表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

第2章 リハビリの始まりと「歩かなくても、生きられる」希望

人生のはじまりを、誰もが平等に祝福されるとは限らない。


1981年9月、僕は重度の二分脊椎と水頭症という先天性の障がいを持って生まれた。医師の口から出た言葉は、「余命3か月かもしれない」という、あまりにも重く冷たい宣告だった。生まれた瞬間から、僕の人生は「いつまで生きられるか」ではなく、「どこまで生き延びられるか」という基準で語られていた。


下半身は麻痺していた。歩くことなど到底無理だと誰もが思っていた。家族の中でも、母は4歳になるまで僕にほとんど関心を持たなかった。父も深くは関わらず、育児を放棄された僕を守ってくれたのは祖母の冴子だけだった。

誰にも愛されない場所から、奇跡のように立ち上がるまで。歩けないはずの足が、自宅での冴子のマッサージと支えの中、ふとした瞬間にわずかに動いた。その小さな一歩が、僕に「希望」という言葉を初めて与えてくれた。

だが、歩けるようになったからといって、世界が優しくなったわけではない。保育園、小学校、中学校——どこへ行っても、僕を待っていたのは“異物”を見る目と、言葉にならない拒絶だった。友達は一人もいなかった。手を伸ばしても、そこに誰もいなかった。

それでも、僕は手話という「もうひとつの声」と出会ったことで、“伝えられる自分”に変わっていった。声を出せなくても、心で語れる方法がある。そう気づいた瞬間から、僕の世界は少しずつ変わり始めた。

この物語は、障がいを持つ一人の男の44年間の記録であり、人生の断片の積み重ねである。葛藤、孤独、怒り、そして希望。それらすべてを胸に抱きながら、僕は今日も杖をついて、自分の足で歩いている。

