第七話 ベネディクト
「もう少しだ、気張り給え!」
「も、も……むり……」
手の感覚はとっくに無くなってしまった。
時間にしては何分か、といったところだろうが、考えてもみてほしい。全力で握りしめて引きずられること数分である。
某SAS〇KEの鍛えられた人たちでも2ndステージの握力地獄には脱落者が多いものだし。
何が言いたいのかって?
二年鍛えただけの人間にはそんな苦行は無理ってことだよ!
火事場の馬鹿力というか、命の危機なため何とかここまで噛り付いてきたが、これが限界である。
フィデスはもう少しだとか言うけど、そもそも何がもう少しなの?
木々をなぎ倒して走ってる”森の砲弾”さんはまさしく砲弾と呼ぶにふさわしく、体力は尽きそうにない。
「来たぞ、降りる用意をしろ!」
心の中で悪態をついていると、フィデスが突然そんなことを言った。
降りる準備ってなに?詳しい説明をください!
そんなことを考えている間に、前方にひと際巨大な樹が見えた。
これまでなぎ倒してきた木よりも数倍太い幹。神木と呼ばれてそうな立派な樹が。
大猪はもう前など見えていないのか、構わずにそこへ突っ込んでいく。
降りるってそういうこと!?と思った時には、ずうん、と轟音とともに凄まじい衝撃が体を襲った。
「あぁぁ~~~~……」
あっけなく放り出され、宙を舞う僕。
すごい、人間ってこんなに飛ぶんだ。
「…へぐっ!?」
続いて背中から全身へ伝わる衝撃。
冬になる前、落ち葉のクッションのおかげで怪我こそしなかったものの、一瞬体がばらばらになったかのような強い衝撃が走った。
肺から空気が追い出され、一気に酸欠状態になり、体の痛みよりもまず息が吸いたいと口をパクパクと動かす。
ひゅ、ひゅ、と必死に息を吸おうとする僕に、手が差し伸べられた。
「だ、大丈夫か!?」
思わず手を握り返すと上体を引き起こされ、背中をトントンと叩いてもらい、しばらくするとようやく呼吸が落ち着いてきた。
「…っはー、はー、だ、大丈夫…」
「よかった。急に人が飛んでくるから何事かと思ったよ」
…ん?フィデスかと思っていたけれど、なんだか声が違う。
地面から声の主へと視線を移すと、赤毛の見知らぬ青年がいた。
「……えっ、どちら様?」
「それはこっちのセリフだねぇ」
それはそう。
苦笑いを浮かべる青年は、きちんとした旅装を整えた、旅慣れた風体だった。
腰には短剣を佩き、使い込まれた革鎧と色あせたマント。まるで冒険者のようだ。
雰囲気は大人びているけれど顔は童顔で、冒険者らしい厳つい雰囲気を打ち消していた。
考えてみれば、こんな森の中、僕は外行きらしいものと言えば私物を入れた背嚢くらいのものだ。
冒険者と服装一般人。どちらがこの場で異質なのかは明らかだ。
「おーい、ユート君!怪我はないかね!」
「またなんか変な人が増えた」
後ろから手を振って走ってきたのはフィデス。
そうだよね、こんな森の奥で汚れたシャツでキラキラの笑顔が似合う金髪イケメン出てきたら変な人だよね。
フィデスは青年を見て不思議そうな顔をしたものの、すぐに気を取り直して言った。
「あれを見たかね、あの太い大木が半分砕けていたよ!凄いものだ、名前持ちというのは」
「……名前持ち?まさか、そこ、そんなのがいるの?」
フィデスの言葉に青年の顔が青くなる。冒険者ならば名前持ちの恐ろしさについて知っているのかもしれない。
「走れるかい?アレは目を回していて動けないようだが、いつまた追いかけてくるかわからない。青年、忙しいので手短に。私はフィデスという。とりあえずここから離れよう」
「そ、そうですね。あ、僕はユートです」
「オレはベネディクト。ベンって呼んで。あー、あそこに荷物があるからちょっと待って」
青年、ベンが指さす先には樹の根元に立てかけたカバンが一つ。
それを大事そうに抱えると走って逃げだした。
「はぁ、ようやく森を抜けたか。ここまでくれば一旦は安心だろう」
