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第1話「初めは2人」

「……?」


…………


………………



 暗い。あまりに静かな空間だ。新品のキャンバスみたいなところに、自分の心音と呼吸音だけが色をつけている。


…………


………………


 少しずつ、周りの様子が見えてきた。

 人間が見えるギリギリの明るさに保たれているらしい。何の為に?


……………


 長い廊下のような空間だ。奥に行くほど暗くなって、最後は完全な闇になってしまっている。右手にドアが見える。その向かいに、太いパイプが上と下を貫いている。下水道をそのまま通路にしたみたいな容貌だが、その割に空気は普通だ。

 ここに目印は何もない。下手に歩いたら、迷子になってしまいそうだ。そんな気がした。

 とはいえ、流石にこのまま突っ立っている訳にも行かない。手前からドアを開けて、そこを探索して、何も無ければ戻ってきて、さらに奥に行けばいい。そうすれば、大丈夫。

 ……念の為後ろを見る。ただの壁だ。あっちもこっちも、つなぎ目もムラも一切ない壁。見える範囲にドアがなかったら気が狂いそうだ。

 ドアに近づく。壁と同じ色のドアに、金属のドアノブがついている。この明るさの割に光沢が感じられて、かなり目立つ。この空間を作ったヤツがいたとしたら、そいつも気が狂いそうだったのだろうか。

 ドアと壁の間には隙間を感じるが、ドアの奥から光などは見えない。ドアの奥が、本当に完全な暗闇であったらどうしようか?

 そんなことを考えていても仕方がない。ドアノブを回す……動かない。鍵でもかかっていたら、こんな所で探すのは大変だ。

 逆向きに回してみる。動いた。随分開けにくいドアのようだ。

 ドアは開きそうだが、それにしてもかなり固い。立て付けが悪いとかそういうことではなく、奥に人がいてドアノブを引っ張りあっているような感覚…と言っても、私にはわからないが。

 仕方が無いので、全体重を預けて、思い切りドアを引く――押すことも試したが、開く予感すら感じなかった――。

 開きそうだ、と思った瞬間、手がドアノブから離れる感覚がする。このままでは頭から倒れそうだ。ドアは開いたのか?それを見る前に、視界が失せた。



「…………!」

「……い!」

 何か声が聞こえる。耳元で言われている気がするが、何を言っているのか分からない。

「……おーきーろー!!」

 急に大声に聞こえて、驚いて飛び起きる。やーーっと起きたな!と声がする。

「全く、こんなとこで倒れてるとかちょっと変……ってか誰?私の次くらいに美少女だけど〜」

 ……勝手に話を進められている気がする。

「こんなところって……そもそも、ここってどこなんですか?」

 草が短く揃った草原、奥に見える街のような色、森と花のような色……

 現実らしいが、現実らしくない。少なくとも、私の知っているものではない。

 起き上がってから目に入ったのは、前述のソレと、耳元と目の前で騒ぐ……桃色の髪を低い位置で2つに結んでいる、桃色と黄色の目をした少女の顔だった。誰なのか聞きたいが、自分のことを探られ始めると他の情報を語ってくれなくなる人もいる。ここは冷静に、まずはこの世界のことについて質問した。

 ……つもりだったのだが、少女にとっては意外な反応だったらしく、ええー!?と目を丸くして、身振り手振りで"驚き"を表現している。

「ここがどこかわからないって言うわけ!?嘘でしょ!?」

 どうやら、この世界でこの場所がわからないということはありえないことのようだ。東京を知らないようなものなのだろうか……?

 コホン、と咳払い――実際は「コホン」といっただけである――をして、真面目そうな顔になる。

「まあでも、具体的にどうって説明するのも難しいな……あ、そうだ!」

 そういうと、私の服の袖をグイグイと引っ張り、最初に見えた街のような色を指す。

「あんたの視力がどれくらいかは知らんけど、あそこに街があることくらいは見えるでしょ?とりあえずあそこに行けば何とかなるから!行こうぜ!」

 袖を掴まれたまま走り出した。本当に慌ただしいヤツだな、と思いながら、仕方が無いのでペースを合わせてついて行くことにする。


「本日でしたら……ちょうどどのお部屋もひとつずつ空きがありますよ」

 結果、ある施設に連れ込まれた。ホテルというか宿屋というか、とにかくここは宿泊施設らしい。

 ついでに会話を聞いていてわかったことがある。どうやらこの少女は、この街の中ではかなり顔がきく人物のようだ。有名人なのか裕福な家の生まれなのかは知らないが、とにかくその権威を借りてことが上手く運ぶなら、それはいいことだろう。

