第二十八話 湿り気、のち、大雨?
陰鬱な空気のまま、長いこと歩き続けた。
階層を降り、それでもスライムの数はあまり増えない。
テオも飽きたのかずっとカバンの中で寝ている。
灰が温存できるのはありがたいけれど、やはり何が起きているのかわからなくて不安だ。
何度目かの休憩に入った時、ベンが盛大にため息を吐いた。
「あーっ、やめやめ!やってられっかこんな空気!ただでさえ湿った洞窟なのに、雰囲気までじめじめじめじめしやがって!」
「ご、ごめん」
かーっ、と文句を吐くベンに思わず謝る。
だってあんなもの見せられちゃ気になっちゃうじゃないか。今頃スライムの中で骨になっているかもしれないし。
「あのなぁ、あの奴隷がどうなろうと、お前は悪くない。わかってるか?」
「は、はい」
ベンに真正面から見据えられ、思わず背筋を正した。
僕は悪くない…それは確かにそうなのはわかっているけど、何もしてあげなかった、というのが…。
「そこが既に違う。お前、何様のつもりだ?他人に救いの手を差し伸べられるほど余裕がある立場か?オレらだって犯罪者として追われているのに、”してあげる”つもりでいるのが既に傲慢であるってことがわかってて言ってるか?仮にあの奴隷を買い取った、助けたといって、十分な救いをお前はあの亜人に与えられるのか?」
「それは………そのとおりですはい……」
ぐぅの音も出ない。
僕らだって明日もわからぬ身なのだ。助けたとて結局、獣人さんと共倒れするのが落ちなのだろう。
財布に余裕があるとはいえ、僕らは彼に新しい生活を与えることも、どこか遠くへ逃がしてやることもできないのだから。
「そして”意思封じの術”だ。あれを掛けられるってことは、とんでもない罪を犯して本来なら死刑になっているような犯罪奴隷ってこと。何人殺してるかわかったもんじゃないんだぜ?」
「そうなの?」
「そうなの!まぁ、それでも人としての尊厳を踏み躙られていいってもんじゃないけど、”意思封じの術”ってのは極悪人への相応の罰であるってことは覚えとけ。そんでオレらに、その罪を詮索するだけの術も権利もない」
…確かに、あの獣人がどうしてあんな状態にまでなったのかを僕は全く知らない。
あの姿を見ると哀れと思ってしまうけれど、その経歴を紐解けば強姦や快楽殺人を日常的にやっている可能性だってある。
現に、”意思封じの術”はそういった極悪人にだけ掛けることを許可されている術なのだそうだ。
「前提を知らないままに人を救おうとするんじゃない。わかったか?」
「…うん。ありがとう」
ベンに言われて、少し目が覚めた気がする。
まず、勘違いしていたことを理解した。
「困っている人を見たら誰であろうとまず手を差し伸べる」ことは絶対的な正しさではないんだ。
助けなきゃ、という気持ちは大事だけど、それに突き動かされて手を差し伸べるというのはたしかに浅慮かもしれない。
「よし、なら今すぐ、悩むのは止めだ。もっと明るい話題で行こうぜ」
「流石だね、ベン君。……じゃあ気分転換に、以前聞いた昔話をしようかね」
休憩のあとを片付け、そう言ってフィデスが道中語り始めたのは、田舎に生まれたある男の話。
男は、周囲の物を融合したような奇怪なものに作り変えてしまって、大人たちに大層気味悪がられたそうだ。
それこそ、呪いと呼ばれるほどに。
村八分にされ、男とその家族は満足な食事すらとれない日々を過ごしていた。
その人生に転機が訪れたのは、教会で洗礼を受けたときのこと。
正式に《結合》と呼ばれる祝福を持つと認められ、その祝福がどういうものか知らされると、村の人々は手の平を返して歓迎したそうだ。
田舎において、祝福持ちを抱えるというのはすなわち神に認められているという証。
神の威光にあやかろうと参拝する人だっている。それはつまり、人の流入が増えるということ。
村の発展にも直結することだったからだ。
だが男は当然ながら、突然表情を変えた村の人々を気味悪がり、村を離れた。
そうして王都に家族で移り住み、植物の接ぎや修理工としての職を得て裕福に暮らし、村は過疎化で滅びた…というものだった。
ざまぁ系みたいな昔話だな。
「今だから言える話なんだろうけど、村の連中も馬鹿だよなぁ」
「そうだね。…私はこの話を聞いたとき、ムノー君のことが頭を過ってね」
「僕が?」
「呪い持ちだと非難された辺りはそっくりじゃないかね?そして君はテオ君と出会った。これは転機なのではないかな?これからの君は昇り竜の如く大成していくのではないかと思っているよ」
「ははは、そうだと良いね」
確かに呪い持ちと非難されたとこは同じだけど、僕がそんな上り調子に行くのかと言われると疑わしいものがあるよ。
別に王都の人たちに滅びてほしいとかも思ってないし。
「でもま、求めてくれる人たちのところで平和に暮らせるっていうのは、いいかもね。僕の呪いも、もし祝福だったとしたら、何に役立てられると思う?」
「魔獣寄せの呪いの活用方法、ということか」
「うーーーん、難しいこと言うなぁ」
なんでもくっつけられる《結合》を持つ男はその後、植物の接ぎや、割れた皿を直したり、折れた資材を直したりという修理工として役立ったという。
つまり何事も使いようで呪いにも祝福にもなるって思ってもいいんじゃないかな?
