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 花は、散るからこそ美しい。


 伯母がそう言っていたのを、玉藻(たまも)は覚えている。


「玉藻様、終着至極にございます」


 神々しい桜によって作り出されていた異界か消え、夜の公園の風景が戻っていく様を見上げていた玉藻は、密やかに聞こえてきた声に視線を下げた。


 振り返ればそこに、狐火が灯る提灯を手にした(げん)が控えている。(やしろ)(もり)として残してきたのだが、わざわざここまで迎えに来てくれたらしい。


「……源、目星をつけていた殺生石があの辺りに落ちておる。回収してくれぬか」

「は、しかし……」

「お前が触れても大丈夫なように封じは掛けてある。……さすがにここにこれを放り出しておく訳にはいかんでな」


 腕の中でくず折れた千佳子(ちかこ)を示すと、源は恐る恐る玉藻の視線が示す場所へ動きだした。余程怖いのか、袴から飛び出た尻尾が毛羽立っている。


 それも無理からぬことだろうと、玉藻は思う。


 そもそも源が何の警戒もなく気軽に触れられるような代物であったならば、一族の(おさ)である玉藻がこうして直々に現場に出向いてくる必要がそもそもないのだから。


「た……玉藻様、ありました。間違いなく、殺生石でございます」


 そんなことを内心だけで思っている間に、源は玉藻が示した辺りから戻ってきた。差し出された源の肉球がついた手の平に視線を落とせば、黒い輝石の欠片(かけら)が乗せられている。


 玉藻があの瘴気(しょうき)を狐火で焼き払った後、最後に残された物だ。瘴気が凝縮されて作り出された欠片は、いまだに内面でユラユラと微かに気配を揺らしている。


 これこそが、今回の怪異を引き起こした諸悪の根源。


 そして玉藻が己を『白玉(しらたま)稲荷(いなり)の御祭神』と()()()この地へやってきた理由でもある。


 玉藻はおっかなびっくり殺生石を差し出す源の手から無造作に欠片を取り上げた。月明かりにかざすと、瘴気の揺らぎがはっきりと見える。


「……これで、ひとつ」


 玉藻はあらかじめ、源を通じてこの桜が起こす怪異のことを知っていた。そして十中八九、その原因が桜に取り憑いた殺生石の破片にあるということも知っていた。


 だからこうして動いた。恐らくあの人間の願掛けがなくとも、遅かれ早かれ玉藻は自主的にこの桜の怪異に関わることになっただろう。


『みんなの信心を集めたいんでしょっ!? この土地に生きてるモノも、ただ存在しているだけのモノも、全部ひっくるめて救えてこその土地神様なんじゃないのっ!?』


 瘴気の揺らぎを通して今宵の月を見上げていた玉藻の耳に、ふと先程叩き付けられた言葉がよみがえった。


「……狐の言葉を()に受けるとは、(ぬし)も愚かよの」


 那須野で討たれた玉藻前(たまものまえ)は殺生石に姿を変え、その殺生石は後に玄翁(げんのう)という和尚(おしょう)の手で粉々に砕かれた。


 玉藻が集めているのはその殺生石の欠片(かけら)であり、人々の信心などではない。


 ──全ては、玉藻前(伯母上)復活の為に。


 悪しき存在としてかつての族長が討たれた玉藻狐族は年々数を減らしており、強い力を持った狐自体も極端に数が少ない。そんな玉藻狐族にとって、強大であり、かつての絶対的な栄華の象徴である玉藻前は神にも等しい存在だった。


 一族の滅びを目前にして取った起死回生の一手が、『全国に飛び散ってしまった殺生石の欠片を全て回収し、玉藻前を復活させる』というものだったくらいには。


 しかし欠片となっても激しい負の念を宿す殺生石は、並みの狐では扱うことができずに逆に取り込まれてしまう。


 新しく族長として立てられた『白狐の玉藻』は、そんな殺生石を扱うことができるだけの力がある、玉藻狐族では稀有(けう)な存在だった。言い方を考えなくても良いならば、最後の一匹と断言してしまっても過言ではない。


