未来からの夢
第1章:繰り返される不思議な夢
R.は汗だくで目を覚ました。デジタル時計が午前3時15分を示している。またあの夢だ。彼は深いため息をつき、ベッドの上で体を起こした。
「なんなんだ、いったい...」
R.は頭を抱えた。ここ1ヶ月間、毎晩同じ夢を見続けている。夢の中で、未来の自分らしき人物が必死に何かを伝えようとしているのだ。しかし、音声が聞こえず、唇の動きも不鮮明で、メッセージの内容がまったく理解できない。
R.は枕元のノートを取り、夢の内容を書き留めようとした。しかし、ペンを握った瞬間、夢の詳細が霧のように消えていく。結局、「未来の自分」「伝えたいこと」「緊急」といった断片的なキーワードしか書けなかった。
「くそっ!」
R.は苛立ちのあまり、ノートを投げ捨てた。なぜこんな夢を見続けているのか。そして、なぜこんなにも夢の内容を思い出せないのか。彼は頭を抱えたまま、朝日が昇るまでベッドの上で考え込んでいた。
朝、R.は重い足取りで会社に向かった。彼は大手化学メーカーの中堅社員だ。工場の生産管理を担当している。
「おはよう、R.君。顔色悪いね」
同僚のK.が声をかけてきた。
「ああ、おはよう。ちょっと夜眠れなくてね」
「また例の夢か?」
K.は心配そうな表情を浮かべた。R.はこの不思議な夢のことを、仲の良いK.にだけ話していた。
「ああ...毎晩同じ夢なんだ。きっと何か意味があるはずなんだけど...」
R.は肩を落とした。K.は彼の肩を軽く叩いた。
「あまり気にするなよ。ただの夢だって。それより、今日の生産会議の資料、できてる?」
「あ、ああ。もちろん」
R.は慌てて資料を確認した。夢のことで頭がいっぱいで、仕事に集中できていない。これではいけない。彼は深呼吸をして、気持ちを切り替えようとした。
その日の夜、R.は再び同じ夢を見た。今回は、未来の自分がより焦っているように見えた。唇の動きが激しく、両手を振りかざしている。R.は夢の中で必死に声を聞こうとするが、まるで無音の映画を見ているかのようだ。
「聞こえない!何を言っているんだ!」
R.は夢の中で叫んだ。するとその瞬間、未来の自分の姿がぼやけ始めた。そして、目が覚めた。
R.は起き上がり、額の汗を拭った。もう我慢できない。この夢の意味を何としても理解しなければ。彼は決意を固め、スマートフォンを手に取った。
## 第2章:夢の解読への挑戦
翌日、R.は有給休暇を取って、睡眠専門医S.のクリニックを訪れた。S.は地域でも有名な睡眠障害の専門家だ。
「はい、R.さん。どのようなご相談でしょうか?」
S.は穏やかな表情で、R.に向き合った。R.は深呼吸をして、これまでの経緯を説明し始めた。
「先生、私は毎晩同じ夢を見続けているんです。その夢の中で、未来の自分らしき人物が何かを必死に伝えようとしているんですが...」
R.は言葉を詰まらせた。こんな話、信じてもらえるだろうか。しかし、S.は真剣な表情で聞いていた。
「続けてください、R.さん」
S.の態度に少し安心して、R.は話を続けた。
「でも、音声が聞こえないんです。唇の動きも不鮮明で...そして目が覚めると、夢の詳細をほとんど思い出せない。これが1ヶ月以上続いているんです」
S.はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「R.さん、あなたの症状はとても興味深いですね。実は、最近開発された最新の脳波測定器があるんです。これを使えば、人の夢を可視化することができるんです」
R.は目を見開いた。
「夢を...可視化?」
「はい。まだ実験段階ですが、あなたの場合、この技術が役立つかもしれません」
R.は一瞬躊躇したが、すぐに決意を固めた。
「お願いします、先生。その実験、試させてください」
S.は頷き、奥の実験室へとR.を案内した。そこには、未来的な形状の機械が置かれていた。
「では、このベッドに横になってください。この装置をつけて眠っていただきます」
R.は言われるがままに横たわり、頭に複雑な装置を取り付けられた。
「少し時間がかかるかもしれません。リラックスして、自然に眠りにつくようにしてください」
S.の声を最後に聞きながら、R.はゆっくりと目を閉じた。
どれくらいの時間が経っただろうか。R.は再びあの夢を見ていた。今回も、未来の自分が必死に何かを伝えようとしている。R.は夢の中で叫んだ。
「何なんだ!何を言いたいんだ!」
するとその瞬間、夢の景色が変わった。未来の自分の背後に、大きな数字が浮かび上がる。
「2XX5年5月15日」
R.は驚いて目を覚ました。S.が彼の上に屈み込んでいる。
「R.さん、大丈夫ですか?」
「先生...夢の中で、日付が見えました」
S.は興奮した様子で、モニターを指さした。
「こちらにも映っています。2XX5年5月15日...これは30年後の日付ですね」
