第六話 森の砲弾
処刑される。そう知った囚人の反応は様々だった。
鎖を引っ張って逃げようとする者、暴れる者、命乞いをする者、放心する者。
鎖は楔で地面に深く縫い留められビクともせず、暴れる者は後輩看守たちに取り押さえられ、命乞いは欠片も看守の耳に届かない。
その中で唯一、全く違った反応を見せる者がいた。
「ふむ、宰相閣下を怒らせた、か。やはり君は私と同じく、冤罪だったようだね」
僕と看守の話を聞いていたフィデスが、納得したように頷いた。
こんな状況で何で落ち着いていられるんだ、この人は。
その仕草には優雅さは感じられても恐怖というものは微塵も感じられない。
「ん、なに?当たり前だけど、君も処分対象だからね?」
「はは、そこまで理解していない馬鹿ではないさ」
だったら尚更不思議だ。
なんでこんな死刑宣告をされているような状況で、なんてことないような態度でいられるんだろう?
「ユート君。君は勇者だと言った。そして詐欺ではなく冤罪であの馬車に乗った。正しいかい?」
「えっ、は、はい」
「ふむ、それは良かった。なんとも幸運だ」
えー……何が幸運なんだろう?
少なくとも僕にとっては最悪の状況であることは確かなんだけれど。
フィデスのあまりにも余裕のある態度を見ていたら、なんだか不思議とこちらも落ち着いてきた気がする。
状況は何も変わらず最悪なままなんだけど。
「…何が言いたいんだ、お前は?」
「なに、やはり君たちが警戒すべきは囚人ではなく”外側”だということだよ」
いぶかし気な顔をする看守に、フィデスはにこりと笑って言った。
「なにを…………これはっ!?」
眉を顰め、周辺を改めて見回した看守が、驚きの声を上げた。
僕も周囲を見回したが、看守やフィデスの言うものが何なのかわからない。ただ普通の森の風景が広がるだけだ。
と、そのとき、看守に気付かれないようそっとフィデスがこちらに耳打ちをした。
「私が鍵を取る。外したら西へ走れ」
に、西?えーと、太陽はあそこにあるから…西は、あっちか。
よく見ればその方角に、細い道が森の奥へと伸びているのが見えた。
え?ていうかなに?鍵を取るってなにをするつもりなの?
混乱する僕をよそに、看守もフィデスも森に向かって身構えた。
警戒すること数秒、ようやく僕にもその正体が分かった。
「あれはなんだ?森猪か?」
「一匹じゃねぇ、何匹もいるぞ!」
囚人たちも騒ぐのを辞めるほどに、周囲は異様な空気に包まれている。
森の奥から姿を現したのは、深緑色の苔に覆われた猪の魔獣だった。
それも普通の猪よりも二回りは大きいであろう巨躯の猪が、ずらりと五匹。
「それだけじゃない…あいつは何だ…!?」
「おいおい、あれって明らかに名前持ちじゃないか!?」
のそり、と五匹の中から貫禄を見せつけるように現れたのは、他の猪よりもさらに倍はあろうかという、2m近い怪物のような大きさの、片目に傷のある大猪。
名前持ち。
魔獣の中に突然変異などで稀に出てくる、強力な力を持った個体のことを言うが、なるほど、確かにこの大猪は二つ名くらいあってもおかしくない異質な姿だ。
……名前持ちと呼ばれる個体はおしなべて騎士の一団や冒険者が数パーティ協力して戦うような相手だと聞いたんだけど。
「ふふ、流石は”魔獣寄せ”の勇者殿だね。大物だ」
あ、この人、僕が呪いの勇者だって気付いてたな!
