第五十九話 ファスキナー男爵
吐息が白くなる中、遠目に町の外壁が見え始め、ようやく僕らは安堵の息を吐いた。
雪は次第に量を増やし、街道の伸びる平原も真っ白に染まっている。
足跡をつけてみれば既に2㎝近く積もり始めていた。
この中を歩き続けるのは無茶だっただろう。改めて、エスタに感謝である。
視界は悪いが、外壁を越えると街道脇に田畑が見え始めた。
もう冬なので作物は全て刈り取られているが、しっかりと残った稲穂の根元が今年の実りが順調だったことを示している。
食料がかつかつだと余所者には売ってもらえないこともあるので、豊作なのはありがたい。
しばらく進んでもう一つの外壁を越えると、ようやく民家が見えてきた。
道行く人は工房馬車の大きさに口々に驚きの声を上げ、なんだなんだと騒ぎを聞きつけた野次馬たちが窓から顔を覗かせる。
あっという間に聴衆が集まったところで、フィデスが馬車の窓を開いて上半身を乗り出した。
「皆の衆! 今年も苦労を掛けた。ファスキナー家が次男、フィデス・ファスキナーが今、戻ったぞ!」
そう名乗りを上げた途端、周囲のざわめきがシン…と静まり返る。
「………そういえば、ここの人たちはフィデスが冤罪だってこと知ってるのかな?」
「今更不安になること言うなよ……」
「「「………っうぉおお!!!フィデス坊ちゃん、おかえりぃーー!!!」」」
ちょっと不穏な空気が過った瞬間、ドンと響き渡った大歓声に僕らは身を竦めた。
「よく戻って来たなぁ!寂しかったよ!」
「裁判は終わったのかい?怪我はしてないかい?」
「今度話を聞かせておくれよ!」
「それにしても、この動く家はなんなんだい?」
いくつもの声が、馬車の外から聞こえてくる。
恐る恐る外を覗くと、そこには朗らかな笑みを浮かべる農民たちの姿があった。
「はっはっは、詳しくは後で語り明かそう。まずは家族に挨拶に行かねばならない。道を開けてくれないか!」
「おう、すまねぇな!」
「フィデス坊ちゃんの知り合いとは思わなんだ。通りな通りな!」
フィデスの声は聴衆の喧噪の中でもよく通る。
野次馬たちは納得したとばかりにぞろぞろと下がり、人垣の別れた道ができていく。
「す、すごい歓迎されてるね?」
「みんな事情を知らないんじゃないか?」
朗らかさが逆に不安になる。
でもこうして民衆を上手く扱う姿を見ると、やっぱりフィデスって貴族なんだなぁ、と思ってしまった。
「フィデス坊ちゃんでも失敗することがあるんだなぁ」
「なぁに、今回は当たりどころが悪かっただけさぁ!」
「いやはや、まったく申し訳ない。でもキャロリーヌ嬢を悪く言うのはよしてくれたまえよ」
「なんか、事情知ってそうだね?」
時々、「今度は上手くやんなよ!」とか「まだまだ漢を磨かなきゃぁな!」などといった声が聞こえてくる。
えぇ、知っててそんなテンションで歓迎できるのぉ?
なんかよくわかんないけど、これだけ歓迎されてるなら大丈夫かな?
「………よくもおめおめと帰って来れたな!この愚弟がぁあっ!!!」
………と思っていた僕たちの鼓膜に、物凄い剣幕が突き刺さるのは、そのすぐあとのことだった。
ファスキナーは男爵領なので領都といっても小さめの町、といった大きさだ。
外壁の中の殆どを田畑が占めており、人の住んでいる場所は中心部に集中している。
町そのものは、ザ・田舎! という感じで、木造の民家が立ち並び、商店街のようなものは見当たらない。
そんな町をわずかに小高くなった丘の上から見下ろしている、一般人の家ではないなというのがなんとなくわかるくらいの、質素な屋敷がフィデスの実家であるファスキナー邸であった。
馬車を敷地内に停め、中に通された僕らを迎えたのは、屋敷を震わすほどの大声量だった。
声を荒らげているのはとても華麗な美男子。もとい、フィデスのお兄さんのフラヴス・ファスキナー男爵。
隠居した父に代わり男爵位を引き継いだばかりだそうだ。
宝塚の男役みたいな、線の細さと輪郭の濃さが絶妙に混在しているような、フィデスとはちょっとタイプの違う美男子である。
それが今は、額に青筋を浮かべて鬼気迫る表情でこちらを睨んでいた。び、美人が怒ると、怖い!
「兄上。長旅で疲弊した弟に掛ける言葉ですか?それが」
一方の弟はどこ吹く風である!
あ!これは怒られ慣れてるやつだな!
