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魔法の科学的根拠

一部に非常に科学の専門的な内容が書いてあるシーンがありますが、無視しても十分に読めるようになっているので拒否反応のある人は飛ばして読んでもらえたらありがたいです。

 

 

    序章 魔導師と少年は相まみえる 

 

 変革と言うものはいつかは訪れるものだと感じてはいた。真実と信じていたい現実が異なる事も理解はしていた。それでも、こういった形での、こういった規模の変革が訪れようとは考えもしなかった。世界は変わった。科学の時代は新たな事実を受け入れなければならなくなった。魔法と言う長年否定の対象でしかなかったものへの肯定を持ってして――とある科学者。

 

 夜になり都市部が活気づき始めたころ、都市部から少し外れたカフェで男はくつろいでいた。

 そのカフェには何人かの客が彼と同じようにゆったりと時を過ごしていたが、男は何処か彼らとは違った何かを内在していた。とはいっても、男の身なり自体がそもそも彼らとかけ離れているのだが。

 体全体を隠すくらいの白いローブ、眼鏡と肩まで伸びた銀髪、透き通った白い肌、その何処か人ならざる風貌は明らかに彼の世界を作り出していた。

 その格好のためか、客の何人かは彼に気付いたようだった。

「ねえ、あれって魔導師のヴェルナ―様じゃない」

「えっ、本当だ」

 彼のような有名人にとって、こういう光景は最早、日常の一部のようなものである。それはこういった落ち着いた店でも例外ではない。

「ねえ、あんた、魔導師なんでしょ。戦おう」

 とんでもない要求だが、最近では少ないことでもない。なぜなら、魔法を知ってしまった人間はその力を試したがるからだ。それでも、こんなに無邪気に気軽に言われたのはヴェルナ―にとって初めてのことだったが。

 ヴェルナ―が目を向けると、フードで顔を隠した幼げな声の身長百六十くらいの背中あたりまで伸びた黒髪の少女がそこにいた。

 少女は、奇妙だった。フードで顔が分からないこともそうだが、ヴェルナ―にかけてきた声からは、どこか懐かしさを感じたからだ。こんな女の子など知らない。確かにそのはずだ。その矛盾がどこから来るのか。考えるような余裕の無い少女の質問にヴェルナ―はゆっくりと答える。

「君、何を言っているのか。わかってますか」

 魔導師ヴェルナ―は少女を窘めた。当然の対応だった。いくらか、こういった輩の対処に慣れているとはいえ、ヴェルナ―はあくまで、寛ぎにカフェに来ていたのだ。それを見ず知らずの少女に邪魔されては堪ったものではない。ところが、

「うん」

 少女ははっきりと言い切った。その眼はどうやら、ヴェルナ―と戦うことしか考えてないようにすら見える。

「仕方ないですね」

   ヴェルナ―は席を立ち、金を払うと外に出た。少女も後を追う。店にいた客たちも後に続く。

 ヴェルナ―は、冷静だった。それはヴェルナ―のような人間にとってはもはや、慣れたものだという事もあるが、何よりすぐに終わると判断したためだ。なぜなら、ヴェルナ―は知っているのだ。そんな輩には本物を見せてやればいいことも、そしてすぐにこの面倒な少女も逃げ出すだろうことも

 そう、ヴェルナ―は強い。

 だからこそ、それを見せれば、全てはうまくいくと思っていた。

 慢心と言えば、慢心だが例えヴェルナ―が聖人のような人間であったとしてもヴェルナ―のこの決断は変わらなかっただろう。

 ヴェルナ―は気乗りしない表情で、少女を薄暗い公園に誘導した。その後をギャラリーが追いかける。

 公園の数少ない街灯が、二人を照らす。これから、戦おうとする二人とは思えないほど、二人は冷静だった。僅かなその光が照らしあげた二人の顔は、一人は子どもとじゃれあうかのような慈悲に溢れ、片や、もう一人は目の前の宝に飛びつかんとする欲求を抑え込むのに精いっぱいと言ったところだ。

 そんな二人を何人かのギャラリーが遠くから見守る。

「さて、もう一度確認します。戦うのですね」

 ヴェルナ―の目は決して戦いを望んではいない。だが、気をつけなければならないのはそれは決して少女を気遣ってのものではないという事である。

「くどいね。戦うよ」

 ヴェルナ―の慣れきった行動にさえ、少女は怯まない。

「わかりました」

 ヴェルナ―は残念そうに、面倒くさそうに少女を見た。そして、その表情は再び憐れみに変わる。

 ヴェルナ―は空を見ながら拝み始めた。

「裁きの六の羽(エール・ダンジュ)」

 ヴェルナ―の周りに六本のアンティーク調の筒が現れた。それはゆっくりと回転を始め、柱のようにさえ見える光を吐きだし始める。その光は、その粛清の光は、地面を砕いて行った。破壊。破壊。破壊。そこに確かにあったはずの公園という憩いの場は壊れ、砕け、燃えた。

 光は男を天へと押し上げた。

 

 その姿はヴェルナ―の服装と相成って何処か天使に見える。


 その、言ってみるならどうしようのない状況をみて少女はニヤッと笑った。

「それはいらないね」

 少女は確かにそう言った。

「『いらない』ですか。随分な事を言いますね。こちらとしても、あなたの強さというものを見せていただかないと」

 少女の意外な一言にも、ヴェルナ―は何も感じない。ただ、単なるやせ我慢、男には少女がそう考えているようにしか思えない。それだけの物をヴェルナ―は作り上げているからだ。

「わかったよ」

 少女は、ヴェルナ―をじっと見る。少女の目には微かにヴェルナ―に対する敵意が見え隠れする。

「搾取(ヴァール)」

 ・・・・・・・・・。

 ギャラリーたちの反応は冷めたものだった。

 当然と言えば、当然だ。何も起こらなかったのだから、いやヴェルナ―の戦意は奪ったようだ。

「はあ、止めましょうか。もう分ったでしょう。君では勝てませんよ」

 男の余りにも、落胆した顔をしり目に少女のボルテージが少し上がっていく。

「ふふ、流石にいい物持ってるね」

 訂正すべきだろうか。そうだ。何かは起きている。しかし、それに気づくことは非常に難しいのである。

「何かが起きていたということですか。それとも、はったりか。まあ、いいでしょう」

 魔導師として、何人もの相手と戦ってきたヴェルナ―から見ても、この状況は異常ではあったが、ヴェルナ―は慣れている。こんなよくわからない相手と戦う事に、そして決して相手のペースに飲まれてはいけないことも。

 だからこそ、冷静に、ヴェルナ―は光の柱を少女に向けた。その光にのまれるかどうかのタイミングで少女は唱える。

「天使化(アンジェ)」

「死なない程度の加減はしました。これに懲りたら、このようなことは、もうおよしなさい」

 そんなヴェルナ―の一言の中、ギャラリーたちは男ではなく。少女を見ていた。しかし、決してボロボロな姿の少女がそこにいたのではなかった。

 繭だ。

 白く透き通った糸というより光と言った方が正しいほどの輝きを持った糸でできた繭。周りの驚きによる静寂の中、ヴェルナ―は笑う。

「くっくっく、これからが本番と言ったところでしょうか」

 ヴェルナ―は感じていた。恐怖でも、憎悪でも、驚きでもなく。この少女からもたらされた確かな喜び。それが、頂点の力を持った者の反応としては別段、特殊なものというものではない。問題はこれが満足感に変わるかどうかである。

 繭はゆっくりと割れる。その中からは繭の外見とは似ても似つかない黒い何かがうごめいている。

 その黒い何かの間から、少女が姿を現した。黒い十二本の羽をはやして、光に、粛清に、立ち向かう誇りを持って。

「『天使化(アンジェ)』ですか。何処でその術を知ったかはわかりませんが、その術は私にも使えますよ」

 「天使化(アンジェ)」

 ・・・・・・・・・・。

 何も起きない。

 「あれ、これはどうしたことでしょうか」

 「天使化(アンジェ)」

 ・・・・・・・・・。

 ありえない。内心でヴェルナ―の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。当然だ。いつもの主力の術がない。唱えられない。でも、それでも、すぐに冷静にポーカーフェイスで、ヴェルナ―は判断した。

「先ほどの術のせいですか」

「さあね」

 少女は楽しそうに、無邪気にほほ笑んでるようだった。

 少女は羽を動かし、空に舞う。さっきのヴェルナ―の攻撃で抉れた土を、羽から生まれた風が吹き飛ばす。周りの街灯の明かりが、その砂埃を通して、少女を照らし出す。漆黒に紛れ込んでしまった天使を。

 少女は勢い良く、そのまま、ヴェルナ―のところに飛んで行った。

 猛スピードで向かってくる彼女に、怯むことなく、冷静にヴェルナ―は光の柱に少女を襲わせる。

 しかし、そこには少し前までの余裕はない。二度にもわたる詠唱の結果が失敗、自分の主力呪文の喪失、それは確実にヴェルナ―の心理に影を落とす。

 ギャラリーたちは唖然としていた。それは当たり前と言えば、あたりまえのことではある。

 魔導師、ヴェルナ―は魔導師である。

 十数年前の話になるが、学会に奇妙な論文が提出された。


 魔法の科学的根拠。


 そう書かれた論文は多くの科学者の嘲笑を買ったが、実験すればするほどにその論文の正しさは認められることなる。そして、科学者は魔法の研究を始めた。

 そして、世間は魔法を受け入れたのだ。

 その際、魔法の技術レベルを三段階に分けた。

 魔法を使えるものを魔法使い。

 魔法を使いこなすものを魔術師。

 そして、魔法を作り上げる者を魔導師。

 しかも、魔導師は数えられるほどしかおらず、言ってみれば頂点なのである。それは知能や、権力のような、わかり難いものではない。余りにも、単純な強さ。世界最強の9人。

 その魔導師がやられそうになっている。

 そんなギャラリーの動揺をよそに少女の進行は止まらない。光の柱の直撃を受けながらも前に進んでいく。

 最悪なことに、光は天使となった少女には効かなくなっている。

 そうだ、光の支配者こそ、天使だからだ。

 ヴェルナ―はゆっくりと後退しながら言った。

「あなたは誰なんです。あなたに興味がある。私と互角に戦っているあなたに」

 少女は、少し考えてから言った。

「ボク、ボクは、いや、名乗るのは止めておくよ」

「そうですか。残念です」

 そう言うと、ヴェルナ―、目の前の空間を振り払った。必要なのだ。空間が生まれ来る災悪を閉じ込め、嘲笑し、共に踊るべきステージが、

「悪魔の降臨(メリシオウス)」

 ヴェルナ―の前方の地面に魔法陣が描かれる。

 その魔法陣の中から、ゆっくりと美女が姿を現す。妖艶という言葉を擬人化したような見た目と周りの客たちから震えが止まらなくなる強烈な禍々しさ。現実に存在してはいけない、そう言う兵器を、惨状を、データとして、視覚情報として理解するのではなく。本能に直接、自分の禍々しさを浴びせかけてくる。黒い蝙蝠のような羽をした黒い長髪に喪服の美女はヴェルナーのほうを見る。

「久しぶりね。私とまた、踊ってくれるの?」

 女の言葉には仲間でも、敵でもない、言ってみるなら、ビジネスの相手と言った距離感の口調で女はヴェルナ―に語りかける。

「いやまだ、わからないが、彼次第かな」

 ヴェルナ―は少女の顔を見る。

「へえ、かわいい子ね、食べちゃおうかしら」

 女のその一言は今まで、有利かと思われていた少女とそれに苦戦していた魔導師ヴェルナ―という図を、確実にドロドロとした混沌にもっていく。

「ああ、頼むよ」

  その声を聞くが早いかのタイミングで、女は少女の元に飛んで行った。

 速い。

 一瞬消えたのかと見間違うような速さで女は少女の目の前に現れた。

 さっきまでのあくまで、互いの術の確認程度の空気は一変する。

 ここからは第二ラウンドだ。

 そして、その主役は言うまでもなく彼女となった。

「あら、天使になっているのね。なら、私でも殴れるわね」

 その声を少女が聞き取った瞬間に、少女の体は公園近くのビルの中にいた。

 強い。

 わかりやすいような強さである。人が数十メートル飛ばすといったこの異常な状況、わかりやすい強さがあの女にはある。

「ふふ、わかったみたいね。こんなんで果ててしまってはだめよ。あなたのを見せて」

 そして、文字通り、悪魔のごとき容赦のなさ。

 追撃が少女の体を消し飛ばす。

 再び、少女の体は向かいのビルに向かう。

「仕方ないな」

 ビルの中、少女の突っ込んだ階で仕事途中のサラリーマンの視線の中、少女は確かにそう言った。

 何の動揺も見せずに。

 効いてはいる。女の容赦のない連撃は確実に少女にダメージを与えてはいる。しかし、天使になったことで、飛躍的に防御力も上がったのだ。

 少女は反撃の準備を始めた。ヴェルナ―のように自分の前の空間を払いのけて、夢を、娯楽を、目的を、それらを愛し、食わんとするその娘を呼ぶために。

「悪夢の降臨(インキュバス)」

 少女の前に現れた魔法陣からは幼女が現れた。

 幼女自身よりも長い黒髪、黒いワンピースを着ている。大きな眼を見開いて、幼女は言う。

「ねえ、今日の私の遊び相手はだ、あ、れ」

 戦慄、ビルに居たサラリーマンはそれを感じていた。もちろん、ドラゴンや悪魔を見て、彼らが戦慄しないわけがない。しかし、その戦慄は確実に異なるものだった。命の危機とは少し異なる。体を、心を、ぐちゃぐちゃにされてしまうような、自分が、自分で無くなるような恐怖、それに彼らは、戦慄したのだ。

「今日は、あのお姉さんだ」

 そう言って、少女はとどめを刺しに来た女を指さす。

「わかった。じゃあ、お人形遊びしようか。お姉さん」

 無邪気な幼女のほほえみ、幼女は、胸元から女に似た人形を取り出した。

 その間も、女は少女のもとに飛んできていた。

 女の手が少女の喉元まで来た時。

「よし、準備ができたよ」

 女の手が止まる。

 いや、違う。女の動きが止まる。

 さっきまでの女の連撃と言ってもいい攻撃の嵐がやんだ。かよわそうな一人の幼女によって。

「ねえ、二人じゃつまらない。もう一人、遊んでくれないと」

「じゃあ、あそこのオジサンと遊んだらどう」

 少女は、様子を見に来た男を指さす。

「うん。わかった」

 幼女はそう言うと満面の笑顔で胸元から今度はヴェルナ―に似た人形を取り出した。さらに、幼女はその二つの人形を戦わせ始める。

「ああ、ふふふ、戦わせるのって、面白いな。ふふふ」

 女がまるで体を操られているかのように、宙を舞い、男に襲いかかった。

「あら、ごめんなさい。体の自由が利かないの」

 そう言いながら、女は冷静な顔で男を見る。それでも、体は間違いなく男に蹴りや拳をぶつけていた。

「あの子の仕業のようですね。それにしても、随分、あなたは楽しそうですね」

 ため息交じりに、ヴェルナ―は女の性格の悪さを否定する。

「あら、気のせいじゃない。あなたをほんとに殴れたら、もっと楽しめるかもしれないけど」

 悪魔である彼女は魔法によって生まれたものにしか影響を与えられない。だからこそ、彼女の一撃も連撃もヴェルナ―には届かない。

 それは彼女の強さゆえの制約であり、ルールなのだ。

「はあ、どうして、私の周りの人はこういう人が多いのでしょうか。さて、どうしたものでしょうか」

 そんな中、ヴェルナ―の携帯電話が鳴る。そして、それは確かにヴェルナ―に冷静さを取り戻させていた。

「ええと、もしもし」

 電話からは野獣のような気迫が漏れだしてきた。

 電話の相手は、トマス・ヤングというヴェルナ―の親友で魔導師の男だった。

「よう、ヴェルナ―、お前。この町の近くまで来てんだろ。なんで、顔出さないんだ?」

 ヴェルナ―さえ、忘れてしまっていたが、ヴェルナ―は魔導師として、自分の弟子ができたことを正式に弟子のいる学校に提出しに行くためにここにいた。

 これから忙しくなるとヴェルナ―自身感じていたが、まさか、書類提出して一時間でこんなことになるなどとは微塵も考えてはいなかった。

「ああ、明日も仕事でして、それに魔導師同士の接触は良くないですし」

「まあ、かたいこと言うなよ。お前、今、何処にいる?一緒に飲まねえか」

 電話の受話器から、ハイテンションな男たちからの声が聞こえてくる。無論、電話の相手も酔っているのか、声が大きい。

「ええ、私もそう言いたいところなのですが、実は」

 ヴェルナ―はトマスに今の状況を言った。トマスは酔いが消えうせたように、声の大きさが小さくなったが、確実にテンションはそれに反比例して、上がってきていることが電話からでも伝わってくる。

「へえ、面白そうだな。俺も行くわ」

 電話が切れた。

 少しして、再び、電話が鳴る。

「すまん、お前が何処にいるのか聞くの忘れてた」

「はいはい」



 そうこうしてる間に、少女は体を休め終わり再び男のもとに飛んでいく。そして、少女はヴェルナ―と女の今の現状を見てにっこりとほほ笑んだ。

「ふふ、二人して楽しそうなことやってるね」

 ヴェルナ―は残念そうに少女を見る。

「ああ、彼女は私を殴れない。でも、彼女は無効化されてしまったよ」

 少女は突然、真剣な顔になって言う。

「まあ、しょうがないんじゃないかなあ。僕が相手をしたかったのはあなたで、その女の人じゃないんだから」

「そうだね。ごめん、ごめんついでに一人、僕の友達が来る。彼も魔導師で強いよ」

 少女は少し考えた後に言う。

「へえ、わかった。じゃあ、急がないと」

 少女は羽をはばたかせ、ヴェルナ―に殴りかかった。

 ヴェルナ―は光の柱を目隠しに使いながら、それを巧みにかわしていく。かと言って、男が防戦一方な状況に変わりはない。

「ねえ、そろそろ、次の呪文唱えたら」

 彼女のアドバイスにヴェルナ―はほほ笑みながら答える。その笑みには確実に冷静さを感じられる。

「そうですね。彼も接近していますし」

 そんな中、少女が何かに気づく。

 空から、落ちてくる何かに。その何かは空を引き裂くような音を立てて落ちてくる。いや、飛んでくる。

 それはドラゴン。赤く巨大なドラゴンだった。

 7メートルはあるだろうその大きさ、牙、爪、それらが伝えてくるのはそれが常識なんかを書きかえられるだけの殺傷能力があるという事、わかりやすく本能に語りかけてくる事実、命が危ない。

 ドラゴンをよく見ると、大男が乗っている。男は肩まで伸びた髪、上半身裸で、下はジーンズを着ていた。

 そうだ。このまるで、野人のような男こそが、トマスである。

「ほお、そいつが例の少女か。思っていたより普通だな。まあ、魔法に体格は関係ないけどな」

「ええ、久しぶりに、楽しく戦えていますよ」

 少女はトマスをじっくり見て言う。

「あんたの知り合い?」

「ええ、先ほど言った。魔導師です」

 少女は、少し考え始める。

「ふーん。止めた」

「えっ」

 そこにいる誰もが驚いた。

 さっきまで、魔導師相手に死闘を演じたそいつが止めたいと言ったのだ。確かに、流石にこのまま戦えば、二対一になって負けてしまうだろう。

 その判断は正しい。でも、だからと言って、それをこんなあっさりと表現する。そうだ。そうなのだ。今の少女にとって、この戦いはその程度の意味しか持たない。それは勝てない事実によるものなのだろうか。それとも・・・・。

