントですので、ブレーク・ポイントや一旦サンド・ボックスでの計算を行なうことで、宇宙船内での思想検査は不可能ではありませんし」
キャリーはもう一口カプチーノを飲んだ。
「あるいは、船長に従うことの重みを強めることも可能だと思います」
「いや、だからそこは……」トムはエスプレッソを一舐めして言った。「あくまで人格なんだから。そういう処置を行なうのはどうかと思うんだが」
トムとキャリーはダグラスを見た。
ダグラスは何枚か資料をめくった。
「宇宙船という小規模の社会。目的ははっきりしている。目的を果たせないようだと困る。だが、人格を監視したり調整したりというのは、やはり問題かもしれんな」
ダグラスはカップを取り、ソファーに背を預けた。
「このあたりに関係すると思うが。船長候補についてはどう考えている? 船長の場合、ハイブリッドだろう? これらとは比較できないような処置になると思うが。それとオブライエンが優太郎君に会ってみたいそうだ」
「それは……」
キャリーが言い淀んだ。
「それは、なにをもって人格とみなすかによるかと思います」
トムが言葉を引き継いだ。エスプレッソを一舐めして、トムは続けた。
「基礎機能は人格なのか。ユングの元型やプロップのファンクションというのは、ユングの言う集合的無意識の領分だと思います」
「ふむ」
ダグラスは一口飲み、先をうながした。
「ユングの時代、脳は空白の石版だと考えられていました。ならば、あの時代にはそのような書き方をするしかなかったでしょう。ですが、脳は空白の石版ではないことははっきりしています。つまり、集合的無意識とはここで言っている基礎機能であり、誰の脳であれ共通している機能であると、ユングが現代に生きていたら言うでしょう」
ダグラスはうなずき、そして先をうながした。
「ですから、船長については、ハイブリッドとしての人格を船長自身が形成するものと考えています。その人格は、基礎機能の提供者の人格でもなく、データベースの人格でもありえない。ですから、まさにハイブリッドなんです。ハイブリッドとしての固有の人格を持ちます」
「そこに調整は入らない?」
「調整は入るでしょう。ですが、今話しているような意味での調整ではありません」
トムはキャリーを見た。
「船長の人格は、コーパスからの、そして私たちとの対話からの学習によって形成されるよう考えています」
「子育てだな」
ダグラスが呟いた。
「そうだと言えば、そうでしょう。ですから、船長の人格は、船長の固有の人格と言えると考えています。そういう意味で会いたいと言っているなら、現在の優太郎君にオブライエンが会っても意味があるのかは疑問ですね」
「それに対し、」トムが続けた。「他の乗組員の場合、既に形成されている人格をアセンドします。ここに手を加えたり、制限を課すというのは……」
「人格か…… オブライエンが優太郎君に会うのは止められないだろうなぁ」
ダグラスはコーヒーを仰ぎ、そして天井を仰いだ。
「おそらく、なんらかの制限を課することになると思うが。制限を課することに関しての弁明は、なにか用意できるかな?」
「正直、難しいでしょうね」
トムもエスプレッソを仰いだ。
「私も、難しいと思います」
キャリーはカップを両手で包み、答えた。
「それは俺の仕事か。嫌な役回りかもなぁ」
ダグラスは天井を見ながら、そう呟いた。