公平すぎる社会
完璧に管理された、ガラス張りの箱のような都市。そこでは、生まれた瞬間から死ぬまで、あらゆるものが平等に分配されていた。食事、住居、教育、仕事、娯楽。才能も努力も、過去の功績も家柄も、一切考慮されない。ただ、そこに存在するという事実だけが、全ての人に同じ権利を与えていた。
主人公の少年、ユウトは、そんな社会で育った。幼い頃から疑問を抱いていた。「なぜ、みんな同じでなければならないのだろう?」
学校では、全ての科目が同じ時間だけ教えられ、テストの成績は公表されない。競争という概念は存在しない。ユウトは絵を描くことが好きだったが、美術の授業も他の科目と全く同じ時間数しか与えられず、特別な指導を受けることもなかった。才能を伸ばす機会は、平等という名の元に、均一に刈り取られていたのだ。
仕事もまた、ランダムに割り振られる。ユウトは創造的な仕事を望んでいたが、配属されたのは巨大なデータセンターでの単純作業だった。毎日、同じコードを打ち込む単調な繰り返し。やりがいも達成感も、そこには存在しなかった。
社会全体が、まるで巨大な機械のように、正確に、そして無機質に機能していた。犯罪はほとんどなく、貧困も差別も存在しない。誰もが最低限の生活を送ることができ、不満を口にする者はいなかった。少なくとも、表面的には。
しかし、ユウトは心の奥底で、言いようのない空虚感を抱えていた。何か大切なものが欠けているような、そんな感覚。それは、個性や自由、そして、他者との違いから生まれる刺激や喜びだった。
ある日、ユウトは古い書物を読む機会を得た。そこには、かつての多様な社会の様子が描かれていた。人々はそれぞれの才能を活かし、時には激しく競争し、時には協力しながら生きていた。成功した者は称賛され、失敗した者はそこから学び、再び立ち上がろうとしていた。不平等は存在したが、同時に、無限の可能性と活気が溢れていた。
その書物を読んだユウトは、初めて「不公平」という言葉の意味を理解した。完璧な公平さは、確かに全ての人に同じものを与えるが、同時に、個々の可能性を奪い、社会全体の活力を失わせるのではないか。
ユウトは、データセンターでの単調な作業を続けながら、密かに絵を描き続けた。誰に見せるわけでもなく、評価されることもない。それでも、描くという行為そのものが、彼にとって唯一の自己表現であり、社会の均一性に対する静かな抵抗だった。
公平すぎる社会は、確かに多くの問題を解決したかもしれない。しかし、それは同時に、人間が本来持っている多様性、創造性、そして、他者との違いを認め合い、高め合うという、最も大切なものを失わせてしまったのかもしれない。
ユウトは、今日もまた、無機質なデータが並ぶ画面に向かいながら、心の中で鮮やかな色彩の絵を描き続けている。いつか、この公平すぎる社会でユウトがしたい創造的な仕事をできることを