「止めた。戦うの」

「えっ、せっかく来たばっかなのによぉ、そりゃないんじゃないの」

 トマスは深い落胆の表情で、そう言った。単純にトマスは二人の戦いを冷やかしに来たわけでも、一人の少女を二人でいたぶるために来たわけではなかった。

 戦いたい。その純粋で本能を原動力とした欲求を満たすため、トマスは来たのだ。

 だが、彼女は淡々と今の自分の意思を伝える。

「二人相手はきつい。だから、帰る」

 そう言うと少女は羽をはばたかせて、空に昇り消えていった。

「どうする?ドラゴンなら追いつくかもしれないが」

 トマスは未練たらしい提案をヴェルナ―にした。しかし、冷静に的確にヴェルナ―は真実を告げる。

「止めておきましょう。彼女は強い。深追いしては危険だと思います」

「へえ、お前から、そんな言葉が聞けるとは思わなかったな」

 トマスは驚いたようにそう言った。

「それに、彼のあの呪文が何なのか調べたいですし」

「何だ。変な呪文でもくらったのか」

「ええ」

 男は、上半身裸の男に『搾取』をくらった時のことを話した。

「なるほど、そいつは、確かに奇妙ではあるな」

「ええ、しかも私にはこんなタイプの術の心当たりがない」

「確かにな、つっても俺たちが全ての術を知っているわけじゃあないだろ」

「ですが、脅威として考えて間違いではないでしょう」

「そうだな」


 ドラゴンが咆哮する。何かを告げるように。


1章  少年と少女の近似式

 

 町はずれの山の上に、その山の頂上とその斜面を丸々使った明らかに町の雰囲気と合わない綺麗すぎるその建物、見た目だけを指して言うのなら、かなり大規模な大学といった雰囲気がある。そこに通う者たちは、白や黒、薄い赤色に、薄い緑や、黄色といった色のローブ(じょうげが一続きになっている服)を着ている。オシャレなものはそれにバッジやアクセサリーを身につけているものも見受けられる。

 魔法科学専門学校、通称、MSP。そこはそういう名前でそういうところだ。

『魔法』という数年前だったら、誰も考えようとはしなかった内容を学び、考え、発展させるという名目ではあるが、どちらかと言えば各国投資による軍事施設というのが正しい。

 そんな学校を明らかに場慣れしない様子で登校する白いローブを着た少年が一人。

 今回転入してきた少年シモンにとっては、ここは『異質』という感覚でしかない。

 そりゃそうだ。いきなり、外国と言うよりも違う星といった表現のほうが正しいと思う場所に来てしまったのだから。

 


 とある教室。教室の中も大学のそれに近い。イメージするなら、映画館の各椅子に机が備え着いているような感じだった。

 (はあ、緊張するなあ)

 廊下にシモンは待ちながら、先生の合図を待っていた。

「知っている奴もいるかもしれないが、2学期から君らに新たな仲間が加わる。入りなさい」

 シモンは言われたようにドアを開け、教室に入る。

 このクラスの制服が白いローブなので一面真っ白だった。先生だけはその白いローブに黒い装飾が施してあった。シモンはその光景に動揺をしていた。

(こうして見ると、やっぱり凄いな。何よりも、白いな)

「自己紹介を」

「ええと、はい、僕の名前は、シモン・ラプラスと言います。よろしくお願いします」

「シモン君は少し前まで、病院に入院していたんだ。というわけで、優しくしてやってくれ。では空いている席に座りなさい」

 淡々と事務処理の如くシモンの転入に関する話は終わった。

 先生に言われた通りの席に座ると隣の席は赤い髪の少年だった。明るく元気と顔に書いてあるような少年だった。白いローブを着ているせいか、その髪の赤さはより際立っているように、シモンは感じた。

「よっ、よろしく」

「ああ、よろしくな、転入生」

 緊張した様子のシモンのあいさつに、赤い髪の少年は元気よく答えた。

「さて、転入早々だが、補習の通知だ。シモン」

 せっかく、何とか学園生活を楽しく過ごせそうだと思った矢先の補習発言は流石にこたえる。

「ああ、はい」

 シモンが気が滅入るのも、その補習の内容は転入試験の応用版であるからだ。この学園はある程度の成績で合格した後、合格であっても点数が低ければ補習がある。まあ、当然、生徒たちへの受けは死ぬほど悪い。



 授業が終わり、シモンの周りはシモンを質問攻めにする者たちであふれかえっていた。そんな中、赤い髪の男がシモンの手を取って、クラスの外に連れ出した。

「全く、面倒な連中だ。それより俺は同胞を待っていたんだ。お前も確か、再試験何だろ。俺もだ。いやあ、よかったぜ。このまま、一人で行く羽目になるかと」

 クラスの中から聞こえてくる野次を物ともせず、赤い髪の少年は一方的に自分の喜びを吐露した。

「ええと」

 その余りの勢いに、たじろいだシモンにさらに、赤い髪の青年は追加攻撃。

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はエヴァリスト・ガロアっていうんだ」

「僕は、シモン」

「ふーん、変わった名前だな」

「君も補習?」

 ガロアは待ってましたというような表情で話しだした。

「ああ、まあな。経験豊富だぜ。こと補習においてはな」

「大変だね」

「いや、そうでもねえよ。流石に傾向と対策が分かってきたからよ。次は大丈夫だ。なんなら、わからないところ教えてやろうか」

「うん、その時はお願いするよ」

シモンは、苦笑いで、ガロアのトークにこたえる。

「よし」



 話しながら、シモンとガロアが歩いていると、突然、隣の教室のドアが開いて、ほんのりとした黄色のローブを着て肩まで伸ばした金髪の可愛らしい女の子が出てきた。

「ねえ、ガロア、あんた。また補習だって」

 女の子は呆れたように言った。

「ああ、そうだけど」

 ガロアは面倒くさそうに答えた。

「あんたねえ、魔導特待生としての自覚はないの」

 魔導特待生、この学園にはそういう制度がある。それは魔導師に選ばれた数人、つまりは弟子になった者のみ学費免除だけでなく、色々なサービスを受けられるというものである。

「うるせえな。負けたくせに」

 明らかに、ガロアは、ボルテージを上げていく。

「ああ、なんですって」

 どうやら、女の子の方も、それは変わらないらしい。

「事実だろ。入試試験で」

 シモンが仲介に入る。

「あのさあ、二人とも、落ち着いて」

「黙ってなさい」「黙ってろ」

 二人の声は見事に被っていた。

「大体、あんたがあんな呪文使えるなんて、思わないでしょ」

「はあ、人は常に進歩するんだよ。てめえと違ってな」

 ここまでくると、互いに実力行使に出そうに目で訴え始めてきた。

「なんですって、それじゃあ、私が進歩してないみたいじゃない」

「ようやく自覚したか。はあ」

「何、ため息ついてんのよ」。

「ふふふ、二人とも仲いいね。知り合いなの?」

 笑いをこらえながら、シモンは言った。

「ああ、幼馴染ってやつだよ」

 その一言で、一気に二人は冷静になっていった。

「っていうか。あんたたち、補習なんでしょ。時間大丈夫」

 さっきまで、帰る生徒であふれていた校舎は、すっかり、人通りを失っていた。窓の外では校庭で部活動に励むものも何人も見受けられる。

「あっ、やべっ」

「じゃあね。ええと」

「私は、エミリー・デュ・シャトレっていうの。よろしくね」

 エミリーはさっきまでの口喧嘩の時とは打って変わって透き通るような笑顔でそう言った。

「僕は、シモン・ラプラスっていうんだ。よろしく」

 シモンはそんなエミリーの笑顔にいろんな意味で驚きながら、それに答えた。

「おい。そんな、悠長に自己紹介してる暇ねえぞ」

「ごめん、今行く」

 二人は、人通りの無くなった廊下を急いで通り過ぎて行った。



 補習が行われる教室に来てみると、居るのは先生だけ、まあ、状況から言うと彼ら二人しか補習者はいなかったのだ。

 二人が適当に席に着く。

「そう言えば、補習担当の先生って、どういう人なの」

「どういう人って聞かれたら、変人だな」

「変人って」

「変人は、変人さ。見たらわかる」

「はい。はい。変人登場ですよ」

 シモンとガロアの座った席の後ろの方から声が聞こえてきた。ガロアは振り向くと話しかけてきた男に話しかけた。

「ああ、来たんなら、一言かけてください。そして、さりげなく背後を取るのは止めてください」

「そうですね。わかりました」

(びっくりした。なんか見た目だけで変人と分かる人だな)

「じゃあ、全員集まったし、補習を始めますよ。私は担当のヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニと言います」

 ヴィヴィアーニと名乗った男は教壇に立ってそう言った。

 それにしても、このヴィヴィアーニという男は変人だった。ヴィヴィアーニはぼさぼさ頭に眼鏡に白衣のいかにも、マッドサイエンティストテイストな先生だ。まあ、初対面でこの男と出会ったら、身の安全を優先した方がいいような感じである。人体実験的な意味で。

「さて、見慣れた子がいますねえ、ガロア君。いい加減に次の補習では会いたくないですよ」

「まあ、大丈夫ですよ。次は」

「前回も聞いた気がしますよ」

 呆れた声で、ヴィヴィアーニは言った。

(よっぽど、信用されてないんだな)

「ええと、まずは、魔法の科学的な根拠の大まかな理解と魔法戦闘における基礎知識について、今回は教えますよ」

 トリチュリは黒板に『魔法の科学的根拠』と書いた。

「少し前の物理学において、力という概念の物は4つしかありませんでした・・・」



 授業が始まって少したったころ、シモンがガロアのほうを不意に見てみると、寝ていた。

 恐らく、授業を受けようとした姿勢はあるらしく。手にはシャーペン、机の上には消しゴムとノートが広がっている。そして、そのノートにダイブしている。頭から。

「・・・という事で魔法は科学として認められたというわけですよ。素晴らしい話でしょう」

 そう言って、ヴィヴィアーニ先生はガロアのほうを見て、ガロアのあられもない姿を発見すると。

「ガロア君、いつの間に寝てたんですか。というか聞いてましたか?」

(というか。気づきそうなものだけど、三人しかいないんだし。まあ、ヴィヴィアーニ先生も自分の世界に入ってたからなあ)

「ん、ああ、なんでしたっけ」

 ガロアは、正に寝起きのような表情で言った。

「はあ、やっぱり聞いていませんでしたか。まあ、最初から期待はしてませんでしたが、でも今から話す魔法戦闘の基礎知識は君にも重要なはずですし、きっちりと聞きなさいよ」

「了解です」

 ガロアは真面目な顔をして、敬礼した。

 対して、ヴィヴィアーニ先生は半ば呆れながら話し始めた。

「はあ、いいですか。魔法戦闘は七つの魔法を用いて行います」

「七つですか。でも、魔導師のような人たちはもっと、多くの魔法を使うんのでは」

「いい質問ですよ、シモン君。魔導師であっても使える魔法の数は七つなんですよ。一部の特殊な方法を用いない限りどんな人でも七つですよ」

「へえ、それって、弱い術覚えたらやばいんじゃないか」

「いいや、大丈夫ですよ。七つ以上の術を覚えたときに自分でいらないと思った術は忘れるのですよ」

「人間便利だな」

「いいや、そこは神秘という表現が正しいのですよ。そもそも、人間の素晴らしさは・・・」

 ヴィヴィアーニ先生の世界が降臨。恐らく、このままではさっきの説明の長さから判断すると、三十分コースは確実と判断したシモンが、対応した。

「まあ、それは次の機会にという事で、それよりも続きをお願いします」

 ガロアはこっそりと親指を立てて、シモンの行動を称えた。

(はあ、なんとかなった。いい先生みたいだけど、あの長話は勘弁してほしいな)

「はい、しかたありませんね。ええと、魔法には大きく分けて三つのタイプがあるんですよ」

「三つですか。初級、中級、上級的な感じですか」

「いや、それもありますが、魔法には魔法によって生じたものにのみ影響を与えるもの、そうでないものにのみ影響を与えるもの、そして、全てに影響を及ぼすものがあるんですよ」

「へえ、つまり」

「例えば、ガロア君が魔法で、火の玉や鎖を出したとしますよ。それで、私が魔法にのみ影響を与える魔法を唱えると火の玉や鎖は破壊できますが、君にはダメージを与えられません」

「なるほど、あれっ、でも、それって弱くない」

「まあ、術を覚える難度は先ほど言った順番に難しくなっていくので」

「はあ、なるほどね」

「ちなみに、魔法によって、体を強化したり、変身する様な魔法を使うと、どんな魔法を使っても、影響を受けるようになるので注意が必要ですよ」

 そうなのだ。だからこそ、あの時、悪魔は少女を殴れたのである。

 ガロアはこっそりと、教室の時計を確認した。

「あれっ、先生、時間が来てますよ」

「ああ、しかたありませんね。今日のところはこれで終わりにしますよ」

 そう言うと、ヴィヴィアーニ先生は黒板の文字を消し始めた。

「シモン、帰りにどっか寄ってかねえか?ここら辺のこととか教えてやるよ」

「いいね。行こうか」

「おっと、言い忘れてましたが、一週間後の補習最終日には、試験を用意しましたので」

「はああああああ、先生、手加減を所望します」

 ガロアは勢いよく手を挙げた。

「無理ですよ。せいぜい、精進することですよ」

 二人は意気消沈しながら、補習会場を後にした。



「はああ、試験って、テストって、何の嫌がらせだ。今時、こんな方法で学力を上げようとする教育業界の未来が不安だ」

(僕は、そんな君の将来が不安だよ)

 廊下を歩いて行くと、グラウンドでスポーツに興じる者たちが見える。スポーツと言っても、魔法を使用したりして行うようなものではない。単純に昔からあるサッカーや野球のルールに、『魔法は、使用禁止』となっているだけである。まあ、禁止と言っても、バスケやサッカーの途中休憩をはさむスポーツでは、体力回復を目的とする魔法のみ使用が許される。また、逆に魔法使用を前提としたスポーツもいくつか生まれた。

 ガロアがそれを見て、ため息交じりに言う。

「はあ、試験が実戦形式なら、楽勝なんだけどな」

「へえ、ガロア君って強いんだ」

 シモンは多少の疑いの心を持ってガロアに聞く。

「まあな、これでも、実戦の強さだけで魔道特待生になったようなものだからな」

 ガロアは胸を張って自分の偉業を称える。

「へえ」

「お前、信じてないな。まあ、すぐにわかるさ」



 二人は学校を出て、町に繰り出していた。

「なあ、さっきの話だけど、やっぱ、無しでもいいか?」

 突然のガロアの一言、戸惑いながら、シモンは答える。

「ええと、町を案内してくれるって話?」

「そう、それ、実はというか。知ってると思うけど、成績やばいんだ。すまん。転入生に言う事じゃないのはわかってるけど、勉強教えてくれないか?」

「いいけど、教えられるほど、僕、わかってないと思うし」

 まあ、当然の反応である。転入に必要な能力は言わば、魔法を使う能力のみであったからだ。ところが、シモンやガロア、エミリーは一年生のため、選択の幅を広げるという理由で、魔法学と言われる魔法の学問も習うのだ。しかも、魔法学は中学では習わないのだ。

「うーん、そうか。待てよ。そういや、あいつって、確か頭良かったよなあ」

「えっ、誰のこと?」

「あいつだ。お前もあっただろ。金髪のエミリーっていう女子」

「ああ、あの人か」

「悔しいけど、他に頼める奴もいないし、お前もどうだ」

「ああ、行かせてもらうよ。いくつかわからなかったこととかあるし」

「じゃっ決定だな。早速、電話するか」

 ガロアはポケットから携帯電話を取り出すとエミリーに電話し始めた。

「・・というわけでさあ、お前に教えをこくのは屈辱だが、この際しかたがない。勉強教えてくれ頼む」

「別にいいけど、屈辱って何」

「そのままの意味だが」

「あんたねえ、人にものを頼む態度じゃないでしょ・・」

(ああ、また、始まってしまったみたいだ)



 一時間後。

 というわけで、シモンとガロアはエミリーに勉強を教えてもらうことになった。

 ちなみに場所は。

「まあ、わかったわ。で、場所はどうするの?私んちは嫌よ」

「わかってるよ。ちょっと待て、シモン。お前んちはだめか?」

「うーん、僕のところは狭いし、何にもないから」

「わかった。じゃあ、うるさいやつがいるけど、俺んちってことで」

「で、時間は・・・」



 魔法学校を出ると、そこにあるのは田舎の小さな町があるだけだ。魔法の実践訓練などの関係から、広い場所が欲しいらしく。最近、そこに通っている生徒の多さから、その小さな田舎町に映画館やら、大型ショッピングモールやらが立ち始めて、活気づき始めた。

 そんな町を二人は歩いていた。

「そういや、お前、一人暮らしなのか?」

「えっ、まあね。実を言うと両親がいないんだ」

 シモンは突然、暗くなった。

「いないって」

「ああ、そういう意味じゃなくて、少し前まで病院にいてね。そのころから、両親に会ってなくて」

「酷いな」

 そう言うとガロアは気まずそうに下を見た。

「その上、記憶喪失で入院してたもんだから、何で来てくれないかもわからないんだ」

「はあ、ってか、お金とか大丈夫かよ。なんなら、貸してやっても」

「それは大丈夫。父親代わりの人がいるから、たまにしか会えないけど」

 これは嘘なんじゃという思考をガロアがしなかったわけではない。しかし、事実、シモンは常にあらゆるものを驚きという思考を交えて、感じ取っていたように思えたのだ。

 確かに、魔法学校内ではそれは、ある意味当たり前の事ではあるが、その驚きはただ単に、何処にでもあるような街灯などにも及んでいたのだ。

「そうか、なんかあったら、言ってくれ。同じ補習者の縁だ」

「ありがとう」



「さて、着いたぞ。ここが俺んちだ」

 そこには、テレビで紹介されるような豪邸の二、三倍の大きさの建物があった。

 大きな英国風の門、綺麗に手入れのいきとどいた芝と木々、豪邸の真正面に堂々と調和した噴水、そして、何よりも家というより、豪邸と言うよりも、城と言うべき、その家。

「何これ」

 こんな異常な風景を見て、なんとか絞り出した一言だった。

「だから、俺んちだよ。まあ、詳しく言えば、下宿先だけどな」

「下宿先って」

「まあ、普通驚くよな。俺も最初来た時は、驚いたし」

 魔道特待生は大抵、魔導師の家に泊まりこみをしている。ガロアも、もちろん例外ではない。まあ、こんな規模の生活ができるうえ、魔導師の指導も受けやすいのだから、魔導師がよっぽど拒否しなければ、誰でもそうする。

 門を抜け、庭を通り、城のような家に入る。

「おかえりなさいませ。ガロア様」

 二十人、いや、それ以上の数のメイドたちの完ぺきな御挨拶による洗礼。シモンはそれを見世物でも見ているかのように見ている。

「ガロア様。そちらの方はご学友の方ですか?」

 整った身なり、オールバックにひげといった、前世も来世も執事、最低でも紳士な男がシモンに尋ねた。

「まあ、そんなところかな。エミリーは来てる?」

「エミリー様は来られておりませんが」

「ああ、わかった。じゃあ、エミリーが来たら、お菓子とお茶を持ってくるついでに勉強部屋まで案内してくれ」

「かしこまりました」

「みんなは仕事に戻っていいよ」

「かしこまりました」

 またまた、完ぺきなメイドたちのご挨拶。

 


 勉強部屋と呼ばれた部屋に二人は着いた。

 さてさて、勉強部屋どころの広さではない空間がそこに広がっていた。なんかベッドはあるし、たんすや机、電話もある。

(はあ、想像してたのよりずっとすごいや)

「さてと、肝心、要のエミリーが来てないからな。どうすっかなあ」

「まあ、僕らでできそうなところまで、先にやっとこうよ」

「それもそうだな」

 部屋の中央の丸い大きなテーブルの上で戦いは始まった。



 一人脱落。

(机の上で、哀れな少年が一人犠牲に・・・・・。しょうがない、起こそう)

 シモンがガロアを起こそうとした瞬間、ドアをノックする音が部屋に響いた。

「ああ、大丈夫です」

 ドアが開き、ほんのりした黄色のローブを着たエミリーとお茶とお菓子を持った執事が現れた。

「失礼します。エミリー様をお連れしました」

 エミリーは部屋の中に入って、哀れな犠牲者を発見した。

「あれっ、もう、一人脱落したみたいね」

「うん、残念ながら」

 執事はお菓子を机に置き、部屋に居る全員に軽く会釈をして、部屋を出た。

 エミリーは満面の笑みで言った。

「さあて、シモン君。どうやって、この馬鹿を起こしましょうか?」

(楽しそうだなあ)

 どうやら、彼女のターンが来てしまったようだ。

「普通に起こすっていう選択肢は・・」

 エミリーはぶつぶつ言いながら、考え中のようだ。

「・・・ないみたいだね」

 エミリーは持ってきたバッグの中から筆入れを取り出した。

「まあ、定番だけど顔に落書きでもしましょうか」

 エミリーは筆入れから黒いペンを取り出した。

「さあ、シモン君も手伝って」

「えっ、僕は遠慮しとくよ」

「そうじゃあ」

 エミリーはガロアの体を少し起こすと落書きを開始した。

 

