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第4章 言葉を超えて届いた声

人生のはじまりを、誰もが平等に祝福されるとは限らない。


1981年9月、僕は重度の二分脊椎と水頭症という先天性の障がいを持って生まれた。医師の口から出た言葉は、「余命3か月かもしれない」という、あまりにも重く冷たい宣告だった。生まれた瞬間から、僕の人生は「いつまで生きられるか」ではなく、「どこまで生き延びられるか」という基準で語られていた。


下半身は麻痺していた。歩くことなど到底無理だと誰もが思っていた。家族の中でも、母は4歳になるまで僕にほとんど関心を持たなかった。父も深くは関わらず、育児を放棄された僕を守ってくれたのは祖母の冴子だけだった。

誰にも愛されない場所から、奇跡のように立ち上がるまで。歩けないはずの足が、自宅での冴子のマッサージと支えの中、ふとした瞬間にわずかに動いた。その小さな一歩が、僕に「希望」という言葉を初めて与えてくれた。

だが、歩けるようになったからといって、世界が優しくなったわけではない。保育園、小学校、中学校——どこへ行っても、僕を待っていたのは“異物”を見る目と、言葉にならない拒絶だった。友達は一人もいなかった。手を伸ばしても、そこに誰もいなかった。

それでも、僕は手話という「もうひとつの声」と出会ったことで、“伝えられる自分”に変わっていった。声を出せなくても、心で語れる方法がある。そう気づいた瞬間から、僕の世界は少しずつ変わり始めた。

この物語は、障がいを持つ一人の男の44年間の記録であり、人生の断片の積み重ねである。葛藤、孤独、怒り、そして希望。それらすべてを胸に抱きながら、僕は今日も杖をついて、自分の足で歩いている。

風のない空でも、翼はなくても、僕は翔けてきた。これは、そんな僕の、実話に基づいた物語である。

◆1.中学校入学と新たな決意


 春の陽光が校門の鉄柵に反射し、まるで新たな希望を象徴するように輝いていた。直樹が中学校の制服に袖を通すのは、この日が初めてだった。


袖口はわずかに大きく、身体に馴染んでいない感覚があったが、それでも彼にとっては誇らしい装いだった。


 自宅の玄関を出ると、祖母の冴子が静かに手を振っていた。「がんばりや」とだけ呟いたその言葉に、直樹はゆっくりと頷き、校門へと進んだ。


 この中学校に通うことは、直樹にとって大きな挑戦だった。


身体の障害だけではなく、小学校時代に味わった無視やからかい、冷たい視線——そういった記憶が、彼の胸には深く刻まれていた。


 だが、彼はもう「ただ耐える」だけの自分ではいなかった。小学校高学年の頃から学び始めた手話は、彼に“伝える力”と“心の居場所”を与えてくれた。


そして何よりも、冴子が毎晩のように語ってくれた「生きる意味」が、彼を支えていた。


 「歩かれへんでも、しゃべられへんでも、人は人や。心がある限り、生きる意味はある」


 その言葉を胸に、直樹は自分のペースで歩み始めた。校舎の前で転びそうになると、後ろにいた上級生がちらりと振り返ったが、何も言わずに行ってしまった。


直樹はそれでも気にしなかった。支えがなければ進めない階段でも、誰にも頼らず、手すりを使って自力で昇る。そのたびに、彼の中の小さな「決意」が形を成していった。


 入学式。壇上で校長の言葉が響く中、直樹は一人、ゆっくりと教室を見回した。見知らぬ顔、緊張した表情、期待と不安が入り混じった空気。


だが、その空気の中に、自分の居場所を作ることこそが、これからの課題だと彼は悟っていた。


 新しいクラスでは、自己紹介の時間が設けられた。直樹の番になると、ざわついていた教室が一瞬静まった。


 「ぼくは……直樹です。少し身体が不自由ですが……よろしくお願いします」


 その声は震えていたが、言葉には芯があった。誰も拍手をしなかったが、それでも直樹は胸を張った。「言えた」という事実だけで、自分の中に火が灯るのを感じた。


 帰宅後、冴子が味噌汁の椀を差し出しながら言った。「自分の言葉で挨拶できたなら、それが一番の一歩やで」


 その夜、直樹は枕元のノートにこう記した。


 ——今日から、また始める。自分の声で、自分の言葉で、生きるってことを。


 入学という区切りは、直樹にとって過去を断ち切るためではなく、新しい未来を創り出すための門出だった。


言葉にしなければ伝わらないことがある。伝える努力をしなければ、何も変わらない。


 そう心に刻みながら、直樹は中学校という新たな世界へ、一歩を踏み出した。


◆2.新しい環境、新しい壁


 中学校に入学して数週間が経ったころ、直樹は徐々に「中学校」という新しい環境の本当の姿を知り始めていた。

校舎の広さも、小学校とは比べ物にならず、授業の進度も格段に速い。クラスの空気も、無邪気さが残っていた小学校とは異なり、思春期特有の冷たさと複雑さが入り混じっていた。


