【短編】婚約者がヤンデレと思われているようですが、ただの溺愛です
視点がコロコロ変わります。
手癖で書いているので読みにくいかもしれません。書いて出しですが、箸休めにでもなれば幸い。
「エーリカ様が羨ましいですわ」
「わたくし?」
ティーカップを持った美しい令嬢が首を傾げた。エーリカと呼ばれた彼女は、公爵家の令嬢である。
その向かいに座っているのは、このお茶会の主催である侯爵家の令嬢だ。
二人のほかにも何人かの令嬢が同じ円卓を囲んでお茶会を楽しんでいる。
彼女たちは、貴族令嬢の友人であるとともに、貴族の子女が社交デビュー前に通う王立貴族院で学ぶ同級生でもあった。社交で交わるだけよりも、同じ教師に同じ部屋で学ぶという経験は、彼女たちのつながりをより濃くしていた。
そんな気心知れた仲間のお茶会は、社交というよりは貴族院の放課後のおしゃべりの延長だ。
「ええ。朝夕送迎の馬車も婚約者の方とご同道なさっておられるのでしょう?」
「ええ。あの方はもう貴族院を修了されておりますし、ご負担でしょうとお伝えするのですけれど、自分がしたいのだから良いのだとおっしゃって」
エーリカの答えに、うっとりと令嬢たちが微笑みあう。彼女たちにも親の取り決めた婚約者はいる。おおよそ貴族院に入学する前後で婚約を取り結ぶのがこの国の貴族子女の通例だ。
とはいえ、良好な関係を結べるかどうかは、やはり当人同士にかかっている。
婚約を結んだばかりの令嬢などは、相手とどう付き合っていくか、まだ手探りのところもあるのだろう。
「愛されてますわよね。わたくしの婚約者など取り決めの交流くらいですもの」
「そうなのですか?」
「ええ。贈り物も義務的なものばかりで。わたくしももう、取り決め分のものしか贈らなくなってしまいましたわ」
「えっと……アクセサリーやドレス、身に着けるものは全て自分が贈ったものを着てほしい、とおっしゃったりはなさらないのですか?」
「えっ」
エーリカが首をかしげる。
彼女の婚約はほかの令嬢よりもずっと早く、齢八つの時に結ばれた。今、彼女らは十六歳。同席している他の令嬢たちは、去年や一昨年に婚約を結んだところだ。
エーリカの婚約の早さは、その立場によるものだ。エーリカの祖父は先王の弟で、臣籍降下して空席だった公爵位の一つを賜った。父公爵と国王はいとこ。王子王女らとエーリカははとこの関係にある。
そういう立場であれば、公女として王位継承権を持ちそうなものであるが、現王陛下と王后陛下の関係は仲睦まじいもので、すでに王子王女合わせて五人居る。その上、エーリカ自身にも兄が居るため、彼女に王位継承が行われることはよほどのことがない限り起こらないのが、生まれた時から分かっていた。
となれば、公爵家の反意無しを示すために、兄も彼女も早めに王位継承権を返上しておく必要があった。
とはいえ、公爵家と王家が離れすぎるのも好ましくないため、兄には第二王女が降嫁してくることが定められ、同時にエーリカは侯爵家に嫁ぐことが定められた。そうして結ばれた、国策ありきの婚約である。
エーリカと、婚約者カスパールとは三つ年が離れている。貴族院はおよそ十五歳から二年間通うので、カスパールと同じ時期に貴族院に通うことはない。
そのため、今同席している令嬢たちは、社交デビュー前であることもあって、正式に彼を見たことがなかった。
それでも彼女たちがエーリカとその婚約者カスパールの関係を知るのは、話していた通り、通学の往復に必ず馬車をまわすカスパールを垣間見るからだった。
今だ手探りの自分達と婚約者の関係と比べて先達であり、なんと大切に扱われていることか!
