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第3章 差別の教室と、折れなかった心

人生のはじまりを、誰もが平等に祝福されるとは限らない。


1981年9月、僕は重度の二分脊椎と水頭症という先天性の障がいを持って生まれた。医師の口から出た言葉は、「余命3か月かもしれない」という、あまりにも重く冷たい宣告だった。生まれた瞬間から、僕の人生は「いつまで生きられるか」ではなく、「どこまで生き延びられるか」という基準で語られていた。


下半身は麻痺していた。歩くことなど到底無理だと誰もが思っていた。家族の中でも、母は4歳になるまで僕にほとんど関心を持たなかった。父も深くは関わらず、育児を放棄された僕を守ってくれたのは祖母の冴子だけだった。

誰にも愛されない場所から、奇跡のように立ち上がるまで。歩けないはずの足が、自宅での冴子のマッサージと支えの中、ふとした瞬間にわずかに動いた。その小さな一歩が、僕に「希望」という言葉を初めて与えてくれた。

だが、歩けるようになったからといって、世界が優しくなったわけではない。保育園、小学校、中学校——どこへ行っても、僕を待っていたのは“異物”を見る目と、言葉にならない拒絶だった。友達は一人もいなかった。手を伸ばしても、そこに誰もいなかった。

それでも、僕は手話という「もうひとつの声」と出会ったことで、“伝えられる自分”に変わっていった。声を出せなくても、心で語れる方法がある。そう気づいた瞬間から、僕の世界は少しずつ変わり始めた。

この物語は、障がいを持つ一人の男の44年間の記録であり、人生の断片の積み重ねである。葛藤、孤独、怒り、そして希望。それらすべてを胸に抱きながら、僕は今日も杖をついて、自分の足で歩いている。