「あーよかった!うちに泊めたい気持ちはあったけど、ごちゃごちゃしてるし狭いからね……」

 受付の言葉で、少女はホッと胸を撫で下ろす。

「ところで……さっきからひっとことも喋らないけど、あんたはここに泊まるってので大丈夫?」

 最初はただただ困惑した。

 この施設が見えた時、私は何か詐欺にでも巻き込まれたんじゃないかとか、営業に捕まったんじゃないかとか、とにかく色々と考えた。この世界の通過が円であるとは限らないし、価値が同じとも限らない。変な契約を結ばされたら大変だと思って身構えていた。

 しかし、この少女は……完全なる善意で、私に今夜の安全を提供しようとしてくれているらしい。

 もしかしたら翌朝、高額な額の請求や違法な仕事を勧められる等あるかもしれないが…この世界のことが何も分からないのは事実である。今はこの少女の善意を思い切り貰っておくことにする。

「……私が記憶喪失ってのは間違っていないでしょうし、私一人じゃどうにもなりませんから」

 嘘もあるが、正直すぎるのも面倒だ。しばらくこの嘘はつき続けよう。

「せっかくここを紹介してくれたわけだし、泊まれるというなら泊まらせてもらいますよ」

「うん、長い!とりあえずあんたがいいならそういうことで…あ、あんた金無さそうだし、宿泊料金はこの美少女が払ってあげるよ」

 面倒な借りが増えてしまった……というのは心の奥にしまっておいて、本当に今回はこの少女の善意にのらせてもらう。

「……なんかずっと敬語だけど、別にタメ口でいいからね?」

「……ああ、ありがとう……」


 チェックインを済ませ、私は宿の中に入った。

 なんというか、現実の民宿のように木造の質素な造りをしている。今にも床が抜けそうなどという考えまでは浮かばないが、それにしてもどこか不安になる。

「床が抜けそう、って思ったでしょ?」

 静かに歩いていた少女は、歩みを止めずにこちらを向いて語りかけてきた。

「いや、別に」

「へぇ〜?あんたって結構肝が据わってるタイプなんだね」

「だいたいここに初めて来る人、みんなビビっちゃってまともに案内できたことないのに…あ、もしかしてもう来たことあった?」

 "記憶喪失"だとしたら来たことがあっても覚えていないのではないか?ということには突っ込まないことにする。

「覚えている限りでは来たことはないかな。宿泊施設に泊まったという記憶ですらほとんどない」

 そう答えると、少女はふーんと鼻を鳴らしながら、前を向き直す。

 少しの沈黙が流れた。

「……ところでその、私の名前はリラなんだけど…あんたの名前って覚えてる?」

 今度はこちらを向かずに語りかけてくる。

「…………名前か」

 私の名前。

 実際のところ記憶喪失ではないので、覚えていないわけではない。ただ、あまり口にしたいものではないし、口にされたいものでも無い。

「あー……えっと、別に覚えてないならいいんだけどさ、ずっと"あんた"って呼ぶのも嫌かと思った。それだけだから」

 ……どうやら思ったより私は考え込んでしまっていて、さらには考え込んでいることを察されてしまったらしい。そこまで気を使わせるつもりはなかったのだが、今度、適当な偽名でも考えておこうか。

 ……気まずい空気が流れる。意外と部屋までの道のりが長いことも、空気をさらに悪くしている。

 気が散ってきた。

 何となく窓の外を見る。どうやら窓の先は中庭らしい。もう外は暗くなっているが、よく見ると桃色の何かの気が見える。

「あの桜綺麗でしょ?この宿の主人かなんかが手入れしてるんだって。まあ、わざわざ手入れしなくてもあれは枯れないはずなんだけど……愛着があるってやつ?」

 私が窓の外を見ていることに気づいた少女……リラは、気まずさを誤魔化すようにそう語る。

「あっ待って、ここに来たことないなら主人の能力も知らないか!ここの主人の能力は――」

「ちょっと待って、ストップ」

 平然と語り出すので思わず止めてしまった。止められた方はキョトンとしている。

 能力?能力と言ったら、創作で出てくる超常現象みたいなあれじゃないか?かなり現実に近い世界に見えたが、それは私の勘違いだったのか…?