エーリカとカスパールの関係は、垣間見た範囲では、とても理想的な婚約者関係に思われた。
しかし、そこに重ねられた回答は、彼女らの憧れを少し上回っていたのだが。
首をかしげたエーリカに、令嬢たちは視線を彷徨わせた。
──身に付けるもの全て自分が贈ったものを着て欲しい
エーリカの婚約者、カスパールがその様なことを求めていると聞かされたが、彼女たちの『普通に仲睦まじい間柄』の中に、そんなことは含まれていない。
社交、特に大きな夜会の前にはドレスかアクセサリーが贈られて、それを着て。彼には合わせたアクセサリーなぞを贈り。互いに揃えた衣装に贈りあったアクセサリーで出席する。まずそれが基本。誕生日には互いに贈り物とメッセージカード。取り決めの交流を月に数回。仲が深まっていればそれ以上に。加えて手紙のやり取りはこまめに。例えば二人で出掛けるなども良い。
彼女たちの良い関係、とはこれくらいのものだった。
なので、送迎までされているエーリカは、もう溺愛されていると言って良く、さらに重ねてこられるとむしろ──重かった。
「エーリカ様は、その、愛され過ぎて息苦しくおなりにはなりませんの?」
令嬢の一人が問えば、エーリカはきょとん、と目を丸くした。
「……わたくし、カスパール様がなさることが、婚約者として普通のことなのかと思っておりましたから。
皆様がおっしゃるに、普通よりは愛されているのだと、今少し面映ゆいほどですけれど、そうではないのでしょうか?」
令嬢たちは息を飲む。
言ってみれば、幼い頃からカスパールに囲い混まれているのではないだろうか、エーリカは。
「さあ。わたくしたちも、自身の婚約者との関係と、両親のことしか存じませんから、カスパール様とエーリカ様の関係が普通ではない、と言い切ることはできないのですけれども──ただ、友として言わせていただけるなら、カスパール様は、エーリカ様に対して、とても愛深くていらっしゃるのね」
主催の侯爵令嬢がなんとか纏めにかかった。何せ話題にだしたのも彼女であるので、うまく取りまとめないとこの場が気まずくなってしまうのだ。
エーリカはその言葉にぱあと花開くように微笑み、一つ大きく頷いた。
「ええ。それはそうだと思いますわ。ご自身の爵位がわたくしの家よりも低くなりますでしょう? ですから、わたくしに苦労をさせるわけにはいかないと言ってくださるのです。我が家は公爵家とはいえまだ兄の代で三代しかありませんし、歴史で言えばカスパール様の御家門の方がよほど由緒正しいものですわ。わたくしがあちらの家に配慮することはあっても、カスパール様がわたくしに配慮いただくことなど無いと思うのです。王家と我が家の関係に基づく、政略的な関係だというのに」
ほう、と頬染めてエーリカが息を吐く。
「それでも、自分は、自分の意思でわたくしを幸せにするのだ、と、常々おっしゃってくださるのです」
──重い。誠実だけれども愛が重い。
その時令嬢たちの心は一つになった。
「カスパール様との馴れ初めはどういったものだったのですか? わたくしどもは、お二人と比べれば婚約から日が浅いものですから、どうすれば長く仲睦まじくおれるでしょうか?」
普通よりは愛されているらしい、と知ったエーリカは、その問い掛けにそうねぇ、と呟いてから
「わたくしのことでしかないから、全てそう、というわけではないと思うのだけれど」
そう前置いて、エーリカは話し始めた。
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わたくしが婚約者のカスパール様と引き合わされたのは八歳の時。兄の婚約が纏まった翌月のことでした。
