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1-2

宵からの風は西。波は穏やかで、帆は風を受け張っている。

緩やかな波に乗せられて小一時間ほど眠りこけていた女は、支えを失った頭がどうにか地面につく寸前で目を覚ました。

うどんだ目を擦り、涎をふき取ると、なにやら奥の方から人の争う声が聞こえてくる。

全く面倒な事この上ない。大方賭け事が元の諍いだろう。あと数刻も惰眠を貪っていれば、のされた相手は押し黙り、

のした相手が調子に乗る。ここはそういう船のなのだ。

結論付けて女はため息をつき、眉を顰めて目を閉じた。しかし。

「てめぇ、どういう了見だ?!ここぁ俺達が陣取った場所だ!」

ふむ。と女は聞き耳をたてて呟いた。陣取りか。

この状況で陣を取っておかないとそういう事になる。

いちゃもんをつけた方も、付けられたほうも気の毒だが、一々そんなものに関わっていたら命が幾つあっても足りない。

聞き耳をずらす様に、寝相を変えた。その時だった。


「も、もうええよ・・・。右京はん。やっぱ悪いし・・・。」


弱弱しい女の声が、小さく響く。顰めていた眉をそのままに、寝ていた女は体を起こす。

そして声の主に目を向けた。


明りの中で、ぼんやりと浮かぶのは市女笠に被衣姿の清楚な女と、彼女を守るように手を添える直垂姿の侍だった。

「御方は、巫女神の勅命受けし巫女殿である。早々に場所を空けられよ。」

侍の強く通る声に気圧されもせず、男は声を荒げて侍に詰め寄った。

「あぁ?!巫女だか、和歌だかしらねぇがよ!後からきといて場所をあけろたァ、神さんでも聞けねぇ冗談だ!」

「あけてほしけりゃ、金を出すか見合う物を出すのが道理だろうが!」

そうだそうだ、と盛り上がる場は異様な熱気に包まれ始めた。

暗闇で暇を潰す苦痛に比べれば、殴り合いでもしていたほうがおもしろかろう。

尚且つ相手は、おおよそ己とは関わるところの無い侍である。身なりもいい。

暇つぶしには格好の玩具である。周囲の声が緩やかに、狂気じみたものへとかわってゆく。

罵声と喧騒の中、侍はゆっくりと腰をかがめた。柄に手を当て、小さく呟く。「下衆どもが・・・・!」

男達の気配が即座に殺気へと上り詰める。その刹那。


「やぁやぁ、そこに居ったのか。いくら探しても見当たらんので、乗り遅れたかと思ったぞ。」


場に似つかわしくない、実にのんびりとした女の声がかかった。

男達の向かれた目が一斉に声の主へ注がれる。

山積みの荷物の間からへらへらと笑いながら手を振る、赤い鎧姿の女がそこに居た。

「なんだぁ?てめぇも仲間か!」

男の罵声が、彼女にかかる。

「さて、仲間であってそうでもない。他人のようで知り合いでもある。」

そう嘯きながら、荷物の端に足をかけ、さらりと広場へ飛び降りた。

赤い。男達の目に入ったものは、その見事な真紅の鎧である。

流れる黒い髪はそのまま、肩当も鮮やかな朱に染められその数は三重。

胸を隠す胸当ては首から滑らかな曲線を辿り、腹の中ほどで止まっている。

むき出しの腹をたどり、腰を見れば赤地に金の桜をあしらった、大和の錦衣。

腰を三十の帯で締め上げ、其処から下がる漆輝く黒鞘の太刀。

赤い脛当てから足元は、踵が少し高くなっている。


男は舐目あげるよう、女をじっくりと見定めた。

「ははぁ。てめぇ御前か。」

男の揶揄を受け取って、女剣士は、如何にも、と小さく呟いた。

かつてこの傭兵国家大和にあって、女性の身でありながら武勲を立てた女武者が居た。

名を巴御前。いつからかその武勲にあやかって、皆が御前を名乗り始めた。

故に、大和出身の女性剣士を何時からか総じて「御前」と呼ぶようになったのである。

しかし。女を見ていた男はほくそえむ。

この女丈夫。自信だけは一人前のようだが、何分体がどうも細い。

腰に巻いた錦衣は中々の業物であろうけれど、腰にさした刀も飾り気が無い。

そうしてどこか、野暮ったい。

全く、と男は皮肉に顔を歪ませて女を毒づいた。


「クソみてぇな女が二人も月三日に乗ってやがる。よっぽど浮世が辛ぇんだなぁ。その腰刀も飾りかぃ?」

男の言葉に、ならず者達が一斉に笑う。ガラガラと割れる様な嘲笑の中、女は怒ることもなくただ微笑んで彼らに言った。

「いや、そう思っててくれて構わんさ。女だと思って舐めてもらって丁度いい。」

実に深くて低い声。

しかし、その声は良く通り、辺りを静まらせるには十分な奥ゆかしさを持っていた。

