私たちの住む世界の神とそれに対する考察 Ⅰ
これから述べる事は、私の目を通して見た事実であり、また、考え方であって真実ではない。ある者は興味を持つかもしれないが、ある者は「何を戯言を」と鼻で笑い飛ばすかもしれない。いや、むしろそちらの意見の方が圧倒的に多いだろう。
だが、私は自身の学者としての意地をこの文面で示したい。どうか、少しでも多くの方の共感を得られることを祈っている。
さて、私たちの住む世界には5つの「神」が存在する。
火や戦を司る太陽の神「太陽神」
海やそれらに通ずる水を司る神「海王神」
土や豊穣を司る神「大地神」
夜や人の生死を司る月の神「月神」
そして、それらを束ねる私たちのいるこの世界を創造したという「創造神」
また、私たちはその神々の名前を知らない。
一説には、神の名を言いふらすなど不敬であるとする考えからともあるが。これでは、信仰心というのは薄れていってもおかしくはない。
しかし、我々は普段から熱心にそれらの神々に祈りを捧げている。
それはなぜか、簡単である。血筋が存在するからだ。
太陽神の末裔と言われている「ジョズ家」
海王神の末裔と言われている「カセレス家」
大地神の末裔と言われている「マー家」
月神の末裔と言われている「モリス家」
これらはまとめて「初まりの御四家」と呼ばれる。
今現在ではそれぞれが巨大な国家であり、世界的な権力があることは、約50カ国以上が参加する、4年に一度の世界会議を見ればすぐにわかる。
彼らは4年に一度の周期で順番に世界のリーダーを交代する。
太陽神の末裔、ジョズ家がリーダーの時は「太陽暦」となり、神代行と呼ばれる。ちなみに歴の前につく数字はそのまま引き継がれる。
ここまでは皆が皆知っていることだ。
しかし、彼らの仲が非常に悪いことは知っているだろうか。
世界会議の中身とは簡単に言えば代行の承認となる。
代行になるという事は掻い摘んで言えば、世界を牛耳るということであり、普通なら少しでも長く、多く世界を自分の思うがままにしたいという感情が働くであろう。
しかし、次の代行が現れた時の最初の仕事は検査であり、前の代行が善からぬ事をしていればそれを告発する。
そのため、神代行になったとしてもあまり好き勝手にはできないのであって、また、承認されるための味方として御四家以外の小国と手を結んでいる。
1500年という長い年月の中、今までスムーズに承認がなされているのは、それぞれが手を結んでいる小国の数がほぼ互角だからであり、神代行と他の御四家の権力等が拮抗しているからである。
故に彼らは上記のような仲であり、なんとか世界の均衡が保たれている状況である。
では、ここで疑問に思うことはないだろうか。
神の血筋として存在する彼らの他にもう一つ神があることを。
そう、創造神の存在である。
創造神はどこへいったというのか。
どの宗派の教会でも、創造神こそ最大の神であり、この世界ではないどこか別の次元で他の神々を見守っているとしている。
だが、現実的に考えると、神代行を務める御四家の人々は神ではない。
聞いた話によるとジョズ家の子孫は火を操れるとも聞く、しかし、実際に子孫を残し、食べて寝てを繰り返す人である。そう仮定した時に、本来なら創造神の末裔と呼ばれる人間が存在しても良いということになり、今でもこの世界のどこかにいるのではないかという結論もあってもいいのではないだろうか。
また、考古学の観点から、実際には明かされていない、美術館には決して展示されない1500年以上前に存在したと考えられる「オーパーツ」と呼ばれる物がある。
そのオーパーツの一部には「模様」が存在する。
その存在を知る人々は石版や木、紙のようなものに書かれたそれを、神が文字を教える前に描かれた「模様」として決めつけている。
しかし、私が見る限りそれはどうも法則のようなもので精密に仕上げられており、模様とは断定していいのか疑問に思うところである。
小さい頃、教会等で「創造神が世界を構築し、御四家の先祖である神がそれを助けた」とは誰もが耳が痛くなる程聞いた言葉であると思う。
しかし、神が文字を教える前の模様という事は、それ以前に人が存在していた可能性があり、創造神が世界を造りだす前に世界は存在していたのではないだろうか。
まとめとして、これらの証拠や仮定から、考古学という分野に、神というものに対してIFを投げ続けていく所存である。
もう一度言うが、これは、私が自身の目を通して見た事実であり、考えかたであって真実ではない。
大いに笑っていただいて構わないが、少しでも興味を持った方がいたのならば、私と共に考古学という分野の発展に尽力してはいただけないだろうか。