 

 作品は完成した。

「さあて、後は普通に起こしますか」

 そう言うと、エミリーは右手を天高く上げた。

「起きろ、ガロア」

 その掛け声とともにエミリーはガロアの背中を思いっきりたたいた。それにびっくりしたのか。飛び上がるようにガロアは目を開けた。

(これも十分普通じゃないと思うけど)

 ガロアは自分に何が起きたのか分からずに、眠そうな顔であたりを見渡した。

「おはよう」

「ああ、おはよう、エミリー」

「おはよう。あんた、終始寝てたんでしょ」

「ああ、これはつかの間の休息ってやつさ」

 エミリーはガロアの顔をじっと見る。

「ん、どうした。なんかついてるか」

「んっ、ごめん。ぷっぷぷ、あっはははは」

 エミリーは突然、笑いだした。

「ああ、我慢できなかったか」

 シモンは鏡を取り出した。

 その鏡には鼻毛からなる古代文明の壁画があった。

 ガロアは鏡をじっと見ながら、自分のあられもない姿に震えていた。

「おーい、エミリーさん。いつから、俺の顔は、太古の文明の未知なる力を取り入れようとしたんだ」

 明らかに、ガロアの表情に余裕の二文字は無い。芸術という二文字はあるが

「さあ、転入生も来たし、今日から気分一新して、変人デビューしようとしたんじゃない」

 対して、エミリーは何も悪びれることなく。ガロアの現状を皮肉っていく。

「ああ、誰が好き好んで自分の変態性を押して行こうとするんだ」

「うるさいわ、変態さん」

「ああ、てめえのせいだろうが・・・・」

(ああ、また、始まってしまった)



 戦闘終了。

 とりあえず、落ち着いた二人は席について勉強を始めた。

「でっ、何処が分かんないの?」

「ええと、これとこれと・・」

 ガロアは教科書を開いて、自分の現状を知ったようだ。

「要は全部ね。シモン君は」

「僕は、もう少しやってみてわからなかったら聞くよ」

 エミリーはそのシモンの一言を聞いて、ゆっくりとガロアの顔を見る。

「あんたも少しは見習えば」

「何のことだ?それより早く教えろ」

「はあ、だから、あんたは馬鹿なのよ」

 今日も平和だ。



 まあ、平和なんて、何時だって一時のものなのだろうか。というわけで戦闘中。

「ああ、わかんねえ。なんだよ。このケージ粒子って、こんなの知らなくたって魔法使えりゃいいじゃねえか」

「はい、はい、馬鹿は大抵、そういうこと言うのよね」

(ああ、また喧嘩か。何とかしないと)

「うーん、でも、確かに難しいよね。魔法が何で科学の分野になるのとか。特に」

「おお、何だ。シモン君はそんなことも知らないのかね」

 突然、さっきまで教科書相手に凋んでいたガロアが、教科書の角をシモンに向けて言い放った。

「また、こいつ。いくら自分の担当魔導師の関係で、詳しいからって」

 ガロアは、机の上にノートを広げ、片方のページに『俺たちのいる世界』と書き、もう片方のページに『魔法空間』と書いた。

「まあ、これを見てもらえばわかるけど、俺たちは『俺たちのいる世界』に居るわけだ」

「じゃあ、こっちのページの『魔法空間』って何?」

 ガロアは、『魔法空間』を指さして言った。

「これは俺たちのいる世界とは違う位相の世界だ。端的に言うと、普通は俺たちが干渉できない世界だ」

「ふーん」

「それでだ。俺たちはこの『魔法空間』からあふれ出るようなエネルギーを使って、魔法を唱えているんだ」

「んん。なんで、干渉できないはずの世界のエネルギーを借りれるの?」

「それは、それは、・・・・・・。何でだっけ?」

 ガロアはエミリーのほうを見て、尋ねた。

「はあ、まあ、あんたは、そんなもんよね。選手交代するわ」

「お願いします」

「で、何処まで言ったっけ?」

「干渉できないはずの世界に何で、干渉できるのかだよ」

「それは私たち、魔法を使う者が特殊なケージ粒子を発するからよ。原理は知らないけど、それが作用すると聞いたことがあるわ」

 通常、力と言うものは大きく四つに分類される。大きな力、小さな力、電磁力、重力である。これらはケージ粒子と言われえるものを発して、受け取ることで、力を物体に力を伝えている。強い力はグル―オン、弱い力はウィークボソン、電磁力は光子、重力はグラビトンと言うケージ粒子を交換することで力を発揮する。そして、それは今回見つかった魔力と言われる謎のエネルギーにも当てはまる。そして、魔法を使う者は例外なく、魔力のケージ粒子、クオリアを発するのだ。そして、このクオリアは通常干渉できない魔法空間に干渉し、魔力を発動させる。

「そして、なぜ、魔法が魔法と成りえるか。それは魔力が持つ膨大なエネルギーが物質になるから」

「おお、そこからは、わかるぜ。エネルギーってのはある一定を超えると物質に変換できる。魔力は元々魔法空間の物理法則では、エネルギーのままだが、俺たちのいる世界に来ると物質になるんだよ。確か」

 アインシュタインが示したことで有名な特殊相対性理論によれば、物質はエネルギーになることができ、エネルギーは物質になることができる。これが、魔力と言う異端のエネルギーにも成り立つのである。そして、魔力だけ他の力と比べられないほどの強大なエネルギーを持つ。これが魔法発動の理由である。

「エネルギーが物質になるのはわかったけど、それが武器やら生物になるのは何で」

「それは、・・・・何で」

 再び、ガロアがエミリーのほうを振り向く。

「私に聞かれてもねえ。それは分かってないんじゃない」

「ふーん。面白そうだね」

「そうね。面白そうね」

「そうか」

「まあ、あんたには期待してないわ」

「はいはい。どうせ。頭良くないですよ」

 突然、シモンは立ち上がって、ドアの方に向かった。

「ほら、あんたがそんなだからシモン君が怒っちゃったんじゃない」

「俺のせいかよ」

 シモンは振り向いて言った。

「いや、違うよ。トイレ行きたくなっただけだよ」

「ああ、なんなら、ついて行ってやろうか?」

「ああ、大丈夫だよ。迷ったら、他の人に聞くから」

 シモンはそう言うと、部屋を出た。

(確か、こっちに来る途中にあったよね)



 予想と現実ってやつは、大抵違うものなのかもしれない。異常に広い家と初めての訪問という材料が合わされば、生み出される結論は、迷子誕生だ。そう言う事だ。シモンは道に迷ったのだった。

(ああ、こんなことなら、ガロア君について来てもらえば良かった。なんか、同じ部屋ばかりに見えるし、しかも、トイレ行けてないし)

 そして、その上、シモンはトイレに行くこともかなわなかったのだ。



 余りにもシモンの帰りが遅いと、エミリーとガロアも感じ始めた。

「なあ、あいつ、まよったんじゃねえ?」

「奇遇ねえ、私もそう思ったところよ」

「探しに行くか」

「そうね。メイドの人たちにも探すの手伝ってもらいましょう」

「そうだな」

 ガロアは携帯電話を取り出すと、執事にメイドたちにシモンを探させるようにと連絡を入れた。二人は部屋を出てシモン捜索を開始した。



 そんな二人の会話の時を同じくして、哀れな少年はなんとか、トイレにはたどり着いていた。

 しかし、道が分からず、とりあえず、トイレから少し進んでみる。戻るを繰り返していた。

「ああ、これは、やばそうだなあ」

 シモンが、困惑してる中、庭から、そんな困惑を忘れさせてくれるような建物を揺さぶる爆音が聞こえてくる。

 ヘリだ。その爆音の正体はヘリだった。こんな豪邸なのだ。最早、ヘリさえ珍しいものではない。そして、ヘリからは肩までのびた銀髪、眼鏡、白いローブ姿のあの男が降り立った。


 瞬間。

 シモンの頭に痛みが走る。その痛みがやんだと思ったら、世界が変わっていた。


 さっきまで、耳に訴えかけていたヘリの音が聞こえない。それだけではない。目の前に誰かいる。見慣れた誰かが廊下に。

 見慣れている。

 それは当たり前のことだった。それは、その目の前にいるのは自分に似た容姿と服装をした女の子だったのだから。

 彼女は背中まで伸びた黒髪をかきあげて言う。

「久しぶりだね。まあ、君はボクのことは覚えてないだろうけどね。記憶消したの僕だし」

 シモンは自分の目の前に現れた記憶を消し去った張本人に対し怒りではなく、強烈な違和感を覚えていた。そして、改めて自分の置かれた状況が非日常であることを再確認した。

「君と言うべきかわからないけど、君が僕の記憶を消したっていうのは、本当なのか」

 シモンはゆっくりと丁寧に自分の言葉を紡ぐ。受け入れることのできない非日常の中、自分だけは正常であることを確認するために。

「本当だよ。後、君じゃなくてボクって読んでほしいな」

 シモンは現状をまだ理解できてはいなかった。目の前のそいつが誰なのかもなぜ、周りの音が聞こえないかも、自分が生きているのかさえ疑問になり始めた。それは哲学的に自分が、ここにいる自分を肯定する手段がないといったタイプのものではなく、単純に自分は死んでしまったのではないかという事であった。

 そして、シモンはこの疑問の一つを打ち消すベストな回答を思いついた。というか思いつくまで時間がかかったことが自分がいかに冷静でないかをシモンに理解させた。

「ねえ、ボクは僕の姉か妹なんじゃないの?」

 確かにと納得のいくシナリオではない。なぜ、音が聞こえなくなったとか言う疑問が確かにある。それに、今まで姿を現さなかった肉親が、なぜ、今、こんな形で再開をしようとしたのかとか。違和感は挙げればきりがない。でも、それでも一人の少年がこの異常事態を理解する方法としては可笑しいものではない。

 しかし、そんなシモンの疑問に対して、ボクは残念そうな顔をして答える。

「説明が足りなかったかな。ボクは君だよ」

 シモンはより混乱してしまった。なんせ、目の前の少女が自己紹介で君と同じですと言ったのだ。わからない。まるで、化け物から逃げてきて、何処かの店に入ったら、その店の店主も化けものだった。そんな状況だ。理解するために言った言葉がまた新しい謎を作り出す。意味がわからない。

(この子は、何を言ってるんだ。どういう事だ?一体・・)

「まあ、いいや。もう少ししたら、また会おう。多分、もっといい機会があるだろうから」

 そう言うと世界は音を取り戻した。



「おい、シモン。大丈夫か」

 何処からか声がする。シモンは目を覚ました。どうやら、勉強部屋のベッドに寝かされていたようだ。

 シモンは、とっさに辺りを見る。いない。あの少女の姿はない。代わりにあるのは、大量のメイドとガロアとエミリーだった。

「僕は、どうしてここに?」

「私たちが聞きたいわよ。なんで、トイレの前で気絶してるの?」

「それが・・・」

(言えるわけない。自分と同じ顔の少女に会ったなんて)

 心配そうにシモンを見る二人に見て、シモンは、改めて、さっきまでいた状況の異常性を理解した。

「まあいいじゃねえか。こうして、無事だったんだし」

「・・・そうね」



 ボクは笑う。それが何に向けられたものなのかは誰も知らない。ただ、誰にでもわかるのは彼女は悲しそうに、そして嬉しそうに笑っていること。


第二章

 

「あれは、何だったんだろう」

 シモンは、魔法科学専門学校の付属病院の待合室で、そんな事を呟いていた。シモンはあの後、ガロアとエミリーから一応病院に行った方がいいと念を押され、そのまま、ここに向かったのだった。

「どうしたの。何か遠いところを見ちゃって」

 そこには病院内の売店で飲み物やら、お菓子やらを買ってきたガロアとエミリーの姿があった。

「ええと、・・・・・」

 シモンは言葉に詰まってしまった。シモンは自分でも、現状を飲み込み切れていないのだ。よくわからないことが起きた。そして、それが夢だと思えないのだ。いや、夢であるなら、それなりに納得してしまえることではある。でも、それでも、シモンはそれで納得していいような事でないのではと考えてしまうのだ。

「・・・・まあ、言いづらい事なら言わなくても良いんじゃね」

 ガロアはシモンの表情から、普通の事情ではない事を悟った。

「それもそうね」

 エミリーもそれは同じであった。

「それにしても、まだ呼ばれてないのか」

「まあね。どうやら、混んでいるみたいで」

 シモンが改めて、周りに目をやる。大学病院の中では大きい方ではあるがそれでも、混雑を引き起こすぐらいには人が大勢いた。それも、体中怪我した不良が大半のようだが。

「仕方ないわよ。この時期は」

「そういや、そうだったっけ」

 ここら辺の事に詳しい人なら、誰でも知っていることではあるが、なぜか春になると怪我した不良を見る機会が増える。

「シモンさん。シモン・ラプラスさんはいらっしゃいますか?」

「はい。それじゃ、後でね」

「ああ、ここで待ってるわ」

「後でね」

 シモンは受付のある方に向かった。



 シモンの診察結果は以前起きた記憶喪失によるものの可能性が高いという結果であった。シモン自身、納得のいかない事もあったが、それで納得するしかなかった。

 シモンが診察室を出るとそこには魔導師トマスの姿があった。

「どうしたんだ?なんかあったのか」

 実を言うと、シモンは今でこそ一人暮らしとなったが以前はいろいろな事情があってトマスの家でお世話になっていた。そのため、シモンとトマスは言ってみるならば親子のような関係にあった。

 トマスはどうやら喧嘩でもしたらしく、その後ろに何人かのガラの悪そうなグループがボロボロな様子でいすに座っていた。

 この時期に病院に来る人が増えるのは毎年、元気の有り余った不良たちが無謀にも、トマスに挑もうとするのである。これだけ聞くと、トマスは偉く迷惑していそうなものだが、むしろ、トマスはこれを楽しみにしていてたまに大人になった不良たちを呼び出しては喧嘩したことを肴に一緒に酒を飲んだりしているらしい。

「また、喧嘩したの」

 というわけで、一緒に住んでいたシモンからすればこういう反応は至極当たり前なものなのである。

「まあな。なんか絡んできたからついな。ってそんなことはどうでもいい。お前、大丈夫か?」

 後ろで、はたから見たら重傷にしか見えない不良たちの目の前で、はたから見たら怪我も、病気にも見えないシモンを心配するトマス。

「ああ、大丈夫だと思う。記憶喪失が関わってはいるみたいだけど特に異常はないみたいだから」

「そうか。それなら大丈夫か」

「おーい。シモン」

「病院内で騒がないでください」

「あっ、すみません」

 シモンが声のする方を向くとこっちに向かってくるエミリーと看護士さんに怒られているガロアの姿が見えた。

「大丈夫だった、シモン君?」

 エミリーはシモンの所まで来ると心配そうな顔をして言った。

「大丈夫みたいだよ」

「良かった」

 エミリーは落ち着いた様子で、シモンの隣にいるトマスの顔を見た。

「・・・・えっ、魔導師のトマス・ヤング」

 エミリーは心底驚いた様子でそう言った。エミリーがそう言うのも無理はない。基本的に魔導師と知り合いなんてのは大統領と知り合いと同義語であるからだ。

「ああ、そういや、言ってなかったね。トマスは僕が高校生の頃まで、下宿させてもらってたんだ」

「トマスの弟子ってこと?」

「いや、そう言う事じゃなくて、親代わりをしてくれたんだ」

「親代わりって。なんか意外」

 エミリーの口から、そう言う言葉がこぼれ落ちた。

「意外ってのは」

 トマスはにやにやしながら、エミリーの方を見た。

「いえ、何となく、トマスさんにそう言うイメージなかったから」

 エミリーは体を小さくして、申し訳なさそうにトマスの方を見た。

「エミリー」

 シモンがエミリーを咎めるようにそう言った。

「ごめんなさい」

 エミリーは更に体を小さくして申し訳なさそうに謝った。

「正直で結構、俺自身章に合わないとは、思ってるさ。けどな、こういう事をしとかないと落ち着かないのさ」

 トマスはそう言いながら、何かを感慨深く思い出しているようだった。

「・・・・・・・」

「何話してんだ、シモン?」

 沈黙を破るようにガロアの声がシモンたちの周りに響き渡った。

「ああ、ガロア君、実は」

「おお、お前がガロアか。お前の師から話は聞いてるぞ。あいつが弟子をとるとは、思わなかったもんだから、驚いた」

「このおっさんは誰?」

 ガロアの心からの疑問符だった。

「おっさんって、魔導師のトマス・ヤングその人よ」

「トマス・ヤングって、あのトマスか」

 やべえ、やっちまったよと考えているのがはたから分かるくらいにはガロアはあたふたしだした。

「まあ、そう言う事だ。不遜な態度をとった罰だ。さっき、馬鹿どもと喧嘩して欲求不満でな。お前と戦いたくなった。付き合え、ヴェルナ―の弟子よ」

 ガロアのそんな様子には微塵の興味も持たず、まるで今思いついたような事をトマスは言った。

「無茶苦茶いうな。トマスさん。まあいいぜ。喧嘩なら相手になってやる」

 そう言うと二人は一緒に病院を出て行った。

 ・・・・・・・。

 まあ、シモンには、分かっていた。この二人が出会えば、この反応は必然であるだろうことは。

「私たちも帰りますか」

「そうだね」



 シモンとエミリーは学校を出て、町を歩いていた。シモンは少し話すべきかを悩んだが、信じてもらえなかろうと言わずにはいれず、エミリーに自分が記憶を失う前の不思議な体験を話した。

 「ふーん。自分に似た顔の少女に会ったねえ。・・・、もしかして、シモン君ってナルシスト?」

 少し呆れたようにエミリーはそう言った。

「まあ、そうなるよね。正直、自分ではよくわからないんだ。あれが夢だったのかどうかも」

 シモンは何回も、何回も、あの時の事を思い出してみたが、結論は出ない。考えても、無駄な気もしたが、それでも、考えるべきだと思ってしまうのである。

「いやいや、流石に現実でしたって落ちはありえないでしょ。・・・・、うーん、でも、魔法ならあり得るのかなあ」

 エミリーは少し悩み、その結論を何とか絞り出した。

「魔法か」

 何となくではあったが、シモンにも納得できる気がした。

「まあ、あり得るとすれば、魔法じゃない」

 でも、そうすると今まで考えなかった疑問がシモンの中で生まれてきた。

「そうだよねえ。確かに、でも、そうだとしたらどういう事なんだろうか」

「どういう事って?」

「いや、誰が何のためにそんな事をしたのかって事だよ」

 その疑問は当たり前のものだった。それが魔法であるのなら、それを生じさせた誰かがいるはずなのである。

「・・・・・。シモン君のファンでもいるんじゃない」

「転入初日なんだけど」

 転入初日のシモンにいきなり、一目ぼれして、そして、こんな意味のわからないことをするストーカー。あり得ない。いくら、世界が不思議に満ちているとしても、あり得ない。

「ああ、そうだったっけ。・・・・・・。ごめん、わかんない」

 そうなのだ。誰がどう考えてもわけがわからないのだ。

「やっぱり、夢だったのかなあ」

 夢という便利な解決法しか見つからないくらいには、シモンに起きたことは信じがたいことなのだ。

「そう、やっぱり、夢だったんだって、この話は、終了」

「・・・・・。もしかして、エミリー、怖いの?」

 そう言って、シモンがエミリーの方を見ると、エミリーはそっぽを向いた。

「さあね。じゃあ、私、こっちだから」

「じゃあ」

(怖いんだ)

 シモンが手を振ってエミリーと別れると、携帯にメールが来ていた。どうやらガロアが負けてしまったようだった。

(まあ、魔導師相手は無理だよねえ)


第二章 科学と魔術の相転移

 

 シモンが気絶する数時間前。

 ある駐屯地。

 山奥のいかにも極秘裏に用意されたものだと思われる軍事施設内の辺りを見回しても、何も発見できないような広さの運動場に魔導師ヴェルナ―が一人佇んでいた。

「いいんですか?これ一台で都市部に豪邸が建てられますよ」

 魔導師ヴェルナ―は手に持った書類の束と書類の束の上に置かれた『対象物』と書かれた写真に写っている戦闘機を見ながら、トランシーバーに声を吹き込む。

 

