第十一話 召喚
時間はほんの少し前に遡る。
王都の貴族街の一角に、大きさこそあるものの妙に閑散とした屋敷がある。
以前は魔術の名家としてスぺキア中に名を馳せた伯爵家の屋敷だが、先代当主の代からどうにもツキがなく、やることなすこと裏目に出て没落の一途を辿っていた。
そのせいで家財の殆どを売り払い、使用人も解雇し、これ以上は屋敷を売り払って貴族街の隅で小さな家屋を買うしかないという状態だった。
とはいえ魔術の名家の屋敷である。
人に言えない研究の一つや二つは行える程度に、地下室だの秘密の部屋だのといった隠し部屋はいくつも作られていた。
カウサ伯爵が研究を行っていたのも、その中の一つ。
「はは、できた…完成したぞ!」
暗い部屋の中に哄笑が響き渡った。
高笑いを続ける男、カウサ伯爵の足元には巨大な魔法陣と、それと連結する小さな魔法陣が幾つも描かれている。
魔法陣からは触手のように模様が何本も這い出して壁に伸びていて、その壁には幾人もの人が鎖に繋がれていた。
捕らえられた彼らは一様に、耳が長かったり体毛が長かったりと、普通の人間とは違う部分があった。
亜人、と呼ばれる人々である。
彼らの瞳に、生への希望は無い。
「今夜は雲一つない。この儀式を行うには絶好の夜だ。まさに神が、私のことを祝福している証!これで我が国は世界を手に入れるのだっ!」
幾重にも張り重ねられた設計図。焼け焦げや灰になった何かの山。使い潰して枯れた魔石。
ここまで辿り着くために積み重ねた努力の跡だ。
それらもこれから、栄光への礎に変わるのだ。
「そんなことはさせない」
「!?…誰だっ!?」
不意に響いた乱入者の声に、戸惑うカウサ伯爵。
慌てて振り返ると、隠してあったはずの扉が開け放たれ、鎧姿の人影が幾人もなだれ込んできた。
あっという間にカウサ伯爵は周囲を囲まれ、突き出された抜身の剣が周囲にずらりと並ぶ。
鎧姿の集団、その先頭に立つリーダーと思しき人物が進み出て言った。
「カウサ伯爵。貴殿を国家反逆罪で捕縛する」
「騎士団!?な、何を突然!これが反逆だと!?これは国益に繋がる研究だ!私を捕縛するなど、それこそ国に損害をもたらす反逆であるぞ!」
「それが国益には繋がらないから、捕縛するのです。異論があるなら審問の際に専門家たちと問答されよ。……神霊の召喚など、可能と思うてか」
吐き捨てるように鎧の人物、騎士団副団長は言った。
まさか王都勤めのエリートである自分が、このような馬鹿を捕縛する仕事をさせられることになるとは思わなかった。
ただでさえ朝っぱらから魔獣の襲撃に勇者の捜索、宰相閣下のご機嫌取りと散々忙しかったのに。
先程城に帰還したという騎士から調書を取る仕事も残っている。
全く、次から次へとキリがない。頭が痛くなる。
そう思っても顔にも口にも出さず、副団長は表情硬いまま淡々と指示を下す。
滑るように走り出た部下たちがカウサ伯爵の身を拘束した。
カウサ伯爵が行おうとしている魔術の大体は、予想ができていた。
自然の力の化身である神霊の召喚。それを使役する。
神霊というものが本当に存在するのかは眉唾だが、もし実在するのならそれは平地を山に隆起させ、砂漠に海を作り、星々を地に降らせることも可能な、危険、いや、地上に存在してはならない存在だ。
しかし、使役、それが実現するのならばそれは確かに国の利益になるだろう。
だが、それが如何に難しく、愚かしいことかは歴史が証明していた。
ある国では領地が一つ炎に飲まれて消えた。
スぺキアでも過去、水の精霊を使役しようとして街が海に沈んだ。
魔術に長ける森人ですら、自身の国を半壊させる被害を出した。
神々の怒りを買ったのだというものもいるが、大概は魔力の暴走による自爆だろうとされている。
なんにしろそんな危険を孕んだ術が、こんな場所で、こんな設備で成功するはずがない。
それを王都の地下で行おうとするなど、正気の沙汰ではない。
下手をすれば王都が地図から消えるのだ。そんなことを企む者など、もはやテロリストである。
力を渇望する高位貴族や王族と言えど、こんな爆弾を抱える真似はすまい。
恐らくは己の力を誇示しようと一人で突っ走った愚か者だろう。そう副団長は思った。
実際、カウサ伯爵は人間の中では優秀な魔術師の家系だ。
それがここ二代に渡って目覚ましい成果を上げられないでいる。
没落貴族と呼ばれるようになって久しく、じきに爵位を剥奪されるだろうというのはよく聞く噂だ。
故に、一発逆転を狙ってこのような行為に出たのだろう。
彼の周囲に黒い噂が立ったのは少し前のことだ。
人間の国家であるスぺキアではありえない、亜人奴隷の買い付けが数件。大量の魔術素材の発注。国立図書館に入り浸り、返却期限を守らず滞納が相次ぐ。
不健康に痩せてもなおギラギラと光る瞳から、何かをしようとしているのは明らかだった。
それも研究ではなく、実践をしようとしている。
呪いの勇者が魔術に影響を与えるというのは、実は以前からいくつか報告があった。
その歯止めが消えた今、いつ事を起こすかわからないと踏み込んでみればこれである。
全く馬鹿な真似をするものだ。
副団長はこの捕り物をいつものように処理するため、前に進み出た。
「貴殿も貴族なら、大人しく投降することだ。これ以上醜聞を広めたくあるまい」
「醜聞!醜聞だと!?私が聞くのは賛美だ!凱歌だ!それが今にわかる!!」
「貴様っ!?待てっ!」
カウサ伯爵は醜く顔を歪めると、突き出された剣で腕を裂かれようと気にも留めず、止める間もなく魔法陣に手を突いた。
(まだ魔法陣が正常に動くかの試算もしていないだろうに、起動するなど馬鹿か!?)