 最初のころは、みな「新しい友達をつくろう」という雰囲気を保っていた。しかし、それはほんの数日だった。

直樹の歩行の仕方や、話し方、時折手話を使う姿に対して、クラスの空気が変わっていったのは、入学から1週間ほど経った頃だった。


「なんか変な歩き方じゃね?」「あいつ、しゃべるの下手だよな」

「何あの手の動き?マジ意味わかんないし」

——そんなひそひそ声が、後ろの席から、廊下から、体育の授業の更衣室から聞こえてくるようになった。


 直樹は、その声の一つひとつが、心に突き刺さるのを感じていた。だが、小学校時代のように「無力な自分」ではいないと、何度も自分に言い聞かせた。

廊下を歩くとき、手すりを使って階段を昇るとき、教室で音読の順番が回ってくるとき——自分の存在を笑うような視線があっても、彼は下を向かなかった。


 それでも、心は少しずつすり減っていった。


 授業中、誰かが後ろから背中を軽く叩いた。「お前、手話使えるんだって?これ、どうやるの?」と、からかうような口調で。直樹は、静かに首を横に振った。

教える気力が湧かなかった。相手の目に「学ぼう」とする誠意が見えなかったからだ。


 休み時間も、次第に孤立が深まっていった。誰かが近くに来ると、会話がぴたりと止まる。机を少し離される日もあった。

体育の見学中には、後ろでバスケットボールが転がるふりをして、わざと足元をすくわれた。転倒しそうになったが、ギリギリでこらえた。その瞬間、笑い声が起きた。


 「ちょっとやりすぎやで」——唯一、そうつぶやいたのは図書委員の女子だった。彼女の目は、どこかで直樹の苦しさを感じ取っていたのかもしれない。それでも彼女もまた、直樹と話すことはなかった。


 家庭では、直樹はそうした日々のことを冴子には言わなかった。祖母に心配をかけたくなかったのだ。その代わり、夜になると自分の部屋のノートに言葉を綴った。


 ——なぜ、ぼくは「違う」ことをこんなに責められるんだろう。

 ——「違う」ことは、そんなに悪いことなんだろうか。


 文字を書くたびに、涙がぽたぽたとノートに落ちた。


 だが、そこから直樹はまた、少しずつ立ち上がっていく。


 図書室にこもり、本を読み、静かに手話の練習を続けた。誰も見ていない場所で、自分の「心の声」を磨く作業だった。教室では届かない言葉でも、きっとどこかで誰かに届くと信じたかった。


 そしてある日、手話で何かを表現していた時、ふと、目の前に人の気配を感じた。


 「あの……それって、『ありがとう』って意味?」


 その声は、あの図書委員の女子だった。彼女はぎこちなく指を動かしてみせた。


 直樹は少し驚いたあと、ゆっくりと頷いた。そして、自分の手で「ありがとう」と返した。その瞬間、彼の心の中に、小さな光が灯った気がした。


 新しい環境は、新しい壁だらけだった。だが、その壁は、乗り越えるためにあるのかもしれない。

あるいは、自分の力では壊せなくても、誰かの優しさで扉になるのかもしれない——そんな予感が、直樹の胸をほんの少しだけ、あたたかくした。


◆3.病院への決断


 梅雨入り間近の重たい空気が町を包むある日、直樹は教室の隅で、しばらく立ち上がれずにいた。手足の感覚が鈍く、背中から腰にかけて強い痺れが走っていた。

痛みではない。けれど、確かに「何かが違う」と彼の体が訴えていた。


 保健室で体を休めながら、直樹ははじめて、怖さを感じていた。体の不自由さには慣れているつもりだった。

小さな痛みや違和感など、日常茶飯事だった。だがこの日は、何かが違った。保健の先生も、眉をひそめながら言った。「これは……念のため病院で診てもらったほうがいいかもしれないわね」