風のない空でも、翼はなくても、僕は翔けてきた。これは、そんな僕の、実話に基づいた物語である。

第3章 差別の教室と、折れなかった心


◆1.初めての集団生活


 小学校一年生。新しい制服、新しいランドセル、新しい教室。けれど直樹にとって最も大きな「新しさ」は、“はじめての集団生活”だった。


 それまで、彼の世界は限られていた。自宅でのリハビリ、保育園での孤独な時間、そして父・剛と祖母の冴子との三人の暮らし。

 その中で、直樹は自分の心と体のバランスを探りながら生きてきた。だが小学校という場所は、そのすべてを試されるような空間だった。


 入学式の朝。校門の前で直樹の車椅子を押す剛の手には、緊張がにじんでいた。


冴子も手を合わせるように祈る姿で付き添っていた。直樹はというと、少しばかり浮かれた表情を見せていた。


 「おとうさん、ぼく、ちゃんと“いちねんせい”に見えるかな」


 「うん、見える見える。ランドセル、ぴったりや」


 「なんか、ちょっとだけ、こわいけど……たのしみ」


 その言葉に冴子は目を細めた。


 「こわいって思えるのは、ちゃんと前を見てる証拠や。いってらっしゃい、なおちゃん」


 直樹が教室に入ると、そこには色とりどりのランドセルと、さまざまな表情の子どもたちがいた。

驚いた顔、興味津々の顔、少し距離を置く顔。車椅子の子どもに出会うのは、ほとんどの子が初めてだった。


 担任の先生が元気よく言った。


 「はい、みんなー! 今日から一年一組の仲間だよー!」


 直樹は指定された席に向かった。教室の一番前、出入り口のそば。


その席だけ、机と椅子が少し間隔を空けて並べられていた。


 その瞬間、周囲に“ちがい”が生まれた。


 最初の休み時間、数人の子どもたちが近づいてきた。


 「ねぇ、それどうやって動くの?」


 「押してもらうの? 自分でこげる?」


 「ほんとに歩けないの?」


 悪気はない。それでも、その無邪気な質問は直樹の胸に、じくじくとした痛みを残した。


 直樹はにこりと笑って答えた。


 「これは“くるまいす”っていってね、自分でも動かせるし、おとうさんにも押してもらえるよ。足はね、ちょっとおやすみしてるんや」


 説明している間も、子どもたちは興味深そうに直樹の足元や車輪を見ていた。


その視線が少しずつ、「人」から「物」へとズレていくような気がして、直樹の胸に小さな寂しさが灯った。


 次の授業中、教室に響く笑い声の中で、直樹は孤独を感じていた。


 話しかけられることもなく、輪には入れない。


 名前で呼ばれることもなく、目をそらされる。


 小学校、そして中学校と、直樹には友達と呼べる存在はいなかった。


 声をかけてくれる子も、ほとんどいなかった。


 “みんなと同じ”であることの難しさ。


 教科書の音読では、直樹は少し得意げに大きな声で読んでみせた。


先生は「上手だったね」と笑ってくれたけれど、隣の席の子が小声で「声、大きすぎじゃない?」と囁いた。


その一言に、胸がぎゅっと締めつけられた。


 昼休み、校庭では鬼ごっこやサッカーが始まっていた。直樹はその輪に入れず、教室の窓から遠くを眺めていた。


 だが、偏見は教室の隅々にまで潜んでいた。


 ある日、グループ発表のとき、直樹がグループに選ばれなかった。


先生が「このグループに入れてあげて」と言うと、その中の一人が「えー、なんでなおくんなの?」と不満げに呟いた。


 その言葉は、直樹の胸に深く突き刺さった。


 ——ぼくは、ここにいていいのかな。


 答えは出ない。けれど、その問いを続けることこそが、直樹の“心のリハビリ”の第一歩だった。


 その夜、冴子にだけは、ぽつりとこぼした。


 「おばあちゃん……ぼく、がっこう、ちょっとだけ、つかれた」


 冴子は黙って頭を撫でた。


 「なおちゃんが、毎日がんばってるの、おばあちゃんちゃんと知ってるよ」


 その言葉が、直樹の心を支えていた。


 “みんなと同じ”じゃなくていい。“なおちゃん”として、ここにいていい。


そう思えるまでの道のりは、まだまだ遠いけれど。


 それでも、彼は教室に通い続けた。折れない心を、少しずつ育てながら。


◆2.「みんなと違う」こと


 小学校生活が始まってからというもの、直樹は毎日、周囲との“ちがい”を意識せずにはいられなかった。自分が車椅子で登校していること。体育の時間に参加できないこと。

 給食の配膳台まで自力で移動できないこと。どれもが、「他の子とは違う」という現実を突きつけてくるものだった。


 登下校のたびに父・剛や祖母・冴子に付き添われ、校門まで送ってもらう。その姿を教室の窓から見ている子どもたちがいるのを、直樹は知っていた。

手を振ってくれる子はいない。目が合っても、すぐに逸らされる。


 保育園時代からずっとそうだった。友達と呼べる存在はいなかった。

遊びに誘ってくれる子も、声をかけてくれる子もいないまま、直樹は静かに時を過ごしてきた。


 「どうして自分だけが違うのか」と思ったことは、一度や二度ではなかった。


 休み時間、教室の隅で本を読んでいると、近くで笑い声が聞こえる。


けれど、それは直樹に向けられたものではない。いつも、輪の外にいる感覚。


 授業中、発表ができるようにと努力した。音読も、計算も、字を書くことも練習した。


先生から褒められることもあった。けれど、それがクラスメートとの距離を縮めることにはつながらなかった。


 「声が大きすぎる」「まじめすぎる」と、陰で言われることもあった。