でもどっちかと言うとお兄さんの方が正しい反応だと思います。町の人たちが変なだけ。
「あ・ほ・か! お前の投獄でこっちがどれだけ損害を被ったと思ってる! 父上は領主の座を降りることになったのだぞ!」
「元々領主は向かないと散々愚痴っていたのを、兄上が「看板としては優秀だから」と言って立たせていただけではありませんか。兄上が実権を握っていたのは今も昔も変わりないでしょう」
「変わりあるわ! あの父上が表に立っていたから、こっちは水面下で自由に動けたんだ。これでは密かに手を回すのが大変になるではないか!」
「その損害を埋めるだけの契約は私が王都で取っておいたでしょう」
フラヴスが怒鳴ろうと、フィデスはどこまでも凪いだままだ。
客である僕ら四人は一歩後ろで見守っている。でもなんか大丈夫そうな気がしてきた。
フラヴスが怒りを投げつけるほど、フィデスに消火されて戻ってくる。
そんなことを続けていたせいで次第に勢いの治まって来たフラヴスは、はぁーーー、と盛大な溜息を吐いて額を押さえた。
「これだからこいつは…」
「なにか悪いことがあったかな? 言ってみてくれたまえ、兄上」
ふふん、とフィデスは見せつけるように手を広げて見せる。
ひとしきりの文句は言い尽くしてしまったのだろう、フラヴスは悔しそうに下唇を噛んだ。
「くぅ…顔は良い、体力もある、男気もあるし、嘘を言わず、頭もいい……どこを貶せというのだ…」
「節操の無さじゃないですかね」
「………!!」
つい口を突いて出た言葉に、それだぁ! とフラヴスが手をポンと鳴らす。あ、この人割とノリいいな?
ていうか、多分、フィデスのこと大好きだよね?
「旦那様、何はともあれ、無事で帰って来たんですもの。まずは喜びましょう? 話は食事をしながらでもいいではありませんか」
扉を開いて現れた女性は、フラヴスの奥さん、つまりフィデスの義姉のスアヴィスさんだ。
夫の扱いを心得ているのか「しかし…」「そうは言っても…」と渋るフラヴスを「今言う話じゃないでしょ」と丸め込んで、ささっと夕飯のご予定を立ててしまった。
「皆さんは客室でご自由になさって。他のお客様もいらっしゃいますし、狭い屋敷ですから、一人一部屋とはいきませんけれど」
にっこりこちらに微笑んだ。フラヴスは仏頂面だがすっかり静かになっている。
奥さん、素晴らしい手腕です。
そうして夕飯ができるまでしばらく部屋でゆっくりすることになった。
ちなみに、夕食はスアヴィス奥様と雇いの料理人さんの二人で作るらしい。
「貧乏男爵家は家の全てを使用人で回せるほど豊かではないのだ」とフィデスが泣き真似をしていた。
道理でフィデスが裁縫だの得意になる訳です。
屋敷は大きくないが、客室は広かった。
とはいえ、五人もの人が寛ぐには若干手狭な感じがする。
「ふう、ようやく自由だ」
エスタはそう言って髪を解した。耳さえ隠せば人間の子供と変わらないので、髪の毛を上手く固めて耳を覆っていたのだ。
ムトは奴隷印が見えるように首元の開いた服を着ている。
僕も一応、髪色を隠すためにフードを被った状態だ。
『ておん?』
「テオ、まだしばらくはその中に入っていてもらえる? 大丈夫になったら呼ぶから」
『てお』
ペンダントからにゅっとテオが顔を出した。
テオに関しても大っぴらに見せるのはよろしくなかろうということなので、しばらく隠れていてもらう。
「すまないね。兄上も義姉上も、亜人に理解の無い人ではないから大丈夫だろうが、町の人々までそうとはいかないからね」
正体がバレないに越したことはない。
まあ、あの工房馬車に乗って来た経緯を話すにはその辺りを省くことは難しいので、下手に隠すよりは夕食の席で話した方がよさそうだけど。
ムトは獣人だけど、奴隷であることを示すことで、警戒されないで済む。
「とりあえず、しばらく匿ってもらうこと、手紙を出すか通信機を借りること、この二つが目標でいいか?」
一息ついたところで、ベンが確認した。
それを頭の中で反芻して、頷く。
「うん、それでいいと思う。”祝福狩り”の討伐と魔獣の毛皮の納品で冒険者ランクもCに上がったし、勇者宛ての手紙を出せないかな?」
「いや、どうだろうな…勇者に手紙を出したい奴らなんて五萬といるし、Cランク程度では届くまでに弾かれてしまう可能性が高い。やはり通信機を借りよう」
聞けば、ここ領都ファスキナーにも冒険者ギルドがあるらしい。
通信機を使うにはまだ少しランクが足りないはずだが、領主の口添えがあれば使わせてもらえるのではないか、というのがフィデスの見立てだ。
ランクを上げた意味は、と思わなくも無いが、低ランクで通信機を使おうとすれば目立ってしまっただろう。
匿ってもらえるかは、状況次第かな。
また看守たちが追ってくるかもしれないし、宰相が別の手を考えるかもしれない。
雪が深くなれば追ってくるのは難しくなるかもしれないが、逃げる算段も立てておくべきかもしれない。
(「……!」「………? …!」)
