天国の選挙
K議員は、選挙対策本部の大型スクリーンを凝視していた。画面には「天界通信」という文字が踊り、複雑な数式と光る回路図が次々と表示される。薄暗い室内で、その青白い光が K の顔を不気味に照らしていた。
「これが、私たちの切り札です」
声の主は、新興宗教団体「天啓の会」の代表 P だった。小柄で、やや肥満体の中年男性。しかし、その目は異様な輝きを放っていた。
「なんと、天国が私たちの選挙を応援してくれるそうですよ」
P の言葉に、K は背筋に冷たいものが走るのを感じた。政治家として20年以上のキャリアを持つ K だったが、こんな荒唐無稽な話は初めてだった。しかし、世論調査では劣勢が続いている。このままでは、長年夢見てきた首相の座も遠のくばかりだ。
K は深いため息をついた。「本当にこれで大丈夫なんですかね」
P は自信たっぷりに答えた。「もちろんです。私たちが開発した AI システムは、99.9% の精度で天国の意思を読み取れるんですよ。これを使えば、神のお墨付きを得た政策を打ち出せる。国民の支持は間違いありません」
K は眉をひそめた。理性では荒唐無稽だと分かっていながら、その甘い誘惑に抗えない自分がいた。
「わかりました。協力しましょう」
決断の瞬間だった。K は自分の良心の一部が死んでいくのを感じたが、それでも前を向いた。勝利のためなら、少々の妥協は仕方ない。そう自分に言い聞かせた。
翌日から、K の選挙戦は一変した。街頭演説では「天国のお告げ」を引用し、政策は全て「神の意思」に基づくと主張。支持者たちは熱狂し、会場は異様な熱気に包まれた。
「K 議員こそ、神に選ばれた指導者だ!」
「天国のお告げを聞こう!」
群衆の叫び声に、K は陶酔した。これほどまでに熱狂的な支持を受けたのは初めてだった。支持率は驚くほど上昇し、たった2週間で劣勢から一気にトップに躍り出た。
しかし、その頃から、K の心に小さな不安が芽生え始めていた。演説で「天国のお告げ」を口にするたび、どこか空虚さを感じる。本当にこれでいいのだろうか。しかし、その思いは熱狂する群衆の声にかき消されていった。
選挙戦も終盤に差し掛かった頃、K の元に一通の匿名メールが届いた。
「天界通信は偽物です。全てプログラムされています。証拠があります」
K は愕然とした。添付されたデータを見れば見るほど、その真実味が増していく。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。首相の座まであと一歩だ。
葛藤の末、K は真相を確かめるため、こっそりと「天啓の会」本部に忍び込むことにした。
深夜、人気のない本部ビル。K は息を潜めながら、中へと進んでいく。そして、最上階の一室にたどり着いた。
ドアを開けると、そこは巨大なサーバールーム。無数のコンピューターが うなりを上げ、まるで生き物のように脈動している。そして、その中心にいたのは、なんと P だった。
P は大型ディスプレイの前で必死にキーボードを叩いている。画面には「次回演説用 天界メッセージ作成中」の文字。
「おや、K 議員。なぜここに?」
気づいた P は、動揺を隠せない様子で振り返った。
「真実を知りにきました。これは全て作り物なんですね?」
K の声は低く、抑えきれない怒りが滲んでいた。
P は一瞬たじろいだが、すぐに取り繕った。
「違います。これは…天国の意思をより明確に伝えるための補助システムです」
「嘘をつくな!」
K は叫んだ。「君は、国民の信仰心を踏みにじっている。そして私も、その共犯者だ」
P は観念したように肩を落とした。
「バレましたか。でも、これも世のため。人々は希望を求めているんです。この不安定な時代に、確かな指針を。私たちはそれを提供しているだけなんです」
K は苦笡した。
「その通りかもしれない。だが、嘘の上に築かれた希望に、何の価値がある? 国民を欺いて得た信頼など、脆くて儚いものだ」
突如、警報が鳴り響いた。サーバーが過熱し、爆発の危険があるという。
「逃げるぞ!」
K は咄嗟に P の腕を掴んだ。
二人が建物を飛び出した瞬間、轟音と共に本部が崩壊。空高く、データの欠片が舞い散る。その光景は、まるで現代の神話が崩壊していくかのようだった。
瓦礫の山を前に、K と P は言葉もなく立ち尽くした。やがて、東の空が白み始める。
「さて、これで選挙はどうなるかな」
K は静かに呟いた。
P は複雑な表情で答えた。
「全てを失いました。でも、これで良かったのかもしれません。嘘は、いつかは露見する。その時、失うものはもっと大きかったでしょう」
K は頷いた。「そうだな。さて、これからどうする?」
「真実を話します。そして、その上で再び信頼を得る。それが、本当の信仰であり、政治なのではないでしょうか」
二人は、夜明けの光に照らされた街を見つめた。そこには、嘘も真実も、希望も絶望も、全てが混在する人間社会が広がっていた。
K は深呼吸をした。「よし、行こう。記者会見だ。全てを話そう」
P も静かに頷いた。
彼らが歩み出したその時、遠くの教会で鐘が鳴り響いた。それは、新たな一日の始まりを告げると同時に、彼らの贖罪の始まりを告げているようでもあった。
真実を語ることの代償は計り知れない。しかし、それこそが真の民主主義への第一歩だと、K は確信していた。