 中休み、教室に一人残っていたとき、廊下を通る女子の声が聞こえた。


 「なおくんってさ、しゃべれるけど、なんかこわいよね」


 その瞬間、直樹は何も感じないふりをして、ただ黙っていた。


 その日、家に帰ると冴子が迎えてくれた。


 「なおちゃん、きょうもがんばったね」


 その言葉だけで、少し心がほぐれた。けれど、翌朝にはまた違いと向き合わなければならない。学校は毎日が戦いだった。


 自分の存在を否定されるような視線。直接的な言葉ではなくても、雰囲気や空気で伝わってくる「よそもの扱い」。


 中学校に進学しても、それは変わらなかった。


 クラス替えで新しい顔ぶれになっても、直樹に声をかける子はいなかった。

部活動にも入れず、行事でも見ているだけ。いつしか自分の席と教室の隅が、安心できる唯一の場所になっていた。


 それでも、直樹は通い続けた。そこに自分の存在を根づかせるために。

誰も「よくがんばってるね」と言ってくれない場所でも、祖母・冴子のひと言がすべての支えだった。


 「なおちゃんは、なおちゃんのままでええんよ」


 “みんなと同じ”になれなくても、“みんなと違う”からこそ持てる何かがある。

直樹はその意味をまだ知らなかったが、その言葉にしがみついて、また次の日も教室へ向かった。


 彼にとって、“ちがい”とは、乗り越えるべき壁ではなく、生き抜くための原点になっていった。


◆3.友達ゼロの孤独


 小学校に入学してからも、中学校に進学しても、直樹の周囲には常に“壁”が存在した。その壁は目に見えるものではない。けれど、確かにそこにあった。

言葉にされなくても伝わってくる視線、距離、沈黙——それらが毎日のように彼を取り囲んでいた。


 小学校1年の春、初めての遠足の朝。集合場所で直樹の姿を見つけた数人の男の子が、ヒソヒソと話しているのが聞こえた。

「あいつ、車椅子で山に行くの?」「どうせ途中でリタイアだろ」——その言葉に応えることもできず、直樹はただ黙っていた。


遠足の途中、舗装されていない道では車椅子が動かず、担任が抱えて運ぶことになった。それを見た子どもたちの多くが白けた顔をしていた。


 中には、直接的に嫌がらせをしてくる者もいた。筆箱を隠されたり、ノートをビリビリに破かれたり。「特別扱いされてズルい」と陰口を叩かれたことも数知れなかった。

教室の後ろで、教師の目の届かない場所で押されたり、足をひっかけられたり。何度か転倒し、肘を擦りむいたこともある。


 最も恐ろしい体験は、小学5年の秋だった。


 2階の教室から1階へ降りる途中、踊り場に向かって階段を下っていた直樹の背中に、強い衝撃が走った。誰かに思い切り蹴られたのだ。


 「——うわっ!」


 車椅子がバランスを崩し、直樹の体が前へ投げ出される。とっさに手をかけたが、支えきれず、上半身から床に落ちた。

右頬を強打し、眼鏡の片方が割れた。転がるようにして止まった直樹の姿に、数人の児童が駆け寄るどころか、遠巻きに笑っていた。


 「うわ、マジで落ちた!」「やべー、あいつ、ほんとに転んだ!」


 直樹は涙を流すことなく、ただ起き上がろうと手をついた。

誰も手を貸してくれなかった。教員が駆けつけたのは、数分後のことだった。


 その出来事について、犯人はわからないままだった。校内では「事故」と処理された。


 冴子はその日の夜、直樹の傷だらけの顔を見て黙っていた。


風呂の中で傷口をそっと拭き取りながら、彼女はぽつりと呟いた。


 「なおちゃん、どんなにひどいことされても、自分は人にそうしちゃあかんよ」


 中学校に進学しても、状況は変わらなかった。より悪質で巧妙ないじめが、静かに進行した。筆談ノートに「死ね」「来るな」などと書かれる。

 ロッカーの中に飲みかけのジュースが倒され、教科書がびしょ濡れになっていた日もあった。誰がやったのか問い詰めることもできず、教員も積極的には介入してくれなかった。


 ある日、職員室前の廊下で、見知らぬ上級生が直樹の進路を塞いできた。「お前さ、特別学級行けよ。邪魔なんだよ」——その一言に、背筋が凍った。

反論しても、理解されないとわかっていた。直樹はただ、静かにその場を離れた。


 直樹にとって、学校とは「学びの場」ではなく、「孤独と戦う場所」だった。友達はひとりもできなかった。声をかけてくれる子もいなかった。

休み時間は本を読み、昼休みは校庭の片隅でひとり給食をとる。それが日常だった。


 そんな毎日を支えてくれたのは、帰宅後に待っている冴子の存在だった。彼女は、直樹がその日感じたすべてを、何も言わずに受け止めてくれた。


 「なおちゃんが、ここに生きてるだけで、冴子はじゅうぶんやよ」


 その言葉があったから、直樹は次の日も学校へ行くことができた。

痛みも、悔しさも、虚しさも——そのすべてを背負いながら、彼はただ「今日も登校する」ことに全力を尽くしていた。


 いじめも、差別も、誰かに言いつければ済むものではなかった。言葉にした瞬間、「弱さ」としてさらに付け込まれる恐れがあった。


 それでも、彼は生き抜いていた。折れず、逃げず、耐えながら——


◆4.小学校という次の試練


 小学校に入学した直樹にとって、そこは新たな世界であると同時に、次なる試練の舞台でもあった。


これまでの人生の中で、最も長い時間を過ごすことになる場所——けれど、それは決して温かく迎えてくれる場所ではなかった。


 直樹は普通学級に在籍していた。特別支援学級ではない。1年生から5年生まで、他の子どもたちと同じ教室で、同じ黒板を見て、同じ教科書で学んだ。しかし、その「同じ」は見せかけだけだった。