 その日の帰宅後、冴子が迎える玄関で、直樹は無言のまま靴を脱いだ。


 「……冴子ばあちゃん、ちょっと、病院……行きたい」


 その言葉は、彼にとって簡単に口にできるものではなかった。病院へ行くこと。

それは、自分の「変化」と向き合うことだからだ。だが冴子は驚くことなく、ただうなずいて言った。「ほな、すぐ行こか」


 翌日、直樹は市内の総合病院の神経科を受診した。数年ぶりのMRI検査と、神経の伝導検査。結果は、彼の中のどこかで予想していたものだった。


 「直樹くん、脊髄の一部に炎症が見られます。いわゆる二分脊椎に伴う変性が進行している可能性があります。これ以上悪化すると、現在の可動範囲も制限されてくるかもしれません」


 医師の言葉は、穏やかだった。しかし、その静けさが直樹には逆に恐ろしく感じられた。

これまで何とか保ってきた「歩ける」という日常が、崩れ落ちようとしていた。


 病室のベッドの上で、直樹は天井を見つめた。点滴の滴る音。

カーテン越しの笑い声。どこかで鳴っているナースコール。それらすべてが、遠く、現実感を失っていた。


 「なんで、ぼくなんやろな……」


 ぽつりとつぶやいたその声に、冴子はそっと彼の手を握った。「直樹。病気は、神さまが与えた試練やない。生き方を考えるための機会や。しんどいときは、ちゃんと休んでええんやで」


 その言葉に、直樹は初めて目頭が熱くなるのを感じた。


 入院生活は、決して楽ではなかった。点滴、薬、検査、リハビリ。

隣のベッドの少年は事故で足を失っていた。その少年と交わした短い会話が、直樹の胸に残った。


 「おれ、前は走るの速かったんだぜ。でも今は、車いすや。でも、まだバスケ、やってんだ。夢はNBAに関わる仕事!」


 まっすぐな目だった。障害を抱えながらも、夢を語るその目に、直樹はなぜか涙が出そうになった。


 自分には、そんなふうに「夢」を口にできるだろうか? 自分の存在を、誇れる日がくるのだろうか?


