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千夜一夜物語  作者: 冷やし中華はじめました


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証言者

 エヌ氏は追い詰められていた。  同僚のケー氏は、ハイエナのような男だ。エヌ氏が会社の経費を少しばかり不正流用した証拠を握り、それをネタに毎月給料の半分を要求してくる。 「このままでは破産だ。やるしかない」  エヌ氏は殺害を決意した。だが、現代の捜査技術は侮れない。死体を完全に消滅させる方法が必要だった。


 そんなある夜、彼は路地裏のバーで奇妙な行商人と出会った。商人は「宇宙の未開惑星で捕獲された珍しいペット」を売っていた。  見た目はピンク色のスライムのようで、愛らしい。 「こいつは『コスモ・クリーナー』といいましてね。有機物なら何でも——骨でも、服でも、革靴でも——瞬時に分解・消化してしまいます。排泄物も出しません。完全な無臭です」  商人は声を潜めて続けた。 「本来は、狭い宇宙船内での生ゴミ処理用に重宝されている生物です。……お客さん、何か大きな『ゴミ』の処分にお困りのようですね?」  エヌ氏は唾を飲み込んだ。これだ。これさえあれば、完全犯罪が可能になる。  商人は高額な代金を受け取ると、最後にこう言い添えた。 「ああ、ひとつだけ注意点が。こいつは消化した後、ちょっとした『食休み』をします。その間は決して刺激しないでくださいよ。まあ、大人しいやつですから心配はいりませんが」  エヌ氏はうなずき、そのブヨブヨした生物をカバンに入れた。



 決行の夜。エヌ氏はケー氏を自宅のアパートに招き入れた。 「おいおい、今日はまた随分としおらしいじゃないか。金を用意できたのか?」  ケー氏は上機嫌でソファに座り、エヌ氏が出した高級ウイスキーをあおった。  数秒後だった。  ケー氏がグラスを取り落とした。猛毒が回ったのだ。  苦悶の表情で床をのたうち回るケー氏を、エヌ氏は冷ややかに見下ろしていた。やがて動かなくなったことを確認すると、カバンから『コスモ・クリーナー』を取り出し、放った。


 生物は獲物の匂いを嗅ぎつけると、体を大きく広げ、ケー氏を頭から包み込んでいった。  グジュ、グジュジュ……という不快な消化音が響く。  商人の言葉は本当だった。十分もしないうちに、ケー氏の体は服や靴ごと、完全に消滅していた。床には髪の毛一本、血のシミひとつ残っていない。 「素晴らしい……」  エヌ氏は生物を部屋の隅のクッションに乗せると、安堵のあまり泥のように眠った。



 翌日、チャイムの音でエヌ氏は目を覚ました。  ドアを開けると、二人の刑事が立っていた。 「署までご同行願えますか。ケー氏が行方不明になりましてね。昨夜、あなたの部屋へ向かうと言い残しているんです」  エヌ氏は心の中でほくそ笑んだが、表情は神妙に作った。 「ええ、確かに来ましたよ。ですが、少し話をしてすぐに帰りました。その後どこへ行ったかは知りません」  刑事たちは部屋に上がり込み、鋭い視線で室内を見回した。  だが、証拠などあるはずがない。科学捜査班が来ても、ルミノール反応すら出ないだろう。 「おかしいな……。間違いなくここに来たはずなんだが」  年配の刑事が首をひねる。 「怪しいものは何もありませんね。……おい、引き上げるぞ」  刑事たちが諦めて、ドアノブに手をかけた時だった。


 部屋の隅で、ピンク色の生物が目を覚ました。  食休みを終えたのだ。生物は満腹の幸福感に浸りながら、大きく震えた。  その体表にある無数の穴から、空気が漏れる。  いや、それは空気の音ではなかった。


『……ん? なんだこれ、味が……変だぞ』


 大音量の「男の声」が、静まり返った部屋に響き渡った。  刑事たちが足を止め、振り返る。エヌ氏は凍りついた。  生物は続ける。昨夜の録音テープを再生するように、鮮明に。


『おいエヌ、お前、何を入れた……。の、喉が! 喉が焼ける!!』 『熱い! 水! 水をくれぇ! ぐ、あがっ、ごぼっ……!』


 それは、まごうことなきケー氏の声だった。  さらに、どさりと床に倒れる重たい音、カーペットを爪で掻きむしる衣擦れの音までが、立体音響のように再生される。


『ああっ、目が、見えな……! やめろ、殺さないでくれ!』 『金なら返す! 証拠の写真も返すから! 助けてくれ!』 『嫌だ、死にたくない、死にたくないよぉぉぉ! ごふっ、げぇっ……』


 嘔吐しようとして何も出ない、空虚なえづき。  気道が塞がり、空気を求めてヒューッ、ヒューッと鳴る喉の音。  そして最後に、泡を吹くような湿った音と共に、言葉にならない呻きが漏れた。


『た、す……け……』


 プツリ、と再生が終わった。  部屋には、あまりにも重苦しい沈黙が落ちた。  年配の刑事が、ゆっくりと手錠を取り出した。 「……どうやら、被害者の魂がそこに残っていたようだな」


 連行されていくエヌ氏の背後で、生物は満足げに身を震わせていた。  この生物が生息していた惑星は、深い霧に覆われている。そのため、捕食した獲物の断末魔を完璧に真似ることで、仲間の同情を誘い、おびき寄せる習性を持っていたのだ。  商人はその「一番重要な機能」についてだけ、説明を忘れていたのである。


(了)

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