 

 魔導師ヴェルナ―から六キロほど離れた軍施設内。

 その施設内の一室、前方には魔導師ヴェルナ―や、軍の訓練場を映した映像が映し出す大量のモニター、其のモニターを囲むように十数人分の机といす、コンピュータ、そして、それらを管理、利用する職員多数。

 その中の最もモニターから離れた席に座っていた白衣を着たぼさぼさ頭に白髪の研究員エヴァンジェリスタ・トリチュリが言う。

「一向にかまわない。これは実験で、対象物は人を乗せてないからな」

 トリチュリはトランシーバーをオフにすると、机に置いた。手をすり合わせながら男は言う。

「ああ、全く楽しみだ。最早、過去の遺産とさえいわれた近代兵器とあの論文以来、兵器を超えた人間と言われる魔導師の戦い。ああ、この場に入れる幸せを満喫するとしよう」

 トリチュリは再び、トランシーバーをオンにした。

 こういう実験をしたがる人間は少なくない。魔法と言う今までの科学が使用していたエネルギーの規模をはるかに凌駕するほどのエネルギーを使用可能にするこの異常な科学が目に見える形で、過去を凌駕する場面に出くわしたいと思うからだ。まあ、トリチュリにとってはそれだけが理由ではないのだが。

「ヴェルナ―。こちらの準備は整った。一応、確認するが、殺す気でやるから命の保証はしないし、もし死んでも我々は一切の事実を闇に葬るので」

 何より、彼ら、魔導師は強い。現実として、彼らを倒せる手段は少ないのだ。その上、魔導師は存在自体が国家を動かすため、死んでしまっても、その死は公にならない。つまり都合がいいのだ。



「相変わらずですね。心配しなくても、負けたりしませんよ」

(さあて、実戦を想定してとのことで、何が襲ってくるかはわからない)

 ヴェルナ―の見える範囲に『対象物』らしきものは何一つ存在しない。あるのは、固い土の地面が広々と横たわっているだけの現実。

 突如、上空から何かが落ちてきた。それが何なのか。『危険』と言う感情を体が感じる。

 その直後の爆炎、ものが壊される音かものが吹き飛ばされる音しかしない異常な現実。



 その爆撃、噴火、空襲、死という単語に直球でぶち当たって行くような光景を目の前にして、トリチュリはモニターに語りかける。

「多くの人間は知らない。いや、目をそむける。現実として、フィクションとして語られる多くのヒーローやキャラクターなんぞよりも,遥かに近代兵器のほうが強いという事に、正義の味方は最強だと。フィクションの異常な設定が歴史を重ねるたびに多くなっていく。それは、人が恐れるからだ。正義の味方が唯の軍隊に成り下がるかもしれないという現実から、逃げたいからのようにさえ思える。」

 トリチュリは不気味な笑みを浮かべ始める。まるで、この現実を一人の男の死さえも楽しんでいるかのように飲み込んでしまったものを吐き出すように、トリチュリは続ける。

「それは、一人の科学者として、誇れる現実だ。今回使用した兵器は手っ取り早く言えば、発見されづらい遥か上空から、爆弾等ピンポイントに落とすことのでき、超速飛行のできるステルス機といったもの」 

 モニターの奥には燃え盛る訓練場があるのみ。それも、燃え盛った残骸と言う方が正しいほどの現状である。爆風によって、抉られた地面が爆撃のすさまじさとこれが加減などという甘っちょろい感覚を一切排除したうえでおこなわれていることを伝えてくれる。

 モニターを見ていた研究員の一人が堪らず、後ろを向いて訴えた。

「狂っている。人が死んだのに笑っているなんて」

 聞こえているはずのその声を無視して、トリチュリの演説は続く。偉く情熱的に、狂信的ですらあるトリチュリという男の強烈な感情に促されて、

「戦闘において最もやばいのは奇襲だ。なぜなら、どんな屈強な人間も弾を脳天に受ければ死ぬからだ。その現実に超速飛行とステルス機能を足したら、どうなる」

 トリチュリはさっき、訴えた研究員を指さす。

「そんなことより、彼を助けましょう。もしかしたら、奇跡的に生きているかもしれない」

 研究員は今度は、大声で訴えた。耐えられない。たかが実験で、人が死ぬという現実とその場に出くわしてしまった。もちろん、実験の内容を知らなかったわけではない。手元には何枚の資料があるし、モニターから流れる情報はこういう出来事が行われる事を知るには、十分すぎる情報が詰まっている。ならなぜ、今、今、研究員は叫んだのか。人が死んだのかもしれないという現実を突きつけられたからだ。そんなことはない。相手は魔導師だ。何回も魔導師が実験体となった実験は見てきていた。研究員は忘れていたのだ。目の前で、爆撃を受けたのはどっかの小説や、漫画の主人公ではない。人間なのだ。傷を負えば、痛いと叫び、頭に銃弾をくらえば、死んでしまうような人間なのだ。その事実を思い出した研究員は叫ぶしかなかった。

 トリチュリはゆっくりとぼやいていた研究員のほうに歩きだしながら、話を続ける。

「答えは簡単だ。相手に発見できないような戦闘、つまりは奇襲をかけ続けられる。最強だ」

 そう言うと、ぼやいていた研究員の眼前にトリチュリは右手を突き出した。

「・・・。やめろ」

 研究員が目をつぶり、手で顔を蔽い隠し叫んだあと、トリチュリは人差し指を突きだした。

 研究員は何があったのかわからずにその人差し指の先を見た。

「いや、最強だった」

 その人差し指の先のモニターには爆炎の中をゆっくりと歩く最強の姿があった。

「だが、まだわからない。まだ、対象物は破壊されてないからな」

 トリチュリは確信しているように、縋りつくように魔導師を見る。研究員の受け入れなければならない現実はまだ、目の前には無いのだから。

 そんな中、トリチュリのトランシーバーから声がする。

 トリチュリは少しいらついた表情を見せた後、落ち着くために少し間を置いてから、左手でトランシーバーを持ち回線をオンにした。

「なんだ?まだ、実験は終ってないはずだが」



「いいや、終りましたよ。では、例のあれ頼みますよ」

 ヴェルナ―はあっさりと、トリチュリに現実を伝える。さも当たり前のように冷めた口調で。

 その発言の後、ヴェルナ―の背後に対象物であったはずの戦闘機が残骸に姿を変えて落ちてきた。

「彼女の力を借りましたが」

 ヴェルナ―はそう言うと、爆炎の中から現れた黒い蝙蝠のような羽をした美女の手を取り、その手にキスをした。

「なんせ、彼女は素早いですから」

 ヴェルナ―はほほ笑んだ。女と共にゆっくりと自分の潰した戦闘機の爆炎の赤と黒の混じりあった異常なる現実を背景に。



「わかった。お疲れさま」

 そう言うと、トリチュリはトランシーバーをオフにして、机の上に置いた。少し悔しい表情を見せながら、自分の目の前の現実をゆっくりと吟味し始めた。

「なるほど。悪魔に対象物を探させたか。悪魔の身体能力なら確かに可能だ」

「とりあえず、人殺しにならずに済んでよかったじゃないですか」

 トリチュリは突き出した右手をしまい。考え込んだ。

「しかし、どうやって、あの爆撃を。くっくっく。全く持って、面白い」

 トリチュリは楽しそうにそう言って、静かにモニターを何度も見返して行った。


第3章 少年たちの方程式


 それから、シモンとガロアはエミリーを講師に一週間、集まって勉強会を行った。そして、その日はすぐに訪れる事になる。そう、試験当日だ。

「では、これでホームルームを終わります。ああ、シモンとガロアは試験だそうだから、きちんと合格しな」

「へいへい、わかってますよ」

「わかってるなら、何回も補習なんて受けんな」

 先生はきつめにガロアに言った。

 ガロアはそれに驚きながら、シモンの手を引くと廊下に出た。

「まったくよ、いい加減慣れろよな」

(いや、慣れちゃいけないよ、慣れちゃ)

 二人は試験会場に早めに移動を始めた。なぜなら、試験内容のヒントが少しはあるのではないかと思ったからだった。魔法大学の試験は筆記だけでなく、実技などもある。室内でおこなわれる実技なら、もしかしたら部屋に準備がしてある可能性があるのだ。過去に何回か補習を経験したガロアの知恵である。結果は出てないが。

「にしても、結局、何やるかは聞かされてないからな」

「そうだよね。一応、あれからも勉強したけど、何て言うか。自信が」

 隣を歩いていたガロアがシモンのほうに体を向け、激しく同意する。

「だよな、だよな。あれだけ、勉強したけど、やっぱり自信がないというか、うまくできるかって、心配だよな」

(ガロア君、終始寝てた気が)



 試験会場に到着。と言っても、これといっておかしなものは無いし二人が普通のテストかなと思っていると。

「さあて、お二人さん、まずは席についてくださいですよ」

 二人の後ろから、ヴィヴィアーニが現れた。

「うへっ、すみません。失礼承知で言いますが、先生の背後からの接近は言い訳あってもアウトだと思います」

「はあ、なんか、済みませんでした」

 そう言うと、しょんぼりとしたテンションで黒板に向かったヴィヴィアーニ先生だったが、いきなりボルテージマックスになって。

「さあて、今回のテストですが、ある方からの指示で急遽シモン君とガロア君の模擬戦闘を行うこととなりました。という事で運動場に移動ですよ」

「まじか」

(あれっ、地味に僕の一週間の努力が否定された)

 ガロアは、シモンの肩をぽんと叩いた。そして、ドヤ顔でシモンに言う。

「頑張ってたみたいだが、どうやら、運命の女神は俺にほほ笑んだようだな。確かに勉強では俺はお前に勝てない。だが、模擬戦闘なら・・・・、骨ぐらいは拾ってやるよ」

「ふう、いいよ。やってやる」

「仲いいですね。二人とも」



 ヴィヴィアーニの案内で、二人は試験会場となる第五運動場に着いた。

 第5運動場、放課後になって、時間がたっていることもあるが、必要以上に魔法大学には運動場が多い。学校内に6か所、一般公開されているものも含めると、さらに多い。基本的には魔法を使えるものはスポーツ等の大会に参加できないため、こんな数は当然いらないのでは、という事になるが、専らはこうした模擬戦闘や、喧嘩に使われる。

 喧嘩と聞いて、そんなの先生たちに止められるように思うかもしれないが、許可を取り、運動場を借りて先生同伴なら、肯定される。そのため、魔法大学に入学した当初の男子生徒の中には放課後に、喧嘩を繰り返す者もいる。しかも、魔法大学自体が軍事的な側面が強いため、喧嘩の強いものにはよい評価が出るのだ。

 そして、ガロアは喧嘩が強い。

 まあ、だからこそ、万年補習者のガロアは留年しない。わかりやすい。非常にわかりやすい。魔法大学はそういうわかり安い場所である。

 二人はそこに立つ。ありふれているはずの運動場。いや、二人にとって、場所は関係ない。

 重要なのはそう、合格だ。

「手加減はしない。合格すんのは俺。再テストはお前。ただ、それだけだ」

「大丈夫。僕は勝つ」

「いい気合いだ」

 いい顔の二人を遠目に見送りながら、ヴィヴィアーニが言う。

「ええと、ルールを説明しますよ。二人には、武装(アーメメント)を私がかけるので、これを先に壊された方が敗者ですよ」


 武装(アーメメント)_対象者に対する一定値の魔法、物理攻撃を無効にする。ただし、ダメージは蓄積されるため、合計である一定値を超えると打ち消される。


「了解、了解。始めるぜ、シモン」

「OK」

 ガロアはゆっくりと片手伸ばし、手を広げ、もう片手でそれを支える。

 そして、放つ。

「火の玉(サリダ・デル・ソル)」

 それは簡単だった。誰にでもわかる。ガロアの体がすっぽり隠れるほどの大きさの炎、単純な炎百パーセント、その塊、それがわき目も振らずにシモンに突っ込んでくる。それは非常に単純でありふれた破壊者だ。

 だが、同時に余りにも直線的なその攻撃はそれが攻撃だと分かった瞬間によけられるものだった。もちろん、シモンにだって、そんなことはわかっていた。だからよけた。当然だった。

 そして、だからこそ、ガロアの追撃がシモンを狙うわけだ。

 炎の後ろでシモンの移動を確認したうえでの追撃、ありふれたガロアの必勝パターンである。

「封殺の鎖(ステルスネス)」

 突然、ガロアの前方一メートルの何もなかったはずの空間から、空間から先端に刃物の着いた鎖が現れる。

 それはまるで、巨大な化け物が舌で食べ物を口に含もうとするかのようにシモンを捕縛し始める。

(強い。強い。こんなに、強いなんて、ボクが出ちゃうじゃないか。えっ、何だ。今の)


 火の玉(サリダ・デル・ソル)_使用者の目の前、一メートルの空間に直進する火の玉を出現させる。また、火の玉の大きさや温度、移動する速度等は、使用時に消費した魔力の量に比例する。


 封殺のステルスネス|_使用者の目の前、一メートルの空間から、先端に刃物の着いた鎖を出現させ、それらを操る事が出来る。また、出現する鎖の数や長さ、移動する速さは使用時に消費した魔力の量に比例する。



 ヴィヴィアーニ先生は戦況を見守りながら、二人が戦いに夢中になっている間に、第五運動場に一番近い校舎の屋上に上がって行った。

 屋上には二人の戦いを見守るヴェルナ―の姿があった。ヴィヴィアーニはヴェルナ―の隣まで行くと、戦いを見つめながら、ヴェルナ―に言う。

「当然と言えば、当然の結果ですか、期待をしすぎですよ。ヴェルナ―さん」

 戦場ではガロアの鎖によって、身動きできなくなりつつあるシモンの姿があった。

「そうかもしれませんね。でも、彼の成長を私は見守らなくては、いけないんですよ」

 ヴェルナ―はシモンとガロアの戦いを見守りながら、そう言った。

「何か、あるんですね」

「ええ、まあね、それから、お兄さんに情報ありがとうと伝えておいてください」

「なるほどですよ。あの人がらみですか」


「いいえ、科学者がらみです」



 連撃、それは、くらってる者にとってはどうしようの無いものだ。すきなんかなく、すきかと思えば、それは次の攻撃までの僅かなカウントダウンだったりする。攻撃こそ、最大の防御とはよく言ったものでシモンも、この状況の打破に勤めていた。

(鎖がとれない)

 シモンに絡みつく鎖は想像以上に頑強だった。もちろん、人間の力なんかで外れるものではない。

その上での炎撃。

「火の(サリダ・デル・ソル)

 止まらない。どうしようもない。だが、すきならあった。

「記憶回復(ズィッヒ・エアイナーン)」

「こりゃ、やりすぎたか。大丈夫か?シモン」

 強烈な炎の爆撃によって生じた砂煙の中、ガロアは冷静に言い放った。

 しかし、炎熱に飲みこまれたはずの空間にいたのは、倒れそうなシモンでも、いやシモンでさえない。一人の少女、黒い十二の羽をはやしたシモンにそっくりの少女。そして、彼女は笑う。静かに、楽しそうに。

 余りにも、ありえない状況が逆にガロアの高まったボルテージを下げさせた。

「あれ、シモンは、ってかお前は誰だ」

 ガロアの質問にも、少女は楽しそうな笑みを絶やさずに答える。

「僕はボクだよ」

 少女から出るただならぬ違和感がガロアに質問させた。

「シモンは何処だ」

「シモンなら、眠っているよ」

 ボクの言葉と意味のわからない現状とがあいまって、ガロアは冷静さを失う。少女がボクが何かをしたという保証はどこにもない。でも、それ以上に感じる少女への違和感が彼女が、シモンに何かをしたという結論をガロアに出させた。

「ああ、てめえ、シモンに何をしたぁぁ」

 怒りを、感情を爆発させたガロアの一言に何も臆することなくボクは言う。

「めんどくさいなあ。そんなこと、今は、どうでもいいよ。戦おう」

「いいぜ。加減は、できないけどなぁ」

「火の(サリダ・デル・ソル)

 ボクに放たれた炎をボクは、羽を使い空中に回避した。

「ちっ、封殺の(ステルスネス)

 ガロアの正面付近から現れた鎖は、勢い良くボクに向かって行く。しかし、ボクは軽やかにかわしていく。

 鎖は空中に飛び立つ竜の如く飛んでいくがボクは軽やかに、しなやかに、かわしていく。

 楽しそうに。楽しそうに、ボクは自分がかわした鎖とガロアを見る。

「だめか、にしても速い」

 ガロアは焦っていた。自分の使用する呪文がことごとく通じないのだ。当然である。でも、勝たなければならない。

「遅いよう。もうちょっと、がんばろうよ」

 ガロアは術を唱えるのをやめる。

「来いよ。今度は、そっちの番だぜ」

 最早、ガロアに残された手段は一つになっていた。ボクの攻撃に対するカウンターである。しかし、ボクも、それしか手段がないことは分かっている。

「いいよ。その挑発に乗ってあげるよ」

 そう言うと、ボクは滑空しながら、ガロアに襲いかかる。

「火の玉(サリダ・デル・ソル)」

 確実に、ボクは炎をくらった。

 タイミングばっちりに、ボクにヒットしたのだ。確認し、確信を持って、ガロアは言う。

「よし、当たったな」

 しかし、またしても炎熱の中、少女は笑う。

「残念。残念。次はもう少し頑張ろうか」

 ボクは六枚の羽を焦がしながら、残りの六枚の羽でさらに勢いをつけて、ガロアの顔面をけり飛ばした。

「ようく、飛ぶねえ」

 ボクは体を宙に飛ばして、運動場の砂を巻き上げる。ガロアは体を何回か、回転化させて、砂ぼこりにまみれながら、起き上った。

「ああ、ああ、もういい。もういい。終わらせよう」

 ガロアはその声に静かな憤りを吹きつける。

「連鎖の炎竜(コンストレイン・ソル)」

 ガロアの前に大きなとげとげしい、所々が溶けた鋼の門が現れた。門はゆっくりと周りの空気を飲み込むと門の中から高温の空気を吐きだした。

 

 大地が焦げる。門の中から、金属がぶつかり合う音、溶けた金属落ちる音、そして、何かの咆哮が聞こえてくる。


「何、何、なあに、これ。楽しそう」

 心からの興味、まさにそんな一言だ。

「さあ、その眼に体に焼きつけろ。お前の弱さを」

 門が完全に口をあける。その中からは竜が顔を出す。十メートルはあるであろうその門から、口を出すので精いっぱいのその竜は顔のいたるところに門の内側に繋がる鋼の鎖が撃ち込まれている。それを竜は振りほどこうと暴れながら、大きな口を開けた。


 炎の濁流、そんないろんなものを巻き込んだような炎を竜は吐きだした。


 記憶回復(ズィッヒ・エアイナーン)_一か月前までの間に、使用者が忘れた呪文を一つ思い出す。また、使用後二十四時間、この呪文を忘れる。


 炎の濁流が放たれる少し前、ヴィヴィアーニとヴェルナ―は二人の戦いを見届けていたが、突然、ヴェルナ―が深呼吸を始めた。

「さあて、行ってくるとしますか」

 魔導師ヴェルナ―は竜の登場を見届けて、そう言った。

「あなたが、手を下すのですか。そんなことしなくても決着は明らかですよ」

「いいや、あれで終わるような子たちなら、苦労しませんよ」

「子たちって、あなたは、転入生の子を知らないはずですよ」

「ええ、全くあなたの言う通りのはずですね。でも、彼の事は、私が一番知っているんですよ」

 魔導師ヴェルナ―はほほ笑みながら、そう言った。

「それは、どういう事なんですよ」

「裁きの六の羽(エール・ダンジュ)」

「残念ですが、それは答えられませんね」


 第五運動場に天使が舞い降りる。


 ボクに襲いかかっていた炎の濁流は天空から舞い降りた天使に襲いかかる。

「悪魔の訴え(べリアル・スー)」

 ヴェルナ―の周りを赤黒い幕が包み込む。それは、炎の濁流をせき止めた。


 悪魔の訴え(べリアル・スー)、武装(アーメメント)の上位呪文、対象者に対する一定値までの威力の魔法攻撃、物理攻撃を無効にする。また、無効にした攻撃の威力に比例して、使用者の身体能力を上げる。ただし、武装同様、ダメージを蓄積し、蓄積したダメージが一定量を超えると打ち消される。


