7. なんですか?これ。
前回の合奏から1週間が経過し、2回目のコーチ合奏の日が訪れた。スタジオ奏者とは存外多忙なようで、コーチ合奏は週に一回前後、不定期で行われるようだ。それ以外の時間は今までと同じような個人練習とパート練習、基礎合奏を含む毎日の合奏練習という、ごくごくありふれた吹奏楽部の一般的な日々を送っている。ただ中学の頃と圧倒的に違うのは、部員の演奏技術である。特にトランペットのひかる先輩は逸脱しており、目を瞑って演奏を聴けば音大生やプロと遜色ない、むしろそこらの音大生より上手いとさえ思ってしまうほどだ。
楽器演奏技術の上達には本質的に練習の質や量が求められる。ただそれ以上に望ましいのは「上手い奏者の生音を間近で聴くこと」である。自分の理想とする奏者がすぐそばにいるということは、普段の練習のクオリティを何倍、何十倍にも膨らませることに繋がる。同調圧力練習法なるものだ。和也自身もその刺激を存分に受けており、練習のモチベーションが最高潮に達している。
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「はい、では合奏を始めましょうかね。」
慣れない環境での久しぶりのコーチ合奏。少し重心が上がり肩に力が入ってしまっていることを感じているうちに、指揮棒が振り下ろされ、次の演奏会で演奏するメインの曲、Sing Sing Singが奏でられる。
ーーー「はい、ありがとうございます。」
曲が終わり、コーチのその一言で指揮棒が振り下ろされる。踊りながらの演奏は流石にかなり厳しい。かなり音も外してしまったし、動きも間違えた。でも確実に成長してる。たった1週間でこんなに成長してる!そう俺は思いながら前を向く。
「、、、、なんですか?これ。」
コーチのその一言に音楽室が静まりかえる。某吹奏楽部アニメで聞いたことのあるセリフだ。
「私が前回の合奏で指摘したこと、覚えてますか?何もそこまで高いレベルは要求してませんよね?テンポキープできずに走っていたドラム・チューバ・ベース、音外しすぎの金管楽器、聴くに耐えないピッチのクラリネット。もちろん全てを完璧にしろなんてことは言ってません。私は改善してこいと言いました。そしてあなたたちは元気良く返事をしました。ただ現状この有様です。生徒指揮さん、この1週間なんの練習をしてきたのですか?」
話を振られたのは前回の合奏で姿勢や伝統の話を指摘されていた生徒指揮の先輩だ。
「はい.......私たちは私たちなりに練習してきましたし、しっかり毎日合奏もして調整してきたつもりです。」
怒り・緊張・勇気が入り混じったような震えた声で答える。
「その結果がこれですか。本当に無駄な1週間を過ごされてきたんですね。おおかた曲が出来上がっていない状態で踊りつきで練習していることで何も進歩していない、というところでしょうか。聴衆はあなたたちの音楽を求めて本番を観に来ているのであり、踊りだけを求められているのではありません。もちろん踊りがあると全体的に映えはしますが、それは音楽をおざなりにしていい理由にはなりません。」
少しキツい言い方ではないかと思う。でも彼の言っていることは至極当然で当たり前のことである。確かに演奏と踊りを同時に手に入れようとして両方おざなりになっている感覚があった。
「このまま練習を続けても仕方ないですね。私の時間も無駄になりますし。もう少し自主的に考えて練習できるものかと思っていましたが、ここまで当たり前のことも言葉にして示してあげなければいけなかったのですね。勉強になりました。では失礼します。」
流石に嫌味が過ぎないか??「○○!○○○⚪︎○○○」の先生でもそこまで言わないぞ。
コーチはそう言い残し、音楽室を後にした。
気まずい空気が流れる。
生徒指揮の先輩は生気が抜けたかのように、口を半開きにしたままただ一点だけを見つめていた。いや、もはや見つめるという動作も成り立っていなかったかもしれない。彼女なりに悔しいながらも責任感を感じ、この1週間、今までとはやり方を変えようと思い、力を尽くしてきてくれたのだろう。その努力はもちろん部員にも伝わっている分、見ている方としても辛い。
「で、、では今日の残りの時間はパート練習としてください。」
部長の声掛けと共に、ぞろぞろと部員が音楽室を離れる。誰も何も言葉を発さなかった。
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パート練習の教室へ移動する途中、音楽室に併設されている楽器倉庫のドアが少し開いているのが目に入った。
中には椅子に座って手に顔を埋めている生徒指揮の先輩と、それを慰めるような形で、部長が背中をさすっていた。
あぁ、やっぱりどこの吹部でもこの光景はあるんだな。俺が中学にいた頃も、女子部員が泣いているのはよく見てきた。
俺はそう思いながら、脚を動かした。
「ちっくしょうがああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
雄叫びがフロア中に轟いた。
案外、強い人なのかもしれない。
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「だああああああああああっ、つっっっっかれたわあああああああああ!!」
俺がP練部屋に入って程なくして、りえりー先輩がそう言いながら部屋に入ってきた。
「にしてもコーチすごいねえ〜!私たちが思ってること全部言ってくれるし!」
「やっぱり先輩たちも思うところはあったんですか??」
ツインが意外そうに尋ねる。
2,3年生の先輩たちは苦笑いした。
「私らも思うところはあるし、しっかりそれは生徒指揮にも伝えてる。ただ、取捨選択してどう練習や音楽に落とし込むのかは生徒指揮の権限だし、彼女の決定に口出しはできない。ただその分責任は彼女に一任されるから、今回みたいな状況になったら怒られるのは彼女なんだよ〜。」
ふわふわしていて優しそうだと思っていたひかる先輩だけど、やっぱり副部長としてそのあたりの責任の所在は明確にしているんだなと感心した。
「でもまあ、流石にあそこまで言われてるの見たら可哀想とは思っちゃいますけどねぇ。」
りこ先輩は苦笑いしながらそう言った。
「、、、、責任が生徒指揮の先輩にあるから口出しできないって、それは少し何と言うか、、、、傲慢じゃないですか?」
ツインの急な発言にパートメンバーは息を呑む。
「確かに責任が生徒指揮にあるってのは分かるんですけど、あまりにも押し付けすぎと言うか。責任というのであれば部員の方々の投票で決まったわけですし、部員にも選んだ責任はありますよね。それを一人に押し付けるのはちょっと。そもそも一人に合奏計画とか指揮とか諸々全部任せてるの、明らかにオーバーワークですし、あと二人くらい生徒指揮いてもいいんじゃないですかね??」
何とも言えない沈黙が流れる。
「......はっ、すみません。私また....自分でも分かってはいるんです。この思ったこと全部口に出しちゃう性格は直さないとって、、、。ほんとすみません、、、」
「いやいや、いいんやでー。しっかり意見言ってくれる子って貴重やし。1,2年生に限らず私ら3年の中にもそうやって意見表明してくれる子って少ないから。トランペットパートはそーゆーの全然ウェルカムやで。2年生諸君にも見習ってほしいくらいやで〜」
ひかる先輩からの思わぬ流れ弾に、2年生たちは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「まぁ確かに、生徒指揮の負担が大きすぎるってのは私もずっと感じてた問題点やし、また幹部に提案してみるわ!ありがとうねツインちゃん!」