妄想具現機
D株式会社の平社員M氏は、いつも妄想にふけっていた。
仕事中も、電車の中も、食事中も。頭の中は華やかな空想で満ちていた。ある日、彼は上司に呼び出された。
「M君、最近の君の仕事ぶりは目に余るよ」
M氏は緊張した。しかし、その緊張すら、すぐに妄想の中へと消えていった。
(もし自分が社長だったら…)
「M君、聞いているのかね?」
慌てて我に返ったM氏だったが、その日を境に彼の人生は急転直下することになる。
それは、出勤途中の電車の中で起こった。
「お客様にお知らせいたします。ただいま、妄想具現機の実験を行っております」
車内アナウンスが流れた直後、M氏の目の前に、突如として巨大なデスクと革張りの椅子が現れた。
「な、何だこれは!?」
周囲の乗客も驚いて立ち上がった。しかし、次の瞬間、車内は歓声に包まれた。
「すごい! 私の好きなアイドルが目の前に!」
「うわ、宝の山だ!」
「あ、私が書いた小説のキャラクターたちだ!」
車内は瞬く間に、様々な物や人で溢れかえった。M氏は困惑した。
(まさか、自分の妄想が…)
彼は急いで電車を降り、会社へ向かった。しかし、街の様子は一変していた。
空には巨大なロボットが飛び交い、道路には童話の中の動物たちが闊歩していた。遠くには、ファンタジー映画さながらの巨大な城が聳え立っている。
会社に着くと、そこはもはや会社ではなかった。
「やあ、M社長!」
同僚たちが彼に向かって深々と頭を下げた。
「え? 社長?」
M氏が困惑していると、秘書と思しき女性が近づいてきた。
「社長、本日の予定です。まず、9時から世界平和会議、10時からは宇宙開発プロジェクトの発表、そして…」
M氏は茫然自失だった。自分の妄想が現実になってしまったのだ。
しかし、喜びもつかの間。街中から悲鳴が聞こえ始めた。
「助けて! モンスターが襲ってくる!」
「隕石が落ちてくる!」
「世界が滅びる!」
人々の恐怖や不安も、同じように具現化されていたのだ。
M氏は急いで命じた。
「妄想具現機を止めるんだ!」
しかし、誰も方法を知らなかった。混沌は増すばかり。
そのとき、小さな女の子が M氏に近づいてきた。
「おじさん、これって夢なの?」
その瞬間、すべてが元通りになった。
M氏は電車の中で目を覚ました。周りには普段と変わらない乗客たち。
(夢、か…)
彼はほっと胸をなで下ろした。しかし、車内アナウンスが流れる。
「お客様にお知らせいたします。ただいま、妄想具現機の実験を終了いたしました。皆様のご協力、ありがとうございました」
M氏は凍りついた。夢ではなかったのだ。しかし、同時に彼は決意した。
(もう、妄想なんかしないぞ)
その日から、M氏は仕事に真剣に取り組むようになった。そして、数年後…
「M君、君を次期社長候補に推薦したいのだが」
上司の言葉に、M氏は静かにうなずいた。妄想ではない、現実の努力が彼を導いたのだ。
しかし、彼の頭の片隅で小さな声が囁いた。
(もしかして、これも妄想?)
(了)




