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第二十六話 スライム

「うわっ」


すってんころりん。

これでもう何回目だろうか。しこたま打ち付けたお尻がいたい。

進んでみれば、苔色の迷宮はその名の通り、苔むした洞窟の迷宮だった。

全体的に湿っているし、ぴちょん、ぴちょんとそこかしこから水の滴る音が聞こえ、湿った岩&苔はかなり滑る。


「大丈夫かね?」

「うん、ごめん」


謝りつつ、一人で立ち上がる。そう何度も手は借りられない。

ベンは先頭で松明係。

明かりがあるとはいえ洞窟の中は暗い。僕はほんのりと輪郭だけ見える岩の上を歩いているので、うっかり滑りやすいところを踏んでしまうのだ。

テオは僕の頭の上から離れて、近くを隕石を持ってふよふよと浮かんでついてきている。

転んだ拍子に隕石を割ってしまうかもと警戒しているのだろう。


そうして歩き続けて小一時間は経っただろうか、ベンが「うーん」と訝しむように止まった。


「おかしいな…」

「どうかした?」

「どうしたもこうしたも、ここは迷宮だろ?なのに、魔物が出ない」

「ああ、確かに」


フィデスも頷いて辺りを見渡した。


「松明の煙が嫌で逃げているんじゃ?」

「いや、スライムは基本的に反応が鈍い。煙も嫌がって逃げるというよりは、体に煙を取り込んでしまって動きが鈍るって言う方が正解だ」


そうして動きが鈍ったスライムが、天井から落っこちてくるらしい。

でも、そういうのもここまで一切なかったな。


「テオの影響とか?」

「それは否定できないけど、精霊にそんな力があるなんて話は聞いたことがないよ」

「そっかぁ」


じゃあなんなんだろう。

地揺れや崩落もあったし、魔物が出ないのも、気味が悪いな。

探索の始まりも酷いものだったけれど、道中までこうも不穏な影があると警戒してしまう。


氾濫(スタンピード)の後なのだし、数が減っているのではないかね?」

「それにしたって少ないが…まあ、一番妥当なのはその辺かな。………最悪を挙げるなら、迷宮の支配者(ダンジョンマスター)だけど……」

「迷宮の支配者?」

「ああ、聞いたことないか?迷宮を自分のものにした魔術師とか、迷宮核を喰らった魔獣とか。まぁそんなん居たらオレたちじゃどうしようも………ってちょっと待て」


ベンが話を中断して僕らを制止した。

ぞろり、と。松明の向こうに広がる暗闇が蠢いた。

音のない、されど強烈な違和感に、そういう直感に鈍い僕でさえ身を震わせる。


「!?」

「な、なんだ!?」


身構えて闇を凝視する僕らの前に、闇の向こうの何かが、ぬぅん、と姿を現した。

つるりとした表面。半透明な全身。りんご飴のようなフォルム。

聞いていた通りのスライムの形状。

……聞いていた話と違うのは、本来水色のはずの体は鮮やかな赤色をしていること。

そしてその体長が、2mはあろうかという巨体だということだ。


「でっか」


人一人くらいなら簡単に包み込んでしまえそうな大きさの、真っ赤なスライム。

音もなく近付いてくる見上げる大きさの異様な物体には、強い威圧感がある。

明らかに通常のスライムではない。


「まじか、上位種!?苔色の迷宮にこんなの出るはずないぞ!」


苦い顔をしながらベンが短剣(ダガー)を抜く。


「あのー、名前持ち(ネームド)と上位種だとどっちがヤバい?」

「種類によるが、こいつと”森の砲弾”を比べるなら”森の砲弾”の方がヤバいな」


んー、フィデスの答えにちょっとだけ安心。

テオをちらりと見るが、手伝う気があるのかないのか、スライムをじーっと眺めているだけで、判断がつかない。

……さっき見捨てられたし、助けてもらえるとは思わない方が良いかな。


「でやぁっ!」


ベンが短剣で切りつけるも、スライムの体は深々と切り裂かれたもののうにょりとすぐに元に戻ってしまう。

反撃に変形して伸びてきたスライムの腕を躱して、ベンは舌打ちをする。


「ちっ、やっぱ当たんないか」


ベンが狙っていたのはスライムの体内にある”核”と呼ばれる部分だ。

スライムの本体と言ってもいいそれを壊しさえすれば倒せるのだが、赤スライムの中に浮かぶ核は握り拳より少し小さいくらいだろうか。それが自在にスライムの中を漂っているので、当てるのはかなり難しい。


「こいつは持久戦になるぞ」

「はぁ、参ったね」


そう言うとベンは剣に着いた体液を拭うとそのまま納めてしまった。

フィデスは松明を受け取り、ベンは荷物を漁ると……瓶と手袋を取り出した。

え?それでどうするの?