風のない空でも、翼はなくても、僕は翔けてきた。これは、そんな僕の、実話に基づいた物語である。

小学校一年生の夏、直樹の生活に変化が訪れた。


校医の勧めもあり、本格的なリハビリテーションを受けることになったのだ。


それは、歩くことを目指す訓練ではなかった。


むしろ、「歩かなくても、生きていける体と心」を育てるための、小さな挑戦の積み重ねだった。


     *


だが、家計は決して余裕があるとは言えなかった。


母・冴子の年金と、父・剛の薄給だけでは、定期的な通院や専門施設に通うための交通費すらままならなかった。


「病院でのリハビリは無理やけど……家でできることを、やってみよう」


冴子はそう言って、自宅の六畳間にリハビリ用のスペースを設けた。


古い座布団を重ねてマット代わりにし、ダンボールで作った背もたれ、そして押し入れの戸を外して簡易平行棒代わりに。


「この家で、なおちゃんのからだを少しでも動かせるようにしたいんや」


冴子の工夫と覚悟が、すべてそこに詰まっていた。


     *


リハビリ初日。


冴子は、福祉センターでもらったリーフレットを見ながら、慎重に声をかけた。


「なおちゃん、まずはこのストレッチやってみよか。ゆっくりでええよ」


「……いたいけど、がんばる」


冴子の手は不器用だった。けれど、愛情だけは確かだった。


「うん、うん……なおちゃん、よくがんばったな」


そう言って、直樹の額をそっとなでた。


その日から、毎晩のリハビリが始まった。


    *


内容は、筋肉の維持と柔軟性を保つストレッチ、上半身のバランス訓練、いざり移動の練習など多岐にわたった。


リビングの床を這う練習では、直樹が「ぼく、まえにすすめた!」と叫んだ瞬間、冴子も思わず涙ぐんだ。


「すごいなあ、なおちゃん。昨日より、ぜんぜんちがう!」


冴子は、毎日の練習をノートに記録した。


「7月22日:床に座って、姿勢を保てた時間が3分から5分に伸びた」


成長はゆっくりだったが、確かな歩みだった。


    *


ある日、小学校の先生が家庭訪問にやってきた。


「直樹くん、姿勢が安定してきましたね。教室でも自信持って手を挙げるようになりました」


それを聞いた冴子は、心の底から安堵した。


「家で、ようがんばってるから……あの子なりに、一歩ずつ進んでるんです」


     *


リハビリが日常の一部になるにつれ、直樹の身体と心は少しずつ変わっていった。


「歩けないこと」は「できないこと」ではなく、「違う方法でできること」へと変換されていった。


冴子はいつも言った。


「なおちゃん、歩かれへんのは不幸やない。自分で“やる”気持ちがあれば、なんでもできる」


直樹はそれを信じた。


「うん。ぼく、歩かなくても、いきられる」


その言葉に、冴子は胸が詰まった。


     *


「歩かなくても、生きられる」


それは、直樹にとってあきらめではなく、可能性の始まりだった。


手で漕ぐ車椅子、床を這ういざり移動、自分の言葉で伝える力。


どれもが、彼にとっての“歩く”に等しい一歩だった。


そして、その歩みは、確かに未来へと続いていた。


◆2.日常の中の“リハビリ”