 教室の椅子は直樹のために少しだけ広くスペースを取られていた。けれど、それすら「特別扱い」と捉えられ、冷たい視線の対象になった。

「あいつだけなんで特別なの?」——その問いを、声に出す子どももいたし、無言で突き刺してくる子どももいた。


 授業中に手を挙げても、なかなか当ててもらえなかった。先生の視線は彼の上を滑るように通り過ぎていく。

障がいをもっているというだけで、「できない」「遅れている」と見なされているようだった。


 身体は動かなくても、頭は普通に働いていた。直樹は、むしろ勉強が好きだった。


読むこと、考えること、記憶すること——それは彼の心を自由にしてくれる唯一の手段だった。


 だが、その知識を披露する機会はほとんどなかった。友達もいなかった。

朝の会や給食の時間、グループ活動では、常にひとり。誰も彼の隣に座ろうとはしなかった。


 「臭い」「汚い」「話しても意味ない」——そんな言葉が背中から飛んでくることもあった。中でも辛かったのは、「紙オムツをしてるらしい」という噂だった。


 直樹は生まれた時から下半身麻痺で、排泄の自立は難しかった。

常に清潔に保つように冴子が努力してくれていたが、それでも子どもたちの好奇心と悪意は止まらなかった。


 ある日、掃除当番で雑巾がけをしていた同級生が、直樹の車椅子の足元にわざとバケツの水をこぼした。教室中に水が広がり、直樹のズボンの裾が濡れる。


 「オムツじゃなくても、濡れてんじゃん」


 その一言に、教室は笑いに包まれた。直樹は何も言えず、唇を噛みしめた。


 先生は笑いを制止せず、無言で雑巾を持ってきた。

直樹が自分でそれを受け取り、床を拭こうとした瞬間、冴子の言葉が脳裏に浮かんだ。


 「なおちゃん、自分のことは自分でやる。だけど、人の悪意に心までは委ねちゃだめやよ」


 それでも、毎日学校へ通った。通学路の段差は冴子が押して乗り越えた。


登校班の子どもたちは、いつも少し距離を取って歩いた。


 朝、教室に入ると「また来た」と誰かが言った。昼休みには「直樹くんは給食遅いから、別の場所で食べた方がいいよ」と言われた。


 6年生になって初めて特別支援学級に移った。担任の先生は穏やかな人で、直樹に真正面から接してくれた。はじめて「なおきくん」と下の名前で呼ばれた。


 しかし、その時点でもう直樹の心には、多くの“孤独の傷”が深く刻まれていた。


簡単には癒えなかった。仲間という言葉は、彼にとって夢のようなものだった。


 小学校は、学びの場所であると同時に、耐える場所だった。だが、直樹は逃げなかった。


どんなに冷たい空気でも、通い続けた。その姿勢そのものが、彼の「戦い方」だった。


 冴子は、そんな直樹を毎日、玄関で迎えた。


 「おかえり。今日もがんばったなぁ」


 そのひと言だけで、直樹の心はふっと軽くなる気がした。傷だらけの小学校生活の中で、唯一の“癒し”が、そこにあった。


◆5.「人種差別」に似た扱い


 直樹の小学校生活には、目には見えにくい、けれど確かに存在する「差別」の空気が常に漂っていた。それはあたかも人種差別に似ていた。

肌の色や国籍ではなく、「障害」という目に見える違いによって、彼は無意識のうちに線を引かれていた。


 クラスの中で、直樹の存在は常に「特別」だった。


教室の座席、トイレの利用、移動の介助、そのすべてが彼を浮き立たせ、周囲の目を引いた。多くの子どもにとって、それは“違和感”として映った。


 「なんであいつだけ違うん?」


 「特別扱いずるくない?」


 そんな声が、背中越しに聞こえる日々。先生がいないところでは、それはもっと露骨になった。


 廊下ですれ違えば、わざと避けるように肩をすくめる子がいた。グループ学習では、最後まで誰も直樹を誘わず、先生が声をかけてようやく席が決まる。

話しかけても、返事が返ってくることはほとんどなかった。


 それでも直樹は、日々の勉強に向き合い、自分のペースで学び続けた。

だが、その静かな努力すらも、時に嫉妬と誤解を招いた。


 ある日、給食の時間。配膳の列に並んでいた直樹に、クラスメートが背後からわざとぶつかり、牛乳が制服にこぼれた。

「ごめーん、気づかなかった!」と嘲笑混じりに言うその声に、周囲の子たちが小さく笑った。


 またある日は、帰りの会の後、誰かが直樹の机に落書きをした。

「ばい菌」「うつる」——チョークで書かれたそれを見て、直樹はただ無言で雑巾を取りに行った。


 一度、階段の踊り場で事故が起きた。教室移動の時間、介助の冴子がそばにいない時、上から下りてくる足音とともに誰かが叫んだ。「邪魔や!」と。


 直後、背中に衝撃を感じ、バランスを崩した直樹は横に傾き、階段の数段を滑り落ちた。


幸いにも手すりに引っかかって大事には至らなかったが、その瞬間の恐怖と屈辱は、深く彼の心に刻まれた。


 先生は「誰がやったのか分からない」と言い、クラスで形だけの注意がなされたが、誰ひとり名乗り出ることはなかった。