先程の、詐欺ではない、という返事で本物だと確信したのだろう。
「僕は別に何も…そもそも僕の意思で呼んだりできるもんじゃないですから!」
「おや、そうなのかね?身の危険を感じて魔獣を呼ぶのかと思っていたが…まぁ、結果オーライだ」
予想が外れる可能性も大いにあったのに、フィデスは涼しい顔をしている。
度胸があるのか、単に気にしないのか。
「なっ…そ、そいつ、本物だったのか!?」
「そうとも。本来なら勇者たちは前線へ赴いているはず。それがこんなところで追放なんてされている。ならそれは、噂に聞く”呪いの勇者”殿だろうね」
「ちっ…魔獣を呼ぶような奴を、大した護衛も寄越さず処分を任せるんじゃねーよ、あのじじい!」
看守が反吐を吐くような顔で文句を言った。
そうだね…下手したら街の衛兵を総動員することもよくあるからね…。
とはいえ今日既に四回目の襲撃なんだけど!頻度がおかしい!
「あ…あれは、噂に聞いた、木々をなぎ倒した跡が砲撃を受けたかのようだという、”森の砲弾”って魔獣じゃないでしょうか!?」
「魔獣除けは!」
「た、焚いてあります!並みの魔獣なら、近寄っても来ないはずです!」
「ちっ、巷で噂の”森の砲弾”には効かなかった、ってことか?退路を確保!迎撃は最低限、逃げることだけ考えろ!避け切れる自身の無い奴は俺の後ろに!」
……そうか!
魔獣除けで思い出したけど、王都には魔獣除けの結界があったんだった!
それがあっても月に数回、今日既に三回も襲撃されてるんだから、その結界から出ればそりゃあ襲われるか!
狼狽える後輩看守に指示を飛ばし、両手剣を構える看守。
逃げることだけ考えろ…か。囚人を助けたりする気は、やはりないようだ。
その表情は険しく他に構っている余裕がない。
大猪も看守たちを警戒しているのか、じろりと睨みつけつつも未だ踏みとどまっている。
とはいえ、退くつもりもないらしい猪の群れに、一触即発の空気が漂う。
それで、ここから一体フィデスはどうやって鍵を奪うつもりなのだろうか?
………あれ?フィデスは?
ちらり、と横を見ると、そこにいるはずのフィデスがいなかった。
「ちょっと失礼するよ」
「…!? あ、貴様っ!?」
気が付いた時には、もうフィデスは看守の懐に潜り込んでいた。
鎧の隙間を器用に探り、違和感に看守が気付く頃には既に鍵を手に入れていた。
「ああ、君たちは警戒を続けてくれたまえ。私たちには構わなくていい」
「先輩、猪が!」
「くそ、こいつっ!覚えておけよ!……《堅牢》!」
注意が逸れたところを逃さず、猪たちが突撃の姿勢を見せる。
後輩からの注意の声に看守はフィデスを止めるのを諦め、悪態をついて剣を地面に突き立てた。
両手剣に力を籠めると、淡い光の靄が漂い看守の全身を覆った。
一方フィデスの方は上機嫌で戻ってくると、鍵を使って手錠を外す。
「い、一体どうやって?」
「ふふん。実は私、こう見えて魔術には多少精通している人間でね」
フィデスは自分の手錠を外した後は僕の手錠を外してくれる。
「あれを見てごらん」と言われ、地面の方を見ると、縫い留められていたはずの楔が抜け、周囲には妙な土の山ができていた。
何をしたのか詳しくはわからないが、魔術を使って楔をいくつか抜いて動ける距離に余裕ができたから、看守のところまで忍び寄ったということらしい。
「さぁ、走れ!」
「は、はいっ!」
手錠が外され自由になるのと、背後で看守たちと森猪がぶつかり合うのはほとんど同時だった。
分厚い鉄板と鉄球がぶつかったような凄まじい衝突音が響き渡る。
ひぃ~、間近で聞く異世界の戦闘音、怖い!
明らかに生身の人間では耐えきれない音がしている。
それで耐えきれているということは、さっきの靄はやはり祝福だったのだろう。
素直に推察するなら、《堅牢》の祝福、だろうか。
あ!そういえばすぐに走ってきちゃったけどフィデスはどうするんだろう!
と、視界の隅には振り返るまでもなく、横を走る優雅な金髪男の姿が。
「あれ!?他の人たちは逃がさなくていいんですか!」
「はっはっは、何を言っているんだい友よ。あれは凶悪犯だぞ?」
それはそうだけど、助けないのも後味が悪いというか…!先に逃げちゃった僕が言うのもなんだけど!