 リハビリは、特別な空間だけで行うものではなかった。


 直樹にとって、それはむしろ「日常生活そのもの」だった。


 朝起きる、服を着替える、食卓に移動する——それら一つ一つが、彼にとっては練習であり、挑戦だった。


 冴子は言った。


 「なおちゃんの“がんばる”は、毎日の暮らしにあるんやで」


 家には、専門的なリハビリ器具は何もなかった。けれど、冴子はその分、生活の中に“動作の訓練”を組み込んでいった。


 洗濯物を干すとき、洗濯ばさみを一つ一つ手渡しながら、「指先のつまむ動作」を繰り返す。


買い物帰りに、食材を袋から一つ取り出すたびに「手を伸ばす・握る・支える」という動作が自然と練習になる。


 そしてもうひとつ、直樹にとって切り離せない「日常」があった。


 それは——紙オムツ。


 生まれた時から、直樹には排尿・排便のコントロールがなかった。


 医師に「将来的にも自力排泄は難しいでしょう」と告げられていた。


 冴子は、その現実をただの“介護”ではなく、“生きる環境”として捉えた。


 「なおちゃん、紙オムツは恥ずかしいもんやないよ。あんたにとっては、くつみたいなもんや」


 排泄の後始末、交換、肌の清潔保持——すべてが、冴子の毎日の重要な作業だった。


 真夏の蒸れる日には冷たいタオルで股のあたりを冷やし、冬場には交換前にヒーターの前でおむつをあたためる。


 「ちょっとでも快適にしてやりたい」その気持ちが、冴子の手のぬくもりに表れていた。


 直樹も成長とともに、自分で“交換のタイミングを知らせる”ことを練習しはじめた。


 「おかあさん……かわえて」


 その一言が、冴子には「自立の第一歩」に聞こえた。


 やがて直樹は、日記のように排泄の時間を書き留める練習も始めた。


カレンダーに○をつけながら、自分の体調やサイクルを知ろうとするその姿は、小さな身体に秘められた“生きる知恵”だった。


     *


 朝。


 目覚ましが鳴ると、直樹はベッドの端に座る。まずは、その姿勢を五分間保つ。


 「おはよう、なおちゃん。きょうはお日さん出てるね」


 その声に頷く直樹。寝返りを打つ練習は、布団の中で毎朝行っていた。上半身のねじれと、肩甲骨の意識。


 次はトイレへの移動。短い距離でも、いざりでの移動に時間がかかる。冴子は急かさず、後ろから見守る。


 「だいじょうぶ。なおちゃんのペースでええんやよ」


 床に手をつき、手のひらに体重をかけ、腰を引きずるように進んでいく直樹の背中には、小さな汗がにじんでいた。


     *


 朝食の後は、歯磨き。


 歯ブラシの柄を少し太くする工夫を施し、握力の弱さをカバー。


 「なおちゃん、自分で磨けるようになってきたな」


 「うん。みぎは、ちょっとむずかしいけど」


 その細かい動作も、手指の機能を高める訓練となっていた。


 冴子は台所に立ちながら、鏡越しに直樹を見守る。


 磨き残しのチェックは「ごっこ遊び」風にして、毎日を退屈にしない工夫を続けた。


 「なお先生、今日の歯の点検はどうですか?」


 「んー……うしろがちょっとダメやな。やりなおしやで」


 笑いながら行う動作は、リハビリという名の“親子の対話”でもあった。


◆3.ふとした瞬間の“転機”