しかし二人とも腕を組んで考え込んでしまった。
「………こないだみたいな囮に使うことしか思いつかないな」
「氾濫が起こったときに魔物を誘導するとかどう?」
「やだー!」
たしかにそれぐらいしか思いつかないけどやだー!
「囮って、あれ凄く怖いんだぞ!」
「そもそも、魔獣を寄せる、というのも性質がよくわかってないからなぁ。魔獣からムノー君がどう見えているのか理解しておかないと、確実な運用というのは難しいように思うな」
「運用とか言うなっ」
「でも確かに。あまりにも異様に追ってくるじゃないか?魔獣に魅了みたいな精神異常を掛けるものなのかもしれないよ。魔物に効果があるのかはまだわからないか?スライムが寄って行っている感じはあまりなかったな」
「魔獣にだけ、ムノー君を喰らうことで利するものがあるとか?囮にして罠にかけるにも、魔獣側に理性があるかないかで大分効果が変わりそうだぞ」
「だから囮を前提にしないで!」
僕の訴え虚しく、二人はああだこうだと物騒な仮説を論じ始めている。
そろそろ怒るぞ、と思っていたとき……地面が再び揺れた。
迷宮の入口が崩落した時にも感じた長い揺れ。
前のよりは比較的小さな揺れだが、嫌な予感に冷や汗をかく。こんな奥底で崩落したら一巻の終わりだ。
しかし、洞窟が崩落する様子はなかった。
そうしてしばらくして地震が治まり、ふぅ、と息を吐く。
「今回は崩落しなかったね…」
「……いや、ちょっと待て。この音はなんだ?」
額を拭う僕に、フィデスが鋭い忠告を飛ばす。
緊張が戻り、耳に神経を集中させると、確かに何か聞こえた。
なんだろう……ゴゴゴゴゴ、と低い音が、どこか遠くから鳴っている。
「な、なんだ?なんの音だ、これ?」
「まさか…洪水か?」
洪水!言われてみると、そんな感じにも聞こえてくる。
音は次第に大きくなり、遠目にその全貌を捉えた。
と、同時、僕らの思考が一瞬停止して目が点になった。
それはところどころ赤が混じった水色で、透明で、ぷるんぷるんしていて……
………スライムの………洪水………?
――――――――――――――――
少しだけ時間を遡り。
深い地下にて蠢くものがあった。
(まずいな……)
それは地の奥で唸り声を上げた。
以前は人間だったそれは、己の野望の実現を目の前にして、焦っていた。
(このままでは私の体が完成する前に、あの妙なやつらがここに辿り着いてしまう)
どろり、と己の液体状の腕を見てそれは歯噛みした。
緑色をした液状の体。それは命を賭してまで手に入れた肉体。
その中に浮かぶのは、迷宮の全てを司るという迷宮核。
人の肉体を捨て、迷宮を支配下に置いたそれは迷宮のと呼ばれる存在だった。
ベンが想定した最悪の可能性…それが、ここに顕現していた。
(私は全てを滅ぼさなければならん。復讐の道はようやく始まったばかりなのだから!)
世界への復讐を誓った元人間は、ぶおお、と気色悪い咆哮を上げた。
もはや彼の口が言葉らしい言葉を発することはない。
それでも構わない。それだけの覚悟があった。
(なにが神の祝福だ。なにが選ばれた存在だ!結局、甘い汁が吸えるから群がっていただけだろう。なんと醜い、おぞましい生き物なのだ!!)