「大丈夫だ、鍵は適当に近いところに放ってきた。神が彼らに生きるべきだというのなら、助かるだろう」
「異世界の人たち、神様に頼り過ぎじゃないですかね!」
神様が生きるべきって言うなら生き残れるから、って崖からでも飛び降りるんじゃないのこの人たち!
っていうか、なんか、僕は全力で走っているんだけど、平然と横をフィデスが付いてきてるんですが。
息切れもしてないし何なら全然本気で走ってるように見えない!
噓でしょ、僕だって日本人とはいえこっち来てから結構体鍛えてたんだけど!
「…ところで友よ。その、君にはそれが全力かね?」
めちゃ言いづらそうに言われた!
全力です!過去一に全力で走ってます!もう酸欠がヤバいです!
ここらへん森だから、根が張ってるのもあって地面ぼこぼこで上手く走れないんです!
転ばないだけ褒めてください!
「仕方がないか。いいかい、私が3数えたら右に大きく動きたまえ」
「!?(…コクコクっ)」
喋る余裕がないので頷いて返す。
なんかわかんないけど言うこと聞くしかないし。
「1…2…3!」
「!」
掛け声に合わせて、右に軌道を大きく逸らした。
もう半ば草むらに突っ込む勢いである。
すると避けたところを、森猪の一匹が勢いよく駆け抜けていった。
うわーーーー!!なんだーーーー!!
「どうやらこちらに標的を変えたようだ。というより、そもそも君が目的なのかな?」
「要らないモテ期ーー!!」
心から叫んだ。
なんでだ。なんで魔獣たちは僕をそこまで付け狙うんだ。君らには僕がどう見えてるんだ。
猪突猛進はこちらの世界でも健在らしく、森猪たちは突き抜けた後も止まることなく突進していく。
あれ前見えてないんじゃない?
「……ふむ、これは困ったな。逃げ切るのが難しい」
「す、すいません、僕が、呪われてるばかりに…!さ、先に行ってください!」
足も遅いし、魔獣の注意を引き付けてしまうし、良いとこ無しだ。
せめてフィデスには生き残ってもらいたい。
そう思って言うと、フィデスは驚いたような顔をした後、微笑んだ。
「何を言うんだね。君は呪われているから、あの馬車に乗った。そのおかげで私はこうして逃げる機会を得た。私には君の呪いが、神から与えられた幸運に見えて仕方がないよ」
「は、はえ?」
何言ってんだこの人。幸運ってなに?今まさに絶体絶命じゃない?僕だけだけど。
「君の献身、ありがたく頂こう。ただ私は、二人とも生き残る道を選びたい」
「どう、やって?」
「とにかく、これから手に触れたものをしっかり掴むんだ!」
掴むってなにを?と聞く間もなく、急に体が引っ張られた。
な、なになになに!?
なんだかよくわからないうちに体がぽーん、と宙に放られた。
え、フィデス、その細腕で僕のこと放り投げた!?
…ええい、くそ、もうどうとでもなれ!
視界の隅でフィデスも身を翻すのが見え、そしてそれが唐突に深い緑色に塗り潰された。
「掴め!」
その声に反射的に、その深緑を掴んだ。
ごわごわとした感触。それが何か理解するよりも早く、ぐん、と強く引っ張られ、思わず手を放しそうになるのを必死に堪えた。
「うわぁぁああああ!」
「いいぞ!そのまま放すな、放すと死ぬぞ!」
あぁぁぁああああああ腕が!腕がちぎれる!
これ!この巨体、あれですよね!”森の砲弾”さんですよね!
今僕、”森の砲弾”の横にくっついてる感じですか!
引っ付いてる僕と違ってどこからフィデスの声がするのかと思えば、身を翻して華麗に森猪の上に着地していたらしい。
放すと死ぬ!放すと死ぬ僕と違ってずいぶん優雅に乗りこなしていやがりますね!
「助けてぇ~~~~~!!!!」
前方の木々を気にすることもなくなぎ倒し、突き進んでいく猪に必死に掴まりながら、半泣きで叫ぶことしか僕にはできなかった。