「なんで、てめえが」

 ガロアが驚いたように声を上げる。当然と言えば、当然である。魔導特待生である彼の担当魔導師こそがヴェルナ―なのだから。

「はあ、担当教官に『てめえ』ですか。まあ、今は置いときましょう。今すぐ、下がりなさい。この子とは、私がやります」

 炎の濁流をせき止め、受け切ったヴェルナ―はボクに背を向け、ガロアにそう言った。

「はあ、何言ってんだ。こいつは、シモンを・・・」

 もちろん、ガロアは納得などしない。目の前で友がその姿を消したのだ。そして、代わりに現れた女が悪意を持って挑んできた。何かある。誰でも、そう思うだろう。もちろん、ガロアもだ。

「勘違いしてるようなので、教えましょう。あなたが戦っているのが、そのシモン君ですよ」

 ガロアの感情が漏れ出したような表情を察して、ヴェルナ―は諭すように言った。

「何いってんだ。ありゃ、どう見ても女だろ」

 そう言って、ガロアはボクを指さす。ガロアの訴え通り、間違いなく外見だけならボクは女である。長い黒髪、ローブから見える体のラインは間違えようのない女性のものである。

「魔法ですよ。恐らくは、召喚魔法でしょう。本人がコントロールできないタイプの」

 確かにあり得ない話ではない。実際、そう言う魔法が存在することはガロアも知ってはいた。

「そんな、でも、それなら、あいつを倒せば」

 ガロアは動揺した様子で言った。信じろというのが無理な話である。それでも、それが事実であろうことはガロアにも分かっている。

「恐らく、元に戻りますね」

 ヴェルナ―は動揺した様子のガロアを気に病むことなく、淡々と現状を伝え始める。

「だったら、俺も」

「聞いていなかったのですか。下がりなさいと言ったはずだ。あの子とは、私が戦わなくては、ならないのです」

 ヴェルナ―の様子がいつもとは異なっている事に、ガロアは気づいた。いつもは、冷静で紳士的な対応を好むヴェルナ―が見せるような感情ではないのだ。実際、こんな感情を表に出しているヴェルナーを見たのはガロアにとっても初めての経験だった。

 状況を理解していなかったボクはヴェルナ―の顔を見て、にやりと笑った。

「ごめん。ボクは魔導師に用があるんだ。魔導師の言う通り、下がっていてよ。  君」

 ガロアは気づいていた。明らかにボクの雰囲気が今までと違う事に、さっきまで、戦っていたボクという少女は戦う事を楽しんでいた。見下していた。でも、今は、そんなことではないことのために戦おうとしている。そして、恐らく、それはとても悲しいことのように、ガロアには思えた。

「わかった。いいぜ。俺は下がって見せてもらう。その代わり、ぜってえ、勝てよ」

「全く、素直じゃない子だ。あそこの屋上にヴィヴィアーニ先生がいる。そこで見ていなさい」

 そう言って、ヴェルナ―はヴィヴィアーニのいる校舎を指さした。ガロアは、しぶしぶ、『連鎖の炎竜(コンストレイン・ソル)』を打ち消すと、それに従い、其の校舎に向かって走り出した。

「さあ、やろうか。魔導師」

「ええ、早く始めましょうか」


 門が閉じる。竜の咆哮を閉じ込めて、二人の戦いを後押しして。


第四章 搾取という魔法


 シモンが謎の少女と出会い気絶していた頃、ヴェルナ―はヘリでヴェルナ―宅まで送ってくれた。トリチュリと共にヴェルナ―宅にある図書室に向かっていた。

 ガロアの下宿先にして、魔導師ヴェルナ―宅の図書室。

 図書室と言っても、並みの小学校や中学校、高校にあるようなものではない。

ほぼ、県営の図書館と言った大きさだ。それが、部屋の中にあるというだけで異常なことであるが、ヴェルナ―はこの図書館を国から、もらう代わりに魔導師をやっているのだ。とは言っても、これほどの規模を一人で使うというわけでは、無く。一般にも公開はしているが、こうして、ヴェルナ―が使用するときは、貸し切り状態にしている。

 ヴェルナ―とトリチュリが、片っ端から、魔法関連の本を調べていく。

「はあ、結局、誰かはわかったんだったら、別に魔法の事まで調べる必要ないと思うが」

 トリチュリは軍事関係とはいっても、唯の科学者に過ぎない。しかし、彼自身軍の諜報員とのコネは多くあった。そこにヴェルナ―の名前を追加すれば、相手がよっぽどの人物でない限り、特定は容易なことだった。ヴェルナーはあの襲撃を掛けた少女が誰なのかを知った。

「そういう割にはあなた自ら手伝いに来てくれたじゃないですか」

 ヴェルナ―はにやりと笑って言う。

「そりゃ、気になる。私たちの作り上げた兵器さえものともしないようなお前が恐れるような人の使う魔法。興味は尽きない」

「ふふふ、失礼、何年たっても、本質は変わりませんね。好きですね。あなたも」

「まあ、そりゃあ」

 二人は楽しそうに図書館での捜索を再開した。



「あった。これだ『搾取』」


 搾取(ヴァール)_自分が敵意を持った相手の魔法をランダムに奪う。奪われた相手は奪われた呪文を習得した際の記憶を失う。そのため、奪われた術を唱えられなくなるが、奪われてから、二十四時間後にその術を再び唱えられるようになる。また、この術を唱えたものは唱えてから、二十四時間の間、この術の習得時の記憶を失う。

 

「こういうタイプの術か。でも、これって・・」

「ええ、そうです。ここでは説明されてませんが、奪っているのは実際は、記憶にすぎません。つまり、単純に奪った術を唱えられるだけの魔力を持っていなければならない」

  魔術は単純にそのシステム、理論を覚えたうえで魔力が伴っていなければならない。そうすることで初めて、唱えられる。

「しかも、その上で相手が純粋に強い術を覚えているという前提が必要になりますね」

「なるほど、やはり、彼女は」

  そう言いながらトリチュリは俯いた。

「こんな術なら、誰も使わなくなるのもわかるな」

「ええ、よっぽどの破壊力でなければ、これほど限定的な強さの術を使用する必要はない」

「ちょっと待て。それって」

「ええ、彼女は対魔導師という事になりますね」

 冷静に、ヴェルナ―は自分の心に巣食った最悪のシナリオの可能性を想定し始めた。

「なんてことだ。それなら、他の魔導師も」

 トリチュリは咄嗟に携帯を取り出した。あの少女の敵意が他の魔導師に向いたら、もしかしたらではあるが、『対魔導師』の魔法を持つ少女なら、起きてはいけないことが起こるかもしれない。

「いえ、大丈夫でしょう」

 冷静に、ヴェルナ―は、トリチュリに言い放った。

「大丈夫って、いくら魔導師が強くとも、これは」

「心配する必要などないでしょう。恐らくは、彼女の狙いは私でしょうから」

「確かに、彼女が本当に、本当に私の調べた結果通りの人だとするのなら、そうかもしれないが」

「受け入れがたいですね」

「まあ、正直に言えば、あのような考えに至るのは、私だけで十分だと思っていたよ」

 さっきまで、ヴェルナ―を殺す可能性のある実験をしていたトリチュリからすれば、その言葉は重く、重く、ヴェルナ―に届く。

「でも、彼女はそれを望まなかった」

 ヴェルナ―は悲しそうにどうしようのない現実を言葉にした。

「皮肉だな」

 トリチュリもまた、その受け入れがたい現実に愚痴を言う。

「全く、その通りです。でも逃げると言う選択肢はありませんよ」

 ヴェルナ―は自分に言い聞かせるようにそう言った。そこには何らかの覚悟があり、意地があり、意思があった。

「私の時もそうだったな。私が言うのも可笑しいが、なぜそこまで今回の事の償いをしようとする?正直に言えば、私がお前の立場なら、逃げているだろう」

 ヴェルナ―のその様子を見て、トリチュリはそう言わざるを得なかった。

「でも、許してはいないんでしょう」

「当然だ」

「即答ですか。まあ、はっきりとは言えませんがこうしていないと自分でも可笑しくなりそうでね。彼女の件も残ってますし、自己満足ですよ。決して、償いなんて高尚な事をしているつもりはありませんよ」

「自己満足か。それは、私も同じかもしれんな。でも、どうしていいかもわかりはしないんだ」

「それが分かっているなら、私も、あなたも、彼女も、これほど生きる事にあがいていませんよ」

「全くだ」


第五章 搾取と保守の帰納的魔法戦闘


 第五グラウンドには静寂が広がっていた。少し前まで、行われていたシモン(ボク)対ガロアの対決が本当に有ったのかも窺わしくなるほどの静寂がそこには、あった。

 その空間には二人の姿があった。一人はボクと言われる少女だった。静寂の空間に燃えた六枚の羽と己を象徴するように広げた六枚の羽を持って、ボクは、依然、ヴェルナ―と戦った時のような宝箱に飛びつくような興味の入り混じった欲求ではなく、目の前に見据えた自分の達成すべき目的として、ヴェルナ―を見ていた。

 対して、ヴェルナーはボクの使う呪文の対策を思い出しながら、自分のすべき最適な戦術を考えていた。

 なぜなら、『搾取』には明確な弱点があることをヴェルナ―が分かっていたからだ。それは、奪える魔法がランダムであるという点である。ランダムである以上、術としてはそれ単体ではとても使えるとはいえない魔法を取ってしまった時、事実上、失敗に等しいのだ。

 でも、だからこそ、強い術しか覚えていない魔導師にはその効果は絶大ではあるが、ヴェルナ―相手では『裁きの六の羽(エール・ダンジュ)』や『悪魔の降臨(メリシオウス)』は失敗の類になってしまう。なぜなら、『裁きの六の羽』はヴェルナ―の持っている『天使化(アンジェ)』で無効化にされてしまうし、『悪魔の降臨』は、魔法によって作られたものには、効果があるが、そうでないものには干渉できないので、ダメージを与えられないからだ。

 つまり、ボクにははずれの呪文が七つのうち、二つあるのである。しかも、万が一外れを引かなかったとしても、その術が当たりなのかは、わからないのである。

「なかなか、仕掛けてきませんね」

 ヴェルナ―はその事実を知った上で、ボクを挑発する。

「うん。急いでも仕方ないからね」

 でも、ボクの言う通りでもある。ヴェルナ―の使用している『裁きの六の羽(エール・ダンジュ)』は『天使化(アンジェ)』しているボクには通用しない。ならば、新たなる術を唱えるほかに選択肢はない。しかし、ここで新しい呪文を唱えることは単純に自分の手の内をさらすことになるだけである。なら、当然、ヴェルナーの選択肢は絞られる。

「悪魔の降臨(メリシオウス)」

  ヴェルナ―の目の前に魔法陣が現れる。黒い長髪に喪服の美女が姿を現す。

「最近、出番が多いわね。おや、また、あの子みたいね。これは楽しめそうね」

 悪魔の登場によって、ボクの顔にも多少の焦りが生じる。以前の戦いの記憶が、確実にボクの判断に遅れを招く。

 

 一瞬、そこにいたはずの悪魔の姿は消えていた。


 理解。理解。ボクが現状を理解するころにはボクの体は、宙を飛んでいた。地面とほぼ水平に飛んでいた。地面に落ち。回転を始めたボクの体、それでも、悪魔の連撃は止まらない。

「残念ね。この前みたいに、あの子は呼ばせないわよ。面白くなくなるから」

 体を宙に浮かせながらも、ボクは『天使化』の防御力により、冷静に術を唱える。

『悪夢の降臨(インキュバス)』

 ボクの目の前に魔法陣が現れた。その魔法陣からは、ゆっくりとあの時と同じ格好の幼女が姿を現す。

「ああ、また、あのお姉さんだ。また、遊んでいいの」

「うん。楽しんでね」

 幼女は満面の笑顔でうなずいた。そして、ポケットから、悪魔に似た人形を取り出した。

「げっ、また、あの子みたいね。仕方ないわね。まあ、むかつく奴の顔を殴った気分になれるからよしとするわ」

 悪魔は納得こそしてはいない様子であったが、目の前のおもちゃに飛びついた。

「どうやら、前回と同じ展開ですか。いや、まだ、『搾取(ヴァール)』は使っていない。そこが違いますね」

 口ではこう言っているが、ヴェルナ―はきちんと知っている。『搾取』は、先に使おうが、後で使おうが強さは何も変わらない事を。もちろん、相手の術を全部知っている方が、使いやすさは変わる。しかし、強さが変わるわけではないのだ。

「そうだね。でも、ここからは、あの時とは違うんだよ」

 無論、そんなことは、ボクも重々承知の上である。

「じゃあ、ここからがお楽しみという事ですね」

「眼前の忘却(フェアゲッセン)」

 またしても、またしても、何も起こらない。でも、今度はヴェルナ―もわかっている。何かが起こっていることに、そして、それが、かなりやばい何かであるという事も。



「何も起きてないよな。なんで、あの馬鹿は呪文を唱えないんだ」

 戦いを見守りながら、屋上に着いたガロアはつぶやいていた。それを聞いたヴィヴィアーニがガロアに近づいて言う。

「わからないからですよ。何が起きているかわからないから、仕掛けられない」

 分からない。それは恐ろしいことだ。冷静さを奪うには十分な現実である。でも、ここで、迂闊な行動はとれないのだ。なぜなら相手がボクであるからだ。相手がただの魔術師なら、魔法使いなら、何の問題もない。しかし、相手は対魔導師の呪文を唱えてくるボクなのだ。

「ええ、でも、そんなの、こっちから何かしないと分かんないままでしょ」

 ヴェルナ―の様子を見守りながら、じれったそうにガロアは声を上げた。

「いや、それは違いますよ。あの女の子の使う呪文は相手に影響を与えるものみたいですからね。時間をかければわかりますよ。それにああやって自分のペースにはめていくのが、あの女の子の戦術のようですからね」

 対して、ヴィヴィアーニは冷静に現状をガロアに伝える。

「そんなに考えてるんですか。本能のままに、行動しているようにしか見えないですけど」

 どうも納得いかなそうにガロアはそう言った。

「はあ、よくそれで、特待生に成れましたね」

 あきれ顔のヴィヴィアーニに自信満々にガロアは答える。

「まあ、実力ですよ」

 ヴィヴィアーニは、これは来年も補習ですよと言いそうになって止めた。戦いに変化が見られたからだ。


 ヴェルナ―は気づいた。ある呪文が唱えられなくなっていることに、『天使化(アンジェ)』である。

 

 悪夢の降臨(インキュバス)_身体能力は、人間の幼女のそれに等しい。特性、魔法によって生じた生命体を強さにかかわらず一体だけ操る事が出来る

  

 眼前の忘却(フェアゲッセン)_自分が敵意を持った相手が、三つ以上の呪文をこの呪文使用時より、二十四時間前までに使用していることが唱える条件となる。相手もしくは、自分がこの呪文使用時の二十四時間前に唱えた呪文と同じ呪文を相手が記憶しているなら、その呪文を一つ忘れさせる。なお、これによって呪文の記憶が無くなっても、この呪文発動時に既に発動している呪文が無効になることはない。この呪文の使用者はこの呪文の発動後、二十四時間の間、この呪文の事を忘れる。

 

 ヴェルナ―はこの呪文の効果が、『搾取(ヴァール)』の最大の弱点であるランダム性を弱める事にも気づいた。つまりは、『搾取』が弱いのは、相手から奪う呪文がランダムだという事にある。ならば、奪っても効果の薄い呪文を忘れさせてしまえばいい。そうすれば、確率論からは抜け出せないかもしれないが、強烈な呪文を奪う事が可能になるという戦略である。

「全く、恐ろしいことを考えますね。」

 いっている事とは、裏腹にヴェルナ―は楽しそうな表情でボクを見る。

「気づかれちゃったみたいだけど、どうしようもないよね」

 ボクはそのヴェルナ―の表情をみて、にやにやする。

「深層の忘却(フェアリーレン)」

 続いてのボクの呪文、ヴェルナ―もこの呪文が何かを忘れさせるものであるという事には、気づいている。そして、記憶を探ってみる。案の定、一つ分、術を忘れている。

 忘れていたのはヴェルナ―の奥の手とも言っていい呪文だった。


 深層の忘却(フェアリーレン)_自分が敵意を持った相手がこの呪文使用時から、二十四時間前までに唱えていない呪文があることが唱える条件となる。相手が、この呪文使用時から二十四時間前までに使用していない呪文をランダムに一つ選択して、忘れさせる。この呪文の使用者は、この呪文の発動後、二十四時間の間、この呪文の事を忘れる。

 

「全く、全く、とんでもない子ですね。これはゆっくりしているような暇は無いようですね」

 それでも、ヴェルナ―の顔に焦りの表情は無い。知っているのだ。経験と知識がこの男の選択を間違いさせるようなことを引き起こさせないのだ。

「はあ、からかいがいないね。しょうがないね。賭けにでるよ」


「搾取(ヴァール)」


 ヴェルナ―はさっそく、忘れてしまった呪文を探す。なんだ。どれだ。これが勝負の行方を左右するといっても、全然、間違いではないのだ。探す。探す。探す。恐らく、一分もたってなどいない。それでも、膨大な、濃厚な捜索は続く。

 結論は、でた。『裁きの六の羽(エール・ダンジュ)』だった。ヴェルナ―が失ったのは。

 これが、何を意味するのか。ヴェルナ―の記憶にある呪文のうち、唱えたもので自分から、相手に攻撃できるものは無い。つまり、ヴェルナ―は攻撃できないとボクは思った。

 ボクはにったりと余裕を持ってほほ笑む。ボクは勝ったと勝利は決定したとさも言いたげに。

 でも、そんな、ボクの変化をガロアとヴィヴィアーニは意に介していなかった。いや、多少は気づいていたのだろう。でも、でも、そんなことよりも、二人がヴェルナ―とボクが同時にほほ笑み始めたことのほうが気になったのだ。

 冷静になったボクがそれに気付いた。

「えっ、えっ、えっ、なんで、なんで、笑ってるの。おかしくなったの」

 ヴェルナ―はまるで、先生が生徒に大人が子供に何かを教えるように言った。

「君は確かに、搾取したよ。でも、それは言ってみれば私の主力呪文だ。そして、これは切り札だ」

 ヴェルナ―は右手を地面に着けた。その右手から魔法陣が地面に広がっていく、大きい。ここに居るヴェルナ―以外の誰もがそう思っただろう。今まで、見たことのある魔法陣の大きさでないのだ。悪魔が召喚された時の五、六倍はあるだろう大きさだ。そして、ヴェルナ―は唱える。世界中の食を、命を食いつくした魔王を呼ぶために。


「奈落の降臨(アン・エバイゼム)」


 唱え終えたヴェルナ―はゆっくりと右手を地面からはがしていく。それにつられていくように、真黒というか、周りの色そのものを吸い取っていくような黒の流体が姿を現し始めた。その黒い何かはヴェルナ―が右手を空に向かってあげたのと同時に離れていく。

そして、そのまま、空に向かって飛んでいく。そして、そこで黒い球体を形成した。



 その光景を屋上から見たガロアが呟いた。

「なんつう、不気味な」

 その感想は的確に魔王を表現していた。禍々しさや、恐怖、そう言った感情を魔王は与えない。不気味、その一言でまとめ上げ、他人事のように第三者目線で見る。現実逃避、それ以外の行動や心理を奪い去る。あきらめるしかなくなる。

「見たことはないんですね。あの方の切り札ですよ」

「あいつは、俺の前ではなかなか、呪文唱えないからな。でも、あれはやばいな」

「それさえ、わかれば十分ですよ」


 黒い球体は魔王になる。


 黒い球体はまるで、太陽のコロナのようにその中を何かがうごめき始める。そして、突然、黒い球体が膨張し始め、砕ける。大量の黒い何かをまき散らしながら。大量の黒い握りこぶし大の球体が飛んでくる。空気を、大気を、木々を、校舎を、染めながら、いや、食いつぶしながら。

 黒い球体の通った後は見事に何もない空間が生じ始める。そして、その空間から、新たなる黒い球体が生まれ始める。その空間から、黒いシャボン玉が出てくるように。元々、大気を埋め尽くしそうな数だった黒い球体はゆっくりと、だが、確実にその数を増やしていく。そして空は色を食いつくされた。

