6.故に扇鷲は高邁と
「ダンクエッテ公爵家のガーデンパーティー、ねえ」
明くる日、使用人から届けられた封書を自室で見たティアーナの言葉に、その場にいたメイドのルナとデザイナーのローレンが怪訝な顔をする。
「畏れながらお嬢様、それは」
「見え透いた罠よ、それはよく分かっているけれど…」
ルナの問いかけに短く答えたティアーナは、封書を丁寧に綴じてデスクの引き出しに仕舞った。
「ここ数年ダンクエッテ公爵家との付き合いはお父様同士のみ、あちらの公爵夫人とお母様は性格が違いすぎて社交辞令しか話さないの」
「貴族らしいと言えばそうですけどねえ」
「ま、お母様からするとエリザベスが王族に嫁ぐことという現実を見せつけられるのが嫌だからというのが一番の理由よ」
「うわぁ…と言ってはいけないけど、事情を知るだけに…」
ダンクエッテ公爵家が年に何回かご自慢の庭園でパーティーを行うのは有名だが、ティアーナは幼少期以降は一切呼ばれたことがなかった。
ヴァルモンド家とダンクエッテ家は公爵家同士である故に見えない火花が燻り続けている、という噂はもう何代も前からあるのだが、今代においてその理由が『エリザベスが早々に王太子ラファエルの婚約者として決まった』件が根強い。
もちろんダンクエッテ公爵夫人はクラリサにあからさまな自慢などしない。それでも、クラリサのトラウマを刺激することには変わりがない。
そしてその事を、母クラリサの実家側の人間が「ティアーナの教育が不十分で不甲斐ないから選ばれなかった」という言い方をしたことでクラリサに少なからず傷を与えた。
その煽りがかつてのティアーナの人格形成に大きな影響を与えたことは、家庭教師たちの解雇で明らかとなった。
その後父が周辺を調べ上げ、母の実家に『報告』という名の最終通牒を突き付けている。次に同じことを仕出かせば縁があろうとタダでは済まさない、ということだ。
ティアーナとエリザベスの疎遠は単にタイミングの問題もあったかもしれないが、転生したクララが見つけた本来のティアーナの日記に記されていたものはまた別の理由もあったため、結局噂は噂でしかなかった。
だが、今になってまた交流しましょうということは、今回はエリザベスの独断で手紙が寄越されたと断定していい、既に向こう側の思惑をティアーナは見抜いている。
過去の記憶や記録とこの状況を照合して、いくつか答えを持っていた。
「エリザベスが王太子婚約者に選ばれ最大の理由は、ラファエル殿下がエリザベスに一目惚れしたからよ」
「え?」
「11年前に決まったこの婚約は、政治的意図よりもラファエル殿下の意向が最優先されてるってことよ、もちろん現在はあらゆる忖度が発生してるでしょうけど…」
「恋愛感情ありきの婚約関係なんですか、それはまた…」
「ちなみにエリザベスも殿下に一目惚れなの」
「世紀の大恋愛じゃないですか…!!!」
ティアーナの発言にローレンは驚きを隠せない。
ちなみにローレンの実家シャモール家は男爵だが、爵位は上の兄弟が継ぐことが決まっているため、ローレンは自分自身が貴族であってもデザイナーとして自立していることもあり、男爵令嬢としての義務は特に発生していなかった。
そんな彼女は仕事柄、情報収集のために耳は欹てていた自負はあったのに、そんなとんでもない出来事を知らなかったことを悔やんでいる。
「ああ、この話はこの場限りね」
「くっ!!というかこの話が公になれば奥様も傷つかないのでは……あ、」
「そういうことよ」
「仮にも国を統治する立場の人間が、個人的な理由を優先して婚姻を結ぶことそのものが、敵対勢力への隙になる、と」
「ああ!陛下たちもそれを懸念しているから、婚約制定はしても国民への発表を控えている…ということですね」
「2人ともやっぱり洞察力が高いわね」
自力で答えに辿り着いたルナとローレンを見て、ティアーナは満足そうに微笑む。