転機とは、いつも劇的な形で訪れるとは限らない。


 それは、ふとした仕草や偶然の視線の交差、あるいは、日々の暮らしの中でぽつりと生まれた感情の揺れ——


 直樹にとっての“転機”は、ある冬の朝、そんな静かな始まりをもってやってきた。


     *


 その日は雪が降っていた。


 積もるほどではなかったが、縁側の外はうっすらと白くなり、吐く息も白くなるほどの冷え込みだった。


 「寒いなあ、なおちゃん。ストーブ、ちょっと強くするね」


 冴子が灯油ストーブの火力を上げながら言った。


 直樹は、布団の中から顔だけを出し、窓の外をじっと見ていた。


 その眼差しは、まるで別の世界を見ているように深かった。


 「おかあさん……ぼくも、雪の上を歩いてみたい」


 それは突然のひとことだった。


 冴子は一瞬、言葉を失った。


 この数年、直樹は「歩くこと」への執着を見せなくなっていた。


 それは「受け入れ」と言うにはまだ幼い決断であり、むしろ“あきらめ”に近い静けさだった。


 けれど、その日の直樹は違った。


 雪という非日常の白さが、幼い心に新たな感情を呼び起こしていたのだろう。


 「そうか……そうやな。歩きたいよなあ」


 冴子は、そう言って直樹のそばにしゃがみこみ、彼の肩をそっと抱いた。


 「でもな、なおちゃん。歩くことだけが“すごい”ことやないよ。なおちゃんには、なおちゃんの歩きかたがあるんや」


 「……うん。でも、すこしだけ、やってみたい」


 それは希望というよりも、確認のようなひとことだった。


 「ぼくは、ほんとうにあきらめてええのかな」——その心の声が、かすかに漏れ出たようだった。


     *


 翌日から、冴子は“姿勢保持”のリハビリを再強化することにした。


 「なおちゃん、きょうから新しいチャレンジしてみようか。ちょっとだけ、立つ練習や」


 「たつって……ほんまに?」


 直樹の顔には、驚きと、それ以上に「怖さ」がにじんでいた。


 「もちろん、おかあさんがついてるし、無理なことはせえへんよ」


 冴子は、壁に背をつけさせ、肩を支えながら、ゆっくりと直樹の上半身をまっすぐに整えた。


 「ひざは曲がったまんまでええ。腰も無理にのばさなくてええ。これは“たつ練習”やなくて、“たつ感覚”を体におぼえさせる練習やねん」


 「……わかった」


 その日から毎朝五分、直樹は冴子に支えられながら、壁にもたれて“立つ姿勢”に挑戦した。


 最初の数日は、呼吸が乱れた。


 足元がまったく感覚のない場所であることが、逆に“宙に浮く”ような恐怖を引き起こした。


 「おかあさん……こわい……」


 「大丈夫や。手、はなさへん。ずっとここにおるから」


 その声だけを頼りに、直樹は一日、一日と“壁にもたれる時間”を伸ばしていった。


     *


 雪がやんで数日経ったある朝。


 「きょう、外いってみよか」


 冴子の提案に、直樹は一瞬戸惑ったが、うなずいた。


 車椅子に毛布をかけ、玄関からゆっくりと縁側まで運び出す。


 外はまだ湿った空気を含んでいたが、雲の間からうっすらと光がさしていた。


 「うわあ……」


 直樹が見上げた空の白さに、冴子はそっと背を押した。


 「少しだけ、雪のとこ、触ってみよか」


 そう言って、庭の端にまだ残っていた雪に手を伸ばし、直樹の手にその冷たさを感じさせた。


 「つめたい……けど、きもちいい」


 「な? 歩かれへんくても、感じることはできるんやで」


 「うん……。ありがとう、おかあさん」


     *


 その日から、直樹の中に何かが灯った。


 それは「歩きたい」ではなく、「もっと感じたい」「もっと生きていたい」に近い願いだった。


 そしてその願いは、今まで以上にリハビリへの意欲を高めていった。


 ふとした一言。


 ふとした白い景色。


 それが、直樹の心にとっての“転機”となった。


◆4.医師の驚きと再評価


 直樹の体と心に灯った意欲は、やがて周囲の目に見える形で現れはじめた。


 冴子が日々記録していたリハビリ日誌には、些細な変化が丁寧に書き込まれていた。


 「今朝、壁にもたれる時間が10秒伸びた」「呼吸の乱れが少なくなった」「“姿勢保持”中の手の震えが軽減」——そんな些細な記録が、まるで希望の点描のように並んでいく。


 そしてある日。


 数カ月ぶりに訪れた病院で、転機は次の段階を迎えた。


     *


 「じゃあ、今日は経過を診ましょうか」


 いつも冷静な表情を崩さない担当医・佐伯が、診察室に直樹を迎え入れた。


 車椅子に座った直樹は、やや緊張した面持ちだったが、その眼差しはどこか自信を湛えていた。


 冴子は、持参したリハビリ記録のノートをそっと差し出した。


 「ここ三ヶ月の記録です。家で続けてきたリハビリの内容と、本人の反応も書きました」


 佐伯はノートを手に取り、丁寧にページをめくっていった。


 しばらく沈黙が続いた。


 「……これは、すごいですね」


 初めて聞く、その声のトーンだった。


 「彼が、こんなにも“立つ姿勢”を維持できるとは……」


 佐伯は直樹に向き直り、やさしく目を細めた。


 「なおくん、少し身体を見せてもらっていいかな?」


 その後の診察で、佐伯はさらに驚かされる。


 筋肉量の維持、皮膚の血色、胸郭の柔軟性——それらは医師の予想をはるかに超えていた。


 「これは……正直に言いますと、なおくんが“ここまで元気に”成長するとは想像していませんでした」


 冴子はその言葉を聞いた瞬間、胸の奥に込み上げるものを感じた。


 「でも……先生。生まれたときは“余命三か月”って言われました。けど、いま、七歳になりました」


 冴子の声は震えていたが、そこには誇りと静かな怒りも込められていた。


 佐伯は頷きながら、すまなさそうに目を伏せた。


 「……医師として、最善の予測を伝える責任がありました。でも、あなた方の生き方がそれを超えた。私の“判断”の限界でした」


 静かな謝罪だった。


 だが冴子は、もうそれを責める気持ちは持っていなかった。


 大切なのは、いま直樹が“生きている”ということ。


     *


 診察の最後に、佐伯は新たな提案をした。


 「自宅でのリハビリはこのまま続けてください。そして……機会があれば、専門施設での短期評価を受けてみませんか」


 「短期評価?」


 「はい。療育センターで、動作評価・言語評価・生活スキルの検査を受けるんです。なおくんがどこまで“できるのか”を、改めて“客観的に”測りたい」


 冴子は戸惑いながらもうなずいた。


 「……わかりました。やってみます」


     *


 後日、直樹は療育センターでの評価を受けた。

 

