第十八話 対峙
「……なんかやっぱ、ちょっとおかしい」
林を歩き始めてしばらく、ベンが眉間に皺を寄せて言った。
一体なにがおかしいんだろう?
僕にはそもそも、林が数日でできてしまうことがおかしいから、他に変な点があっても気付けないけど。
ベンは近くの木々の様子を見て、訝し気な顔をする。
「食い荒らされた跡がある」
「異常なほどに、かね?」
「そう言われると微妙だけれど…魔獣の数はまだ少ないはずなのに、草木の捕食痕が多い」
「どういうことです?」
ベンは顎をさすって、しかし「まだ断定は……とにかく急ごう」とだけ言って速度を上げた。
僕とフィデスは慌ててそのあとを追う。
もはや歩きというよりちょっと早いジョギングのペースだ。つら!
「一応説明すると。これまでの道から見える範囲でだけど、結構な数の草どころか、樹皮まで食いちぎられてた。あれは鹿とか動物のものじゃない。恐らく魔獣のものだ」
「わ、わか……」
「そんなことがわかるのかね?」
「(こくこくっ)」
喋ろうと思ったけどこのペースで歩いてたら無理だ!
察したのか、引き継ぐように質問したフィデスに頷いて返す。
「根こそぎ一気にいかれてる株が大量に。あれが一口で食える口のサイズ。食われてる量。そこから考えると普通の動物にはできない」
「なるほど。大型の魔獣がいる、ということだね?」
「そういうこと。……ねぇ、ちゃんと魔獣除け炊いてるんだよね?」
「…! (こくこくっ)」
僕は未だもうもうと煙を上げる香炉を取り出して見せた。
「もしかして、呪いって魔獣除け効かない?」
「………」
………実を言うと、効いている自信はない。ただの気休めである。
流石に、昨日あれだけ襲われたし、今月分は打ち止めであって欲しいけれど。
でもこれが効かないと僕としてはお手上げなので、効いていると信じたい。
無言になってしまった僕に胡散臭げな目を向けるベン。
ああ、そんな目で見ないでっ!
「もうこいつ置いてった方がいいんじゃないの?」
「それは私が困るのだよ。私が表舞台に帰るには彼の協力は不可欠なのでね」
「魔獣に殺されるか追手に殺されるかの違いじゃないのか?」
「ふふ、そう言いつつも彼を置いていかないペースで走っている君も、私は好きだよ」
「!? そ、そんなんじゃねーしっ!ていうかあんたがオレに好きとか言うな!オレにそういう趣味はない!」
「別に性的な意味で好きとは言っていないのだが?」
あのー、人の前でイチャイチャしないでくれませんかー?
なんか余裕そうなフィデスと、怒りなのかなんか顔を赤らめてるベンを見てると腹立ってくる。
守られてる僕が言うのもなんなんだけど!
やばげな魔獣がいるって話してたんじゃなかったんですかね!