 入院の最終日、医師からこう告げられた。

「日常生活は継続可能です。ただし、過負荷は避けてください。今後は定期的な通院と、生活環境の調整が重要です」


 帰宅の車中、冴子がぽつりと言った。「直樹、おまえ、よう頑張ったなあ」


 その一言に、直樹は初めて笑った。小さな、けれど確かな笑顔だった。


 この体で生きるということ。その現実と向き合った日々は、直樹にとって逃げられない事実であり、同時に「生きていく覚悟」を固める時間だったのだ。


◆4.1か月半の入院生活


 中学校入学から2か月が経った6月のある朝。登校準備をしていた直樹の体に異変が起きた。


着替えの途中でふと腰が抜けるような感覚に襲われ、そのまま床に倒れ込んだのだ。


 冴子が駆け寄ると、直樹の顔色は青白く、額には脂汗が浮かんでいた。


「直樹、どうしたの!?」


 言葉に反応することはできても、うまく返事ができない。体のどこが痛いのか、どんなふうに感じているのか、それを口にする言葉が出てこない。

手話も、今は使う余裕がない。ただ、苦しそうに呼吸をしている。


 冴子は慌てて救急車を呼び、直樹は市立総合病院へ搬送された。診察の結果、脊髄の下部にある神経への圧迫が悪化しており、炎症を起こしていることが判明。

医師からは、即日入院と1か月以上の経過観察が必要との判断が下された。


 これが、直樹にとって初めての長期入院生活の始まりだった。


 病室は4人部屋だったが、直樹にとっては周囲との距離感が大きな壁となった。

中学生としての「自意識」が芽生え始めていた時期だけに、着替えや排泄の世話を看護師に頼むことにも抵抗があった。とくに紙オムツの交換は、誰にも見られたくなかった。


 入院生活初日の夜、直樹はベッドの中で泣いた。天井を見上げながら、これまで抱え込んできた孤独と不安が、一気にあふれ出した。


「歩かなくても、生きられる」――そう心に言い聞かせてきたが、「このまま誰にも必要とされない存在になるのではないか」と思えてならなかった。


 しかし、病院にはこれまでの学校生活では出会えなかったタイプの人たちがいた。


 看護師の佐野さんは、無駄なおしゃべりをしないが、いつも真っ直ぐに目を見てくれた。オムツの交換時も、なるべく羞恥心を感じさせないように静かに作業を進めてくれた。

「嫌だったら、いつでも言ってね」という一言が、直樹には嬉しかった。


 また、理学療法士の原田先生は、日々のリハビリを丁寧に支えてくれた。


「直樹くん、今日は少しだけ膝を曲げてみようか。力を抜いて、でも、心は前に進むようにね」


 原田先生は、リハビリを単なる訓練とせず、直樹の「心の回復」にも焦点を当ててくれた。

会話の中に手話を交えてくれることもあり、直樹は少しずつ心を開いていった。


 病院の食事は決して美味とは言えなかったが、冴子が持ってくる手作りのおにぎりや煮物は、まるで宝物のように感じられた。

面会に来たとき、冴子は一度も「早く元気になって」とは言わなかった。ただ、「今日もよくがんばったね」と優しく頭を撫でるだけだった。


 病室での夜は静かだった。隣のベッドの年配の男性は入退院を繰り返していたが、夜になると本のページをめくる音だけが静かに響いた。そんなある夜、男性がぽつりと話しかけてきた。


