序
赤い光の中に、自分の影だけがポツンと落ちている。
クラスメイト達は、みんなもう親に手を引かれて帰っていった。『夕暮れまでには帰ってきなさい』と言われて解き放たれていた悪ガキ達さえ、その言葉を守ってもうここにはいない。
手を引かれることも、その言葉を掛けられることもない自分だけが、ポツンと誰もいないグランドに立ちすくんでいる。
クラスメイトは、この場にいない方がいい。いなければ、虐められることもない。自分を偽る演技をする必要もない。
一人でいた方がずっとずっと気が楽だ。
「……────」
だというのに、この胸の痛みはなんなのだろう。
自分も、帰らなければならない。授業参観に参加するために仕事を休んだ母はもう家にいるはずだ。今日は帰っても一人じゃない。
それに、夕方には悪さをしてくるヤツが増える。やつらに見つからないように、早く家に帰らなければ身が危ない。
……分かって、いるのに。
キュッと、ランドセルの肩掛けを握り締める。足は一向に動き出そうとはしなかった。
「……────」
母は、親としての義務だけを果たして、千佳子に声を掛けることさえなく一人で帰っていった。だから千佳子はずっとここにいる。
ゾロリと、血のように赤い日差しがどす黒さを増していく。その中に自分にしか視えない影が躍っているのを視た千佳子は思わず体を強張らせた。影が赤い光の中を伝って千佳子に手を伸ばしてくるのに、千佳子は逃げ出すことさえできない。
「千佳子ちゃん」
その瞬間、千佳子に爪を掛けようとしていた影がパッと散った。
「千佳子ちゃん、どうしたね? 帰りが遅いから、心配したんだよ」
その声にハッと顔を上げる。
いつの間にか、自分に声を掛けてくれる人が目の前に立っていた。
「さぁ、帰ろう。今日はばあちゃんも一緒にお夕飯を食べていくからね」
「おばあちゃん……」
「大丈夫だよ、なぁんにも怖かない。ばあちゃんが一緒だからね……」
乾いた、少し冷たい手が自分の手を取る。その手を千佳子は必死に握り締めた。足が弱くなりつつある祖母の歩みは小学生の千佳子よりも遅くて、千佳子は祖母に合わせてゆっくりと足を進めていく。
ゾロリと赤い夕焼けが、色を濃くして黒に染まっていく。
それでも隣に優しい手があったから、千佳子は何も怖くはなかった。
ただ少しだけ、心にチクリとした物が残っていただけで。