 それでも冴子は毅然として言った。「なおちゃん、逃げたらあかん。ここで逃げたら、ずっと逃げ続けることになる」


 直樹はその言葉を胸に、次の日もまた登校した。


 「障害」があるというだけで、「異物」と見なされる世界。


人種差別と何が違うのだろうか。直樹は時折、自分に問いかけた。


 その問いに答えは出なかったが、彼はひとつだけ信じていた。


 ——人は心でつながれる。


 その思いだけを糧に、直樹は教室という名の“戦場”に立ち続けた。


◆6.冴子の存在


直樹にとって、「家」は決して安心できる場所ではなかった。父・剛は日々の仕事に追われ、家庭にはほとんど関わろうとしなかった。

無口で、感情を表に出さず、何を考えているのか分からない存在。ましてや、障害を持つ息子に対しては、どう接してよいのかさえ分かっていなかった。


だが、その中で唯一、直樹にとっての「光」と呼べる存在がいた。祖母・冴子である。


彼女は直樹の世話を引き受けることに、一度も「苦労」とは言わなかった。朝は誰よりも早く起き、直樹の身体を拭き、着替えを手伝い、紙オムツを交換し、食事を整えた。


そのすべてが、日常であり、愛情のかたちだった。


「なおちゃん、今日もええ顔してるなあ」


そう言って微笑む冴子の顔には、決して諦めも、憐れみもなかった。

そこにあったのは「信頼」だった。直樹という命を、どんな形であれ、育てきるという意志。


学校から帰ると、直樹はすぐに冴子の膝に転がり込んだ。

教室で傷ついた心は、彼女の柔らかな声と手の温もりに包まれて、ようやくほどけた。


「いじめられたんやろ?」


冴子は、何も言わなくても気づいた。直樹の口数が少なくなる日、背中が丸くなる日、食欲が落ちる日——それらのすべてが、学校という戦場での傷跡を物語っていた。


「しゃあないな。世の中には、分からん人もおる。でも、なおちゃんの価値は、なおちゃんだけが知ってたらええ」


冴子の言葉は、ただの慰めではなかった。それは「自己肯定感」を与える言葉だった。

他人にどう思われても、自分が自分を認めること。それこそが、彼女が伝えたかった「強さ」だった。


雨が降る日も、雪が舞う日も、冴子は欠かさず学校まで付き添った。

昇降口の段差を乗り越え、重い車椅子を押して昇るその姿は、時に教師たちをも圧倒した。


「いつもありがとうございます」と言う先生に、冴子はにこりと笑って返した。


「うちのなおちゃんが、よう頑張っとるんで」


その言葉には、どこか誇りすらにじんでいた。


しかし、心の奥には常に不安も抱えていた。——「自分が先に死んだら、この子はどうなるのか」。夜、一人布団に入ると、冴子は何度も天井を見つめてそう呟いた。


そんなある日、直樹がぽつりとつぶやいた。


「ばあちゃん、死んだらあかんで。俺、ひとりぼっちになる」


その言葉を聞いた瞬間、冴子の目からは、堰を切ったように涙があふれた。


「死なん。なおちゃんが大人になるまで、絶対死なんから」


その夜、彼女は仏壇の前に正座して、深々と頭を下げた。「どうか、この子より一日だけ長く生かしてください」と。


日常のなかのリハビリも、冴子の工夫から生まれた。お金がなかった彼らには、病院でのリハビリは夢のまた夢だった。

だから冴子は、新聞紙を丸めて棒にし、それを握らせたり、足に当てて刺激を与えたり、タオルを使って腕の可動域を広げる運動を一緒にやった。


「ほら、もうちょいやで、なおちゃん」


その言葉に応えるように、直樹も小さな努力を重ねていった。

時には「できない!」と泣き叫んだ日もあったが、冴子は決して怒らず、そっと背中を撫でた。


「今日できんでも、明日がある。明日あかんでも、また明後日があるやろ?」


その姿勢が、直樹に「希望」という感情を育てていった。


学校での出来事を話さない日が続くと、冴子はあえて話題を変えて言った。


「なおちゃん、将来なにになりたい?」


直樹は黙っていたが、やがて答えた。


「ばあちゃんみたいに、誰かを助けられる人になりたい」


それは、彼の小さな心が抱いた、最大の尊敬の証だった。


冴子の存在は、直樹にとって「人生の座標軸」だった。彼女がいたから、自分の位置を見失わずにいられた。

差別の教室、孤独な日常、偏見の視線——それらすべてを超えて、ただひとりだけが、彼の価値をまっすぐ見つめ続けてくれた。


直樹が思春期に入り、言葉少なになった時期でも、冴子は変わらなかった。

朝になれば「起きるでえ!」と布団をめくり、夕食時には「好き嫌い言わんと全部食べや」と笑って叱った。


——まるで、何も変わっていないように。


しかし、直樹の心の中では、少しずつ「感謝」という名の火が灯っていった。


彼はある日、初めて自分から冴子に言った。


「ばあちゃん、俺、生まれてよかったわ」


冴子は何も言わず、ただ涙を浮かべながら頷いた。


それが、直樹にとっての「確信」だった。


◆7.手話との出会い


 直樹が「手話」という世界に出会ったのは、小学校高学年の頃だった。

