第五十話 平穏な日……だと思ったのに
「おはようございます」
「おふぁよぅ~…う~、寒い…」
どうやらエスタは朝に弱いらしい。
欠伸しながらの返事と共に、屋根裏からぼっさぼさの赤毛が覗いた。
昨日も設計図を睨みながら夜更かししていたようだ。
「ユート、そろそろ行くぞ」
「うん」
ベンが外出の装いをして扉を開ける。
途端に冬の風が舞い込んできて、息が白く染まった。
後ろでエスタが「ぴゃー!」と悲鳴を上げている。
外に出るベンに続いて、僕も外へ出た。
首巻きに手袋に、外套も着込んでいるが、それでも少し寒い。
先に外で軽く素振りをしていたフィデスが手を挙げて挨拶してきた。
「おはよう。今日は何を採ってくるんだね?」
「キノコと、山菜かな。狩りはまだしばらく要らないだろ」
今日は森の歩き方を教えてもらう予定だ。ついでの山菜採りである。
なんてのんびりしているんだろう。
徒歩の旅と違って、動いてくれる家があるとこんなに変わるんだなぁ。
そのおかげで余計な荷物は置いて、散策や鍛錬に精が出せる。
テオとムトは屋内派だ。外寒いから本当は僕もなるべく中にいたいんだけれど。
でもベンの教えてくれる知識は今後の僕に必要なものだ。
体に鞭打つ…って言うと大袈裟だけど、少しは気合を入れて外ぐらい出なきゃな。
「さて、ユート。森を歩くときに大事なことはなんだ?」
ベンは早速の教師モードのようだ。
森を歩くのに必要なこと?
うーん…森の経験が少ないけど、”森の砲弾”に追われてた時のことを思い出すに…
「躓かないこと?」
「ははっ、それもそうだな」
「違うの?」
「違くはないが、オレが言いたかったのはよく見るってことさ」
そう言ってベンは前方を示した。
そこには森が広がっている。特に変わったところがあるようには思えないけれど?
「例えば木。この森の大半はチェドル木とパウィン木だ。どちらも真っ直ぐ育つ。若い森ならそれほど根は地表に出ないから、歩きやすい」
「ふむふむ」
「細葉の木が多いから、落ち葉もそれほど厚みが無いのがわかるか?こういう森なら、全力で走ってもコケにくい。魔獣に襲われたときに地形の把握は重要になるから、自分が今いる場所がどんな所かは確認しておくと良いぞ」
なるほど。歩きにくいか歩きやすいか、どの辺りに歩きやすい地形があるか。なんとなくでも頭に入れておくといざというとき役に立つらしい。
と、ベンが森の中を指さして止まった。
「お、あそこにアルブスの木がある」
「実がなってるね!」
20mほど先、僕の身長より少し高い程度の低木に、白く丸い木の実が成っているのが見える。
ウチワ状に枝を広げたあれはアルブスという木で、その実は酸味があるが甘い。木苺みたいなものだ。白いけど。
ただ、中心に柔らかい種が入っていて、それが紫色の汁を出すのだ。
うっかり潰してしまうと手が凄い色になる。しかも中々落ちない。普通は外側の実を剥いで使う。
王都で食べていた食事にも時々使われていたので知ってるけれど、野生に生えているのは初めて見たな。
「アルブスを探して歩くのもいいが、今日は散策しつつ、キノコの見分け方について教えていこう」
「はーい」
歩いて行くと、足元は落ち葉が積もって少しふかふかしている。だが木の根は緩やかで歩くのに邪魔にならない。
”森の砲弾”に会ったときの森とは全然違うのがわかる。
「あれはチャタケ。それはカシダケ。そっちはベニフェアリダケ、それは毒な。あの赤いのはフランマタケ。猛毒だから気をつけろ」
感心している間に、ベンは次々とキノコを見つけていた。
チャタケとカシダケは食べられるそうだ。香りはマイタケとシイタケのよう。
明らかに毒!って感じの赤いキノコは案の定毒のようだ。
いくつもの突起の生えた手の平の形の真っ赤なキノコもある。地球にも似たようなヤバいキノコあったな…。
「見た目がそれっぽいからって安心するなよ、似た毒キノコがあるからな」
「うーん、僕に見分けつけられるかな…?」
「たしかに、キノコの見分けは慣れないと難しい。今は知識として軽く教えているけれど、実際一人で森の中で生きることになったら、キノコは避けろ。山菜とか食べれる植物を探せ」
確かに安全か確信が持てない物を食べるよりはその方がいいよね。
…じゃ、なんで今キノコの勉強してるの?