 そこでも医師や理学療法士たちは驚いた。


 移動時の姿勢保持能力、発語の明瞭さ、指先の操作力——いずれも、診断時の「重度」の基準から大きく逸脱していた。


 「彼は“完全な予後不良”とは言えません。むしろ、予想以上の代償的発達が見られる」


 医師はそう評価を改めた。


     *


 「なおちゃん。歩けへんかもしれへん。でもな、“生きてる”ことを、先生たちが見直してくれたんや」


 帰り道、冴子は直樹にそう語りかけた。


 「うん。なんか、ぼく……だいじょうぶな気がする」


 直樹の言葉に、冴子は思わず涙ぐんだ。


 希望とは、他者からの“再評価”によって生まれ直すこともある。


 その日、冴子と直樹の未来は、また一歩先へと進んだ。


◆5.マッサージから歩行練習へ


 医師からの再評価と、冴子の胸に新たに芽生えた希望は、日々のリハビリにさらなる意味と深さをもたらした。


 この日を境に、冴子の中では“できるかもしれない”という予感が確信に変わりつつあった。


 「なおちゃん、今日はちょっとマッサージ多めにしよか」


 夕食後の静かな時間。


 ストーブの熱で温めたタオルを膝の上に乗せながら、冴子は直樹の足を丁寧に撫でていた。


 「くすぐったいけど……きもちいい」


 直樹はそう言いながら笑った。


 冴子は笑いながら、ふくらはぎから太もも、そして足の甲にかけて、軽く押し伸ばしていく。


 「ここがやわらかなると、なおちゃんの腰もきっとラクになるんやで」


 マッサージの目的は、血流促進だけではなかった。


 それは、感覚の少ない足に“気配”を送り込む行為だった。


     *


 冴子は、あるノートを作りはじめた。


 題して、「あるいてもええかもしれへんノート」。


 そこには、毎日行ったマッサージの部位、反応、声かけ、そしてその日の気分まで細かく記録されていた。


 「左太もも:ふれると微かにピクリと動く。/なお『あたたかい感じ』と発言」

 「足の甲:無反応。ただし笑顔が増えた」


 直樹にとっては遊びのような時間だったが、冴子にとっては“身体との対話”だった。


 「この子の体は、眠ってるだけで、なにも“あきらめてる”わけやない」


 その確信が冴子の指先を真剣にさせた。


     *


 ある日、冴子は直樹にこう告げた。


 「なおちゃん、いっぺん“歩くまね”してみよか」


 直樹は一瞬、冴子の顔を見て、それから小さくうなずいた。


 「うん。やってみたい」


 リビングの畳に毛布を二重に敷き、その上に直樹をうつ伏せに寝かせる。


 冴子はその両足首をそっと持ち上げ、歩行運動を模した屈伸をゆっくりと繰り返した。


 「一歩、にーほ……さんぽ。どう?」

 「ふしぎな感じ。足が“動いてる”って、あたまが言ってるみたい」


 冴子は、その感覚こそが大切だと信じていた。


 「なおちゃん。体はな、頭からの“お願い”を聞いてくれるんや。ちょっと時間はかかるけど、忘れてへんねんで」


     *


 冴子は毎晩、直樹を膝に乗せ、腰を支えながら“疑似歩行”の姿勢にさせた。


 「なお、しっかり背筋のばしてみ」

 「うん……ちょっとだけ、つらい……けど、できる」


 彼の言葉には、かつてなかった強さがあった。


 日を追うごとに、“支えがあれば腰を起こせる時間”は伸びていった。


 「今日は十五秒、いけたな! すごいやん」


 「ぼく、あしが“つかえてる”って感じした」


 その表現に、冴子は深く頷いた。


     *


 ある夜、冴子は夢を見た。


 直樹が玄関先で立っている。


 短い足、よろめきながらも、自分の意志で一歩を踏み出そうとしている。


 ——その姿は、現実ではない。


 けれど、目が覚めたとき、冴子の目に涙が浮かんでいた。