「なんであんたはオレにばっかりそんなぐいぐい来るんだ!あっちを狙え、あっちを!」
「ムノー君は私に対して隠し事が無いからつまらないのだよ」
「はぁ?じゃあオレは何を隠してるって言うんだよ」
「その、いつも抱えているカバンの中身、とか?」
「!!」
ベンが走るペースを乱し、明らかに狼狽えた。「これは、その…」としどろもどろになっている。
そういえば確かに、ずっとそのカバン抱えているよね。
言われてみると僕もその中身が何なのか知りたくなってきた。
「な、なんだっていいだろ!」
「うむ、なんだっていいとも。私はそうした秘密を、本人が自分の意思で開示してくれる瞬間が大好きなんだ。ぬいぐるみ収集…整形…異教崇拝…色々な素敵な秘密をこれまで見てきた」
変な癖だな……。秘密主義の貴族に興味を持つわけだ。
隠し事の無い僕のことは本当に護衛対象くらいにしか思っていないわけね。
性格も若干の裏表がありそうなベンは、フィデスの秘密センサーに引っかかってしまったのだろう。
南無三……。
と。
「………おい、あれって」
「まさか……」
なにかを見つけたらしい二人が、表情を硬くする。
二人の見ている方向を目を凝らして見てみると、なにか木片のようなものが幾つも、街道の途中に落ちているようだった。
木陰に隠れてよく見えないが、人より大きいものから小さいものまで。
ちらほらと布切れが散乱しているのも見える。
近くまで来てみてようやく、それが何なのか判別がついた。
「こ、これは……馬車?」
馬車、だったものだった。
荷台の前方を残して粉々になっていて、原形を想像するのは難しい。
近くには積み荷だったのだろう瓶や木箱が壊れて散らばっている。
散乱していた布切れは幌が無残に千切られた後だった。
一体何があったのか。
なんにせよ、こんなことは人間業ではない。
背筋を冷たい汗が伝った。
「乗っていた人間は逃げたようだな。よく躾られた馬だ」
フィデスが落ちていた馬具と地面を見て言う。
きちんと留め金が外されていて、街道には人と馬の足跡が先へと続いている。
血の跡も臭いも無いので、全員無事に逃げられたかもね、というのがベンの見解だった。
良かった。死者は出ていないかも。その事実に少しだけ胸を撫で下ろした。
「それにしても、どんな奴に襲われたんだ?これは…」
ベンは馬車の損壊具合を検分しながら腕を組む。
馬車の荷台は腕より太い木材も沢山使われている。
それらが無残に真っ二つにへし折られていた。
その様は何度も攻撃を受けたというより、一撃でへし折られたという感じだ。
そんなの、まるで砲撃でも受けたかのようじゃないか。
こんな林の中で?
頭を捻っているところに、けたたましい咆哮が響き渡った。
思わずびくりと身を竦める。
周囲にはまだ何も見えない。
「……なんにしても逃げよう!」
賛成。
僕らは馬車を放っておいて足早に退散することに決めた。
「こ、この林……まじゅ……」
「魔獣はあまりいないはずではなかったのかね?」
「(こくこくっ)」
だめだ、まだ息が切れててまともに話せない。喋るのはフィデスに任せよう。
ベンは走りながら、険しい顔をして周囲を見渡している。
林はまだ半分進んだかどうかといったところだ。抜けるにはまだまだ時間がかかる。
「いないはずなんだけどね……もしかしたら、たまたま近くに大型の魔物がいて、早々に移り住んできたのかもしれない」
「ここは平原の真ん中にできたばかりの魔力溜まりだぞ?そんなところに大型の魔獣が移住してくるのは………大型の魔獣?」
何かが引っかかった。
大型の魔獣。
テオのインパクトでちょっと忘れかけてたけど、最近そんなものに、縁があったような。
「……まさか?」
「………そのまさか?」
「……!?(ぶるぶるっ)」
二人してこっち見ないで!?僕は何か仕込んだりしてるわけじゃないんです!
恨むなら僕を呪った神様と、僕を追放した宰相を恨んでください!
僕は首をぶんぶん振って僕のせいじゃないアピールをした。
「どうするよ、また担いで走るか?」
「それがいちば………避けろっ!」
唐突にフィデスに突き飛ばされた。
走っているのを押し戻される形だったので、壁にでも激突したような衝撃が肺を襲う。
思わず「ぐえっ」と声が出る僕の目の前を、深緑色の見覚えのある巨体が横切って行った。
苔むしたような毛深い体に、立派に育った牙。大きな身体と、それを支える細くて短い脚。
………まじすか!本当に”森の砲弾”さんだ!
ところどころ、昨日コメータの衛兵たちから受けたのだろう傷や、折れた矢が刺さっていたりしたが、その巨体は変わりなく、小屋が動いているのではと思うほどだ。
いや、昨日より少し大きくなっている気もしなくもない。
怒っているせいで気迫でそう見せられているだけだろうか?