男どもは押し黙った。やがて静寂に飲まれた熱狂も、失せて消えてしまっている。

女は失礼、と目の前の男の前を通り、既に鯉口を切っていた侍の手に自分の手を沿え、刀を収めさせた。

震えて戸惑う市女笠を気遣い、巫女の肩に手をかけ、己の特等席へと案内する。

荷物の間に、巫女の姿が消える前、女剣士の背中に男の罵倒が吐きつけられた。

「けっ。三日間眠らねぇように気をつけとけよう!」

男の声を聞きつけて、女剣士は笑って言った。

「首を洗って待っておく。」


「ふぅ!」

と女剣士は息を吐き、幾分か狭くなった己の特等席へ腰をすえた。

少し向こうに、市女笠が小さな肩を震わせながら座っている。

それを守るように座し、いまだ厳しい表情でこちらを睨む侍に、やわく冗談を織り交ぜながら説教をする。

「全く。あいつらの言うとおりだ。あんた等天上人(役人の事)にゃぁ縁のねぇ世界かもしれねぇが、

ならず者にゃぁならずもののルールって奴がある。それを守らねぇ奴は何をされても文句はいえねぇよ。」

女の言葉に、侍は苦々しい顔をして答えた。

「お上の定めた法は、大和にあまねく全ての民人の法である。罪人の法に従う道理は御座らん。」

侍の答えに、女は頭を掻いて顔を歪ませた。

「だからってなぁ。あんなところで喧嘩おっぱじめちまったら、そこの娘さんが危ない目に合うんだぜぇ?」

「見たところ、どこぞの巫女さんだ。武器は恐らくもってねぇだろうし、人質に取られたら一巻の終わりじゃあねぇか。」

言葉を聞いて侍は眉をぐっと眉間によせた。引き締めた口はどうあっても自分の非を認めたくはないらしい。

全く、コレだから役人ってやつぁ、と女剣士は腹で唸った。

これ以上何を言っても始まらない。女剣士はそう考えて、積荷を背もたれに懐から煙管を取り出した。

火打石をかちりと鳴らして、煙管の中の草をいぶす。

ほろ苦い紫煙を思いっきり肺の奥まで吸い込むと、苦い気分も幾分かましになってくる。


すると。

「あのぅ・・・。」

清楚な女の声がかかった。

先ほどの巫女であろう。今は市女笠を外し、ゆるいランプの明かりの中に、その風貌を覗かせている。

薄い茶色の髪が美しい、清楚な女であった。髪は肩ほどで切り揃えられ、その全てが川の流れのように緩やかに弧を描いている。

その柔らかい光の中で、巫女はすまなそうに女剣士を伺い見た。

慣れぬ環境に怯えてはいるがに、自分と同じ女性である剣士に幾分か緊張もほぐれているようだ。

「さっきはほんまに有難う御座いました。私達、ああいう場所慣れてへんから。ほんま助かりました。おおきに。」

そういって頭を深々と下げる。女剣士はこういった作法に慣れていない。慌ててだらけた胡坐をただし、背を伸ばして一礼した。

「いや、礼には及ばん。武士として当然の事をしたまでさ。」

それに、と女剣士は付け加えてほくそ笑んだ。

「この中にいる女といえば、私と御仁だけだろう。他は先走り汁甚だしい猿ばっかりだ、危なかしくっていけねえ。」

なぁ?と巫女に笑いかけると、丸く澄んだ目をくるくるさせて、ついには口元を押さえころころと笑い始めた。

侍といえば、女剣士の品のない冗談に、一瞬眉をしかめたのであるが、自分の守る巫女殿はその女剣士が甚く気に入ってしまったらしい。

笑いあう二人を交互に見返し、ついには憮然と背を荷物に預け、刀を抱えて臍を曲げた。

小さく、全く下品な侍もあったものだ、と呟いたが、女達の耳には届いていないだろう。


嗚呼、可笑しい、と巫女は一息ついて、自然な笑顔を御前に投げた。

「お初にお目にかかります。京の下加茂神社にて巫女見習いをしとります。素子いいます。よろしゅう。」

素子、と名乗ったその巫女は、三つ指をついて丁寧に女剣士に頭を下げた。

顔を上げた素子は笑顔のまま、未だ眉間の皺がとれぬ侍を女剣士に紹介する。

「こちらが右京はん。私の護衛をしてくれはっとります。右京はんも、さ。」

素子に施され、しぶしぶながら右京も小さく頭を下げた。

彼の礼を受け取って、今度は女剣士が頭を下げる。

「名乗りが遅れて申し訳ない。名は天神樹。樹御前と申す。」

樹の紹介を受けた素子は何を思ったか、ほう、と胸を撫で下ろした。

安心をそのまま頬に滲ませ、人懐っこい笑顔を樹に向ける。

「ああ、安心した。こんな船に、女の人が、それも同じくらいの年の人が乗ってはる。私、絶対一人やおもてましてん。よかったわぁ」

巫女の綻んだ表情を見ながら、樹はひっそりと微笑んだ。