 だから玉藻は(おさ)と呼ばれる身の上にありながら、全国を津々浦々、長い時間をかけて殺生石の欠片を求めて渡り歩いてきた。


『人々の信心を集めて玉藻狐族の地位を向上させるため』という言葉は、そんな自分の経歴を偽るために用意した方便にすぎない。


 だから本音を言ってしまえば、この町の人間にどう思われていようとも玉藻には関係がない。玉藻の本心からしてみれば、千佳子が叩きつけてきた言葉はまったく場違いもいい所な代物だったのだ。


「狐は、人を化かすモノ」


 信心を集めるというのも嘘ならば、土地神としてやってきたというのも嘘。


 勧請されたというのも嘘ならば、神になれる素養すら、そもそも自分にはない。


 玉藻狐族の長というのもただ祀り上げられて押し込められただけで、実質己の身の上は一族の奴隷だ。『玉藻』という名は、その奴隷につけられた首輪でしかない。


「……源」


 そこまで思いが至った時、玉藻はポツリと言葉をこぼしていた。


「わしは、後どれだけわしでいられる?」


 玉藻前の復活。


『玉藻』という名の奴隷は、一族の悲願を叶えるために用意された贄だ。


 族長の座はいずれ『玉藻』を形代(かたしろ)として復活する伯母のためのもの。何色にでも染まる白狐の九尾として生まれ、那須野で伯母が討たれた時から、玉藻は『己』を示す名前を口にすることは許されなくなった。


 だから、形代でしかない自分は、土地神などにはなれない。むしろ神がいなくなった社を勝手に住処(すみか)にしている分、妖である野狐(やこ)と呼ばれた方が正確だろう。


 玉藻は殺生石に向けていた視線を傍らへ落とした。急な問いを向けられた源は玉藻を見つめたまま凍りついたように唇をわななかせている。


 その様を見た玉藻はフッと表情を(やわ)らげた。


「つまらぬことを訊いたな。忘れよ」


 ──そんなことを問うてみた所で、何も変わりはせね。……変えたいとも、思えぬ。


 この町へ至る以前に砕けた殺生石の欠片は九割方集まった。恐らくこの町が、玉藻が『玉藻』でいられる最後の場所になるだろう。


 残された時はわずかで、玉藻はそのことに何の感慨も抱けない。


「帰るぞ、源。社への道を繋げよ」


 そのように育てられ、そのように崇め奉られ、そのように生きてきた。


 この流れに、今更どう逆らうと言おうか。


 目の前まで迫った未来が予定調和すぎて、何が不満なのか、どう(あらが)っていいのかさえ分からない。そうあるべきであるように、物事は進み続けている。


 ……ただ。


「……」


 玉藻は腕の中にいる千佳子を見下ろした。


 目の際に涙を浮かべているくせに、千佳子の口元は緩く弧を描いている。その様は幸せそうに笑っているようにも見えた。


 ──ある意味、似た者同士、よな。


 多分、己がそんな状況にあったからこそ、玉藻には千佳子が真実『死』を望んでいるわけではないと、分かってしまったのだろう。


 殺せと言って泣き、それを拒否すれば怒る。何でもないことで笑い、何でもないことで驚く。コロコロと表情を変えて一生懸命生きているように見えて、時々表情と内面がすれ違っていると思える時もある。


 死にたくもない癖に、死を思うことで別の感情を誤魔化そうとしている。


 この桜が花を付けていた夜に、玉藻の尻尾に落ちてきた、まだまだ小さくて不思議な、頑是(がんぜ)なきヒトの子。


 ──見鬼(けんき)の目は殺生石の回収に役に立つかもしれぬと思うて拾ってみたが……


 玉藻が思っていた以上に、この娘は玉藻に懐いた。それこそ、何事にも頓着しない自分がそのしつこさに心底うんざりしたくらいには。


 伯母が復活し『玉藻』という意識が消えてしまったら、この娘はどんな反応を見せるのだろうか。


 玉藻はその未来に、少しだけ興味がある。


「……(せん)()きことを」


 ふと湧いた思いを玉藻はつまらぬことと斬り捨てた。


 そんな玉藻の腕の中で相変わらず眠り続ける千佳子は、そんな玉藻の内心に関わらず、何だか酷く温かかった。


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