「冒険者への依頼でキノコ採取ってのはよくあるんだよ。森に行けない人も多いからな」
「なるほど」
この世界には魔獣がいるもんね。
普通の動物よりも積極的に人間を狙ってくるのだから、戦えなければ森には入れない。
だから冒険者に依頼するわけか。
まぁ、キノコ採取は大した金額にはならないので片手間で受ける冒険者が多いらしいけど。
「鑑定は冒険者ギルドがやってくれるからな。それっぽいキノコをたくさん採って、戻って納品すればいい。毒キノコもそれはそれで買い取ってもらえるからな、そこそこいい小遣い稼ぎになるぞ」
「へぇ」
キノコ、キノコ。探しながら森を歩く。が、上ばかり見ていると落ち葉や木の根に足を取られそうになって、歩きづらい。
えー、どうやって探せばいいのこれー。
「上を見るより下を見た方が見つかるぞ。キノコは湿気た場所を好むから、木の根元みたいな、木の葉が溜まりやすい場所に生えてたりする」
がさり、とベンが倒木の脇に積もった木の葉をどかすと、その下からぴょこりとキノコが数本顔を出した。
なるほど。シイタケみたいに木の横に生えてるイメージがあったから木ばかり見ていたけど、そういうわけじゃないんだね。
「ここら辺湿ってそう…うわっ、冷てっ!上から雪が…」
「集中して下を見るんじゃない。なるべく頭は正面を向けて。視野を広く持つことで下も上も両方見るんだ」
「そんな無茶な」
「ちなみに山菜は身長くらいの高さに成るものも多い。タラノメとかな。下ばっか注目してると見つけられないぞ」
下を見ていたせいで、上の枝から落ちてくる雪の塊に気が付かなかった。
ベンは下を見ながら上を視ろなんて言うが、目を左右別々に動かせとでも?
でも確かに、頭を殆ど動かすことなく、というか視線もきょろきょろしているわけではないのに、ベンはすいすいと森の中を歩き、山菜を見つけていく。
「む、無理だよぉ」
「はっはっは、初日はそんなもんだ。森に慣れて、植生の知識とかがついてくると、自然と視野を広く持てるようになるぞ。ほら、あっちにも山ぶどうの枝が……… え?」
言葉の途中で、ベンが固まった。
どうかしたのかと視線の先を見るも、僕には何も見えない。
むむ、これはまた何か冒険者特有の知識で見てますね?
「ユート、ちょっと隠れろ。フードも」
「う、うん?」
急に引き締まった声で茂みに誘導された。示されるがままに、フードを被って茂みに身を隠す。
な、なにが起きてるの?
僕を奥に隠すようにベンも茂みに体を入れる。
その間も視線は先程の方向を向いたままだ。
数秒、自分の心臓の音だけを聞きながら息を殺していると、ベンががさりと立ち上がった。
「………人だ!追われてるぞ!」
えっ!
目を凝らして森の奥をじぃっと見てみると…たしかに、人型の影がいくつか、揺れているように見える。
「誰が、誰に?なんで?」
「女の子だ。後ろのは、野盗かなにかか?」
ひえぇ、がっつり犯罪現場だ!
「追手は、三人か。ユート、女の子を保護しろ。後ろはオレが相手する」
「ええっ、大丈夫?」
「大丈夫。…って断言はできないな。女の子を保護したら、フィデスを呼びに行け」
「わ、わかった!」
ベンは茂みを飛び出して、女の子と野盗の先に体を現した。
しかし、女の子の顔に恐怖の色が色濃く浮かぶ。
あ、そっか。女の子からすれば野盗の仲間が正面に現れたようなもんか。
「僕らは冒険者です!おいで!逃げよう!」
僕も茂みから飛び出して、手を広げた。
僕の言葉を信じたのかはわからないが、女の子は意を決して僕の腕に飛び込んでくる。
ごふぉ。なかなかの威力!
「ぜぇ、ぜぇ、なんだ、てめぇら!邪魔すんじゃ、ねぇ!」
「冒険者相手に退く気はなし、か」
相当走って来たのか野盗たちは肩で息をしていた。
……大の大人相手にここまで逃げ切れるなんて、この女の子も大したもんだな。
「そうか。お前ら、”祝福狩り”だな?」
「ぜぇっ、はぁっ、そ、それがわかったんなら、そいつを置いて、失せな!」
「するわけないだろ、そんなこと」
すらりと剣を抜いて片手で構えたベンが立ちはだかる。
僕は女の子を抱えて立ち上がろうとして…よろめいた。
いや、人体って思っているより重いよ?女の子は10歳くらいで、そこそこ大きい。
女の子の体重のほどは推し量るのは失礼だけど…少なくとも、米の袋よりは重い!
「………っ!」
その間に、ベンの剣が閃いた。
野盗の一人と剣戟を飛ばす。
一人で三人を相手するのは無謀なのではないか。そう思っていると、残りの二人が驚いた顔をした。
見れば、二人の足は地面に張り付いていた。まるで餅でも踏んだような粘着性のものが、靴と地面をくっつけている。
あ、あれ、魔獣を倒すときに使ってたやつだ!