「これが、魔導師の本気、なんだね。すごいよ」

 色を失った空を眺めながらボクは言う。


 絶望的、こんな空を見たら手を合わせ体を丸め神に祈るしかないような、そんな光景、屋上の二人もこれを見て声を上げられずには、いられなかった。

「これが、あいつの本気かよ。ありえねえ。あいつを怒らせるのは、止めとこう」

「ははは、いつみても、何というか。否定された気分になりますよ」

 心から、どうしようのない現実に出会ったら、人は、言葉を的確な道具として使用できなくなる。何も言えなくなる。

「全くだ。どうするつもりだよ。これ」



「危なかったです。こっちの術を取られていたら、私の負けでしたよ」

 でも、まだ、まだ、まだ、ボクの目には何かを、いや、勝利を取ろうとする意志が垣間見える。これでも、これでも戦いは終わらない。十二年前から、


第六章、科学的魔法論理とその歴史


 シモンはヴェルナ―とボクの戦いの中で意識を取り戻した

「ここは・・・何処だ」

 シモンは真黒な世界の中にいた。どの方向を見てもあるのは純粋な深淵。何をしても、変わることのない、自分が声を出せることさえ、忘れて言ってしまいそうな沈黙の世界。

 そんな世界の奥から、沈黙を破る足音。こんな世界を作り上げているのは、そう、ボクであった。長い髪をなびかせながら、ゆっくりと、まるで何年も出会えなかった最愛の人に出会うときのような笑顔で現れた。

「やあ、久しぶりだね。君に会うのも。早速だけど、君に手伝ってほしいんだ」

(何を言ってるんだ。この子は)

 シモンが困惑するのも当然である。この空間にシモンを閉じ込めているのは、間違いなくボクなのである。それなら、脅せばいい。酷く、人権うんたらかんたらが通用する世界でないことは明らかなのである。こんな状況を作り出しておいて、何をいまさら、頼むのだろうか。それもこんな無邪気な笑顔で。

「どうすればいいんだ」

 ボクは訴えかけるように言う。

「ボクと一緒に戦ってほしい」

「誰と?」

「魔導師と」

 シモンは当然、魔導師の存在を知っていた。ただ、なぜかそれをどういうもので、どういう仕事なのかを知ろうともしなかった。その上、魔法にかかわっていながら、なぜか、そのワードに嫌悪感を感じていた。

 困惑しているシモンに気づいて、ボクは言う。

「そうだね、そうだったね。記憶がないんだった。うーん、どうしようかな。面倒だから、記憶を戻すよ」

「はあ、えっええ、ええええー」

 記憶を奪った者が記憶を返すと言う。しかも、一緒に戦えと理解できない現状にシモンは、叫びをあげた。

 しかし、そんなシモンの叫びにも無反応で、ボクは唱えた。

「記憶の貯蔵(ヴェー・アトサッヘン)」

 ボクの頭から、大量の情報がシモンに流れ込んでくるような、そんな感覚をシモンは感じた。


記憶の貯蔵(ヴェー・アトサッヘン)_使用者と共有する記憶を好きな時間選択し、其の記憶を忘れさせる。その後、この技を受けたものを対象に再びこの呪文を唱えると、この呪文によって忘れた記憶を思い出す。



 記憶は紡ぎだす。その全てを、其の悲しみを。


 話は十数年前の後の魔法学校内まで遡る。

 ある一人の男が大学内で講義を行っていた。

「・・・・以上で講演会を終えます。何か質問はありますか」

 多少の沈黙の後、興味本位の学生が手を挙げて言った。

「先生にとって、科学とは、なんですか」

「・・難しい質問ですね。うーん、科学は思考の方法なのだと思います。人生で道に迷ってしまった時に基準となる思考の方法の一つ。ある者は宗教、ある者は恋人、ある者は国、ある者は友人、そして私は科学、それだけです」

 ポカーんとした学生は自分が質問していたことさえ忘れてしまいそうになった。それほど、わかりやすく、心から、質問の答えを知ったのである。

「あっ、ありがとうございました」

 講演会をしていた先生と言われた人は辺りを見回しながら言った。

「他に質問はありますか。無いなら、これで講演会を終わります」

 拍手の嵐の中、先生は会場を後にした。

 その後を急いで、付いてきたものがいた。十数年前のトリチュリである。

 トリチュリはこの大学の生徒で、先生の研究室で研究を行っていたが、半年ほど留学をして、今年帰って来たのだった。また、昔から先生とは交流があり、帰国後すぐに先生に会いに来たのだった。

「お久しぶりです。先生、講演会、素晴らしかったです」

 トリチュリは心からの賛美の感情を持って、先生に講演会の感想を言った。

「ああ、トリチュリ君か。どうだった。あっちの方の科学は」

「ええ、大変面白いものでした。強く興味をひかれるものも見つけました」

「そうか。君が興味を持つ物か。興味深いな。どうだ。時間あるなら、少し話さないか」

 先生の方も、懐かしい自分と考えの似た同志に出会えたことを心から、喜びを言葉の一つ一つに乗せていった。

「いいですね。行きます」

「ふふ、今日は楽しい日になりそうだ」



 先生、シモンの父であり、この大学教授であった。当時は魔法という概念はまだ、ファンタジーの世界の産物であった。この大学に居る誰もが、魔法が、この世の産物であるという考えを抱こうとは思わなかった。たった二人を除いて、この大学の生徒であったその二人は、真面目に魔法は、現実の産物だという事を知っていた。当然と言えば、当然である。その二人は、後の魔導師である。ヴェルナ―・ハイゼンベルグとトマス・ヤングであった。



 時を同じくして、この大学の理学棟の廊下。同じ学部の学生のグループの一人が、大学時代のヴェルナ―を見つけて、近寄ってきた。

「よう、ヴェルナ―。授業、これで最後か。これから、飲みに行かないか。女の子誘ってさあ」

「ああ、すみません。私はこの後、図書館に行こうかと、また、今度行きましょう」

 陽気に誘ってきた同じ学部の生徒に、申し訳なさそうにヴェルナ―はそう答えた。

「そうか。残念だが、また、今度な」

 ヴェルナ―が通り過ぎるのを待ってから、一緒にいた学生に話しかける。

「あいつ、付き合い悪いよなあ」

「というか。独特の雰囲気があるよな。上手く言えないけど」

「分からなくはないな。なんていうか」

「・・・・」

「・・・・」

「まあいいや。他の奴誘おうぜ」

「そうだな」



 先生とトリチュリはまだ、大学内で歩きながら談笑していた。

「で、弟さんはどうだい。元気にやってるかい」

「ええ、確かに元気ですが、残念ながらあいつは変人ですからねえ」

「はっはっは、それを君や私に言われたら、終わりだろ」

「確かに、そうですね」

 大学内の駐車場に向かっていく二人の横をヴェルナ―が通り過ぎた。ヴェルナ―の姿を見つけた先生は大きな声で彼に声をかけた。

「おーい、ヴェルナ―君」

 ヴェルナ―は振り向くと驚いた顔をした。

「なんですか。教授」

「この前の論文、素晴らしかったぞ。君には期待している。このまま、がんばってくれ」

 ヴェルナ―は背筋を伸ばして言った。

「ありがとうございます。がんばります」

 当時のヴェルナ―は他の生徒や教員から見ても才能にあふれる学生だった。実際、この会話の数か月前に自分の書いた論文を自分の担当教官と協力して、世に出すほどまでに至っていた。そして、同時にトリチュリと同じく先生の研究室の生徒であった。

「すまんな。ひきとめて、どうせ、この後に図書館だろ」

「ええ」

「全く持って、君は素晴らしいな。今、君が研究している内容に区切りがついたら、一緒に飲みに行こう。今日は、こいつとだがな」

 そう言うと、先生はトリチュリの方を指さした。

「その時は、ぜひ、お願いします」



 町の住宅街の一角。先生の車に乗って大学を出たトリチュリは先生の家に着いていた。大学教授と言う仕事の華やかなイメージとは異なり、その家は、住宅街で極めて大きいと言った類のものではなかった。それでも、庭は、綺麗に整えられていて、整った二階建てのそれなりには大きな家だ。

「久しぶりです。先生のお宅に行くのは」

「あのときは、弟も来ていたよな」

「ええ、愚痴みたいになってしまいますが」

「おおっと、そういう話は、酒を用意してからだ」

「ああ、そうですね」

 先生とトリチュリがリビングに入っていくと一人の少年を連れた優しいほほ笑みで夫人が現れた。

「おかえりなさい、あなた。そちらの方は」

 夫人は、トリチュリを手を向けた。

「おいおい、忘れたのか。トリチュリ君だよ。あの双子の兄の方だ。昔は、よく、来ていただろう」

「ああ、トリチュリさんでしたか。お久しぶりですね」

「ええ、お久しぶりです。奥さん。ええと、そっちの少年は、お子さんですか」

「ええ、そうなの。トリチュリさんは初めてですね。さあさ、シモン、トリチュリさんにご挨拶を」

 幼いころのシモンは、もじもじしながら、ゆっくりと言う。

「・・・え・え・えと、シモンです。五歳です」

「ああ、かわいいですね」

「だろ、だろ、いいもんだよ。子供は、君は、誰か相手はいないのか」

 先生は、シモンの頭を撫でながら、トリチュリを見て言った。

「すいません。勘弁してください」

「はっはっははっは」

「そうだ。お前、これから、トリチュリ君と飲むから、酒とつまみを頼む」

「わかりました」




 後の魔法学校、図書館。地方にある大学の図書館と大差は無いような大きさの図書館だ。来場者自体も、テスト前やレポート提出が近づいてこない限りは、ヴェルナ―のような常連でもなければ、来るものは少ない。常連、ヴェルナ―は、一人で図書館に来ては資料集めをしている。いつもは。珍しくヴェルナ―は、図書館の隅でトマスと小声で話していた。

「本当にやる気かよ、ヴェルナ―」

 トマスは、ヴェルナ―に確認するように言葉を吐き出す。

「ええ、今のところは、やるつもりです」

 トマスの様子とは、対照的に、冷静に、同時に心の奥に覚悟を覗かせるようにヴェルナ―は、言い放った。

「はあ、でも、迷ってるから俺に相談してきたんだろ。でも、なんで、図書館なんだ」

「何というか、落ち着くんですよ。ここは」

 そう言いながら、ヴェルナ―は辺りに目をやった。

「ああ、そうかい。まあ、いいや。で、はっきり言っとくが、俺は反対だ」

「やっぱり、そうなりますか」

 トマスの体つきから出てくる独特の迫力の乗った言葉にも、ヴェルナ―は、冷静さを覚悟を崩さずにそう言った

「当然だ。それが、事実であったとしても、知るべきでない現実があるんだよ」

 ヴェルナ―にとっても、そんなことはわかっていた。この理論が、この考えが、現実に与える影響が尋常では、無いこと。でも、同時に科学者として、求道者として、この事実が、人間の歴史の闇にもみ消されていけないとも感じていたのだ。それはもはや、人の知らない事実も知っている人間の圧倒的な優越感だけで、この事実を公表すべきではないと判断せざるを得ないものになっていた。

 魔法というオカルトと科学というセオリー、互いが互いを否定し続けていた二つの考え方が実は、全くおんなじだった。結果は目に見えている。




 先生とトリチュリの晩酌は終わりに近づいていた。

 二人の動作一つ一つが酔っていることを感じさせる。はたから見ても、よっていることが分かるぐらい二人は酔っていた。

「そうなんです。それで弟が・・」

「ははは。おお、もお、酒がないな。おーい。酒を持ってきてくれ」

 高いテンションの中、先生は手に持っていたワインの瓶を確認して、ワインの瓶を振りながら、夫人に酒がない事をアピールした。

「はーい」

 夫人も、これに慣れたようにワインを持ってきた。

「僕が持っていく」

 夫人が先生にワインを持っていこうとキッチンを通り過ぎようとすると、シモンが夫人の服をつかみ、引っ張った。

「えっ、ああ、じゃあ、お願い」

 ワインの瓶をシモンは持って、先生とトリチュリのところにもっていった。

「おお、シモン、御苦労。御苦労。お前も飲むか。なんてな」

 そう言うと、先生は持っていたグラスにワインを注ぎ、シモンに渡すそぶりをした。

「先生、そう言えば、シモン君の教育とかはどうされているんですか」

「おお。聴きたいか。聴きたいか。実は、特には、していないんだがな。自然に科学の本を読ん出るんだ。流石に学童書だがな。この前なんか、太陽の事を私に説明し始めたぞ。この私に、この私にだ。あいつは、将来、大物になるな。ははは」

 笑い声の響く中、それを無視するかのように電話のコールの音が鳴り響いた。

 すぐに夫人が電話を取り、用件を聞くと、先生に電話を持ってきた。

「ごめんなさい。あなた、ヴェルナ―さんからお電話です」

「ヴェルナ―か。わかった。すまんな。少し、席を外すぞ」

 そう言うと先生は、リビングから出て言った。

 それを見送って、トリチュリは、キッチンに戻ろうとした夫人に言った。

「奥さん、相当、先生はシモン君にご執心ですね」

「ええ、でも、あの人があの子に執心するのも、わかる気がするわ。実際、シモンは科学を相当好きみたいだからね。毎日、児童書を見てるだけじゃなく。最近は、あの人の書斎に忍び込んで、本を見ていたみたいだし、まあ、内容はわからなかったみたいだけど」

 夫人も、少し自慢げにシモンの話をトリチュリにした。

「はああ、天才の子は、天才ですね」

「何言ってるんですか。私も、科学は詳しくわかりませんが、あの人は天才ではありませんよ。でも、だからこそあの子に期待したくなるんですよね」

 そうだ。そうなのだ。決して、先生は天才ではない。先生の書いた数多くの論文はその多くが確かに優れたものではあったがむしろ、先生の偉業は数多くの若手を世に出したことであったからだ。膨大な努力のを積み重ねていくうちに多くの無名の科学者が書いた論文を読み、理解する。その過程で優れた若手を先生は見つけることになったからだ。先生の努力がなければ埋もれていた科学者も少なくは無かったのだ。



 先生は電話を取ると、先生は改めてヴェルナ―が電話をかけてきたという事実が、何を示すのかを、少し考えた。しかし、すぐに思い当たる原因も思い浮かばなかったので、そのまま、電話に出る。

「もしもし、ヴェルナ―君か。どうしたんだ。君が電話をかけてくるなんて珍しいな。なんか、あったのか」

「ええ、どうしても、先生に相談がありまして、先生は、ご自分の理論によって世界が変わるとしたら、どうしますか」

「普通なら、悩む必要もなく。発表すべきだという。しかし、君が悩むほどの状況だ。それでも、事実を、やはり、人は知るべきではないかね。例え、それで不幸になる人がいるとしてもだ」

「そうですね。その通りだと思います。ありがとうございます。おやすみなさい」

「ああ、お休み」

 ああ、全く持って大した子だと感心しながら、先生は電話を切った。



「何かあったんですか。ヴェルナ―が自分から電話なんて珍しいですね」

「ああ、何でも、とんでもない理論を提唱するらしい。君も頑張らないといけないな」

「はあ、あいつは天才ですね」

「ああ、数年後は恐らく、ヴェルナ―君の時代になるだろうな。まあ、すぐにシモンが取って代わるだろうがな。がっはっはっは」



 変わるという事、革命、新たな何かとの出会い。わかりきった事実ではあるが、其の改編の規模が大きくなれば、なるほど、単純にその変革は世界をそこにいる人々を時に変えていく、そして、時に蝕んでいく。

 


 それから数週間後、世界は変わった。一人のまぎれもない正しさによって、ヴェルナ―は言った。世界に魔法というファンタジーは、存在するという事実を。先生、トリチュリと言った何人かの者たちはそれを嘲笑という形で受け入れた。

 世界は受け取らない。その現実を、その答えを。

「全く、何を発表するかと思えば、あいつは、宗教にでもはまってしまったんでしょうか」

 明らかにショックを受けている先生を励ますようにトリチュリはヴェルナ―の理論をバッサリと切り捨てた。

「ああ、そうだな。そうだ。あいつも救ってやらなければな」

「そうですよ。まだ、あいつはどっぷりとはまってはいないはずです。まだ、真に会います」

 トリチュリは気づかなかった。先生の動揺がヴェルナ―という新たな科学を作り上げてくれる天才の消失を嘆くものでは、無いこと。そして、先生の科学にかけた時間がウソでは、ないこと。そして、それが紡ぎだす答え。

 


「ただいま」

 先生は、帰宅した。そこに待っていたのはつらそうな夫人の顔だった。

「おかえりなさい。ニュース見ましたよ」

 夫人もまた、今回の事を知ってしまったのだ。そして、何となく、何となくではあったが、夫人も先生と同じ事を心配していた。

「ああ、そうか」

 明らかにいつもと違う先生の様子が夫人にも事の重大さを告げていた。

「ええと、そうだ。シモンがまた、あなたの部屋で本を読んでいましたよ。心配なさらずとも、正しいものが評価される世界なんでしょう。時間はかかっても、シモンがその答えを出してくれるかもしれないじゃないですか」

「ああ、そうだな。そうなんだよな」

 先生は、玄関に泣き崩れた。家族という安心できる空間を認識して、今まで、ついさっきまで、閉じ込めていた感情が爆発した。泣くという動作を、泣くという感情表現が止まらない。静かに先生の背中は、何か重いものを背負っていた。



 魔法の科学的証明、其の理論が世界に与えた影響はとんでもないものだった。なぜなら、科学の長い歴史の中でも、これほど、突然、革命的な理論が出てきたのはほとんどないものだったからだ。少しずつ、真実に近づくのが科学の常識なのだ。当然と言えば、当然である。理論的な正しさがなければ、其の理論に正しさ何ていうものはない。その理論は、突然、生まれるものでは、無く。以前からあるものをつなげていくという作り方をするからである。だが、この理論は、違っていた。なぜなら、ヴェルナ―は、生まれた頃から、魔法を知っており、それを数字という形で表現することこそがヴェルナ―のしたことであったからだ。



「本当にやっちまったんだな」

 都市部から少し離れたカフェでヴェルナ―とトマスはゆっくりと時間を過ごしていた。いつもなら、図書館でひそひそ話に興じるのだろうが、流石に状況が違う。あれだけの事をしたのだ。図書館で話していたら、たちまち、人に囲まれてしまうだろう。それが、ヴェルナ―の理論に賛成か反対かはともかく。

「ええ、でも、今はすがすがしい気分です」

 ヴェルナ―は明らかに吹っ切れた様子だった。自分の使命は果たしたというような、そんな表情だった。

「あれから、何回か講演会があったんだろ」

「ありましたよ。まあ、講演会というよりは公開処刑と言うべきですけどね。尊敬していた師には、ありえないと言われ、興味本位の人にさえ、ありえないですよ。でも・・」

 トマスには、いや、トマスにも分かっていた。なぜなら、こんなにも気持ちよさそうに笑いながら、話すヴェルナ―を見たことが無かったからだ。

「楽しそうだな」

「えっ、ええ、そうですね。楽しいですよ。ずっと、世界にこの真実を伝えたかったので」

「案外、大丈夫そうで安心した。あっ、そういや、あいつはこの事をどう思ってるんだ」

 トマスはヴェルナ―の楽しそうな表情を見ながら、そう言った。

「ああ、『へえ、よかったね』だそうですよ」

「はっ、あいつらしいな」

「相も変わらず天才ですよ、彼は」

「お前が言うかっ!まあ、いいや、またな」

 そう言って、トマスは席を立って、金をテーブルに置いて、出口に向かって言った。

 不意にヴェルナ―は立ち上がって言った。

「トマス!」

「なんだあ」

 トマスは振り返ってそう言った。

「ありがとう」

 色々な、本当に色々な感情を包み込みながら、心からの感謝をヴェルナ―は、口にした。

「ああ、何の手伝いもできそうにないが、やっちまったんだ。勝てよ、世界に」

 照れくさそうに頭を描きながらトマスは言った。

「ええ」



 少しずつ、世界はヴェルナ―に傾き始めていった。わかりやすいほどに手のひらを返すように、ヴェルナ―の理論の正しさが証明され始めたのだ。何より、ヴェルナ―が生放送で、魔法を披露したのが大きかった。多くの反対派の科学者の前でヴェルナ―は唱えた。

「裁きの八の羽(エール・ダンジュ)」

 天使は舞い降りた。哀れなる者たちを華麗に見下しながら。哀れなる者たちのむなしき嘲笑の中を。

 ヴェルナーは言った。

「私が述べている理論は事実です。多くの方はこの理論を否定します。ならば、試してみてください。実験してください。計算してみてください。私も皆さんも科学者です。主観で語る人種ではないはずです。語ってください。私の理論の過ちを客観的な事実を持って否定してください。それができるなら、語り合いましょう。そして、絶対に納得させてみせます。私の理論が正しいと」

ゆっくりと、しかし確実に世界は変わっていった。



「ただいま」

 先生が帰宅した。出迎えたのは今にも泣き出しそうな夫人だった。

「おかえりなさい。・・・何ですかね。あんな大がかりな手品をやってまで、信じてほしいんですかね」

 夫人は見てしまったのだ。事実を、受け入れがたい現実を。

「・・・、ああ、そうだな」

 先生は何も言えなかった。励ます言葉も、同調する様な感想さえ言葉にできなかった。

「あっ、あなだあああああ」

 夫人は泣きながら、先生に抱きついた。先生は、それを抱きしめるわけでもなく。突っ立っていた。その様子を本を片手にシモンはこっそりとみていた。そして、それに気づいた先生が、シモンにほほ笑んだ。いや、ほほ笑むという顔の筋肉の運動をしていた。



 大学内での先生の立場は、良くない方向に向かっていた。魔法が科学だと言う者が最早、多数となっても、先生は、それを受け入れられなかったからだ。

「まだ、あの理論を信じきれないんですか」

「いいですか。考えを切り替えましょう。たかだか、昔の理論に新たな理論が加わるだけです。別に科学が無くなるわけではない」

「しょうがないですよ、先生。事実は事実なんです。認めなければいけない」

「えっ、まだ、否定派なんですか。ああ、すいません。質問は次の機会に」

「お久しぶりです。先生、魔法理論は、全く持って素晴らしいですね。あれっ、先生、何処に行かれるんですか」

 魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、魔法理論は、まひあhじあじょdじょだjだおぁおl。



「・・・・・」

 先生は、帰宅した。出迎えたのは、少し前、魔法論理が世に出る前の夫人だった。

「おかえりなさい」

 先生は、無言のまま、書斎に向かって行った。

「あなた、大丈夫ですか」

「心配するな。大丈夫だよ。大丈夫だ」

 先生は、ほほ笑んだ。確かにほほ笑んだ。

「ああ、良かった。今日は、あなたの好きなカルボナーラです。落ち着いたら、食べに来てください」

「ああ、ありがとう」



 シモンは書斎に忍び込んだ。いつものように、父がおかしいのは、幼いながらに気づいていたが、それでも、父譲りの科学に対する愛はそれよりも大きかったのだ。

いつものように、父親が書斎で突っ伏して寝ている横で、まだ、読んでいない本を物色する。いつものように、反応しない父の横で、いつものようによだれを流している父の隣で。

 いつものように!?????