「ひぃ、ひぃ…」
僕の体力に合わせて少し走って、少し歩いてを何度か繰り返し、ようやく森を抜けて平原に出た。
「大きな魔獣ほど、基本的に縄張りから出ない。”森の砲弾”が森を出ることも無いだろう」
「おいおい、一体あんた達何に追われてるんだ?なんかとてつもない奴がいる気配は感じたけど」
ベンが説明を求めてくるけれど、ごめんなさい、今ちょっと無理…
「はぁ…はぁ…す、少し、休ませて…」
「ふむ。ユート君は随分体力がないようだ。身体強化はしていないのかね?」
身体強化というのは魔力を吸収して体に馴染ませることで身体能力を増強するというものだ。
冒険者や騎士が生身で大きくて強力な魔獣と渡り合えるのはこれがあるからである。
魔力濃度の濃い場所に滞在することで自然と体が強化されていくらしく、迷宮や魔境といった魔力の濃い場所に行くのは良い鍛錬にもなるらしい。
まぁ、そもそも僕は…
「……魔力が無いもので…身体強化…できないんですよ…はぁ…はぁ…」
僕に限らず、勇者は魔力を持たないのでそういった身体強化ができないのである。
前線で戦うことになるセイヤは《怪力》の加護を使ってそのあたりをカバーしているみたいだけど。
アツシも《強化》を自分に掛けて補ってるし、《韋駄天》を持つサツキもそう。ミオさんはそもそも前線には出ない。
《結界》を持つケンジと《切断》を持つトウヤくらいじゃないかな、僕と同じく身体強化できなくて困っているのは。騎士のサポートやアツシの《強化》で何とかなってるみたいだけど。
「魔力がない!そんな生き物がいるのか!」
「そ、そんなに驚くことですか?」
「驚くとも!そもそも魔力無しでどうやって生きているのか全く分からない!」
そんなレベルか。そういえば王都の魔術研究所の人たちも興味深そうだったな。
幾つか検査を受けた後頭を抱えて、匙を投げてたけど。
「解剖でもさせてもらわないともうよくわからん!」とか物騒なこと言ってた。
と。
ザザッ、ザザッ、ザザッと、森の方から大きく重い足音が聞こえてきた。
「えっ…な、縄張りから出ないって話では?」
ベンが冷や汗を垂らしながら後退る。
森の奥から巨体の影が現れ、全身が見えるかどうかという森の境界手前で止まった。
「……な、なんだ。やっぱり外までは追ってこないか」
「………あ………いや、駄目だ。逃げましょう!今すぐ!」
僕は様子を見ている二人の腕を引いて走りだした。疲れたとか言っている場合ではない。
そうだ。僕は王都で何度も襲われたんだぞ。
王国中から集まってきたと思われるほど多くの、”縄張りから出ないはずの魔獣”に!
「ブフゥーッ!!」
”森の砲弾”はしばらく迷う素振りをした後、僕らが逃げていくのを見てか、鼻息を荒く噴き出すと足を鳴らして森から飛び出した。
やっぱり追ってきた!なんでそこまでするんだよ本当!
「マジか!」
「随分な執念だ。そんなに君が恋しいのかな」
いつも食べようとするから恋しいとは違うと思います!
「あそこ!隠れられそうだ!」
ベンの指さす先、僕にはただの平原にしか見えなかったが、そこまで走ってみると確かに隠れられそうな段差があった。
そこに三人で身を押し込めると、上を勢い余った”森の砲弾”が駆け抜けていった。
さっきも思ったけど、猪らしく一度走り始めると自分でも中々止まれないようだ。
「困ったな。縄張りを出てまで追ってくるとは。あれは我々だけではどうにもできんぞ」
「……あっちの方角にコメータって街がある。それなりに距離はあるけど、そこに助けを求めるのが一番良いと思う」
「それなりに距離…」
ベンの指さす先の地平線にうっすら街の影が見える。
……あそこまで走れるかな……。
と、思っているとまたも体が、ぐい、と引っ張られた。
「失礼するよ」
「ふぃ、フィデスさん!?」
あっという間に担がれてしまった。まさかあそこまで担いで走る気ですか!