「早く背に!」
上手く避けていたフィデスが戻ってくると僕の手を引き、強引に担ぎ上げる。
これ、酔うんだけど、贅沢は言っていられない。
振り返れば、猛った”森の砲弾”は木々を木っ端みじんにして進んでいく。
昨日より元気そうじゃない!?
「あいつ、ヌシを喰らいやがったな!」
「元気満タンって感じだね!」
どうやらここのボスを倒してこの魔力溜まりを支配下に置いたらしいとのこと。
それであんなにパワフルになったのか。
林を作っちゃったり魔獣をムッキムキにしたり、魔力ってほんと凄いな!
ブレーキの効きもよくなったのか、昨日よりも短い時間で軌道修正してくるとこちらに突進してくる。
一日でそんなにブラッシュアップしてこないでください!
「これは厄介だな!」
再度避けて見せたフィデスが、珍しく額に汗を浮かべている。
煙幕は昨日ほとんど使い切ってしまって残り少ないそうで、ベンは荷物から見たこともない道具をいくつか出しては"森の砲弾"に投げつけていた。
いずれもぽふんぽふんと軽い音を立てては、中から細かい種が飛び散ったり顔に張り付いたりして時間を稼いでいる。
サポーターって色んなもの持ってるんだなぁ。
「林を出よう!ここが新しい奴の縄張りのようだが、魔力溜まりを出てはあの膂力を維持できまい!」
「それは賛成だけどっ!できるかな!?」
林を抜けるまでこれをずっと繰り返すの?できるのか?
林の端までは二人が全力でまっすぐ走ったとしても三十分はかかる。
”森の砲弾”を避けながらでは倍以上の時間がかかるだろう。
林は木がまばらで見通しが良く、草叢も隠れるには心許ない。
昨日と違い身も隠せず、煙幕も無しに、それだけの時間逃げられるのだろうか。
「……キツイな」
「じゃあ、どうするよ?」
なにか、なにかないか?
倒す方法?いや、逃げる方法?
今ある道具は?僕らには何ができる?
また背後で木が砕ける。
牙は強靭で、頭は強固。毛皮も厚く、剣は生半可な力では通らなさそうだ。
頭に飛び乗って目を剣で突くことも考えたが、突き刺す前に木に突進されてぺしゃんこになってしまうだろう。
昨日のようにあの突進に耐えられる大木は、この林にはまだ育っていない。
だめだ、あれをどうにかできるとは到底思えない!
「…………なぁ、あんた地面を操る魔術使えるって言ってたよな?」
「言ったが、あれをどうにかできるほど威力の高いものは無理だぞ!」
「いいから詳細教えろ!んで、耳貸せ」
なにか打開策を思いついたのだろうか、ベンがフィデスと耳打ちを交わす。
それを聞いたフィデスの顔が盛大に渋くなった。
「マジでそれやるのかね?」
引くわー、って言ってる!顔がドン引きしてる!
「仕方ねーだろ!これしか思いつかないんだから!オレだって危険な目に遭うの!死ぬかもしれないの!」
「ううむ……しかしそれには、彼の協力が不可欠だがね」
ん?僕?
ヤバめな匂いがぷんぷんしてるけど、僕に何をやらせようと?
「なぁ、勇者様。少し危険な目に遭うのは確かだが、これにはあんたの協力が必要なんだ。頼む!」
「私からも頼む。埋め合わせは後でいくらでもしよう」
全面的に僕は二人におんぶに抱っこという状況で、なおも頭を下げられる。
う~ん、まぁ、そこまでされたら無下にはできないよねぇ~。
「……死ぬわけじゃないのなら、僕も協力させてください」
二人に頼り切るだけでなく、僕にもできることがあるのなら、役に立ちたい。
そう思って僕は覚悟を決めて頷いた。
「ぎゃ~~~~!!死ぬぅ~~~~!!人殺しぃ~~~っ!!」
数分後、ロープでぐるぐる巻きにされて森の中に放置された僕はその覚悟を後悔した。