大型の魔獣すらその場に縫い留める強力な粘着罠に絡めとられた二人は、戸惑って対応が遅れている。
その間に二撃、三撃と攻撃を繰り返し、野盗を追い詰めていくベン。
攻撃されている野盗の方は、なぜ助けてくれないのかと仲間の方をちらちらと見ている。
その集中の乱れも悪かったのだろう、四撃目の攻撃が野盗の腕を打った。
峰打ちだ。鈍い音が響く。
身体強化も使っているその一打は容易く野盗の腕を折ったようだ。
「ぎゃあ!」
痛みに隙を見せたところで脛に蹴りを一撃。
一瞬変な方向に曲がった足に、思わず目を背けてしまった。
無力化したことを確認すると、即座に振り返るベン。
「この野郎!」
ずぽっ、と靴から足を抜いて、粘着から脱出した野盗がベンに殴り掛かった。
しかしそんな悠長に待っていてくれるほど、プロの冒険者は甘くない。
振りかぶられた棍棒の下にむしろ潜り込むように距離を縮め、腕を狙って剣を切り上げる。
…と、重い金属音が響いた。
ベンが少し驚いた顔で、振り下ろされた野盗の腕を手で受け止める。
「篭手なんて着けて、贅沢な野盗だな!」
どうやら、袖の下に篭手を隠していたようだ。
身体強化を掛けたベンでもその防御を突破できないとは、なかなかの品を着けていることになる。
しかも野盗の方も身体強化を使っているのか、ベンとの力比べは拮抗していた。
「あっ」
その後ろで、三人目の野盗が粘着から脱出しようとしているのが見えた。
ベンからは丁度死角になっていて、その様子が見えていない!
ど、どうする!
僕が斬りかかるか?……でも、相手は足こそ封じられているが、手は自由だ。
僕のへっぽこ剣術で、相手になる自信はなかった。
とにかく、女の子にどいてもらわないと動くのもままならない……って気絶してる!
女の子をどかしている余裕はない。どうしよう!
なにかないか!なにか……あ!
僕は手の届く範囲をまさぐって、手に触れたものを思い切り野盗に投げつけた。
「ぶち殺してや………うげっ」
ぽふっ、と軽い音と共に野盗の顔にヒットしたのは、キノコだ。
採取鞄に突っ込んでいた、今日の収穫の一つ。
だが、それの当たった野盗は鋭い悲鳴を上げた。
「う、うぎゃぁあああ!な、なんだこりゃぁ!」
顔を赤く染めて、キノコの当たった場所を掻きむしる野盗。
その悲鳴に、ベンと戦っていた野盗も驚いて力が緩んだ。
その瞬間を見逃さなかったベンは、野盗の腹に全力の蹴りを叩きこんだ。
野盗の身体がくの字に折れ、口から胃液が漏れる。
くずおれた野盗をどかして三人目の野盗を見据えたベンは……悲鳴を上げて転がり回る姿を見て茫然とした。
「こりゃ、どうしたんだ?」
「さっき採ったキノコを投げたんだよ。それよりベン~、助けてぇ」
女の子に全体重を掛けられて立ち上がれず、変な姿勢になっているせいでおかしなところに力が入ってる。足がプルプルしてきた!
それとあの~、キノコを引っ掴んだ手がじんじんしてきてるんですけどね、診てもらってもいい?
「フランマタケを投げたのか。……可哀そうに」
のたうつ野盗を見てベンが眉を顰めた。
そっちが可哀そうなの!?
よっこいしょ、と女の子を地面に寝かせると、ベンは水で僕の手を洗い流した。
赤い胞子を洗い流したはずの手は、まだ真っ赤なままで火傷をしたかのように痛い。
「その手で他の物触るなよ。残った胞子でも火傷するからな」
「そ、そんな危ないキノコなの?」
「猛毒だって言っただろ。フランマタケの胞子は触れただけで皮膚が爛れるんだ。目に入れば失明する。………ありゃ、激痛だろうな」
ひぃ。野盗さんごめんなさい!
「盗賊にあんま同情しなくていいぞ、犯罪者なんかしてるんだからどんな仕打ちを受けるのも覚悟の上だろ。…いやしかし、女の子抱えて走れないくらい貧弱だったか」
「ごめん…」
「ま、結果的に助かったからいいよ。あいつら運ぶにも人手が要るから、フィデスを呼んできてくれるか?」
面目ない…。
僕はキノコを投げたのとは逆の手で女の子を抱え上げ、馬車の方へ戻った。
確かこの辺なんだけど、と街道まで出て見回していると、フィデスの方が先に僕を見つけて駆け寄ってくる。
「おかえり。どうしたんだね?こちらのレディは」
「野盗に追いかけられてたんだ。ベンを手伝ってくれない?」
「わかった。その落ち着きを見るに、対処済みのようだね。後は任せたまえ」
話が早いぜ。
フィデスは大体の方角を聞いただけで森に入って行った。
僕は馬車に戻り、女の子を寝かせる。
昼寝していたムトが眠そうに目を開けてこちらを見てくる。
「また何か起こしたのか」
やれやれ、と呆れられてしまった。わざとじゃないのに。