うん? なんだか隣の部屋が騒がしい。
そういえば他の客人がいると言ってたな。
急に予定もない客が隣の部屋にぞろぞろとやって来たのだ、気になるのも仕方がないだろう。
騒がせて申し訳ない。
少しすると静かになった。
改めてフィデスが口を開く。
「そうなったら、イシルリルに渡るしかないな」
「退路がないよりゃマシだけど…」
他の町を目指して進むより、イシルリルに行く方が安全だとエスタは言う。
ベンは不満げだが、イシルリルとの国境を越えれば森人との伝手の無い人間はまず侵入不可能だと言われ、渋々頷いていた。
聞けば、エスタの知り合いは国境を越えて一番近い街に住んでいるそう。
案内があれば一日でたどり着けるそうだ。
「お客さま、失礼します」
と、相談しているとノックの音が聞こえた。
どうやら夕食の準備ができたらしい。
「こ、米だぁ!」
開口一番、エスタが歓声を上げた。
食卓に並んでいるのは、ご飯、味噌汁、煮豆と和風の品々に、鹿肉のステーキという突然の洋風。
いや、スぺキア風なのだ、これが。和洋折衷というか、なんというか。
食器が洋風食器だから、見た目の違和感はあんま無いんだけどね。
お米は平皿、味噌汁はスープボウル、煮豆はフルーツポンチみたいに大皿から取り分ける形式だし。
お、味噌汁の具は油揚げと大根だ。
「喜んでもらえて良かったわ。田舎なものですから種類が少なくて。冬が過ぎれば山菜が採れるのですけど」
スアヴィスは困ったように笑った。
いやぁ、ご馳走になってる身でそんな贅沢言いませんよ。
「義姉上、干し柿は作っていないのですか?」
「今年の柿は殆ど売ってしまったのよ」
フィデスが聞くとスアヴィスは眉を下げる。干し柿まで作ってるんですかここは。
いよいよ日本の原風景と化してきたぞ。食文化以外は洋風だけど。
「誰かのせいで、売れるものは売らないと、木炭が手に入らなかったのでな」
不機嫌そうに、最後に食堂に入って来たフラヴスが言った。
田舎なので木はあるのでは?と思ったが、木こりが少ないので供給が追い付いていないのと、下手に切ると森人の怒りを買うこともあるため、切れる範囲が決まっているのだとか。
「兄上。怒るとせっかくのお顔が台無しですよ」
「そうよ、貴方は笑っているときが一番美しいのだから。いえ、その憂いあるお顔も好きですけれども」
うふふ、とスアヴィスが笑う。うんー?なんか、日本のネットでよく見た感じがするぅ。
褒められたと思ったのか、フラヴスがちょっと頬を染めて咳ばらいをした。
「ん゛っん……そうか、美しいか?君にそう言われると、吝かでもないな」
「んっふ。照れてる…とても尊いですわ…」
あ、わかった。オタクだ。推しを見る目だ。
スアヴィスさん、日本の宝塚見たら卒倒しそうだな…。
「それで、フィデスよ。どうやってここに戻って来たのだ? 裁判の結果の通知はまだこちらには届いていないぞ。追い越したのか? それに、あの侯爵殿をどうやって諦めさせたのだ?」
取り分けた食事を一口飲み込んだあと、フラヴスが尋ねた。
食事の主催が食べたら客人も食べ始めるのがこちらのマナーである。
僕は久々に煮豆を食べたいな~、と。
…おや?
食事に集中していたところに、またなにやら外から物音が聞こえてきた。
どうやら言い争っているらしい声。
ひとしきり何か騒いだあと、音は遠ざかっていった。
なんだろう?
「はは、兄上、裁判は結果どころか始まってすらおりませんよ。彼の方には私を法に裁かせるつもりはないようです」
「は? 何を言って…始まってない? 我が家から幾度となく情状酌量の文を送っているのに? ……というか、それならお前、なぜここにいるのだ?」
味噌汁に煮豆に白米。ん~、故郷のお味。
隣ではエスタが白米を掻き込んでいる。
念願の白米にたどり着けてよかったね。
……フィデス、頼むから下手なこと言ってお兄さんを怒らせないでくれよ。
僕らが何か言うより君の方が丸く治められるはずなんだから!
「……実はですね、兄上。我々逃走中…」
「ちょっと待ry」
ぱっきゃーーーん!
フィデスが爆弾発言を落とそうとすると同時、食堂の窓が派手な音を立てて打ち破られた。
キラキラと舞うガラスの破片。その中から食堂へと転がり込む人影。
「きゃー!!」と響くスアヴィス奥様の悲鳴。
すわ襲撃かと身構えるベンとムト。
なにが何やらわからん僕。
闖入者はさらりと着地すると、ガラスが地面に落ちきるより先に滑るように地面を滑って僕の前でぴたりと止まった。
うぉお気持ち悪い!なんだ今の動き!
飛び込んできた人物は外見もこれまた変わった人だった。
さらさらの海のような暗い青髪に、対して太陽を想わせる鮮やかな橙色の瞳。
そして何より、顔中に描かれた奇妙な模様が目を引く。
中性的で彼、か彼女、かわからないが、その人は僕の手を取って言った。
「ワォ! やはり言ったではナイですか! 彼は拙僧の同類デス! よろしく同志よ! コノ後二人で迷宮踏破などいかがデスカ?」
な、なんて??