カスパール様は、宮廷貴族である侯爵家の長子で、後継者になる予定の方でした。当時はまだ嗣子指名を受けておられませんでしたので、あくまでも予定、と言われました。ただ、わたくしが嫁ぐならばほぼ確定する、とも。わたくしから見て一つ上に弟君もおられましたが、そちらの方は家にある爵位を賜って分家なさる予定とのことでした。
ええ、先輩のマギウス子爵ですわ。
婚約の事情は両親から聞かされて、幼いながらに理解しておりました。
カスパール様は、もう十一歳でしたから、わたくしよりも、より理解されていたと思います。
ご挨拶をして、仲良くできるか二人だけでお話しなさいと両家の両親から促されて、わたくしとカスパール様は、二人で庭に出たのです。
ああ、顔合わせは我が家の町屋敷で行いましたの。
花の季節でしたから、庭の四阿のベンチに二人で座ってお話をしたのです。
「わたしは、貴女がお嫌なら、お断りいただいて構いません」
開口一番、カスパール様はそう仰いました。
確かに立場上、カスパール様からお断りになるのは難しいでしょう。国策も絡む婚約です。王命までは出ていませんでしたが、それに準ずる重さのものだったと今なら分かります。
当時のわたくしは、まだその重さを分かっていなかったのです。
「そう言っていただけるのは、お心遣いだと思います。わたくしも、あなた様がお嫌なら、お断りいただいても構いません。けれど、まだ何も、お名前しか存じ上げないのに、嫌だなんて、わたくしは言いたくないのです」
わたくしが答えますと、カスパール様は、目を丸くされました。
「わたしのことが、お嫌ではありませんか?」
念を押すように尋ねられましたから、わたくしは、はい、と頷きます。
「嫌うほど貴方のことを知りません」
そう答えると、カスパール様は座っていたベンチから降りて、わたくしの前に跪いて手を取りました。
繰り返しますが八歳と十一歳です。周りでそれとなく見守る侍女や護衛たちから見ても、微笑ましいごっこ遊びに見えたと思います。
「エーリカ嬢、どうか、わたしと結婚してください」
ですがご本人、カスパール様からは、そんなごっこ遊びのつもりなど微塵も感じられませんでした。
とても真剣に、わたくしに、求婚されたのです。
ですからわたくしも、
「はい、よろしくおねがいいたします」
とお答えしました。
そうするとカスパール様はとても嬉しそうに微笑まれて、わたくしの手を握ったまま、改めて隣に腰掛けられました。
「きっとわたしは、あなたを幸せにします」
そうして告げられた言葉は、並々ならぬ熱意があったのだと思います。
皆様ご存知のマギウス子爵の兄君ですし、カスパール様のお姿はご存知でらっしゃいます?
ええ、背が高くて、でも細すぎずしっかりとしたお姿でしょう? 髪も濡れ羽色で柔らかで。お顔? 整っておられる方ではないかしら。少なくとも、わたくしは好きなお顔なの。目の色が髪の色を薄めたような濃紺で、夜明けの空のようなの。わたくしはあの色が一等好きですわね。
急に姿のお話をしてご免なさい。
出会った頃のカスパール様は、今より大分ふくよかであられたの。それもあって、ご家族以外からは好奇の目で見られることもあったそうよ。マギウス子爵も幼い頃はそうだったの。
血筋なのですって。小さい間は太りやすくて、その代わり成長と共に筋肉と上背に変わっていくのだとか。
とはいえ、そんなお話は親しい間でないとされないでしょう?