 幼いながら、シモンの頭に恐怖がちらついた。いつも、いつも、いつもだったら、いびきは、いびきをなんでしていないんだ。いつもより、いつもより、父はぐっすりと眠っていた。



 知らなかった。私は科学を愛という感情を持って、接しているのだと思っていた。私は科学を興味という感情を持って、接しているのだと思っていた。しかし、実際は違っていた。ヴェルナ―君が魔法を科学と言った時、私はヴェルナ―君の理論を何度も、何度もその場の紙に書きなぐり、計算し、理解した。私の信じていた科学は間違っていた事を。私は科学を崇拝していたんだ。自分が作り上げた科学という想像の中でしか、私は生きていなかった。呼吸していなかったんだ。科学という私の世界の中でのみ、私は存在していたんだと気づいたんだよ。そして、その世界が間違っていると言われた時、私の全ては崩壊してしまったのだろう。すまない。私は自分が間違っていた事を見直すことはできそうにない。こんな弱い私を許してほしい。愛しい息子、シモンよ――先生。



 都市部から少し離れたカフェでヴェルナ―とトリチュリは、湿っぽいコーヒーを飲んでいた。

「先生が亡くなられた。夫人も後を追って、葬儀は、近いうちに行われるそうだ」

「そうですか」

「別に、お前に嫌みを言いに来たわけじゃない」

「でも、怨んではいる」

 ヴェルナ―は、トリチュリの目を見て言う。

「きつい所を突いてくるな。ああ、そうだ。怨んでる。でも、私も同じようなものだった。それに間違っていたのは、先生の方だ。わかっている。わかってはいるんだ。でも・・」

「納得はできない」

「ああ、そうだ。そうなんだ」

 トリチュリは、今にもどうしようのない、ぶつけようのない感情を吐き出そうとしていた。

「変えるという事がどれほど重い事なのかは、わかっているつもりでは、いました。でも、甘かった。十字架は背負うつもりです。先生には、親戚と呼べる人がいません。シモンは、私が何とかします」

 ヴェルナ―は、静かに、以前と変わらない覚悟を持ってそう言った。

「そうか、わかった。またな」

 そのヴェルナ―の感情の強さに畏怖を抱くしか、トリチュリにはできなかった。

「ええ」



 葬儀には数多くの科学者、学校関係者でおこなわれた。その中には、生前まで、先生の事を批判していた物の姿もあった。宗教と呼べるものを科学しか知らなかった先生だったが、葬儀は、カトリックの形でおこなわれた。葬儀では、多くの人々が涙した。

 葬儀後、先生の墓の前には、墓を見つめるシモンとそれを遠くから、見つけたヴェルナ―の姿があった。

 ヴェルナ―は、先生の墓を見つめるシモンの隣に立つ。

「先生は、素晴らしい人でした。かっこいいとか、頭がいいとか、そう言う事ではなく、躊躇などなく、清々しいほど科学を愛していました。『ああ、ここなら、愛していいんだ。科学を』そう思える空間を、あの人は、私たちに与えてくれた。そんな、素晴らしい人でした」

「そうなんだ。やっぱり、パパは、凄かったんだ」

 シモンは、声を上げ、まるで、父親に何かを伝えようとするかのように泣きだした。



 シモンが落ち着くのを待って、ヴェルナ―は話を始めた。

「私の名前はヴェルナ―と言います。これから、よろしくお願いします。シモン・ラプラス君」

「よろしく」

 シモンは、涙を拭いながら、それに答える。

「君は、科学が好きだと聞きました。私も科学は、大好きです。わからないことがあったら、何でも聞いてください」

 そう言いながら、ヴェルナ―は、シモンにほほ笑んだ。

「じゃあ、強い魔法を教えて」

「えっ、・・・わかりました。でも、強い魔法を覚えるには時間がかかりますよ」

 ヴェルナ―は少なからず、衝撃を受けていた。当然の事である。シモンの父、先生を死に追いやった原因と言っても、間違いではない魔法をシモンは、覚えたいと言ったのだから。

「大丈夫。ボクがんばるから」

 シモンは、それでも、無邪気に魔法を欲していた。

「そうですか。じゃあ、基礎から」



 それから、二年後、また、事件が起こる。

 自分のオフィスで仕事を処理していたヴェルナ―の元に、電話が鳴り響く。

 電話の相手は、焦った様子のトマスだった。

「えっ、シモン君が記憶喪失」

「ああ、何でも、自分の魔法で記憶を消したみたいなんだ。恐らく、事実に気づいちまったんだろう。驚いたぜ。大学病院に、シモンが連れてこられたのを見つけた時は」

「そんな」

 ヴェルナ―は言葉に詰まっていた。

「でも、酷い話だが、いい機会だ。親の敵と言ってもいいお前があの子の近くにいるのは、やっぱり、まずいだろ。これを機にあの子との縁を切れ。それがあの子のためだ」

 トマスは真剣にそれでいて優しく諭すようにヴェルナ―に語りかける。

「しっしかし、それでは、あの子は一人になってしまう」

 ヴェルナ―は、自分の中で納得できない自分の意志と戦っていた。

「心配しなくても、あの子は強い。五年も一緒にいたらわかるだろ」

「・・・・・ええ、そうですね。わかりました。恐らく、シモンが記憶を消したのも、私が親の敵だという言い逃れの無い証拠を知ったからでしょう」

 納得などヴェルナ―は、していない。それでも、自分のエゴにゆっくりと向きあい、シモンのためになるだろう結論を下した。

「そうだ。それがいい」

「しかし、金銭的な援助はします」

「ああ、わかってるよ。お前はそうするよな」

 呆れたような声で、トマスは言った。でも、トマスの表情は、親友への賛美の感情のみが支配していた。

「せめて、あの子には、幸せになってもらわないと」

「そうだな」



 とある病室、シモンと書かれた名札を確認して、ヤングが其の病室に入っていくと、窓を眺めるシモンの姿があった。

「おじさんは誰」

 シモンは抜け殻のような空っぽの感情で、まるで、そう言う事を義務付けられているロボットのように、淡々とその言葉を口にした。

「俺は、トマス・ヤングってもんだ。お前の、いや、どうも、俺は嘘が苦手だな。俺は、お前の代理の親ってとこだ。驚いたか」

 トマスは優しく、親しみを込めて、そう言った。

「いいや。記憶を失ってる時点で、本当の親が現れても、他人行儀になってるよ」

 それでも、シモンは相変わらず、感情を介さずに言葉を選んでいるようだった。

「そう・・だな。それと話がある。お前の将来の話だ。お前の成績なら、名門の高校に入れる。別に就職したっていい。結論は、すぐに出さなくてもいい」

 トマスは言葉を選びながら、シモンに優しく語りかけた。

「それなら、決まっている。おじさんの名前を聞いた時は、運命さえ感じたよ。僕を魔法使いにしてよ」

 そんな、そんなことってあるのだろうか。極端の言い方をすれば、シモンの両親を殺した魔法を、それも記憶を失った後になっても、必要とするとは。

「何でだ。何で何だ。なぜ、魔法だ。お前ほどの学力があれば、どんな高校だって受かる。魔法は、才能が無ければ、終わりなんだぞ」

 トマスは自分でもはっとなるほどに熱弁していた。当たり前だ。親友から託されたその子が自分から、奈落への道を選んでいるのだから。それでも、シモンの考えは変わらない。

「僕は、やりたいんだ。なぜとか、そんな理由が欲しいなら、理由は興味があるんだ。それが全てだよ」

 さっきまでの感情の通ってない言葉ではなかった。ただ、ただ、本心から、シモンはその言葉を口にしている。

「わかった。お前の決意は固そうだな。なら、魔法使いと言わず、魔導師にだってしてやる」

「お願いします!」




 シモンの居る大学病院の屋上、上に目をやれば、見えてくるのは青い空である。余りにも、トマスの感情と風景は一致しなかった。トマスは、この事実を忘れてしまいたくなるほど、屋上からの空は何の不純物も含んではいなかった。でも、其の現実は受け入れなければならない。トマスは、ヴェルナ―を呼び出し、シモンがした選択の事を伝えた。

「そうですか。シモンが魔法をやりたいと」

「ああ、聞いたときは、耳を疑った」

 ヤングが想像していたよりも、冷静に、ヴェルナ―は、現実を受け取った。

「でも、よかったのかもしれません」

 ヴェルナ―はトマスに聞こえない程度の声でボソッとそう言った。

「ん、なんか言ったか」

「いいえ、何でもありません。ただ、神様は皮肉が好きなんですね」

「そうかもな。ああ、めんどくせえ。お前んちにワインあったよな」

「ええ、どうするんですか」

 ポカンとした顔でヴェルナ―は、その疑問を口にした。

「飲むにきまってんだろうが」

 トマスはこの屋上から見える青空のような笑顔で、ヴェルナ―と肩を組んで、青空にそう叫んだ。

「はは、ありがとう。トマス」

 ヴェルナ―は、とめどない感情の濁流の中、その濁流を自分と共に先止めてくれる親友の存在を、心からの敬意と感謝の感情を持って、その言葉を飾り付けた。

「ああ、聞こえねえよ」

「はあ、全く、あなたは」


 第七章 現実と真実の行列式


 ボクは生まれた。あの日、父が死んでしまったあの日、ベットに泣きついたあの日、ボクは悲しみを貰い受けた。深くどうしようの無い悲しみを貰い受けた。ボクは気づき始めた。ボクにこの悲しみを与えたのが、親の代わりをし始めた男であること、この男がとんでもなく強いことも。

 ボクは学んだ。大好きな科学に割く時間を投げ捨ててまで、こいつを、この男を殺す力を手に入れるために。

 シモンは反対した。悪いのは、現実を受け入れなかった父だと、それを知ろうとも知らず全てを呪った母だと。

 ボクは思った。うるさい。うるさい。そんなことは、わかっている。わかってはいるんだ。それでも、ボクは許せないんだ。

 そうして、ボクはシモンの記憶を封印した。シモンの力が必要になるまで。

 その時まで。



 暗く、暗い深淵の世界、その空間にはより濃い深淵に染められたシモンとそれを見守るボクだけがいた。

「これが、真実だよ。なぜ、君の親がいないのか。記憶がないのか。そして、ボクは、誰なのか」

 悲しそうに、それでいて、シモンへの期待の混ざった感情をボクは、シモンに投げかける。

「嘘だ」

 シモンがしがみ付けそうな現実は何一つない。少し前まで、魔法が好きで、二人の仲のいい友達がいるだけの男は、突然、悲しい物語の主人公になってしまったのだ。

 親の死、ボクの正体、ヴェルナ―への恨み、世界の変革。頭をよぎる大量の情報たち。そして、体が崩れ落ちそうになる絶望感とほほを伝う涙。

「もう少しだけ、待つよ。君が立ち上がる瞬間を」

そう言うと、ボクは、暗黒の世界に消えていった。



 大量、青空の色を浸食し、光さえ、食いつくす魔王の一団。

 ボクはもう勝てない。そう判断したヴェルナ―は伝えることにした全てを理解したうえで、自分がボクに伝えなければならないことの全てを。

「告白しましょう。私は、あなたのシモン君の両親を殺した。しかし、そんなことをしでかしながら、私は、まだ、生きていたい。・・・・、わかっています。我儘だと、最低だと。しかし、それでも、私は、少しでも科学を、この世界を、見ていたい。・・・・しかし、あなたには私を殺す資格がある。なら、私は、あなたに殺されないだけ強くなる。・・降参しなさい。私にあなたを殺す資格などどう転んでも・・ない!もっと強くなって、私を殺すため、今はひきなさい」

 ヴェルナ―は、覚悟と自分の感情の全てを押しこめるように、その言葉を、その意思を、ボクに投げかける。

「そんなことは、知っているんだよ。でも、魔導師、知らないんだよ。あんたは、シモンの・・・・、強さを」



 ヴェルナ―の本気の訴えは届いてはいけない人、ガロアにも聞こえてしまっていた。

「何言ってんだよ、あいつ。あいつがシモンの敵ってことか。意味がわかんねえ」

 混乱がガロアの頭に、渦巻いて行く。ガロアとシモンで違うのは、だすべき答えを出すのが自分か他人かという事だけであった。

「なるほど。なるほど。シモン君は、先生のご子息の方だったのですよ」

 対して、ヴィヴィアーニは今起きている現実とヴェルナ―の言った事、そして、自分の知識を総動員して、なぜ、こうなったのかに気づく。

「いや、いや、何、一人で納得してんだよ、先生。意味わかんねえよ」

 受け入れられない。受け入れる必要もない現実だ。ガロアの目に見えるのは。

「ええと、つまりですね」

 ヴィヴィアーニは先生の事、先生が自殺したこと、その責任をヴェルナ―が感じていることを話した。

「・・・なるほど。そう言う事かって、何だよ、それ」

 何処にも、万に一つ、救いなどない。自分をこの崖から落下していくような、辛いだけの現実の応酬、ただ、落ちていくしかない。目の前を通り過ぎる崖の岩肌にはガロアが掴めるような、そんな部分は一つもないのだから。

「その事実を、恐らく、シモン君は、知らない」




 可能性、そんな言葉に惑わされるものは多い。それが、戦いという世界では本当に無意味に変わる。勝てる。その可能性にしがみ付くのは構わない。しかし、負けてはいけない状況では、そんなものにしがみ付く事に意味はない。無論、ヴェルナ―もボクさえ、そんなことはわかっている。それでも、ボクは魔王を見ても、ボクの心は折れない。


 なぜか、なぜ、ボクは心を折ることなく立っているのか。それは誰よりも、自分と共に生きてきたシモンがいる。その信頼がボクの心を折れさせないからであった。

 

 

 父の死、魔導師、ボク、トマス・ヤング、ガロア、エミリー、ヴィヴィアーニ。

 シモンの思考は、混ざり合う。少し前までのシモンの生活から、落とされた一滴の絵の具ではない。

 パレットの上に乗っていた使いきれなかった絵の具、それを筆でぐちゃぐちゃにかきまわして、それをシモンという水たまりに落としたような、そんな感じだった。

(何なんだ。何なんだ。何なんだ)

 わからないという事の恐怖におびえていた少年の心は、揺れていた。知るべきではなかった。知るべきではなかった。

(戦わなければならない?憎い。憎いのか。僕は)

 父親の死、それがシモンにとって、どういうものか。どういうものだったのか。ボクという新たなる人格さえ作り出してしまうほどのストレスだった。

 魔導師、シモンにとって、それは尊敬の対象だった。自分を育て、自分の世界における頂点、そんな存在だった。

(出せるのか。答えが)

 それはどうしようの無い選択だった。

 答えなどない。しかし、答えは、出さなければならない。

 悲劇。そんな言葉で、人はそれを終わらせてしまう。でも、シモンにとって、それは、向き合うべき現実、抗うべき世界、終わらせるべき思い。

(そうだ。そうなんだ。これは、僕が考えて、僕が終わらせなければならない問題なんだ)

 


「君はそう言う。でも、この戦いで私が勝つことに意味はない」

 そう言うと、ゆっくりとヴェルナ―はその場を離れようとした。

「知っているよ。でも、僕には、魔導師に用がある」

 そう言うと、ボクは、天に祈る。

「裁きの六の羽(エール・ダンジュ)」

 地面をえぐり、世界を滅ぼす。この光景、魔王と天使、余りにもわかり安すぎる光景だった。

 戦うだろう。魔王が咆哮し、天使が裁きを叫べば、そこには、いつだって、戦いがある。わかりきったことである。


「魔導師、ボクは何もボク一人で、君に勝てるなんて思ってはいないんだ」


 ボクは飛び込む。魔王を率いし、白き魔導師に。


「しかたありませんね」

 魔王は、蠢く。大量、そう言う言葉で簡単に片づけられない。視界や周りの全てを奪い取り、消し去る。かつて、ボクのあったドラゴンとは、違ったベクトルの恐怖。

 世界を照らし、あり続けるはずの天使の羽は、何の意味もなく。

 喰らわれていった。喰らわれていった。喰らわれていった。

 少しずつ、だが、常軌を逸した、その余りも大量な魔王の晩餐に羽は、跡形もなく消えていった。

 勢いだけが残ったボクの体は、運動場に転がっていた。



 ガロアは眺める。終わってほしい現実が崩れ落ちる姿を。

「これはあの女の負けだな」

 ガロアはその全てが確定したような現実を端的に表現した。

「いいえ。まだ、シモン君が答えを出していないのですよ」

 何のブレもなく。ヴィヴィアーニは言い放った。

「いや、先生、明らかに負けでしょ。ここからの逆転なんて」

 ガロアにしてみれば、ここで、ヴェルナ―がこの戦いを放棄する。その唯一つの選択肢のみが、希望になっていた。

「確かに、ありえませんね。まだ、どちらも可能性の全てを出し切ったわけではないのです」



 魔王に屈した天使を眺め、ヴェルナ―は言い放つ。

「まだ、戦うのですか」

 もはや、戦う気すら失いかけているヴェルナ―は早く、この戦いから、離れようとしていた。ヴェルナ―にとって、この戦いは終わっているのだ。しかし、ヴェルナ―とシモンの戦いを終わっているとは、思ってはいない。そして、その戦いの結果は決まっているのだ。その結論が出るのは、今ではない。それが、この戦いでのヴェルナ―の出した結論だった。