「お兄ちゃん、えらいな。わしも足が悪くてな。でも、こんなに前向きに頑張ってる若い人を見て、元気出たわ」


 それを聞いた直樹は、はじめて「誰かに影響を与える自分」の存在を意識した。


 入院生活も3週間を過ぎると、直樹は徐々に病棟内の生活に慣れていった。ベッドから車椅子へ移動し、自分で食事を運ぶようにもなった。

廊下の突き当たりにあるリハビリルームまで、自分の力で車椅子を漕ぐ姿に、看護師たちも「たくましくなったね」と微笑んだ。


 それでも時折、夜になると涙がこぼれる日もあった。未来への不安、学校に戻ることへの恐怖、それでもどこかで「大丈夫」と信じたい自分。


 そんなとき、原田先生がそっと語ってくれた言葉があった。


「直樹くん、歩けるかどうかだけが人生じゃない。心で歩ける人間になれたら、それが本当の強さなんだよ」


 この言葉は、直樹の胸に深く刻まれた。


 退院の日、病棟のスタッフが廊下に並び、直樹に拍手でエールを送ってくれた。


「がんばれよ、直樹くん。また、遊びにおいで」


 直樹は車椅子から頭を下げ、ゆっくりと病院の玄関を後にした。その瞳には、新しい決意の光が宿っていた。


 1か月半の入院生活は、身体の治療だけでなく、心の中にあった壁を少しずつ取り壊していく大切な時間となったのだった。


◆5.退院と変化


 病院を後にした直樹は、車椅子の振動を感じながら、外の空気を深く吸い込んだ。

6月の終わり、病院の正面玄関には濃い緑の葉が風に揺れ、陽射しの強さと蝉の鳴き声が、本格的な夏の到来を告げていた。


 1か月半ぶりの自宅。畳の匂い、風の通り道、台所から漂う味噌汁の香り。

どれもが懐かしく、安心できるものだった。冴子は、何も言わずに直樹のリュックを受け取り、彼が車椅子からゆっくりと居間へ進むのを見守っていた。


 「おかえり、直樹」


 そのひとことに、直樹は心からの「ただいま」を返した。声には出さなかったが、手話で丁寧にその言葉を伝えた。


 退院の翌日から、直樹はすぐに日常に戻ろうとした。

学校への復帰は医師から「無理のない範囲で」と言われていたが、彼は週に数日、午後から登校するかたちで通い始めた。


 しかし、学校の空気は以前と同じではなかった。


 休んでいた間にクラスの雰囲気はさらに複雑になっていた。直樹が登校するたびに、周囲は「また来た」という視線を送る。

誰かが笑っていると、それが自分に向けられたもののように感じてしまう。教室にいるだけで、心がざらついた。


 けれど、直樹は前とは違っていた。病院で出会った人たち、佐野さんや原田先生、そして隣のベッドの老年男性の言葉が、胸の奥で支えになっていた。


 休み時間、窓際でひとり本を読んでいると、図書委員のあの女子が声をかけてきた。


 「病院、大変だったんでしょ。……でも、戻ってきてくれて、なんか安心した」


 その言葉に、直樹は少し戸惑いながらも、手話で「ありがとう」と返した。


 「その手話、覚えたいな」


 少女のその一言は、教室の空気を少しだけ変えた。

周囲が注目する中、彼女は臆せず直樹の隣に座り、「こんにちは」「ありがとう」「大丈夫?」など、簡単な手話を彼に教えてもらった。


 それは、静かな革命だった。


 やがて、他のクラスメイトも興味を持ちはじめた。数人の男子がふざけ半分で「俺も覚えよっかな」と言ったが、直樹は以前のように無視せず、ゆっくりと手を動かして見せた。


 「へえ、それって『がんばれ』って意味?」


 「うん。そう」


 そんな些細なやり取りが、直樹にとっては確かな「変化」の兆しだった。


 一方で、自宅での生活にも小さな変化があった。


 冴子は、以前よりも直樹の前で笑うことが増えた。「無理しなくていい」とは言いつつも、直樹の頑張りをそっと後押しするように、彼の生活リズムに合わせて朝食を用意し、夜にはリハビリを一緒に行った。


 ある夜、風呂上がりに二人で縁側に座っていたとき、冴子がぽつりと言った。


 「直樹は、強くなったね。……入院の前とは、ちがう目をしてる」


 直樹は驚いたように冴子を見た。そして、冴子のその言葉が、ただの感想ではなく、深い信頼からくるものだと感じ取った。


 それは、直樹が「誰かに見守られている」という確かな感覚を得た瞬間だった。


 夏休みが近づく頃、直樹は学校の廊下に掲示されたポスターに目をとめた。


「交流学習会 市内特別支援学校との合同活動」と書かれていた。


 その瞬間、胸がざわついた。自分と似た境遇の生徒がいるかもしれない。


もしかしたら、言葉でなく「心」で通じ合える誰かと出会えるかもしれない。


 直樹は、迷わず手を挙げた。


 「先生、ぼく、これ参加したいです」


 担任は少し驚いたように眉を上げたが、すぐに頷いた。


 「うん、ぜひ参加してみよう」


 退院してからの毎日は、まだ不安定だった。

身体も完全に元どおりではないし、周囲の偏見がなくなったわけでもなかった。


 だが、直樹の心の中には、はっきりとした何かが芽生え始めていた。


 「自分が変われば、世界も少しだけ変わるかもしれない」


 それは、入院生活を経て得た、直樹なりの「信念」だった。


 この変化は、やがて彼を新しい出会いへと導いていく。


◆6.手話での挑戦


 夏休み明け、直樹は再び学校へと足を踏み入れた。車椅子の車輪が廊下を転がる音が、静かな朝の校舎に響く。その音に、振り返るクラスメイトの表情は以前とは違っていた。

冷ややかな視線は少しずつ和らぎ、遠巻きながらも関心を向ける眼差しへと変わっていた。


 それは、前学期の終わりに起こった小さな出来事が積み重なった結果だった。

直樹と図書委員の少女――真理が一緒に手話で会話する姿は、教室にささやかな風を吹かせた。


 「直樹くん、今日も教えてくれる?」


 真理は、休み時間になると必ず直樹の元へやってきた。「おはよう」「おつかれさま」などの基本的な挨拶から、「応援するよ」「一緒にがんばろう」といった少し感情を込めた表現まで、直樹はゆっくりと丁寧に手の動きを見せていった。