それは偶然のようでいて、必然でもあった。ある日、冴子が地元の公民館から帰ってくると、楽しそうにこう言ったのだ。


「なおちゃん、今度このへんで手話教室が始まるらしいで。ちょっと行ってみようかと思ってな」


 直樹は首を傾げた。自分は耳が聞こえるし、話すこともできる。なぜ手話が必要なのか、最初は理解できなかった。


「なんで?」と問うと、冴子は笑った。


「世の中には、声が出せへん人もいっぱいおるやろ?そういう人とも、ちゃんと話ができるようになったらええなと思って」


 それは、まさに冴子らしい理由だった。他者の苦しみに敏感で、どこまでも寄り添おうとする姿勢。それは日常のなかで、直樹に深く染み込んでいた考えでもあった。


 こうして、冴子とともに手話教室へ通い始めた。週に一度の夜の講座。

参加者は高齢者が中心だったが、そのなかで最年少の直樹は、講師からすぐに目をかけられるようになった。


 最初の一歩は簡単ではなかった。手の動き、表情、タイミング、そして何より「伝えたい」という気持ちがなければ、手話はただのジェスチャーにしかならない。


 講師の女性、内藤先生はいつも言っていた。


「手話は“手の声”よ。心で話すことが一番大事」


 直樹は、それをまさに実感するようになっていった。


 授業の中で「ありがとう」「大丈夫」「あなたは強い」という言葉を学ぶたび、自分の内側に響いてくるものがあった。

特に「大丈夫」という手話は、両手をやさしく前に押し出す動きで、まるで「そっと背中を押す」ような温かさを持っていた。


 その夜、家に帰ってから直樹は冴子に手話で「ありがとう」と伝えた。


 冴子は驚いた顔をして、すぐに笑った。


「ええなあ、なおちゃん。その“ありがとう”、ほんまに心から来とるんやな」


 それ以降、直樹の生活には少しずつ手話が入り込んでいった。


毎日の挨拶、食事のときの会話、外出先でのちょっとしたやりとり——そこに手話があることで、言葉の意味がより深く、真っ直ぐに伝わるような感覚があった。


 手話は、音の壁を越えて心を届ける方法だった。そしてそれは、誰とも心を通わせられなかった自分にとって、まるで新しい翼のようだった。


 中学校に入る頃には、手話は直樹にとって「もう一つの言語」となっていた。

耳が聞こえる子たちが冷たい視線を投げても、話しかけても無視しても、直樹にはもう一つの手段があった。手話という世界では、自分の「声」を誰にも奪わせることはない。


 冴子は言った。


「なおちゃん、言葉にはいろんなかたちがあるんやね。

黙ってることも言葉やし、手で話すこともそうやし。大事なんは、相手に届けようって思う気持ちや」


 その言葉に、直樹は静かにうなずいた。


 学校では友達がいなくても、家に帰れば冴子がいた。手話で「今日もおつかれさん」と言ってくれる彼女がいた。


 やがて直樹は、手話を「自分の武器」に変えていった。講座の中級クラスへ進み、冴子を支えながら、他の受講者のサポートもするようになった。

指導役の内藤先生から「あなたは将来、通訳にもなれるわよ」と言われたとき、直樹は初めて「自分にも誰かの役に立てる力がある」と感じた。


 孤独で傷つきやすかった心に、手話という静かな力が宿りはじめていた。


 ——この手で、誰かの心に触れることができる。


 そう思えたとき、直樹は少しだけ、自分が好きになれた気がした。


◆8.伝える手段の発見


 中学校に進学しても、直樹の孤独は続いた。廊下ですれ違っても誰も声をかけない。教室で発言すれば、空気が凍る。笑えば、ひそひそとした声が耳に届く。

障害のことをからかわれることもあれば、無視されることもあった。だが、直樹はもう以前のように心を閉ざすことはなかった。


 なぜなら、彼には「手話」という武器があった。


 手話教室に通い始めてから、直樹は自分の世界を少しずつ広げていた。

家の中だけでなく、地域の行事や公民館、福祉センターでも手話を使う機会が増えていった。


 ある日、冴子が紹介してくれた手話サークルに初めて参加した。そこには、ろう者と健常者が混ざって笑い合う空間があった。

誰もが「伝える努力」をしていた。言葉に不自由を抱える人々の中で、直樹ははじめて「自然体の自分」でいることができた。


 言葉で傷つくこともなければ、無視されることもない。手話での会話は、思いやりと忍耐が必要だ。だからこそ、言葉が心に届くのだと直樹は知った。


 「なおくん、手話、上手やなあ」


 そう声をかけてくれたのは、年配の男性だった。耳が聞こえず、筆談と手話でしか会話できないという彼は、直樹の目をまっすぐに見て話してくれた。


 「自分が伝えたいことを、こんなにちゃんと受け止めてくれる人、そうそうおらんよ」


 その言葉は、心に染み込んだ。直樹は、はじめて「誰かに必要とされている」という感覚を得た。


 中学校では、いまだ孤独だった。授業中の無視、階段から突き落とされそうになったこと、体育の時間に「お前は見てろ」と言われたこと——数え切れない「違い」の中で、彼は必死に心を保っていた。