だから、カスパール様の年齢的に、貴族院入学より少し早く婚約を結ぼうとすると、ご令嬢側からやんわりと体型を理由に断られていたそうなのです。
それに、カスパール様もマギウス子爵も、あのお家の直系の方々は、髪色が濃くてらっしゃるから、我が国のいわゆる貴族の色味とは、また違ったことも遠因ではあるそうなのですけれど。
体型も髪色も、血筋ならどうにもならないことですけれど、やはりお血筋の確かさよりも見目の好みは幼い間では重要みたいね。
今回もそういう理由で断られると思っておられたらしく、わたくしが嫌ではないと申したものですから、なんというか、琴線に触れたのでしょうね、今思えば。
それからは、お互いに話し合って、今に至っておりますの。
成長と共にカスパール様のお姿も変わられましたし、貴族院に居られる際には、婚約していることを知らない令嬢からお声がけもあったそうですわ。
その度、婚約者がいるので、と断って大変だったとお手紙にかいてありました。
わたくしに疑われたくないからと、仔細全てお手紙に書いてくださるので、わたくしがお返事を書き終えるより前に次のお手紙が来たりして。あの頃は申し訳なく思いましたわ。
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ここまで語って、エーリカはお茶を口に含んだ。
「見た目の第一印象ではなく、お互いお話し合いになって、今があるということですのね。普段はどのように――」
さらに深堀をしようと令嬢が口を開こうとしたとき、侯爵家の侍女がそっと主催の令嬢に囁いた。
全員がそちらを注視すると、彼女は肩を竦めて見せる。
「エーリカ様にお迎えが起こしだそうですわ。お聞きしたいことはまだたくさんありますけれど、本日はこれまでといたしましょう」
「あら、我が家の迎えの馬車を頼んだ時間にはまだ早いと思うのだけれど」
エーリカが己に従って付いてきている侍女に声をかけようとすると、侯爵令嬢は笑う。
「お迎えは噂のカスパール様だそうですわ」
「まあ!」
誰ともなく感嘆の声が上がり、エーリカは目を丸くしてから、恥じらうように微笑んだ。
「ごめんなさい、皆さま。わたくしはお暇させていただかなければいけないみたい」
「かまいませんわ」
「そうですわよ。この後のことはまた貴族院で聞かせてくださいませ」
「次はわたくしがお茶会を開きますから」
令嬢たちが口々に言って、お茶会はエーリカの離席をもってお開きになった。
エーリカを見送って、残った令嬢たちは誰ともなく息を吐く。
「それでも、令嬢同士のお茶会にまでお迎えに来られるなんて。愛が深いというか独占欲が強くてらっしゃるのね。エーリカ様がくるまれなければよいけれど」
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侯爵家の玄関ホールに現れたエーリカを認めて、カスパールはほうと息を吐いた。
カスパールと会う時の装いとはまた違う、仲の良い令嬢たちと会うための装いは、華やかでおそらく令嬢たちの流行を押さえたものであろう。
己の知らない一面を垣間見て、カスパールは喜びとともに陰鬱な気持ちになる。
カスパールにとっての唯一はエーリカしかいないと決めているのだが、エーリカには外の世界がたくさん広がっている。その事実に打ちのめされそうになるからだ。
「カスパール様、わざわざお迎えに来ていただいて、申し訳ございません」
エーリカが侯爵家の使用人たちに別れを告げて、カスパールの差し出したエスコートの手を取る。
「いや、顔が見たくなって、公爵家の町屋敷へ使いを出したら、こちらだと伺ったからね。むしろわたしの我がままで君の付き合いを中断させてしまって申し訳ない」
エーリカの手を引いて、玄関を潜りながら、見送る使用人たちへカスパールは視線で礼を伝える。
馬車止めの馬車にはカスパールの家――マグニカ侯爵家の家紋が掲げられている。当主とその嗣子しか使うことの許されない格の馬車である。
思わず、エーリカが少し立ち止まった。私的な外出で使うことのない馬車だからだ。カスパールがエーリカを訪ねる時は、もう少し格を下げた――普段使いの馬車で来る。今の馬車は公的な訪問でなければ使わない馬車、と言ったほうがいい。隣を見上げると、優しく微笑むカスパールがいた。