 手話は、音のない言語だった。けれど、それは誰よりも雄弁だった。

真理はその美しさに心を奪われていたし、直樹にとっても「自分の言葉」が認められていく実感は、何よりの自信となっていった。


 やがて、教室の中に「手話同好会をつくろう」という声が上がったのは、自然な流れだった。発案者は真理だった。


 「最初は見よう見まねでもいいと思う。手話って、きっと私たちにもっと広い世界を見せてくれる気がするんだ」


 その言葉に、数人の生徒が興味を示した。直樹はその提案を聞いたとき、胸の奥で何かが弾けた。


 「僕、協力したいです」


 初めて、自分から何かに手を挙げた瞬間だった。


 昼休みの図書室、放課後の空き教室、小さな輪が少しずつ広がっていった。直樹は手話の辞典を持参し、身振りや表情の大切さを伝えた。

みんなが笑顔で「ありがとう」と手を動かす姿を見たとき、彼の目に小さな涙が浮かんだ。


 「伝わるんだ……僕の言葉が、ちゃんと届いてる」


 ある日、学年集会で手話同好会が活動紹介をする機会が与えられた。

壇上に立った直樹は、緊張しながらもはっきりと前を見据えていた。真理が隣に立ち、マイクを通して語りかける。


 「私たちは、音がなくても心が伝わる言葉を学んでいます。直樹くんは、言葉以上に大切なことを、私たちに教えてくれました」


 直樹は、ゆっくりと手話で語りかけた。「一緒に歩いてくれて、ありがとう」


 会場が静まり返る中、その手の動きは誰よりも強く、まっすぐに響いた。


 発表のあと、何人もの生徒が声をかけてきた。


「手話、少しずつ覚えたい」「ありがとうって、どうやるの?」「また教えてくれる?」


 そのひとつひとつに、直樹は丁寧に応えた。手話で、言葉で、笑顔で。


 家に帰ると、冴子が夕飯の支度をしていた。


 「今日はどうだった?」


 直樹は、手話で「最高だった」と伝えた。


 冴子は笑いながら、手を止めて言った。


 「じゃあ、私も今日から先生に手話を教えてもらおうかな」


 それは、母と子が新しい言葉で再び繋がるはじまりだった。


 直樹の挑戦は、まだ始まったばかりだった。


◆7.原稿と練習


 直樹が「手話同好会」としての発表を終えてから数日後、担任の松岡先生から一枚の紙を手渡された。それは、市内の中学校が合同で開催する「ユニバーサル発表会」の案内だった。