身なりからして武器など持たぬ、また戒律によって持てぬ巫女だとはわかっていた。

そしてまだうら若い乙女である。このような船の穴倉の底で、知るものもおらぬその不安はいかばかりだろう。

ふと、それは自分も同じである、と樹は思い直す。不安と後悔を抱えて、この穴倉に身を潜めたのは自分も同じではなかったか。

あるいは、救われたのは自分の方ではないか。鬱屈した船底でこのような笑顔を見れるのならば、はて船旅も悪くはなかろうと思うのだ。


妙な気恥ずかしさをごまかして、笑顔で樹は素子に問うた。

「それで、巫女殿がこんな穴倉に何の用だ。こんな可愛らしい巫女さんが国を出るんじゃ、大和も終わりが近ぇかな」

大和も終わり、の言葉を聞いた二人の間に、不意に妙な空気が流れる。素子は罰も悪そうに目を伏せて、右京は厳しい目をして樹を見据えた。

場の空気が変わった事は流石の樹も肌で感じた。

元来人の感情には鈍い性質である彼女であったが、冗談であった己の言葉が場を悪くした事には気づいたようだ。

何がそれかはわからぬまま、いや、こりゃ悪い事を、と言いかけたとき、笑顔を作った素子が言う。

「いや、私な、とある宝物を探してますねん。なんか知らんけど、私にしか見つけられへんものやって・・・それで・・・」

努めて明るく素子は言う。だが、何かしら言いよどむ所があり、その言葉じりはだんだんと小さくなってゆく。

「全く、女武者とはこれだから性質が悪い。」

いらだった声は右京のものだ。今にも切りかからんばかりの殺気を込めた目で樹を見据え言葉をつなぐ。

「他の者の心情もわきまえず、己の分もわきまえず、ただただ己の欲求のみに従って行動する。その欲求が他者を如何ほど傷つけているか知りようもない。」

右京はん、と諌める素子の声も聞かず、右京の言葉は続けられる。

「思い上がるな。侍の本分は武勲をたてる事ではない。仕えるべき主を持ち、信念をもち、それに殉じて初めて武士となるのだ。」

「右京はん!」

一際強い素子の声が、とうとう右京の言葉を止めた。

素子の怒りの目を一瞥し、言い足りぬ口をつぐんだ。彼女から目をそらし、煮える腹を隠してそっぽを向いた右京の、一畳遠くから声がかかる。

「全くだ」

声を聞いて右京と素子は、樹をみた。

赤い鎧に似つかない、やけに沈んだ、自嘲しきった声色であった。

「全くだ」

次にはそれに、侮蔑を含んだ笑い声が混じった。

「全く、あんたの言うとおりだ」

沈んだ顔が、暗闇とランプの明かりに混じって見えにくい。

あれほど健やかだった樹の笑顔が、確かにこちらを向いて微笑んでるはずの樹の笑顔がどこかしら裏寂しいものに塗れて見えにくくなってしまっている。


そして静かな闇が戻ってきた。

その闇は恐らく外界で逆巻いている波の音を響かせた。遠くで素子達に言いがかりをつけてきた男達の寝息が聞こえてくる。

ふう、と深い素子の悲しげなため息を受け取って、右京は譲らないまでも樹に声をかける。

「貴様こそ、この月三日に何の用だ。お上の認めぬ海外渡航は死罪であるぞ」

右京の言葉を聞いて、少し乾いた樹の笑い声が響いた。

「武勲を立てて帰りゃ、英雄だ。」

ふん、と鼻を鳴らした右京のいらだった顔を少し楽しんで、樹は言った。

「親父を、探してるんだ。」


また辺りが静かになった。

右京の、譲らぬ瞳からはもう怒りの色が消えている。

素子もまた神妙な顔で樹の人を食ったような笑い顔を見つめている。

やがてその笑顔のまんま、樹は素子に「煙草いいかい?」と訪ねてきた。

先ほど煙管の中で燻された煙草は、黒い消し炭になって彼女の手のひらに乗っている。

かける言葉もない彼女は、手の平を差し出して承諾とする。樹もまた手のひらで感謝をし、無礼を詫びた。

暗闇のそばで、樹の火打石がカチリカチリと音を立てる。やがてぱっと散った火の粉の奥から柔らかい紫煙が揺らめきたった。

煙管から燻された煙がふわりと素子の鼻腔をくすぐる。それに気づかされたように、素子は、あの、と遠慮がちに樹に声をかけた。


「見つかると・・・、ええねぇ」

「そうだなぁ」


柔らかい樹の声がゆらりと闇に溶けていく。その声が余りにも柔らかくて弱弱しくあって、素子はなぜか安心した。

ああ、この女丈夫も結局は人の子であるのだと、その確信を強くした。

「貴兄らも、早いとこ見つかるといいな」

言葉を受けて、素子は微笑んだ。そして右京も樹に答える。

「御武運をお祈りする」

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