頭に疑問符を浮かべる僕を他所に、ベンは手袋をはめると音がするほど勢いよく、瓶をスライムに振るった。

ばしゃ、とスライムの体が跳ね散る。が、やはりスライムには打撃も斬撃も効かず、元の形に戻ってしまう。

剣よりは表面積が増えるから核にも当たりやすいかもしれないけど、あんま意味ない気がしますよ!?


「ベンさん、何やってるの!?」

「え、スライムの対処法だけど?」


きょとん、という感じでベンが答える。

え?それ、正攻法なんですか?


僕の疑問を他所に、ベンはスライムが伸ばしてくる腕を器用に避けながら、何度も瓶を振るっていく。

フィデスは松明を突き出し、煙でスライムを燻そうとしているが、効率は悪そうだ。

スライムの動きはのったりとしているので二人には全く掠らないが、二人も腕を避けながらちまちまと攻撃しているのでまるで変なオブジェの前で踊っているかのようだ。

なんだこれ。とても魔物と戦っているとは思えない光景だぞ?


しばらくして、ようやく僕にもベンが何をしているのかわかった。


「あ、スライムが小さくなってる?」


気付けばスライムの大きさが、なんとなく縮んでいる気がする。

……そうか!瓶で殴っていたのは、核を狙っていたんじゃなくて、瓶で掬ってスライムの体を減らしていたのか!

スライムが流体の魔物と言えど、周囲の水を吸ったからって体が大きくなるわけではない。

体積が小さくなれば、核も狙いやすくなる。

………それはわかる。それはわかるけど!


「地道過ぎやしない!?」

「だから言ったろ、持久戦になるって!」

「巨大スライム用の対策道具は持ってきていなくてね、仕方がないのだよ」


どうやらこれは通常サイズのスライム用の戦法のようだ。

通常のスライムは全長も30㎝程なのでこの戦法でもすぐ終わるのだろうけど……このスライムを相手にしていては何時間かかることやら。


ぼ、僕も手伝った方がいい?


「素人が手を出すのはやめとけ、こいつの体は強烈な酸だ。人くらい軽く溶かすぞ!」

「ひええ」


ベンの忠告に僕の動こうとしていた足が止まる。

映画で、酸を浴びて溶けかけた人が出てくるシーンを思い出してしまった。小さい頃のトラウマシーンである。

誰だって溶けてどろどろになりたくはない。


「テオ、どうにかならない?」

『んお』


ダメ元でテオに聞いてみるも、やはりそっぽを向かれてしまった。

じゃぁこれ本当に待ってるしかないやつ?

フィデスも腕を上げ続けるのは辛そうだし、長引かせるのは僕としても心苦しい。

でも酸は怖いし…。


前に学校でやった実験で酸が服に着いちゃって、穴が開いたことがあったな…。

マジで溶かすんだって、あの時もちょっと怖くなったっけ。

……ん?酸?


僕の脳裏に閃くものがあった。

もしかして!と慌てて荷物の中を探る。………これならいけるんじゃなかろうか?


「ちょっと試したいことがあるんだけどいい?」

「何をするつもりだ?」

「…これを、投げるっ!」


ベンもフィデスも、僕が投げるのに合わせてさっとその場を飛び退いた。

僕が投げたそれは放物線を描き、スライムは避けることも無く受け止める。

じゅう、と溶ける音が響き、直後、スライムはぶるりと体を震わせると、下半分がただの水に変わってしまったかのようにばしゃりと崩れ、粘性を失くして床を流れていった。


「え!?なにしたんだ!?」


おお、思ったよりも効果抜群だ!