 だが、手話サークルの中では、そんな痛みは必要なかった。


 その頃、直樹はノートに一つの言葉を書いていた。


 「伝えることを諦めない」


 これは、彼にとっての小さな誓いだった。


 学校では話せなくてもいい。誰にも声をかけられなくても、彼には手がある。


伝える意志がある。だからこそ、生きていける——。


 冴子は相変わらず直樹の良き伴走者だった。


食卓の会話に手話を交え、買い物のときも「あの野菜、なんて名前やったっけ?」と手話で尋ねる。日常の一つひとつに、手話が自然と入り込んでいった。


 手話を学ぶことで、直樹は言葉の重みを知った。音声言語がすべてではないということ。


表情と動き、目線と間。それらが揃って初めて、言葉は「心」になるのだと知った。


 ある日、公民館の手話交流会で、小学2年の男の子と出会った。


彼は生まれつき耳が聞こえず、学校でも孤立していた。


 「こんにちは」と直樹が手話で伝えると、その子の顔がパッと明るくなった。そして、彼の手がせわしなく動き出す。


 会話ができた。通じた。直樹は心から感動した。言葉が通じるというのは、心が届くということだ。


 その日を境に、直樹は手話の講座だけでなく、自主的に子ども向けの手話絵本の読み聞かせも始めた。自分が「誰かの橋」になれる。そう思うと、孤独だった日々が少しずつ意味を持ち始めた。