障がいのある生徒やその支援活動に取り組むグループが、それぞれの経験や学びを発表する催しだった。


 「直樹、お前たちの手話同好会も、参加してみるか?」


 思いもよらない提案だった。


 直樹は、ふと真理の方を見た。彼女は、迷わず頷いた。


 「私たちの活動、ちゃんと伝えようよ」


 こうして、同好会の数人と直樹、そして真理は「発表会に向けた原稿づくり」という新たな課題に向き合うことになった。


 最初の壁は、何を伝えるか、ということだった。


 「障がいって、どう説明したらいいのかな?」


 「手話のことも話したいし……でも、話しすぎても伝わらないかも」


 みんなが意見を出し合う中で、直樹は静かにノートを開いた。


 そこには、入院中から書きためていた言葉が並んでいた。

「ありがとう」「悔しかった」「でも、負けなかった」「伝わるって、嬉しい」。


 真理はそのノートを見て言った。


 「このまま、直樹の言葉を使おうよ。それが一番伝わると思う」


 発表の原稿は、直樹の体験を軸に構成された。原稿を書くのは主に真理が担当し、他のメンバーも加わって文を整えていった。

直樹は、自分の記憶と心をたどるように、一文ずつ手話で確認しながら進めた。


 練習が始まると、次なる課題が浮かび上がった。


 「動きが揃わない」「感情が伝わりにくい」


 手話は表情や動きが命だった。ただ単に言葉をなぞるのではなく、そこに気持ちを込めなければならない。


 ある日、真理が直樹に言った。


 「直樹、いつも通りでいいよ。私たち、あなたの“いつも”に近づきたいの」


 その言葉を受けて、直樹は演出の方針を変えた。

完璧に揃えるのではなく、ひとりひとりが、自分の気持ちで手話を伝えるスタイルにした。


 すると、空気が変わった。


 練習の中に「伝えたい」という熱がこもり始めたのだった。


 放課後の空き教室に夕陽が差し込む中、何度も繰り返されたリハーサル。


 「言葉がなくても、気持ちは届く。だから私は手話を使います」


 その一節を、真理が語り、直樹が手話で伝える。


 見ていた担任の松岡先生が、涙をぬぐいながら拍手を送った。


 「……本番が楽しみだな」


 本番の朝、直樹はいつもより早く目を覚ました。


 冴子が制服のシャツにアイロンをかけながら言った。


 「どんな気持ち?」


 直樹は手話で「ドキドキ。でも、大丈夫」と返した。


 その手の動きを見て、冴子はにっこりと笑った。


 「うん、その顔なら、きっと大丈夫」


 この日、直樹たちの手話は、多くの人の心に静かに、そして力強く届くことになる。


◆8.本番のステージ


 発表会当日、朝の空は抜けるような青だった。直樹は、冴子に手を引かれて会場へと向かった。

市民会館の大ホールは、これまで見たどの教室よりも広く、天井の高い空間に響く足音が心の鼓動と重なった。


 楽屋の隅、手話同好会のメンバーが円を作るように集まっていた。真理は原稿を手に、小さな声でリハーサルの確認をしていた。


 「緊張してる?」


 真理が尋ねると、直樹は笑顔で「うん」と頷いた。そして手話で「でも、楽しみ」と付け加える。その動きに、メンバー全員が頷き返す。


 直樹にとって、これはただの発表ではなかった。自分の言葉を、自分の思いを、初めて大勢の人の前で届ける場。

心の奥に眠っていた「誰かに伝えたい」という願いが、ようやく形になろうとしていた。


 会場の客席には、数百人が詰めかけていた。車椅子で舞台袖に待機する直樹の横で、真理が静かに手を握った。「一緒に行こう」


 発表が始まる。司会が名前を呼ぶと、拍手が湧き上がる。


 真理が先に壇上に上がり、マイクの前に立った。そして、直樹が車椅子を押してもらいながらゆっくりと舞台中央に向かう。その姿に、観客の視線が一斉に注がれた。


 「こんにちは。私たちは、○○中学校手話同好会です」


 真理の明るい声とともに、直樹の手が丁寧に動く。表情、指先、すべてが真っすぐに言葉を伝える。


 発表は、直樹の体験から始まった。言葉にできなかった悔しさ、理解されなかった苦しみ、そして手話と出会ったことで見つけた希望。


 真理が語り、直樹が手話でなぞる。


 「直樹くんは、音がなくても伝わる言葉を、教えてくれました」


 「それは、手話という“心の声”です」


 中盤には、会場全体に手話を紹介するパートもあった。「ありがとう」「ごめんなさい」「大丈夫」――簡単な言葉を観客と一緒に手話でやってみる。


 笑い声と小さな手の動きが、客席を包んだ。


 終盤、直樹が一人で手話をする場面。ナレーションも音楽もない、ただ彼の手だけが舞台上に浮かび上がる。


 「僕は、ずっと黙っていました。でも、本当は伝えたかった。僕はここにいるって、ちゃんと生きてるって」


 その沈黙の中に、会場の空気が変わるのがはっきりとわかった。


 発表が終わると、会場は静まり返り、そして大きな拍手が巻き起こった。


 直樹は、頭を下げながら、泣きそうな笑顔を浮かべていた。真理もまた、目に涙を浮かべていた。


 控室に戻った瞬間、メンバーたちは思わず抱き合った。


 「やったね」


 「すごく伝わったよ、直樹」


 直樹は、言葉ではなく手話で「ありがとう」と答えた。


 その手の動きが、今日のすべてを物語っていた。


 この日、直樹の言葉は誰よりも雄弁に、誰よりも深く、たくさんの心へと届いたのだった。


◆9.市での最優秀賞


 その日、講堂は静まり返っていた。市内各中学校が集まり開催された「ユニバーサル発表会」の本番。


舞台の上、直樹と仲間たちは深呼吸を一つしてから、手話での発表を始めた。


 観客の前で自分をさらけ出すことに、最初は躊躇いもあった。


しかし、直樹はこの日を迎えるまでに、何度も心の中で自分と対話してきた。「伝えたい」という思いが、恐れよりもずっと強かった。


 発表のテーマは「ことばを超えるつながり」。

 