人が口頭で呪文を唱えたり、イメージで魔術の形を補正する通常の魔術と違い、魔法陣は刻まれた魔術文字に忠実に働くため、術者が思いもしなかった動作をすることが多い。
そのため、完成したと思ってもきちんと動作するかどうか、何度も計算を重ねたうえ、安全装置を付けて試運転するのが当たり前なのだが…カウサ伯爵は窮地を脱するため、それもせずに魔法陣を起動させた。
途端に、禍々しい光が周囲に迸る。
それに弾かれ、騎士は拘束を解いてしまう。
「ふふふ、ふふはははは……っ!」
「馬鹿がっ!」
壁に繋がれた亜人たちが一人、また一人と急速に年老いるように萎み、ミイラ化していく。
そして彼らの命を糧に、魔法陣は動き始める。
異様な気配が周囲に満ち、副団長は背筋の毛が逆立つのを感じていた。
これはおおよそ、人が手出ししていいものではない。
巨大な魔法陣が輝きを増し、小さな魔法陣まで輝きが伸びていく。完成するまで、そう時間はない。
と、その時だった。
「ふはは……はっ…がはっ!」
カウサ伯爵が苦悶に顔を歪めた。
「な、何故だっ?生贄の数は足りているはずだ、何故私までっ…!」
「当然だっ!街を、土地を一つ滅ぼす存在だぞ!亜人とはいえ十数人捧げた所で、足りるものかっ!」
壁に繋がれた亜人たちは、既に全員干からびていた。
足りない魔力を未だに徴収しようと、魔法陣はカウサ伯爵から魔力を奪っているのだ。
このままでは魔術は中途半端に発動して、何が起こるかわからない。
…こうなったら、魔法陣の指示を書き換えるしかない。
副団長は頭の回転が速かった。
彼は騎士であったが、名門の嗜みとして勤勉であり、魔術の知識も十分にあった。
何もしないまま惨事を待つより数百倍マシだ。そう考えると同時、魔法陣を読み解きにかかった。
と言っても全文を読むわけではない。
必要なのは何をどこに呼ぼうとしていて、周囲のまだ輝いていない魔法陣は何なのか、という部分だけ。
「言え、一体なにを呼ぼうとした!」
「ほ…ほし……夜……そら……」
「……本当に馬鹿だなっ!そんなものがいたとしても、小精霊といえど人間の手に負えると思ったのか!……これだ!」
微かに聞こえたカウサ伯爵の声から当たりをつけると、書き換えなければいけない文言を書き換えていく。
魔力が既に無くなっているというのにまだ徴収しようというのか、魔法陣からは不気味な暗黒の触腕が伸びてカウサ伯爵の体に絡みつき、血の一滴すら搾り取ろうとするかのように捕らえて放さない。
その様子に副団長は息を飲んだ。
魔法陣には本来、そんな機能があるはずもない。
これは呼び出されようとしている存在が、魔法陣を通して代償を請求しているのだ。
(ま、まさか、神霊がこれを行っているというのか?本当に、そんなものが、存在するというのか?)
だったら尚更不味い。
そんなものが地上に召喚されたらどうなる?魔王以上の災厄になるのは間違いない!
まずは召喚する場所をずらさなければ。王都が吹き飛ぶ、それだけは避けなくてはならない。
座標を書き換える。書き換えた先がどこかはわからない。とりあえず、ここでなければどこでもいい!
「次は…あれが対象か!」
目を上げて、魔法陣に刻まれたその名前を見ると同時、頭を抱えた。
そこには、神話に登場する世界が生まれた時から存在するという古の精霊の名が刻まれていた。
そんなものを呼んだら、座標をずらしたとて世界が滅びてもおかしくない。
「た…す…」
「!」
曲がりなりにも名門の血筋だったのだろう。予想よりも幾分か耐えたが、ついにカウサ伯爵が干からび切って崩れ落ちる。
時間がない。副団長は剣を振り上げると、思い切り投げつけた。
それが見事に精霊の名の一部を削り取ると同時、カウサ伯爵の最期の残滓が地面に溶け、魔法陣が発動した。
爆風のように巻きあがる魔力に、その場にいた全員が意識を刈り取られる。
その直前、副団長は神に祈った。
どうか王都が無事でありますように。家族が無事でありますように。
………なんであの疫病神がいなくなったというのに、こんな事件が起こるのだろう。
そんな恨み言も連ねながら、意識を失った。