身体を掻きむしろうとして触腕が身体の表面を打ってうねった。
思い出すだけで忌々しい。これはちんけな逆恨みなどではない、正当な憎しみだ。
祝福狩り。その被害に遭ったのが不幸の始まりだった。
庭先で孫と戯れていたある日。怪しい人影がずらりと現れ、襲撃を受けた。
ようやく手にしたはずの平穏な日々が、一瞬で瓦解した。
家族を失い、傷つき、五体満足とはいかず命からがら生き延びた先で待っていたのは冷たい視線だった。
襲撃は男の周りのみならず、近隣の人々にも被害をもたらしていたのだ。
彼らは男を指して言った。
あんなのがいるから私たちまで怖い思いをしたんだ、と。
男の祝福は英雄と呼ばれるようなものではなかった。
地味で、冴えず、生活に必須のものではなかった。
だから人々は、理不尽な暴力に巻き込まれる前に男を締め出すことにした。
重傷の癒えぬまま放り出された男に、身を守る術などあるわけもない。
何より、今まで優しかった人々の変わりように、心がついていっていなかった。
……その心も瓦解するのに、そう時間はかからなかったが。
「疫病神!」
罵り声と共に投げられた石が身体を、足を、頭を打つ。
そのとき男は悟ったのだ。
(ああ……人間は本質的にはみんな同じごみ溜めなんじゃないか……)
かつて自分を迫害した人々。今の自分を鞭打つ、昨日まで親切だった人々。
みんな、同じだったんだ。
誰が優しいとか、誰が厳しいとか、そんな話じゃない。
見ていた側面が違うだけで、みんな、醜かったんだ。
………そんなものが、存在していていいのか?
その憎悪に応えるように、男は己の祝福の新たな活用法を見つけた。
人目を逃れ迷宮で地下水を啜り苔を齧って命を繋いでいたそのとき、偶々見つけた現象である。
スライム同士を繋ぎ合わせて上位種を作り出すことに成功したのだ。
そして、それを自身の欠損した身体に継ぎ足すことができることも。
男の祝福の名は、《結合》と言った。
そうして男は徐々に人間の肉体を捨てながら、迷宮の深部を目指し、そしてついに見つけた。
迷宮核。
人の手に余る代物の代表格とも呼ばれるもの。
正常ならば手出しをしようなどと夢にも思わないのだが、もはや脳みそなど元の半分も残っていない彼に、細かいことを考える思考は残っていなかった。
しかし、男の祝福と相性が良かったのか?氾濫を起こして休眠していたせいだろうか?
あろうことか、迷宮核すら取り込むことに成功してしまったのである。
男はその万能感に酔いしれた。
これなら、地上の、いや、すべての人間に復讐することだってできる!
なにより、この溢れ出る魔力を好きに利用できるのがいい。
迷宮を運営する上で必要な魔力は、地下を通る魔力の脈、地脈から吸い上げられ、迷宮核により迷宮全体へと配分される。
迷宮核を支配したということは、自分に魔力を集中して注ぎ込むことも可能ということだった。
本来の迷宮の魔物の多くを処分し、自身の進化に魔力を割いた。
迷宮を手に入れて、新しい体になってまだ日は浅い。力を振るうにもまだ肉体が未熟だったからだ。
(もっとだ。もっと、魔力が、要る。時間が、要る)
そんなある日、迷宮に異物が入った…そう感じたとき、彼が最初に感じたのは食欲だった。
(なんだ…これは?)
芳しい香りというか、腹の底から欲望が湧きだしてくるような…とにかく”美味そう”という感情が漏れ溢れた。この体になってから初めての感情だった。
まず初手に、生き埋めにしようとした。
とにかく迷宮内で殺しさえすれば、迷宮の支配者である自分にとっては腹に収まったのと同じことだ。
そう思ったのに、勘のいい奴がいるのか生き残られてしまった。
仕方ないので多少魔力を多めに注いでスライムを強化し送り出したのだが…それをいとも簡単に奴らは倒してしまった。
偶然かと何度かけしかけてみるも、倒されてしまう。
(この迷宮になぜ、あれに対処できる冒険者が潜ってくるのだ…いや、今や迷宮を支配している私に、不可能などあっていいはずがない)
確実に殺す。
入り口は埋めたし逃げられはしない。ならば、多少魔力を割いても問題あるまい…。
そうしてそれは次の策を取った。
一つ上の階層に、作れる罠を片っ端から作って設置していく。
この体の便利なところは、深く考えずとも迷宮核が自動で罠や地形を良いように作ってくれるところだ。
迷宮と一体化して初めて気が付いたのだが、迷宮というのは生物の体のように合理的に作られているようなのだ。
つまり、冒険者は食事で、魔物は消化液だ。
溶けにくい食べ物が入ってきたなら…消化液をたくさんかければいい。
すなわち、スライムの群れで圧し潰す策と、あらゆる罠で確実に息の根を止める策である。
さぁ、早く屍を晒すがいい……。




