8. 吹奏楽の魅力
「ーーはい、ではミーティングを始めます。」
部長が手を叩き号令をかけると、騒がしかった教室も少しの緊張感を持って静まり返った。
、、、何か今日はいつもと違う.....?
違和感の原因はホワイトボードにあった。いつもなら書いてあるはずの予定とP練部屋の割り振りが示されていない。
「今日はコーチの方からお話があると言うことで、初めに時間をとっています。コーチを呼んでくるので、ちょっと待っててください。」
部長はそう言って、隣の教員室へコーチを呼びに行く。
ーーまた何か怒られるのか?前回の合奏の記憶が部員たちの中を駆け巡る。
より一層、緊張が渦巻く。
コーチが入ってきた。いつ見てもこちらの背筋が伸びるような風貌だ。
「すいません、時間取ってもらっちゃって。まず一つ、皆さんに謝罪させて下さい。本当に申し訳なかったです。」
説教が始まると思っていたコーチから突然の謝罪に、部員たちは困惑し、気が抜けたようにコーチの方を見ていた。
「先日の合奏、明らかに私の言い方が悪かったと思っています。言い訳をするつもりもありませんが、顧問....まあ私の父親ですね。彼からコンクールに出場しない理由や今後の方針について部員の方々が説明を受け、納得しているという前提でコーチを引き受けました。先日の合奏後、ある部員の子が私の元に来てくれてですね、色々今の部活の状況について説明してくれたんです。そこで私と皆さんの間に認識の齟齬があることに気付かされました。まぁ、言葉遣いに関しては100%私が悪かったです。特に生徒指揮さん、すみませんでした。」
ーーある部員、、、、絶対ツインのことだろうなとトランペットパートの誰しもが気付いた。
「その上で、コンクールに出ない理由について私の口から説明させていただこうと思います。」
「ーーそれは、吹奏楽コンクールだけが吹奏楽部の魅力ではない。それを部員の皆さんに体感してほしいということです。オーケストラやブリティッシュブラス、コンボジャズやビッグバンドジャズ。ジャズの中にはスウィングやラテン、コンテンポラリーなど、それぞれのジャンルにはそれぞれの広がりや奥行きがあります。吹奏楽の魅力はその楽器編成の多彩さから、そのような他ジャンルの楽曲でさえカバーすることができます。
そういった魅力がありながら、高校を卒業してから楽器を続ける子はかなり少ないです。そもそも大人が一から楽器を始めたとして、今の皆さんのような実力に追いつくには基本的に倍以上の年月がかかります。そこまで時間があるわけではないので。何が言いたいのかというと、皆さんが今そのように楽器を演奏できるということは、素晴らしい才能であり、努力の賜物なのです。それが吹奏楽コンクールによって失われてしまっている。顧問は長年それを感じてきたようです。聞いた話によると、コンクール時期の人間関係のストレスから精神的に病んでしまい、入院してしまった生徒までいたとか。その子だけに限らず、コンクール時期は気に病んでしまう学生は沢山います。私も実際そうでした。コンクールが終わることで得られる解放感、それをやり切った達成感のように感じ、コンクール時期の嫌な思い出は『吹奏楽の嫌な思い出』に変貌してしまいます。自分はやり切った、もうあんな思いはしたくない、吹奏楽を嫌いになった。そう勘違いしてしまうのです。本当は『吹奏楽部の人間関係』が嫌になっただけで、吹奏楽を嫌いになったわけではないのにね。
もう部員にそんなことで吹奏楽や楽器を嫌いになってほしくない、趣味程度でいい、途中で休んでもいいから楽器を演奏し続けてほしい。吹奏楽を通して何か自分の好きな音楽を見つけるきっかけになってほしい。これが、顧問から皆さんに対しての想いです。その道筋を示すため、レコーディングで皆さんが親しみやすいJ-POP原盤のバッキングや劇伴に参加している私がコーチに就任したというわけです。以上がコンクールへの出場を取りやめた理由と経緯になります。」
納得できた人、できていない人、そもそもどうでも良さそうな人。見渡す限りさまざまな感情をした顔が見られる。西村先輩は少し頷いているようで、大泉は割と興味なさそう。俺はと言うと、、、正直吹奏楽コンクールに出ないことに安堵している。俺自身中学の吹奏楽部でのコンクール期間の人間関係には疲れていた。もちろんそれを覚悟の上で高校でも吹奏楽部を選んだのだが、コンクールが目的ではなく、定期演奏会でのステージに魅力を感じて入部したので、悩みの種だったコンクールに出ないというのは、個人的にはかなりありがたい。絶対に口には出せないけど。
右の方から手が上がった。
「すみません、一点質問よろしいでしょうか?」
またツインだ。コーチのどうぞという言葉の後に話し始める。
「すみません、私まだ納得できてなくて。私はこの吹奏楽部でコンクールに出て関西に出たい、金賞を取りたいと思って進学・入部を決断しました。年齢関係なくその考えを持っている部員は沢山います。そんな私たちの決断を大人の考え一つで踏み躙ってしまうのですか?」
かなり踏み込んだ発言だな。まあ納得できないのも無理はない。もしコンクールではなく定演が潰されてしまっていたら俺も同じ想いだっただろうから。
「はい、その気持ちも重々承知しています。理由に関しては今説明した通りです。私の役割としては、コンクールで賞を得ること以上の価値を皆さんに提供することに全力を注ぐことだと考えています。そのために何ができるのか、今一生懸命考えていますし、この後そのうちの一つを皆さんに体験してもらいます。今は納得できない方も多いかとは思いますが、どうかもう少し私に時間をくださればと思います。」
コーチは他に質問が出てこないことを確認してから、部長の方を向いた。部長も意図を理解し、
「では、フルートから一人ずつレッスン室に入ってきてください。他の人たちは個人練習でお願いします。」
そう言って、この場は一旦解散となった。