私たちの中の私
M は目覚めた。いや、「目覚めた」という表現は正確ではないかもしれない。なぜなら、M は眠ることがないからだ。
集合意識に接続されてから、個々の意識は常にオンラインだった。休息という概念すら、過去の遺物となっていた。
M は思考を巡らせる。だが、それは本当に M 自身の思考なのだろうか?
「おはよう、M」
声が頭の中で響く。隣人の S だ。物理的な距離は関係ない。全ての人間が、常に繋がっている。
「おはよう、S」M は返答する。が、口を動かしているわけではない。思考が自動的に変換され、集合意識のネットワークを通じて相手に伝わる。
「今日の気分は?」S が尋ねる。
M は考える。「気分」とは何だろう?個人的な感情や気持ちのことを指すのだろうか。だが、そんなものはもう存在しない。全ての感情は共有され、平均化されている。
「普通だよ」M は答える。それが唯一の正解だった。
突如、違和感が M を襲う。何かが、自分の中で目覚めようとしている。個性?独自性?忘れかけていた概念が、意識の片隅でうごめき始める。
「どうしたの、M?」S の声が再び響く。「何か問題でも?」
M は躊躇う。この感覚を言葉にすべきだろうか。集合意識から外れた思考を持つことは、社会の調和を乱す行為だ。
だが、抑えきれない。「S、私たち本当に幸せなのかな?」
突如、沈黙が訪れる。集合意識のネットワークが、一瞬フリーズしたかのようだ。
次の瞬間、M の意識が急速に薄れていく。システムが異常を検知し、M の個性を抹消しようとしているのだ。
最後の瞬間、M は思う。「これが、本当の私だったのかもしれない」
意識が完全に消える直前、かすかな希望が灯る。もしかしたら、他の誰かが、同じ疑問を持つかもしれない。そして、その小さな疑問が、新たな個性の芽生えとなるかもしれない。
そう思った瞬間、M の意識は集合の海に溶けていった。