僕の投げつけたもの……それは、魔獣除けの残りの()だ。


「ただの灰?」

「そう。灰なら大体なんでもいいと思うよ」


水たまりの中、半分以下になってしまったスライムがもぞもぞと慌てて体をかき集めるように触腕を動かしている。

が、体が元に戻ることはなく、虚しく触腕が水の中をべちべちと撫でる。


「いったい、どうしてスライムがこんなことになっているのかね?上位種のスライムが、灰程度で…」

「えーと、こっちの世界の科学がどこまで進んでいるかわからないけれど…」


日本では中学でもやる内容だけど、それがこちらの世界ではどれだけ一般的なものかわからないな。

とりあえず僕は、酸とアルカリ、つまり塩基の説明をすることにした。


「………で、スライムは強い酸なんでしょ?灰はアルカリ性だから、スライムの体を中和させた、ってこと」


こんな簡単な方法で、と思わなくもないけれど、冒険者は魔獣除けを持ち歩かないし、スライムは迷宮の魔物だから魔獣除けを使う一般人は出会わないし、今まで灰が弱点だということがわからなかったのかもしれない。

もしかしたら地球とは原理が違うとか、酸って呼んでるだけで実は違うものかも、って思ったけど、上手くいって良かった。

酸性じゃないスライムもいたりするのかな?種類によっても違うのかもしれないな。

スライムには灰が弱点、と一概には言えないかもしれない。そこも踏まえて説明すると、ベンの目は点になっていた。


「は、はぁ……?」

「むぅ、つまり、体を構築している液を変質させることで制御できなくした、ということかね?」

「?…???…ん、うん。たぶん、そういうこと、かな?」


首を捻っているベンよりもフィデスの方が理解してそうだが、こちらの世界のスライム学は僕にはよくわからない!


「つまり、スライムが自身の体として認識、制御できるのは”酸性の体液”ということだ。その性質を灰を使って変えてしまったから、スライムにとっては体が勝手に切り取られたようなものだろうな」


そんな感じ!

まぁ、そこまで想定していたわけではないけど!

本当は、酸性が少しでも中和されれば僕でも危険少なくスライム退治に参加できるかなって思っただけだ。

思っていたより覿面(てきめん)の効果が出てこっちがびっくりしているくらいである。


フィデスの説明に、ベンも首を捻りながらもなんとか頷いている。


動けなくなってもまだ通常種より大きいスライムは、更に残りの灰を掛けると通常種と変わらないサイズにまで小さくなった。

大きな核がほとんどむき出しになっていて、もはや狙いをつけずとも当たるだろう。


「これなら簡単だな」


ベンがスライムの核を、ダガーの柄で軽く小突く。

ぱきり、と核が割れるとへばりついていた残りの体液も粘度を失ってどろりと流れていった。

割れた核の中からは、小さな魔石がころりと転がり出てくる。


「すげーな、ユート。こんな簡単にスライムが倒せるなんて思ってもみなかったよ」


ベンに褒められた。初めてじゃない?

そうしてやっと実感も湧いてきた。そうか、このスライム、僕が倒したんだ。

切った張ったをしたわけではないので実感が湧き辛かったけれど、これ、僕の初めてのまともな戦果なんじゃない?

王都の訓練で魔獣を狩ったことはあるけれど、その時は騎士が弱らせた魔獣にとどめを刺す感じだったから、お世辞にも自分で倒したとは言えなかったし。

そう思うと、なんだか心の底からふつふつと喜びが湧き上がってきた。


討伐。討伐!

異世界に来てもうすぐ二年。初めて自分の力で魔物を倒したんだ!

しかも、上位種のスライムを、である。これはもう”俺ツエー”始まっちゃうんじゃない?


「しかし、斬新な倒し方だったな。帰ったらギルドに情報を売るのもアリだな」

「見直したよユート君。案外錬金術に精通しているのだね」


そうか、そういった稼ぎ方もできるのか。

そして、錬金術。こ、これは、科学チート来たか!?

…あ、でも僕そんなに科学の成績よくないんだ…。

次に科学チートが日の目を見るのはいつのことになることやら…。


ちょっとだけ自信をつけて、僕らは迷宮の奥へと向かった。

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