ぱぱっと担ぎやすいように僕の手足の位置を調整すると、フィデスは走りだす。
めちゃ揺れる!
「今までの感じからするとこちらの方が早そうなのでね。ああ、酔っても上で吐くのは遠慮してくれたまえ」
「疲れたらオレが交代するけど。とりあえず後でなんであんなのに追われてるのか話してくれよな?」
「て、手伝ってくれるんですか?」
「そりゃー、魔獣に襲われてる人見捨てて逃げるほど薄情な冒険者じゃないんで」
男前すぎる…。さっき会ったばかりなのに助けてくれるなんて。
臭いこと言ったなー、とベンは恥ずかしそうにすると、荷物を抱えなおした。
見れば、”森の砲弾”もゆっくりと角度を変え、僕らの方へ方向転換を始めている。
「煙幕張るよ!」
「助かる!」
ベンが植物の殻みたいなものを勢いよく投げる。
それが地面に当たると、ぼふん、と大きく白い煙が舞い上がった。
煙の後ろに入り込むと、”森の砲弾”の視線から隠れる角度でその場を離れる。
煙幕ってそうやって使うこともできるんだ!敵に当てて目くらましするものだと思ってた。
”森の砲弾”はこちらの正確な位置がわからないのか、スピードを緩めつつ煙に突っ込んだ。
その間に、目星をつけておいた隠れられそうな木の裏に身を隠す。
「探してるな。そう長くは隠れていられないだろう」
「煙幕はまだいくつかあるから、今のうちに距離を稼ごう」
……なんか、担がれてるだけでごめんなさい。
てきぱきとやるべきことをやる二人を見ていると、何もできない自分が虚しくなるなぁ。
フィデスもベンも、なんで僕のことをこんなに助けてくれるんだろう、置いて逃げればいいのに。
「安心したまえ、私も君を見捨てて逃げたりはしないさ」
フィデスが突然そんなことを言うので驚いた。心の中読んでる?
「君が安心できるように言うなら、私も君にやって欲しいことがある。私の思う限り、君にしかできないことだ。だから君を助けてる。…納得したかね?」
「ぼ、僕にしかできないこと?」
「うむ。そしてそれをするのは今ではない。それだけのことだ。今は遠慮なく頼りたまえ」
魔獣を呼ぶくらいしかできないと思うけど大丈夫?
…とりあえず、フィデス本人がそう言うのだ。僕にできることならなんでも手伝おう。
「オレも怪我人の救助とかやったことあるけど、変に気を遣って体に力入れられると担ぎにくかったりするからねー」
「それもある」
「だから何かしようとするより、今は荷物役に徹してくれると助かるかなぁ」
「……なんかその、ありがとうございます」
担いでいるフィデスには、僕が緊張しているのが分かったのだろう。
…内心騒ぐことで誤魔化してたけど、やっぱり僕自身、あんな魔獣と相対するのは怖いのだ。
ここには魔獣を防ぐ結界はない。騎士団もいない。冒険者ギルドも無い。
身を守ってくれるのは、自分と、善意から助けてくれる二人だけだ。
当然僕にはあんなのどうにかするどころか、一秒命を永らえるのだって難しい。
そこで、二人の善意が無くなったら?
どうしようもない役立たずだとわかって、その場に置いて行かれたら?
そう考えたら、自然と体は固くなっていたのだ。
だけど、二人からそう言われて、少し心が軽くなった。
荷物役に徹するのが良いなら、そうした方がいいのだろう。
僕は大人しく、身を預けることにした。