樹御前 見参!
此処ではない何処か。
今ではない何時か。
余りにも現実であってそうではない世界。
今からその世界に生きる、7人の女性の話をしよう。
彼女達には探し物がある。
あるものは生き別れた父親を探し、あるものは盗まれた秘宝を探している。
奪われた体を求めるもの、竜の秘薬を求めるもの―――。
そう。彼女達は戦っている。失われた大切なものを取り戻すためこの世界を駆け回っている。
彼女達「それぞれの探し物」を求めて、物語は此処から始まるのだ
「序文」
樹御前
髪は黒金 肌は白玉
目に一寸の侍の魂
肩に下がった袖は三重
漆輝く漆黒の冠、九十九おったる色は紅
隆々はったる乳房を覆う、紅蓮の胸当て
その下は艶やかなりし 女性の腹。
涼やかなる腰の縊れもそのままよ、巻いた錦に風踊る。
腰を覆った、粋な衣は赤地に金の散る桜。
ばらりと反れたる衣のすそに、凛と伸びたる両足二つ、踵の高い長靴具足。膝を覆って肌となる。
高い日にきらりと光るは腰につるした、名も無き刀。
つばに印した、匠の名前は「無名」とある。
黒き漆の輝きのまま、あな颯爽と空を切る。
女の名は樹。
樹御前と覚えたり。
舌の先に港の夜風が絡みつく。
冷えた舌を引っ込ませて、存外塩っ辛いもんだと女は一人ごちた。
辺りは漆黒。点々とした明かりは今にも消えいりそうなほど頼りなく、
辺りを照らす力はない。
月は南中に、ぽっかりと白い穴を開けているのだが、そこから差し込む光も
夜の海の深さに紛れ消えてゆく。
辺りには荷積みを急く人足のくぐもった声と、打ち消すように寄せて帰る
鈴の音にも似た波の音。
刻は子の刻ばかりだろうか―――。
匂う襤褸切れを頭から被った、その女は空を見た。
天空高くそびえる月のその下には、船があった。
暗闇からぬるりと顔を出す、その巨大な船は
松明の明かりに照らされてか、より一層不気味に見えた。
錆びた朱を塗りつけたような船体から、時折人の悲鳴のような声が聞こえてくる。
風に煽られて、船はその歯軋りを大きくした。
耳に残る不快な音の所為か、はたまた夜の港の粘着質な潮風に当てられたか、
女の肌が軽くあわ立つ。
冷たい空気に背中の筋を撫でられて女はぶるりと体を振った。
伸び上がった背中が、余りに滑稽に思えて女はうっすら微笑んだ。
そうしながら襤褸切れの端を強く掴む。
妙な覚悟と感慨が一緒に胸のうちに流れ込んだ。
腹に何かが座った気がして、女は足を前に出す。
世界有数の傭兵国家「大和」の国からの出国は容易ではない。
自国の文化と工芸品を最も重んじるこの国は、他国との交流を頑なに拒んでいる。
それでも今日は三日。南蛮船からは様々な物資が次々と運び出されていた。
あと一刻もすれば、次はこの国からの輸出品を小さな船に詰め込み、大帝国の華国へ船は流れていく。
その腹に沢山の密入国者を潜ませながら。
赤黒い、この魔物のような船は「月三日の南蛮船」と呼ばれている。
毎月、一日、三日 五日、十日、二十日にこの国の要所の港に船が着く。
その中でも、この月三日の南蛮船は、密入国者、密売等の犯罪に深く関わっている。
表向き、阿片だの、華国マフィアの密入国など奨励している訳ではないが、役人達も袖の下から差し出される色物にはとんと目がないようだ。
その甲斐あってか、出国を固く禁じられているはずのこの国においても、海外渡航は意外と簡単なのである。
ただし、ならず者どもが所狭しと占拠している南蛮船の腹の底で。
華国に着くまで約三日。
生き残れればの話しであるが。
「33番積荷。前へ。」
役人の声が低くあたりに木霊する。
すると丁度、女の隣にあって女の姿を隠すように積まれていた山のような荷物が
ずいずいと前へ進みだした。
よくよくその影をみれば手拭を頭に被った人足が一人。
膨れた腕と肩を使って積荷を桟橋へ押し上げている。
荷物積みのこの人足にはあらかじめ口止め金として10両を渡している。