この貴族社会で信頼出来る人物を敢えて少なくしているのは、ティアーナの考え方に理解がすぐ追いつく人間が限られているからである。
「秘密はそれを共有する人数が増えるほど明かされやすいから、あなた達も黙っておいてね」
「承知しました」
「もちろんです、…ちなみにお嬢様はどこでそれを…?」
トップシークレットを何故ティアーナが知っているのか、という至極当たり前の質問をローレンが繰り出すと、彼女は少し何かを考えて、ややあってから口を開いた。
「それに関しては秘密よ」
「……藪をつついたら蛇が出るということですか」
「よく分かってるわね、ローレン」
ローレンはすぐ察して引き下がったが、話の本筋から逸れていることにも気づいてまた質問を投げかける。
「エリザベス様の事情は分かりましたが、そうすると尚更エリザベス様がお嬢様を敵視する理由が複雑化しますよね?」
「大方自分が婚約者として正式に認められていないことに勝手に焦っているだけだと思うけれど、王妃様が反対しないということはもう確定と見ていいと思うわ」
ティアーナはまるで全て見ているかのようにエリザベス側の心情を予測するが、あくまでも予測の範囲を超えないと分かっている。そして本質はそこにない、ということだ。
「本質は強い女なのよ、芯も通っているし分け隔てなく他者と交流出来る、顔立ちも美しく頭もそれなりにいい。ラファエル殿下の一目惚れと言ったのは、エリザベスから溢れる気品を指したものよ」
「だとしたらお嬢様も対象になるのでは?」
「4歳時点のスペックなら同等だったかもしれないけれど、向こうの方が根性があると看做されたのは王妃様ね」
エリザベスの焦燥も不安も王族側の思惑も、ティアーナが全て理解して納得するわけではないから。ただ、わかりやすいことは否定しない。
「で、お嬢様はどうされますか?」
話が途切れたところでローレンは本来初めに聞くことをようやく切り出した。
「もちろん是非参加させていただくわ。ちょうどローレンが仕上げてくれたドレスも用意があるもの」
「きっと他の令嬢たちは最近流行りのアフタヌーンドレスにパニエを仕込むと思いますが、このドレスを見たら誰もが目を奪われます、何せティアーナお嬢様が着るのだから」
「ま、出るからには結果を出すわ、2人ともよろしくね」
「「畏まりました」」
3人の視線の先には、トルソーに飾られた「お茶会の切り札」となるドレスが飾られている。
お茶会まであと約一ヶ月、ティアーナは頭の中で全ての予定を組み上げて、エリザベス・ダンクエッテから繰り出される攻撃への防御方法を考え始めた。
前世、クララだった頃から体型維持やブラッシュアップのための節制を当たり前に行っているティアーナは、ローレンの作り上げたドレスに更に合わせるためのトレーニングを開始した。
たっぷりの有酸素運動、料理はタンパク質と食物繊維を多めに、睡眠時間はいつもと同じだが体が休まるようにヨガのポーズも増やす。
ガーデンパーティーということで暖かい時期とはいえ外で過ごすために疲れた顔は絶対に見せられない。
貴族も案外体力勝負なところは多い、ドレスの重さを1ミリも顔に出してはいけないし、他の貴族と話す時に疲れで情報収集を疎かにすればあとで痛手を負う可能性もある。
なによりも今回は敵陣に乗り込むと同義だ。
味方は特に要らないが、場の雰囲気に自分が飲み込まれることだけは避けなければならないし、何よりも『ティアーナ・ヴァルモンドに喧嘩を売るとどうなるか』を見せつけなければならないのである。
負ける気など更々ない、圧勝が最低条件だ。とはいえ、こちらから攻撃する必要はなく向こうのミスを誘うのも戦略である。
モデル時代も気の合わない人間はたくさん居た、悪質な侮辱をしてきたモデルだっていた、あからさまなものなどいくらでもやられた。
全員を現場で圧倒して面子と今後の仕事予定も潰した事だってある。
