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百物語  作者: 冷やし中華はじめました


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最後の本

L は息を潜めて暗い路地を進んだ。背中の荷物が妙に重い。中身は紙の本。所持しているだけで重罪だ。


街頭の大型ディスプレイが、政府広報を流している。


「紙の本は環境破壊の元凶です。全ての知識は電子化され、いつでもどこでもアクセス可能です。紙の本を見つけたら、すぐに通報を」


L は嘆息した。確かに、紙の本は環境に良くない。だが、それだけが理由じゃない。デジタル化された知識は、いつでも書き換えられる。そして誰もそれに気づかない。


彼の目的地は、かつて図書館だった建物。今は廃墟同然だ。そこで「最後の司書」と会う約束をしていた。


図書館の地下室。古びたテーブルを挟んで、L と老人が向かい合っていた。


「これが最後の一冊です」L は恐る恐る本を取り出した。


老人は優しく本を受け取り、表紙を撫でる。「ありがとう。これで全てが揃った」


「でも、どうやってこの本を守るんです? いつかは見つかってしまう」


老人は微笑んだ。「守るんじゃない。広めるんだ」


L は困惑した。「でも、コピーは…」


「違う」老人は L の額に指を当てた。「ここにコピーするんだ」


老人は本を開き、読み始めた。それは寓話だった。デジタル化された知識を持つ王様と、本当の智慧を持つ少年の話。


読み終わると、老人は L に尋ねた。「どう思う?」


L は考え込んだ。「王様は全てを知っているのに、なぜ間違った決定をするんでしょう?」


「それが大事なんだ。知識と智慧は違う。デジタル化された情報は知識を与えてくれる。でも智慧は、考えることでしか得られない」


L は目を輝かせた。「つまり、この本は…」


「そう、考えるきっかけなんだ。さあ、君の番だ」


老人は L に本を手渡した。「この話を覚え、誰かに語りなさい。そして本は次の人へ」


L が立ち去ろうとしたとき、警笛が鳴り響いた。


警察が図書館に突入してきた。L は本を抱えたまま、必死に逃げた。


路地を駆け抜け、塀を乗り越える。背後から怒号が聞こえる。


「観念しろ! 本を捨てれば罪は軽くなる!」


L は立ち止まった。背中の本が、やけに軽く感じる。


彼は覚悟を決め、ゆっくりと振り返った。


「捨てろと? いいだろう」


L は頭を軽くたたいた。「ほら、ここに入れたよ。捨てるなんてもったいない」


警官たちは困惑した表情を浮かべている。


「何を言っている? 本はどこだ?」


L は微笑んだ。「この世界で一番安全な場所さ」


彼は踵を返し、闇の中へ消えていった。警官たちが我に返り追いかけようとした時、既に姿は見えなくなっていた。


その夜、街のあちこちで、誰かが誰かに物語を語る光景が見られたという。

デジタル化された都市の片隅で、最後の本は生き続けていた。人々の心の中で。

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