人足へ口利きした情報屋にまた10両。それから役人に渡す袖の下として20両。
口外無用の証として金細工のくちなしの花は恐らく5両はくだるまい。
しめて45両の大金では在るが、出国に必要な様々な審査に比べれば安いものである。
資格審査に筆記試験、身体検査に、役人の許可。
それぞれ結果が出るまで約半年。それで許可が下りないことのほうが多いのだから、
こういった商売が横行するのも頷ける話である。
寂しくなった懐を思い、隣で踏ん張る人足の顔を盗み見た。
船を照らす明かりが男の横顔にも影を落としていて、力む男を物凄まじく見せる。
目の端でそれを追っていると、人足の暗い目の玉がぎょろりとこちらへ向けられた。
思わず身をすくめて、所在無げに目を泳がす。
さ迷った視線の行く先は、暗く不気味な南蛮船――
ぎしり、と砂を踏む音がした。
果たしてそれが砂の音だったのか、軋む船底であったのかは定かでない。
足元も掌も見えぬ暗闇の真っ只中に女は居る。
はて、これほどとは、と女は頭をかかえて唸った。
暗闇においてはじめに女の五感を刺激したのは、嗅覚である。
何やらが腐ったような、湿った埃のような匂いが辺りに充満していて、
臭気の所為か目も満足に開けていられない。
其の上、航海船舶特有の潮の生臭さが染み付いており、なんともいえない空気を形作っている。
鼻をつく異臭は、一瞬彼女の鼻腔を刺激して、次には麻痺させた。
何かが喉を通り抜けそうになったが、慌ててそれを引っ込めた。
二度、咳払いをするうちに体がようようと匂いに慣れてきた。
自分の順応性の早さに半ば、感心しながらも女は見えぬ暗闇を手探りで迷う。
段々と目も慣れてゆき、おぼろげながら物の形は見え始めた。
よくよく辺りを見回すと、そこかしこに小さな明かりが灯っている。
先に乗り込んだ者達が灯した明かりだろう。
それを見止めた女の頬に、薄っすらと安堵の笑みが浮かび上がる。
が。
積荷口から響いてきた大音響は、船全体を揺るがした。
足場を取られてよろけた瞬間、見えていた火がふっと消える。
どうやら大型の荷物が積まれたらしい。
安堵の灯火を失って、再びおぼつかなくなった手を暗闇に這わしていると、
ぐいと何かを踏んだ気がした。
どうやら人だったらしいそれは、苦痛の声をあげて女を叱り付ける。
相済まぬ、と断って女は狭い積荷の間を這ってゆく。
やっとこさ隙間を抜け出でた彼女の顔に、べったりと染み付いたのは、年季の入った蜘蛛の巣である。
それを掻き分け、巻き取りながら奥に進む。
入り口が遠くなるに連れ、辺りが目が舞うほどの暗さに包まれていく。
何があったか、解ったもんじゃない。
顔を卑屈に歪ませながら、常備している舶来物のランプに火をつけた。
明かりのもとに浮かび上がったのは、絶壁のような積荷の山。
その隙間隙間に小さな明かりが灯されて、一癖二癖ありそうな輩が賭け事に興じ始めている。
中々物騒なところである、と腹の底で唸った後、彼女は腰を落ち着ける場所を探し、あたりをずらりと見渡した。
よくよく明かりに照らしてみると、人が2~3人座れそうな3畳ほどの隙間があった。
ぬめりも匂いも少ないようで、彼女は喜び勇んでその特等席へ這い進む。
積荷の山を登り、隙間を抜け、たどり着いた安住の地。
先客は鼠の親子であったが、慣れぬ光に気圧されて早々に退散をしたようだ。
埃の積もった床を撫で上げ、満足げに尻を据えた。
もう二度と動かんといわんばかりに、早速懐から煙管を取り出す。
淡い火の粉がぱっと散って、煙管の中の葉を燻り出す。
腹から息を吸いだすと、ランプの明かりに紫煙が溶けた。
紫煙を追って、定まらぬ彼女の意識も浮遊しだす。
脳裏に浮かぶのは、先立たぬ後悔ばかりであって、その後悔が不安と焦燥を呼び寄せる。
焦れた胸の奥には、幽かな希望と絶望がせめぎあって揺れている。
女はゆっくりと目を閉じた。
この安息の暗闇の中で今しばらくは、己の後悔から解き放たれるために。