「今日歩き方おかしいわね」「ダサいメイクしてるじゃない!」「背筋曲がってるわよ」「早く引退したら?」なんてそれはもう、挨拶よりも聞いてきた。
人の前で芸を披露するというのは、自己顕示欲と自己肯定感が強くなかったら務まるわけがない。
(あの頃は血気盛んだったから絶対に負けたくなくて口論の度に色んな奴を潰してきたけれど、今回はそういう訳にもいかない)
体幹を鍛える為のトレーニングをこなしながら、ティアーナは今回の戦略を練っていく。ウェアは汗がじんわりと広がり始め、いつもより強めに追い込んでいるため息も上がり始める。
エリザベスの仕掛けてくるタイミングは、『自分の存在感がティアーナによって塗り潰されていくと恐怖した時』だろう。そして焦れば焦るほど『あっさりと奥の手を披露してくる』。
ティアーナの転落事故を知っている数少ない人間のひとりがエリザベスであり、おそらくその話は箝口令が敷かれている。
が、その事実を捻じ曲げられて公表されたとすればティアーナの名誉に傷を付けることは可能だ。茶会での話に真偽の程などろくに確かめられない、そして王太子の婚約者が言うことを鵜呑みにする人間はごまんといるということ。
「そうなった場合、自分が絶対に勝てる方法を手放すことになるというのに…」
ティアーナはひとりごちる。もしも自分がエリザベスの立場だとすれば、同じ家格の同じような年頃の令嬢が『自分と比べられる恐怖』からミスを犯すのは容易に想像できる。
しかし、人は同じではないのだ。サファイアとエメラルドに優劣の差をつけるとすれば、その人間に審美眼が備わっていないというだけのこと。
「あまり長引かせては家同士の問題になるわね、…っと、今日のノルマ終わり」
今日のトレーニングノルマをクリアしたところで、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「お嬢様、アバンです」
「入りなさい」
入室したのは執事のアバンだった。彼は執事長リチャードの甥で幼少期より執事として修行のためにヴァルモンド公爵家に住み込みで働いている。
涼やかな顔立ちの若き執事は、トレーニングウェア姿のティアーナにひとつとして反応もなく、しかし確実に距離を取って頭を下げた。
「奥様よりご伝言です、『本当にパーティーに行くのか』と」
ティアーナの眉間にうっすらと皺が寄る。
母であるクラリサの言いたいことはエリザベスよりももっと簡単だ。『ダンクエッテ公爵家と関わりたくない』ということ。
「行くわよ、招待状の返信も済ませてあるわ。行かないという選択肢があるなら理由が必要だけれど、そんなものは持ち合わせていないの」
「…かしこまりました、お伝えします」
「もしもお母様がまだ何か言うようなら私が直接出向くわ、すぐ伝えなさい」
クラリサは、男を邪魔しない程度の教養と男に付き従う貞淑さこそが女を幸せに足らしめるという考えの元にティアーナを教育してきた。
だがそれが全て裏目に出たことも、性格が変わってしまった愛娘のことも、現実だと思いたくないのだ。
自分の信じたものが崩れていくという「自分の幸せの崩壊」を恐れていると、ティアーナは読み切っている。
アバンは毅然とした態度でもう一度頭を下げた。
「承知しました、…これは自分の個人の意見ですが」
「なにかしら?」
「お嬢様のご武運をお祈りしております」
しかし、彼女の変貌を良しと見なしている人間も確実にいる。
それだけで十分にティアーナの自信に繋がっている。アバンはルナと同じ歳だが、子供の頃から見ている『ティアーナお嬢様』の現在の姿をとても好ましいと感じている1人だった。
「ありがとうアバン。見せつけてくるわよ、圧倒的にね」
波乱が予想されるお茶会まで、あと5日と迫っていた。
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