 「歩けんでええ。せやけど……この子がこのまま“歩けるかもしれん体”でいてくれるなら、それだけでええ」


 願いではなく、祈りでもなく、それは“確認”に近かった。


 この先に“奇跡”が待っていようがいまいが、冴子と直樹は、自分たちのやり方で、確実に前に進んでいた。


◆6.「歩かなくても、生きられる」


 ある日、冴子は直樹にこう尋ねた。


 「なおちゃん、歩けたら何がしたい?」


 直樹は少し考えて、窓の外を見つめながら言った。


 「そら、あるいてみたいよ。……でも、歩かれへんかったとしても、やりたいことはいっぱいある」


 その答えに、冴子は目を細めた。


 「たとえば?」

 「本、いっぱい読むとか。しゃべるのうまくなるとか。おえかきも好きやし。……それに、学校いきたい」


 その最後の言葉に、冴子の胸はぎゅっと締めつけられた。


 リハビリに懸命だった日々のなかで、「歩くこと」ばかりが“前提”になっていなかったか——ふと、そう自問した。


     *


 ある晩。


 直樹は布団の中で、小さな声でぽつりと言った。


 「おかあさん。ぼく、“ふつう”じゃないよな」


 冴子は驚いて顔を向けた。


 「……なおちゃん、なんでそんなこと思うの?」


 「テレビに出てる子も、町で見る子も、みんな歩いてるし、オムツしてへんし……。ぼく、ちがうなって思うときある」


 その言葉は、冴子の胸を刺した。


 けれど、彼の瞳はどこか穏やかで、どこか遠くを見ていた。


 「でもな、なおちゃん」


 冴子はゆっくりと言葉を紡いだ。


 「歩かれへんでも、人は生きられるんやで。おむつしてても、生きられる。しゃべれるし、わらえるし、好きなもん食べて、誰かを大事に思える。……それで、ええんや」


 直樹は黙っていた。


 けれど、その目に涙がうっすらと浮かんでいた。


 「ぼく、生きてもいいんやな」


 「当たり前や。なおちゃんは、誰よりも生きてるで」


     *


 その夜から、冴子の中にある確信が芽生えた。


 ——もう、“歩くこと”を目指すだけが、ゴールではない。


 それよりも、「直樹がどんな風に、生きたいか」に耳を澄ませよう。


 読み聞かせの時間はどんどん長くなった。


 直樹は登場人物の声色を真似たり、自分で続きを想像したりするようになった。


 「このおはなしのつづき、ぼくならこう書くな」


 冴子は、それを全部ノートに書きとめていった。


 「なおちゃん文庫、つくろか」


 「うん! その名前、いいな」


     *


 冴子は、地域の保健師に相談しはじめた。


 「直樹のような子が、将来どんな進路をとれるのか。どんな支援があるのか」


 たとえ特別支援学校に進むとしても、「ただ“守られる”ためだけの場所」では意味がない。


 直樹が「言葉を武器にして生きる」こともできるように——冴子の中に、新たな道が見えはじめていた。


     *


 ある日、直樹は冴子にこんなことを言った。


 「ぼく、だれかの“勇気”になれるかな」


 「なおちゃんは、もうなっとるで」


 「ほんま?」


 「ほんまや。おかあさん、何回もなおちゃんに救われた」


 直樹は、照れたように笑った。


 ——歩かなくても、生きていい。


 ——生きることは、ただ“存在する”ことじゃない。


 誰かと心を通わせ、希望をつなぎ、生きる意味を見出していくこと——


 その実感が、ふたりの間に静かに芽吹いていた。


◆7.4歳11ヶ月の奇跡


 それは、ある静かな春の午後のことだった。


直樹は、いつものようにリビングの畳の上で、腕の力だけを頼りに自分の身体を持ち上げ、前へと進もうとしていた。


父・剛はソファに座り、新聞を読みながらも、ちらちらとその様子を見守っていた。


 「なお、無理すんなよ」


 そう言う声の裏には、これまで幾度となく見てきた希望と失望が交錯していた。