 中学校の教室では相変わらず「違う」存在だったが、地域の中では「誰かの役に立てる存在」になっていた。


 手話が、直樹に新しい世界をもたらした。それは単なる言葉のツールではない。誰かと「つながる」ための、希望そのものだった。


 ——僕は、僕のままで伝えられる。


 そう思えたとき、直樹は初めて「生きる手応え」を感じていた。


◆9.強さの芽生え


 中学2年の夏、直樹の心には、小さな、けれど確かな変化が芽生え始めていた。


 1年生の頃から続く教室での無視やからかい、授業中のひそひそ声、すれ違いざまにぶつかってくる肩や靴のつま先。

廊下に貼られた落書き。机の中に無造作に突っ込まれるゴミ。あらゆる日常の隙間に、悪意が塗り込められていた。

言葉にされなくても、体のどこかにぶつかってくる「違和感」が、いつも直樹の呼吸を重くした。


 しかし、そのすべてに対して、彼は沈黙し続ける少年では、もうなかった。


 ある日、休み時間の教室で、背後から聞こえてきた声に直樹は立ち止まった。


 「お前さあ、なんでいつも笑ってんの? 気持ち悪くね?」


 その声には、明らかな嘲笑が混じっていた。だが、直樹はゆっくりと振り返った。そして、目をそらさずにこう言った。


 「今日ね、小学生の男の子が、手話で『ありがとう』って言ってくれたんだ。それがうれしくて、笑ってたんだよ」


 一瞬、教室の空気が変わった。嘲った男子の表情が凍り、周囲の生徒たちも言葉を失ったように目を泳がせた。

笑っていたのは、バカにされているからじゃない。直樹は、その笑顔に理由があることを、自分の言葉で伝えた。


 その一言は、彼にとって「初めての反論」だった。


 強さとは、怒鳴ることでも、涙を見せないことでもない。


言葉を飲み込むのではなく、自分の内側にある大切な何かを「伝える」勇気。それこそが、彼にとっての「強さの芽生え」だった。


 その日の帰宅後、冴子にその出来事を話すと、彼女はしばらく黙って直樹の話を聞いたあと、ゆっくりと頷いた。


 「よう言えたな。……よう頑張ったわ、直樹」


 直樹は、静かに微笑んだ。褒めてほしくて言ったわけではない。

それでも冴子の言葉は、心に染みた。ひとつ、自分で乗り越えたのだという実感が、じんわりと胸を温めた。


 数日後、図書室での出来事が、さらに直樹の内側を変えていく。


 手話関連の本を読んでいた彼に、1年下の女子生徒がそっと声をかけてきた。


 「それ、手話の本だよね……?」


 直樹が頷くと、彼女は少し照れたように言葉を続けた。


 「うち……お兄ちゃんが耳聞こえへんねん。……前から、直樹くんが手話できるって、聞いてて……。ちょっと、教えてくれへん?」


 教室で初めて、自分が誰かに「必要とされた」瞬間だった。

話しかけられたことも嬉しかったが、それ以上に、自分の持っているものが「誰かの助けになる」ことが、直樹に大きな衝撃を与えた。


 次の日の昼休みから、図書室の片隅にふたりだけの小さな「手話教室」が生まれた。


ノートとペン、指の形、表情と目の動き。直樹はできるだけ丁寧に、ゆっくりと伝えた。


 週に2、3回。それは長く続くものではなかったが、「誰かと共に過ごす時間」の記憶は、孤独な教室の空気をやわらげた。


 「人はな、ほんの少しでも通じ合えたら、それだけで救われるんやで」


 ある晩、冴子が言ったその言葉が、今の直樹には深く響いた。

たとえ全員と分かり合えなくても、一人とでも、心がつながるだけで、生きる世界は変わるのだ。


 もちろん、差別や偏見がなくなったわけではない。

朝の通学路で聞こえてくる笑い声や、体育の時間に浴びる視線、何も言わずに離れていくクラスメイトの背中——そうした現実は、変わらず存在し続けた。


 それでも、直樹の中では確実に「何か」が変わっていた。


 誰かに否定されても、自分が自分を否定しなければ、それでいい。誰かに嘲られても、自分の価値を自分で認めていれば、折れない。


 そう思えるようになったのは、手話を通して「伝える手段」を得たこと、そして「誰かとつながる経験」をしたことが大きかった。


 手話の講座では、地域の高齢者や福祉関係者とも顔見知りになっていった。


何気ない日常会話が、直樹にとってはかけがえのない交流だった。


 「なおくん、また来たん? この前の読み聞かせ、うちの孫がめっちゃ喜んでたで」


 ある老婦人のその言葉に、直樹は心からの笑みを返した。


 読み聞かせは、自発的に始めた活動だった。手話で語る絵本の物語。


子どもたちの笑顔。通じ合える実感。それが、どれほど彼に「存在価値」を与えたか。


 中学校という「敵地」にいる時間は、まだ一日の多くを占めていた。

だが、地域という別の世界が、直樹に「もうひとつの自分」を許してくれていた。


 教室ではなくてもいい。友達がゼロでもいい。誰かひとりと心が通じれば、それで救われる。


 彼はそう思い始めていた。


 ある日、自分のノートの片隅に、直樹はこう書いた。


 「僕は僕のままで強くなれる」


 それは、決して大声で叫ぶものではない。静かに、確かに、心の奥から芽吹いた言葉だった。


 冴子は言った。


 「強さってのは、無理して笑うことやない。泣いてもええ、迷ってもええ。でも、自分を見捨てんと居られること。それが、ほんまの強さや」


 直樹は、その言葉を胸に刻んだ。


 そして彼は、少しずつ「生きることに意味を持たせる力」を、自分自身で育てていった。


 ——強くなるって、こういうことなんだ。


 心の奥で、確かにそう感じていた。


 目には見えないけれど、背中には、羽のようなものが、ゆっくりと生え始めていた。


◆10.“心の言葉”で生きる覚悟


 中学3年の春、直樹はまたひとつ、自分の内側と向き合う大きな転機を迎えていた。


 春休みが明けた初日、教室に貼り出された新しいクラス分けの一覧を見つめながら、彼は少しだけ息を呑んだ。


 名前はあった。変わらずあの中に。だが、周囲の空気は微妙に冷たく、初日から距離を置くような雰囲気が漂っていた。

中学生活の最後の1年も、これまでと同じように「外れ者」として始まるのだと、直樹はすぐに悟った。


 だが、もはや彼は、怯えるだけの少年ではなかった。


 教室に入り、自分の席に向かうまでのあいだ、いくつかの視線が突き刺さった。

無言の冷笑、わざとらしい無関心。直樹はそれらを正面から受け止めた。


 机に鞄を置き、深呼吸してから、ノートの表紙を指でなぞった。そこには小さな文字で、自分が書いた言葉が貼られていた。


 ——「心の言葉は、届く」


 それは直樹が、ある夜ふと頭に浮かんで書き留めた言葉だった。


 言葉は、耳に届かなくてもいい。声が出せなくてもいい。人と人とが本当に通じ合うのは、きっと心の奥にある「想い」の部分だ。そう信じたい。そう信じなければ、生きることはあまりにも苦しすぎた。


 放課後、図書室で手話の練習をしていると、あの1年下の女子がまた来た。


 「直樹くん、あのさ……。お兄ちゃんが最近、笑うようになったんよ。『話せなくても、伝えようとしてくれる人がいるって、すごいことや』って。……ありがとう」


 その言葉に、直樹の胸が熱くなった。


 自分の存在が、誰かの心に届いた。見返りも、褒め言葉も要らない。


ただ、誰かの笑顔のきっかけになれた。その実感が、彼の中に新しい覚悟を生んでいた。


 ——この先、どんなに困難でも、自分は“心の言葉”を持って生きていく。


 誰にも理解されなくても。笑われても。信じる力があれば、人は前に進める。


 直樹は、それをもう一度確かめるように、ノートに書き足した。


 「心の言葉で、生きていく」


 それが、彼の人生の「旗」になるときだった。


(第3章・完)

 僕は、生まれつき「下半身麻痺」という個性(障がい)を持っていますが、外国語にも興味を持っているので、僕の作品には日本語はもちろん、「外国語21言語」を用いて書きたいと思っていますので、以後お見知りおきを。


(詳細対象21言語=アメリカ&イギリス英語・アラビア語・イタリア語・インドネシア語・ウクライナ語・ギリシャ語・スウェーデン語・スペイン語・チェコ語・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポーランド語・ポルトガル語・ロシア語・韓国語・中国語(簡体字&繁体字)

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