「驚かせて済まない。いつもの馬車のタイヤの調子が悪くてね。かといって、君を乗せるかもしれないのに下手な馬車を出せないから、こちらを使ったんだ」
「左様でしたか。確かに少し驚きましたけれど、お気遣い痛み入ります」
慣れたしぐさでエーリカを馬車の入口へ導くと、彼女に続いてカスパールも馬車に乗り込む。
「顔が見たかっただけだから、今日は君を送り届けたら帰るよ」
馬車がゆったりと走り出すと、カスパールはエーリカに告げる。
確かに、家に着く頃にはお茶を出すにも少し遅いかもしれない。エーリカは考えて、
「かしこまりました。本当に送迎だけになってしまって申し訳ございません。貴族院の往復までしてくださっているのに」
「それはわたしの我がままだから気にしなくて良いと言っているのに。わたしは毎日、エーリカの顔が見たいんだ」
「まあ。今日、皆さまからカスパール様に愛されていて羨ましいと言って頂きましたの。本当に、ありがとうございます」
「礼を言うのはわたしのほうだよ。おそらく令嬢たちから言われたんじゃないかな。重い男だ、と」
「……ごめんなさい、ご覧になってらしたの?」
「まさか! 自覚があるからね」
カスパールは苦笑する。
そう、自覚があるのだ。
エーリカを手放せるわけがない。あの出会いの日から、ずっとそう考えている。
エーリカの前にあった縁談は見た目で断られていたと彼女は聞いているだろうし、それは事実でもあるが、断られなければ自分から断っていただろうとカスパールは思っている。
一目見た瞬間から、カスパールの世界ではエーリカが一番輝いて見えたのだ。だから、彼女に釣り合いたくて、体を鍛えるのも、勉学も、苦にならなかった。『公爵令嬢』にして『公女』にもなりえる彼女を娶るのに、不足があってはいけないと思ったからだ。
なぜ、と聞かれてもわからない。
ただ、あの日以来、彼女がまっすぐに、己と向き合ってくれた。ただその積み重ねが、カスパールのすべてだ。
別に侯爵家でないがしろにされているとか、弟と格差をつけられているとは思っていない。弟が先に子爵位を賜ったのも、単に手続き順の問題でしかないし、その際に己は嗣子指名を受けているので、指名を受けなかった代わりの爵位と見れば何ら不自然でもない。
不満があったわけではない。満ち足りていたかと言われれば、断言できないが幸せな部類であっただろう。
けれど――エーリカに出会った瞬間に、乾いた畑に雨が降ったような、宵闇に明かりが点されたような、そんな煌めきをカスパールは感じたのだ。
もはや天啓と言っていい。
だからこそ、エーリカのすべてを知りたいし、常にエーリカの傍にありたいし、エーリカを幸せにするのは自分だと決めている。
それが、重いといわれることも、知っている。
エーリカを喜ばせる方法はないかと、令嬢たちに人気だという俗な作り話――ロマンス小説も何冊か読んだ結果得た結論だ。
それでも。
「君はわたしを重いと感じるかな、エーリカ」
見つめて問いかければ頬を染めて、少し視線を逸らす。照れているのが見て取れると、カスパールはうれしくなる。
「わたくしだって、嫌なことは嫌と申せますわ。ずっとそうして、話し合ってきたじゃありませんか」
そう。
エーリカは嫌なことは嫌だとカスパールに伝えてきた。カスパールも、それは受け入れている。嫌だったら断ってくれて構わないと言い合ったあの日の通り、お互いに嫌なこと、好きなこと、許せること、許せないことを話し合って決めてきたのだ。
「わたくしも、できればカスパール様と毎日でもお会いしたいわ。カスパール様が貴族院に行かれていた時のお手紙も、とても嬉しゅうございました。書きたいことが多すぎて、お返事を書ききる前に次のお手紙が届くから、困ってしまいましたけれど」
「ああ、その代わり君からは倍の厚さの手紙が届いていたね。負担になっているかと心配したけれど、わたしにはあれが励みになったよ」
「今は、貴族院を修了した後、カスパール様のお家に引っ越すのが楽しみですの。お兄様のご結婚がありますから、早めに家を出たいとお伝えしたときのカスパール様のお顔、今思い出しても――」
「わたしの理性を試すのは止めてもらいたいな。帰してあげられなくなるよ」
楽し気に語らう二人を乗せて、馬車は夕暮れの街を走っている。
やがて馬車の行き先変更が御者に告げられる。
御者は慣れた手つきで手綱を繰った。