 直樹は返事をせず、眉をしかめながら、静かに床を這うように進んでいく。


 ——その瞬間だった。


 右手が少しずつ膝の位置へ向かい、左手が床から浮いた。その直後、直樹の両腕が自らの身体をぐっと持ち上げた。


 「う……っ……!」


 次の瞬間、父・剛が驚きの声をあげた。


 「なお、いま……!」


 直樹の両腕が身体を持ち上げ、膝をついた状態でバランスを取りはじめていた。


 そして、リビングの一番奥にいた祖母・冴子が静かに立ち上がり、直樹の名を呼んだ。


 「なおちゃん……それ、“たっち”や」


 直樹は頷くように、わずかに顔を動かした。全身が震えていたが、膝立ちの姿勢を保ったまま、数秒間じっとその場に止まっていた。


 それは、生まれてこのかた一度も見せたことのない姿勢だった。


 その後、直樹は床に倒れ込んだ。


 「……つかれたぁ……」


 その声は、悔しさではなく、確かな達成感に満ちていた。


     *


 それから数日間、直樹の“膝立ち”の練習が続いた。朝の起床後、食事のあと、リハビリの合間。冴子は日記のように、直樹の動作を記録し続けた。


 「きょうは3秒、昨日は2秒。ちょっとずつ増えてるな」


 「明日は4秒やってみる!」


 直樹の中で、“できる”という感覚が少しずつ根を張りはじめていた。


     *


 ある日、祖母がそっと口にした。


 「なおちゃんが、“ひとりでたっち”する日がくるなんて、夢みたいなことや思うてたけど……奇跡って、こうやって起こるんやな」


 父・剛も、仕事の合間に何度も直樹の姿を見に帰ってくるようになった。


 「歩けなくてもええ。でも、お前が自分で立とうとしてることが、もう……すごいことなんや」


 直樹は、その言葉に静かに微笑んだ。


     *


 4歳11ヶ月。


 誕生日まで、あと数日。直樹はついに、両手を使いながらも、自力で立ち上がることができるようになっていた。


 「おかあさん、ぼくな……ほんとは、こわかった」


 夜、布団の中でぽつりと話した。


 「ずっと、あるけへんって言われて……ぼく、“がんばっても意味ない”って思ってたとき、あった」


 冴子は黙ってその言葉を受け止めた。


 「でもな、こうして立てたら、なんか……“ここにおってええんや”って思えた」


 「なおちゃん……」


 冴子はそっと、直樹の手を握った。


 「生きてるだけでええんやで。でも、こうして自分で希望見つけて、立とうとしてくれるなおちゃんが、私の誇りや」


     *


 誕生日の朝。


 直樹は、リビングの真ん中に設置された小さなバーにつかまり、自分の力で膝を立て、ゆっくりとバランスを取った。


 「みて! ぼく、5秒たっちできた!」


 祖母も父も、笑顔と涙でそれを迎えた。


 そして冴子は、そっと口にした。


 「なおちゃん、これは“奇跡”やないよ。なおちゃんが、自分でつかんだ“現実”や」


 直樹は、満面の笑みを浮かべながら、もう一度立ち上がった。


 その背には、確かに——


 未来という名の翼が、見えはじめていた。

 僕は、生まれつき「下半身麻痺」という個性(障がい)を持っていますが、外国語にも興味を持っているので、僕の作品には日本語はもちろん、「外国語21言語」を用いて書きたいと思っていますので、以後お見知りおきを。


(詳細対象21言語=アメリカ&イギリス英語・アラビア語・イタリア語・インドネシア語・ウクライナ語・ギリシャ語・スウェーデン語・スペイン語・チェコ語・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポーランド語・ポルトガル語・ロシア語・韓国語・中国語(簡体字&繁体字)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