「うん、まだ、戦うよ。まだ、シモンが答えを出してないからね」

 でも、当然ながら、ボクは、納得などしていない。まだ、シモンを待つ。今まで、やって来たように、その答えがどんなものであろうと。

「生憎ですが、私も暇ではないのです。あなたが答えを出さないなら、私は、帰らせてもらいます」

 そう言うと、ゆっくりと、ヴェルナ―はボクに背を向けて歩き出した。

「待ってよ。まだなんだ。まだなんだ。まだなんだ」

 ボクはヴェルナ―を追いかけようとするが、魔王が、ボクを制止させる。


「なんて、理不尽なんだろう。なんて、悪夢なんだろう。なんて、試練なんだろう。僕の出した結論に、答えなんて無い。でも、答えにすることは、・・できる!!」 


 そこにはボクではなく。シモンがいた。答えを携えたシモンがいたのだ。

 ヴェルナ―は振り向いて、シモンをしっかりと確認した。

「シモン君、その顔は、全てを知ってなお、答えを出したんだね。聞こうか、君の答えを」

 ヴェルナ―の出した結論は、変わる。そして、再び、ヴェルナ―は、覚悟を決める。自分の命を、自分の未来を、全てを捨てる覚悟を。

「ええ、答えは、決まりました」



「シモンが戻ってきた。本当だったのか」

 ボクがシモンになる瞬間をその眼に宿したガロアの口からはそれ以外の言葉は出てこなかった。

「これからですね。戦うか。和解するか」

「決まってますよ。和解。それしかあり得ない。あのシモンが復讐を選ぶなんてありえない」

 ガロアは希望的予測を口にするしかなかった。この状況に最も衝撃を受けているガロアにとって、そう言う以外の選択肢はなかった。戦う。万が一にも、そんなことになったら、ガロアは、尊敬すべき師か、友、いずれか、もしくは、両方とも失う事になってしまうのだから。

「そうですね、そうだといいんですが」

 ヴィヴィアーニには、戦うという選択肢が、何よりも、頭をよぎっていた。

 同じような状況で、魔導師を倒すために、兵器開発に転向していった男を知っていたからだ。それでも、そんな男を見てもなお、ヴィヴィアーニは、それがまだましだとさえ思っていた。なぜなら、その男の方法では、ヴェルナ―は倒せない事が分かっていたからだ。でも、でも、シモンは、シモンは、違うのだ。シモンは、ヴェルナ―を倒すことのできる可能性がある。目の前に、殺したいほど憎い男がいて、銃を持っている。シモンの置かれた状況は、まさにそれなのだ。

 

 

「あなたと戦いたい」

 

 流れる沈黙。誰もが希望的予測を心に残していた。そして、それは無残にも砕け散った。

 

 

 叫ぶ。嘆く。受け入れられない現実に出会ってしまった。そうするしかない。現実は変わらない事が分かっていても、それでも、声を出さずにはいられない。

「おい。嘘だろ、シモン。ウソって言ってくれぇぇぇぇえぇぇ」

 ガロアは、その事実にゆっくりと、ゆっくりと、飲まれていった。

「そうです。それが、シモン君の答えですか」

 

 

「いいんですね。私が言う権利などないかもしれませんが、後悔はしませんね」

 ヴェルナ―は、ゆっくりと、ゆっくりと、その事実を飲み込んだ。

「ええ、後悔は、しません」

 シモンの覚悟は答えは、変わらない。

「わかりました。戦いましょう」

 蠢く魔王、彼にとって、人間なんぞの出した答えは関係ない。ただ、全てを飲み込むだけである。漆黒に、奈落に。

「人格複製(エーソリヒ・ぺルゾーン)」

 シモンの前に魔法陣が現れる。そこから、ゆっくりと長い黒髪の少女が姿を現す。よく見ると、それは、間違いなくボクだった。

「さあ、戦おう。シモン」

 ボクは、囚われた姫君が信頼する勇者に出会ったかのような希望と覚悟を持って、シモンの手を取る。

 シモンは、その手を握り、震えそうな自分の心を抑え込む。最早、逃げ場などない。目を背けては終われない。自分の出した答えに向き合う時間、それが今で、それは、抱えてしまった大きな箱なのだ。

 そう、中身のわからない大きな、大きな箱なのだ。

 

 

 シモンが答えを発言する少し前。漆黒の世界。

「答えが出たよ、ボク」

 ボクは、目をキラキラ輝かせながら、シモンの答えを受け取ろうとしていた。

「やっとか。待ったよ。何年もその答えを、それで、答えは」

 ボクはさっきとは打って変わって、真剣にシモンの言葉を待っていた。

「答えは」

 シモンは、ゆっくりと、片手をボクに差し出した。

「一緒に戦おう」

 ボクは、泣きながら、シモンが差し出した手をぎゅっと握り返した。

「ありがとう。ありがとう。その答えを、十年待ったよ」



 人格複製(エーソリヒ・ぺルゾーン)_複数の人格を持つ者のみ使用可能。使用者の主人格以外の人格を召喚する。



「なるほど。なるほど。わかりました。戦いは、これからのようですね」

 ヴェルナ―が納得するのも当然だ。相手は、ヴェルナ―が苦戦していたボクと恐らく、それと同じかそれ以上の力を持ったシモンなのだから。

「ヴェルナ―さん。僕はこの戦いに勝たなければならない。卑怯と言われても、ボクは二人で一人なんです」

 決意、何のブレもないまっすぐな目、もう、シモンの中にあることは、一つ。

 勝つ。勝つ。勝つ。それだけだ。

「いい眼をしている。君になら、君だからこそ、本気で戦い。そして、死ぬ事に意味がある」

 二人は、出会った。いや、確かに、二人は、とっくに出会っている。でも、二人は、今出会ったのだ。

「手加減は、しません。いや、そんな余裕なんてありませんよ」

 ヴェルナ―は片手をシモンに向ける。その後を追いかけるように、魔王の軍勢は、シモンと僕に向かっていく。空間を、景色を飲み込みながら。

「決めるよ、ボク、準備は、いいかい」

 シモンとボクは、手をつなぎ、唱える。


「記憶の交換(エアイホルング・ヴェクセル)」


 空から、魔王がその姿を消した。まるで、池に一滴の絵の具を垂らすように、ゆっくりと色を食われていた世界はその姿を、色を取り戻した。

 魔王が滅んだのだ。

 だが、だが、それだけか。魔王を滅ぼすこと、それ自体は、確かにすごいことだ。しかし、シモンとボクがヴェルナ―を倒せると確信した魔法は、そんなものなのだろうか。当然、そんなわけはない。

「はっはっはっはっは。負けですね。私の」

 すがすがしいほどの笑顔で、ヴェルナ―は、言い放った。

 空が晴れ渡った。そう思った瞬間に、ヴェルナ―は、咄嗟に自分の記憶の中にある魔法を探した。そこには、知らないはずの呪文が一つだけあるだけだった。

「僕たちの勝ちみたいですね」

 さっきまで、シモンとボクに向かって行った魔王の軍勢の姿は、そこには、無くなっていた。



「勝ったのかよ。マジか。でも、でも、それってよう」

 ガロアは、ヴィヴィアーニにどうしようの無い今の現状の説明を求めた。わかってはいる。ガロアにだって、この状況の意味くらい、わかってはいるのだ。でも、でも、それでも、自分の中だけで受け止められる現状では無かった。

「そうですよ。それは、ヴェルナ―さんの死を意味するんですよ」

 ヴィヴィアーニは、しっかりと、その現実を受け止めていた。それは、決して、決して、ヴィヴィアーニがガロアより、強いからでは、ない。単純に、それだけ、ガロアにとって、二人は、大切なものだというだけである。



「しかたありません。何の躊躇も要りません。私は、負けました。すきにしてください。どんな殺し方でも構いません」

 ヴェルナ―は覚悟をしていた。希望的な、自己中心的な、ハッピーエンド。そんなものなど、心の隅にさえ、置かずに。


「じゃあ、また、戦いましょう」

「ええ、そうですね・・・・えっ」

 関係ない。シモンは、そう言った無関心から来る事実の受け止め方をしたわけではない。シモンは単純に、純粋な感情を表現しただけである。

「何を言っているんですか。君の両親は、私が殺したようなものなんですよ」

 気をつけなければならない。決して、ヴェルナ―は死にたいわけでも、生きたいのでもない。それが矛盾していることは、ヴェルナ―自身理解はしている。それでも、あくまで、受け身に、ヴェルナ―はその答えを受け入れられない。

「分かってるよ。でも、ボクは、僕は、それ以前に狂おしいほど好きなんだ。この世界がこの世界の持つ不思議が、異常が、その一つである魔法が、まだ、あなたからも学びたいことが山ほどある。この狂おしさを作ってくれる人間が一人でも減るなんて、僕は許せない」

 シモンは科学者であった。二重人格者であるより、魔法使いでもあるより、ガロアとエミリーと友であるより、ヴィヴィアーニ先生の生徒であるより、復讐者であるよりも、科学者であった。ただ、それだけであった。自分に降りかかった不幸を、理不尽の元凶が、自分の見たい世界に必要。それだけの理由。そして、それがシモンの全てであった。

「はっはっはっはっは。いいんですか。本当に、本当にそれで」

「はい。それが僕たちの結論です」

 全てが、晴れ渡っていた。シモンは変えたのだ。そして、変わったのだ。

「・・・・・・。仕方ないよね。仕方ないんだ。納得は、いかない。でも、それ以上にシモンは、笑ってなきゃいけない気がしたんだよ」

 ヴェルナ―は、ボクに近づいて、耳元で語りかけた。

「君は強いね」

 ボクは長い黒髪に顔を隠しきった。



「ええ、ってことは」

 ガロアは、驚きの声を上げた。

「そうですよ。戦いは、終わったんです。二人は、生きていますよ」

 ヴィヴィアーニは優しく、この上ない賛美の感情を持って、その現状を表現した。ガロアは、この上ない喜びを持って現実を受け入れた。



 ヴェルナ―は、シモンに手を差し出した。シモンは差し出された手をしっかりと握りしめる。

「約束しよう。また、戦おう。君に与えられた時間を無駄にしないように、次はもっと強くなってね」

「はい。楽しみましょう。この狂おしい理不尽を」

 

 晴れ渡っていた。世界も、彼らも。そして、彼らは楽しむのだ。空に浮かぶ雲も雲から落ちてくる雨も、全てを知って、考え、楽しむのだ。


 記憶の交換(エアイホルング・ヴェクセル)_自分が仲間という感情を抱ける相手を選ぶ。その際、選ばれた相手もこの呪文の使用者を仲間だと思っていなければならない。選んだ相手と敵と認識した一人の人間の記憶している魔法を使用時から二十四時間の間、全て入れ替える。また、大量の魔力を必要とするため、魔導師クラス二人の同時詠唱によって、使用が可能になる。この魔法使用時に、発動していたこの魔法の使用者及びその対象者となる二人の魔法は、全て無効となり、打ち消される。


 終章 BOy MEETS GIRL


「それで、それで、どうなったの」

 魔法大学のシモンのクラス、シモンの机の前に、ガロアとエミリーが集まって、シモンがヴェルナ―と戦った事をエミリーに語っていた。

「あんときゃ、本当にビビったぜ」

 ガロアは、もういい思い出程度に、あの時の事実を受けいれていた。

「別にあんたには、聞いてはいないわよ」

 相変わらずだ。日常ってやつは、どんなことがあった後にも、訪れる。例外なったものはない。

「はい。はい。ホームルーム、始めますよ。そこの三人組」

 先生が教室に入って、明らかに目立つエミリーの服を見かけて言い放った。

「あれ、もう、ホームルームの時間ですか。先生、今、いいとこなんで延長を」

 いつの間にか、先生はガロアの隣にいて、ガロアの耳を引っ張った。

「はい。はい。だから何。早くしないと席に縛り付けるわよ」

「分かりました。調子乗りすぎました。さあて、エミリーは、早く教室戻れ」

 そう言って、ガロアがエミリーのいたところを見ると。

 ・・・・・。

「あれ、あれ」

「エミリーさんなら、とっくに教室を出て言ったわよ」

「早いな」



「ええと、実を言うと、シモン君に続いて、なんと、また、転入生が来ました」

 先生が、そう言うと、教室の中に長い黒髪に白いローブの少女が入って来た。ガロアが、あれっ、見たことあるな。誰だっけと思ったのも、無理はない。

「自己紹介、お願いね」

「はい。ボクの名前は、ヴァネッサ・ラプラスです。宜しくお願いします」

 ・・・・・・。

「あれっ、俺は、目がおかしくなったのか。何で、何で、お前がいるんだぁぁぁぁぁ」

 ガロアが仰天するのも無理はない。どうしたことか。なぜか、ボクがいるのだ。しかも、魔法大学に、転入生として。



 ホームルームを終了し、すぐに体を九十度転回し、シモンに食ってかかる。

「どういう事なんだよ。あっれっ!!」

 ガロアは、もう早速、転入生の恒例の試練にもまれているボクを指さして言った。

「ええと、実はね」




 話は一日前に遡る。

「おはよう、シモン」

 眠たそうな顔で布団から体を起こしたシモンに、ボクがほほ笑んで、挨拶をした。

 実は、あの戦いの後、なぜか、ボクは消えなかった。

 通常、魔法によって、生じた生物は例外なく消える。彼らが何処に行くのか。どうなるのかは、今の科学では分かっていない。だが、ボクは、消えなかった。理由をシモンも、シモンから、説明を受けたヴェルナ―も小一時間考えたが・・・・。

 結論は、・・・・わからない。

 いつかは、わかるかもしれないし、わからないかもしれないが、そんなことは、シモンにも、ヴェルナ―にとっても、どうでもよかった。ただ、単に日常を劇的に変えてくれる刺激、興奮、好奇心、彼らは何時だって科学者だ。

「ああ、おはよう」

 結局、ボクは、シモンと一緒に住むこととなった。シモン的には、いくらなんでも、自分の分身なのだから、いいかなと思っていた。

「御飯できたよ」

 ボクは料理が上手い。あくまで、味の話だが、ボクは化学としての、物質の配分という意味での料理は、上手い。本を片手に、料理する。それがボクという女の子の料理のスタイルである。

「ああ、ありがとう」

 卓袱台がシモンの隣に置かれていた。その上には、ベーコンを炒めたものとパンが明らかに見た目ではベーコンである事やパンである事が判断できないような姿をして、並べられていた。まあ、料理の形が悪いのは、しょうがない事だ。

 シモンの部屋は狭いので仕方なく、多少の距離を取りながら、敷布団二つを置いて寝たのだ。正直、布団を二枚敷くと部屋が埋まるくらいの広さである。

「相変わらず、おいしいな。ボクの料理は」

 シモンが、何気なく言ったその一言を拾い上げ、ボクは、満面の笑みで、シモンに言った。

「そう、そう、ボク、頑張ったんだよ」

 ボクの勢いに驚きながら、シモンはボクの心にしみこむように言った。

「おいしかったよ。ありがとう」

 ボクは、照れながら、子供のように純真な笑顔をシモンに向ける。

「うん、どういたしまして」



 シモンが食事を終えると、ボクがシモンの食器を流し台に運び始めた。

「ああ、食器を洗うくらいならやるよ。食事は、ボクが作ってくれたんだし」

 ボクは一瞬驚いたような顔をした後に、

「うん」

 シモンが食器を洗っている間にボクはテレビを点けながら、ひとり言のように言った。

「ねえ、シモン」

 食器を洗うのに集中しながら、シモンは軽く返事を返した。

「んん、何」


「ボク、今日から、シモンの通っている学校に行くから」


 そのボクの声をかき消すようなタイミングで、部屋中に皿が割れた音が響き渡る。

 シモンは、我に帰るまでに僅かの間を置いて、ゆっくりとボクのほうに体を方向転換した。

「え・・え・・・。本当に」

 ボクの返答を焦り顔で待っているシモンに、純粋無垢なほほ笑みと共に、ボクは、言い放つ。

「うん。本当だよ」

 シモンは片手に泡だらけなスポンジを握りしめながら、ボクを問い詰めに卓袱台の前に座った。

「いや・・、でも・・・、そうだよ。ボクは、まだ、魔法試験を受けてないんじゃない」

 我ながら、いい所に気付いたと思いながら、ボクなら試験をすぐに受けそうだな。どうしようと考え始めたシモンに、ボクが一言。


「ああ、それなら、トマスの弟子になったんだ」


「えっ」

 そう言うと、シモンは静かにポケットから携帯を取り出して、トマスの携帯に電話する。

「もしもし、どうした?シモン」

 電話の声の中、誰かが殴られている音が何回か混ざってきた。

「どうしたじゃないです。なんで、ボクが学校に通う事になってるんですか」

 シモンの勢いに戸惑い。少し考えた後、トマスは話し出したこの喜劇の真相を。

「・・・・。んーとな。まあ、本人が行きたいって言うんだからいいじゃねえか。それに、流石にボクって名前はどうかと思ってな。ヴァネッサって名前にしたから」

 てきとう。トマスだ。何処まで行っても、魔導師であっても、何も変わらない。このてきとうな感じ、変わらない。

「いや、いや、いや、そんな無茶苦茶な。ボクは、ボクは、・・・。あれっ」

「そうだろ。確かに、ボクは魔法で召喚された存在だが、人間だからな。学校に通わせない理由がないんだ」

 そうだ。そうなのだ。ボクは、確かに異質な存在なのだが、一つとして、魔法学園に通わせない理由がないのだ。




「そう言うわけだよ。だから、通わせない理由がないんだよ」

 シモンは、しょうがないと言った顔で説明を終えた。

「なるほどなあ。・・・・って、そんなんで納得できるかああ」

 無理もない。ガロアにしてみれば、ボクは、トラウマの根源であったからだ。それも、魔導師を怨むという分かりやすく強烈なキャラクターを持っていたはずのボクが、なぜ、魔法学校に通っているのか。

「そう言われてみれば、なんで、ボクが魔法学校に来たいって言った理由は聞いてなかった」

「そうだよ。それが足りないんだ。何で何だ」

 ガロアは、改めてボクを見ると考え始めた。

「ふーん。かわいい子ねえ。あれが転校生か」

 ・・・・。

「すいません。エミリーさん。あなたは、俺の知らない間にテレポーテーションできるようになったんですか」

「なんか、転入生の子、シモン君に似てない。もしかして、双子」

 軽くガロアのオーバーリアクションを無視して、エミリーは、話し出す。

「・・。ええと、彼女は、僕の双子の妹なんだ」

(そうだよね。普通はそう思うよなあ。まあいいや。その方が都合がいいし)

 ごまかそうとしたシモンの声が聞こえたのかボクが、シモンの近くまで来て、シモンに反論する。


「何言ってるの。シモンはボクのお兄ちゃんじゃないよ。ええとねえ。シモンは、ボクの、ボクの・・・・・何なんだろう」


「あのう。一つ聞いていい。エミリー」

 にやにや笑いをしているエミリーに、シモンは言った。

「なにかな。ふふふ」

「なんか誤解してないですか」

「してないわよ。ただ、一人の少女が、一人の少年への気持ちに気づいてしまったという場面を目撃しただけよ」

「青春、やべえ、やべえ、何だろう。この歓喜、そして、嫉妬、これが青春なんだな」

「何、遠い眼をしてるんですか、ガロア」

「いやあ、あんなもの見せられたらねえ」

「ねえ」

 二人は、顔を見合せながら現状を語った。

「なんだよ。この面倒な状況は」

「あら、あら、ガロアさん。シモン君がぐれてしまったわ」

「まあ、まあ、エミリーさん。怖いわねえ。これが最近の若者なんでしょうねえ」

 


 放課後、シモンは、ボクの手を取って屋上に連れ出した。

「ごめんね。困らせちゃって」

 反省したような口調で、ボクは、シモンに語りかける。

「気にしなくてもいいよ」

 シモンは、冷静に返答する。

「じゃあ、どうして、ボクを呼んだの?」

 頭を掻くながら、恥ずかしそうにシモンは話し始めた。

「今回のことで、ボクは我慢してくれたんだよね。僕のために、そのお礼ができてなかったと思って」

「そんなの気にしなくても」


「ありがとう。ボクのしたこと、許せないようなこともある。でも、それ以上に自分の気持ちを抑えつけても、それでも、僕に、いや、俺に着いて来てくれた。だから、言いたいんだ。ありがとう。変わらないこの気持ちを」


 ボクは、再び、顔を隠した。でも、それは一点の黒さの無い純白のローブの中だった。

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内容的に魔法を科学にというより、科学を魔法で表現するようなつもりで書いた作品です。

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