 真理がナレーションを担当し、その言葉に合わせて直樹たちが手話を行う。


 「ある日、僕は話すことができないという“壁”と出会った」


 「でも、その壁の向こうには、手を伸ばしてくれる人たちがいた」


 一つ一つの動きに、感情が込められていた。


 直樹の手話は、その場の誰よりも丁寧で、正確だった。

それ以上に、心がこもっていた。彼が語る言葉は、口ではなく、手と表情を通して伝わった。


 そして、発表の最後には、直樹自身が考えた言葉が披露された。


 「言葉がなくても、心は届く。だから、僕は伝えることを諦めない」


 その瞬間、会場全体が静寂に包まれ、そして拍手が鳴り響いた。


観客席では、涙を拭う教師や保護者の姿も見られた。


 発表を終えた直樹たちは、舞台袖に引き上げ、緊張と達成感に包まれていた。


 数時間後、表彰式が始まった。


 いくつかの賞が順番に読み上げられる中で、「最優秀賞」の発表が始まった瞬間、空気が変わった。


 「……最優秀賞は、○○中学校・手話同好会の発表『ことばを超えるつながり』に贈られます」


 一瞬の静寂の後、拍手が爆発するように鳴り響いた。


 直樹と仲間たちは、驚きと喜びで一瞬動けなかったが、次第に笑顔が広がっていった。


 表彰台に上がると、直樹は賞状を受け取るとき、手話で「ありがとう」と伝えた。


 その姿を見ていた観客の中に、市の教育委員長がいた。式が終わった後、その委員長が直樹に声をかけてきた。


 「君の伝え方には、言葉以上の力がある。これからも、その思いを大切にしてほしい」


 直樹は頷き、手話で「はい」と返した。


 その日、彼らが勝ち取ったのは、ただの賞ではなかった。


 自分の存在を認められたこと。


 自分たちの想いが、誰かに届いたという確信。


 直樹にとってそれは、これまでの人生で初めて感じた「誇り」だった。


 帰り道、夕暮れの空の下で、冴子が直樹の手を握って言った。


 「おめでとう。あなたは、本当に立派だったよ」


 直樹は、手話ではなく、言葉で返した。


 「ありがとう、おばあちゃん」


 その声は少し震えていたが、まっすぐに未来を見据えていた。


◆10.伝えられる力


 最優秀賞の余韻がまだ残る数日後、直樹は校長室に呼ばれた。

扉を開けると、そこには校長先生と教頭先生、それに教育委員会の関係者らしき人物がいた。


 「直樹くん、よく来てくれたね」


 校長がにこやかに迎え入れると、関係者の一人が静かに語り出した。


 「君たちの発表、心から感動しました。市の広報誌で取り上げることが決まりました」


 それは思いもよらぬ展開だった。


記事には直樹の姿と、彼が語った言葉、そして手話での発表がどのように人の心を動かしたかが詳細に書かれるという。


 しかし、それだけではなかった。翌週、市内の特別支援学校から講演依頼が届いたのだ。


子どもたちに、自分の経験を話してほしいという内容だった。


 初めての講演。直樹は迷った。人前で、自分の弱さや過去をさらけ出すことに、まだためらいがあった。


 しかし、真理がそっと背中を押した。


 「きっと、誰かの力になるよ。あなたの“伝える力”は、もう本物なんだよ」


 その言葉に背中を押され、直樹は準備を始めた。伝えたいことをノートに書き出し、手話に変換して練習を重ねる。


 講演当日。特別支援学校の体育館には、小学生から中学生まで、数十人の生徒たちが静かに集まっていた。


 直樹は、壇上に立つと深呼吸を一つして、手話で語り始めた。


 「僕は、生まれたときから歩くことができません。でも、だからこそ出会えた“ことば”があります」


 ゆっくりと、丁寧に。彼の手の動きは、そこにいる誰もが理解できるほどに明瞭で、力強かった。


 「最初は、伝えることが怖かった。自分が変だと思われるのが怖かった。でも、ある日、友達ができた。言葉じゃなく、心で通じる友達」


 会場にいた生徒たちの目が、次第に潤んでいく。


 「今は、話せなくても、歩けなくても、僕は“伝えること”を諦めない。誰かに届くと信じてるから」


 講演が終わると、会場は静寂に包まれた。誰もが言葉を失っていた。


 そして、一人の男子生徒がゆっくりと手を挙げた。


 「ぼく……、ありがとう。勇気、もらえました」


 直樹はその言葉に手話で「ありがとう」と返した。


 帰り際、講演を聞いていた特別支援学級の先生が言った。


 「あなたの話は、生徒たちにとって“希望の証”になります。これからも、あなたの言葉を届けてください」


 その夜、帰宅後、冴子が夕飯の準備をしながら尋ねた。


 「どうだった、講演会?」


 直樹は手話で「伝えられた」と答えた。


 「じゃあ、次はもっと遠くへ、もっとたくさんの人に伝えていこうね」


 冴子の言葉に、直樹は静かに頷いた。


 彼の“伝える力”は、今まさに、新しい世界への扉を開けようとしていた。


(第4章・完)

 僕は、生まれつき「下半身麻痺」という個性(障がい)を持っていますが、外国語にも興味を持っているので、僕の作品には日本語はもちろん、「外国語21言語」を用いて書きたいと思っていますので、以後お見知りおきを。


(詳細対象21言語=アメリカ&イギリス英語・アラビア語・イタリア語・インドネシア語・ウクライナ語・ギリシャ語・スウェーデン語・スペイン語・チェコ語・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポーランド語・ポルトガル語・ロシア語・韓国語・中国語(簡体字&繁体字)

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