「えっと、もしかして人の能力の話が好きじゃないタイプ?」

 少し奇異の目で見られているような気がする。私はどうやら、かなり変なことを言ったようだ。

 リラはしばらく固まって、そして、ハッとした顔で口を動かし始める。

「っていうかあんた記憶喪失なんだよね!そりゃ能力の話って言われてもわけわかんないわけだ!」

 既に記憶喪失ならおかしい会話をしているはずなのだが……なんだか心配になってくる。ただとにかく、私にとって都合のいい解釈をしてくれているようだ。

 リラはよし!と言って歩みを止め、体ごとこちらに向け、能力についての話を自信満々にペラペラと語り出した。

 ……要するに、この世界の人間には全員、規模は違えど何かしらの能力があるらしい。そしてそれは創作でよく見る超常的なそれであっていて、能力が単純すぎたり、逆に便利すぎて利用されかねない人は自分の能力を隠して生きたりしているらしい。

「で、ここの主人の能力は"生物誘導"で、その中でも植物に特化してるわけ。だからこの建物も割と綺麗だし、中庭に桜が咲き誇ってる……って、ちゃんと聞いてる?」

「聞いてる聞いてる。だから桜の手入れは必要じゃないって言葉になったんでしょ?」

「そうそう、その通り!で、この話を聞いた上でもっかい見てみてよ、あれ」

 話が一段落し、催促されたのでもう一度窓の外を見る。綺麗な、立派な桜の木だ。手入れがよくされているというのが私でもわかるが、手入れがいいとか悪いとか、そういうことでは片付かない現象が起こっている。窓の外では桜の木が風に吹かれ、まるでタンポポの綿毛を拭いたようにパラパラと多くの花びらが散っている。にもかかわらず、桜の花びらが減っているようには見えない。

「あれが能力の影響。ここの主人は自分の能力で、あの桜を全盛期の状態…つまりは満開で桜の花びらがヒラヒラ舞う時期に保ってるの!すごくない?」

 桜の花。何となく、昔からずっと好きな花だ。

 やはり能力などという超常現象が関わっているからか、この桜は現実離れした美しさを持っているような気がする。

「……サクラ」

「ん?どした?」

「私の名前、かな」

 私は、自身をサクラと名乗っていた。正確には、無意識的に口から漏れ出てきた言葉をそのまま名前としたのだ。

 別に、本当にサクラという名前である訳では無いのだが…

「やっと名乗ってくれた?まずいこと言っちゃったかと思ったけど……じゃあよろしく!サクラ!」

 今までの気まずさが嘘かのように、リラは明るくなった。まずいことを言ったというのはあながち間違いではないのだが、余計なことは言わないでおこう。

「ああ、よろしく。リラ」


 しばらくして…

「……ひとつ聞いてもいいか?」

「なに?私が美少女すぎてつい探りたくなったとか?」

 その後ホテルの部屋について、荷物もないのでそのままベッドに入った。風呂にだけは寝る前に入らないといけないなとか、明日からどうしようかとか、そういうことをぼーっと考えていて……ふと思い出した。そういえば、リラはどこに行ったのだろうと。結果…

「なんであなたもここに?」

 そう、隣にいたのだ。

「なんでって……だって払ってるの私だし〜」

 右手でクルクルと髪をいじりながらそう答える。確かに、私はここの代金をリラに払って貰っているのだが、かといって自分まで泊まったら料金が増えてしまうのではないか?

「私が払ってるのに、あんただけ泊まるってちょっとずるくない?私にも泊まる権利があると思うんだよね!」

「だから部屋もダブルでとったんだから!受付の人だって確認してたでしょ?」

 私の方を真っ直ぐ見つめてくる。

 確かに部屋に入った瞬間、目の前にベッドが2つ置いてあるのは見えたのだが、全ての部屋がそういう作りなのだと思って特段気に留めることはなかった。まさかダブルだったとは……正直、チェックインの時は色々と考えを巡らせて、リラが良さそうな対応をしていたので、私自身は何も聞いていなかった。勝手にシングルでとったものだと思い込んでいたのだ。

 そして、金のことを微塵も気にしている様子がない。余程裕福な家の生まれなのだろうか……

 幸いにも、この世界の(あるいはこの宿の)ダブル部屋は、引き出しを挟んで2つのベッドが並べられている配置なので、隣同士で寝ることにはならない。が、さすがに今日が初対面の人と寝るのは……どうなのだろうか……

 

 ……

 

「……って、急に黙り込んじゃってどう……」

「…………あれ、おーい……もしかして寝た?ちょっと嘘でしょ!?」

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