R.は起き上がり、モニターを食い入るように見つめた。そこには確かに、夢で見た日付が表示されている。
「まさか...本当に未来からのメッセージなのか?」
S.は慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「科学的には説明がつきません。しかし、これだけ明確な情報が現れたのは事実です。R.さん、この日付には何か特別な意味があるのでしょうか?」
R.は首を横に振った。
「わかりません...ただ、その日に何か重大なことが起こるのかもしれない」
S.は深く頷いた。
「もう少し実験を続けましょう。もしかしたら、他の重要な情報も得られるかもしれません」
その後数日間、R.はS.のクリニックに通い詰めた。毎晩、脳波測定器をつけて眠り、夢の内容を記録し続けた。しかし、新たな情報は得られなかった。
ある日、R.がいつものように実験室のベッドに横たわっていると、S.が慎重な口調で話しかけてきた。
「R.さん、一つ提案があります」
「はい、なんでしょうか」
「催眠療法を試してみませんか?これによって、あなたの潜在意識にアクセスできるかもしれません」
R.は一瞬躊躇したが、すぐに同意した。
「お願いします。何でもやってみる価値はあります」
S.は頷き、ゆっくりとR.を催眠状態に導いていった。
「あなたは今、深いリラックス状態にあります。心の奥底に潜む記憶にアクセスできます...」
S.の声が遠のいていく。R.は再び、あの見慣れた夢の中にいた。今回は、未来の自分がより鮮明に見える。その唇の動きに集中する。すると...
「工場を止めろ!」
R.は飛び起きた。冷や汗が背中を伝っている。
「R.さん!何が見えましたか?」
S.が興奮した様子で尋ねる。
「先生...はっきりと聞こえました。『工場を止めろ』と」
R.の顔から血の気が引いていく。彼は自分が勤める化学工場のことを思い出していた。
## 第3章:未来からの警告
R.は興奮冷めやらぬまま、S.のクリニックを後にした。頭の中は混乱していた。工場を止めろ?どういう意味だ?
彼は公園のベンチに座り、深呼吸をした。冷静に考えなければ。2XX5年5月15日。それは30年後の日付だ。そして、「工場を止めろ」というメッセージ。これは間違いなく、自分が勤める化学工場のことを指しているはずだ。
しかし、なぜ工場を止めなければならないのか。R.は頭を抱えた。このままでは、30年後に何か恐ろしいことが起こるのだろうか。
突然、背筋に冷たいものが走った。もしかしたら...大規模な事故?環境破壊?それとも...
R.は立ち上がり、急いで家に向かった。何としても、この警告の真意を突き止めなければならない。
家に着くと、R.はすぐにパソコンを開き、会社の資料を調べ始めた。生産計画、設備投資、環境対策...あらゆる情報を洗い出す。しかし、30年後を予測できるような情報は見当たらない。
「くそっ!」
R.は机を叩いた。このままでは、誰も彼の話を信じてくれないだろう。証拠が必要だ。何か、未来の危険を示す具体的な証拠が...
その時、携帯電話が鳴った。画面を見ると、S.からだった。
「もしもし、S.先生」
「R.さん、大変です。実験データを分析していたら、新たな情報が見つかりました」
R.は息を呑んだ。
「どんな情報ですか?」
「夢の背景に、微かですが化学式のようなものが見えました。C2H4O...これはエチレンオキシドの化学式です」
R.は愕然とした。エチレンオキシドは、彼の勤める工場で大量に生産している化学物質だ。高い反応性を持ち、様々な化学製品の原料として使われている。しかし同時に、非常に危険な物質でもある。
「ありがとうございます、先生。重要な情報です」
電話を切ると、R.は再び資料を調べ始めた。エチレンオキシドの生産量、貯蔵方法、安全対策...あらゆる角度から検討する。
そして、ある事実に気づいた。現在の生産計画では、エチレンオキシドの生産量が年々増加している。このまま行けば、30年後には現在の倍以上の量を生産することになる。
「これだ...」
R.は震える手でメモを取った。生産量の増加は、事故のリスクも高める。そして、もし大規模な漏洩事故でも起これば...
想像しただけで、背筋が凍る思いだった。
翌日、R.は意を決して上司のオフィスを訪れた。
「部長、お時間よろしいでしょうか」
「ああ、R.君か。どうした?」
R.は深呼吸をして、ゆっくりと話し始めた。
「実は...大変重要な報告があります」
R.は、これまでの経緯を全て説明した。夢のこと、S.との実験のこと、そして未来からの警告について。
話し終えると、部長は長い沈黙の後、ため息をついた。
「R.君...君は優秀な社員だ。だからこそ言うが、これは冗談じゃないよな?」
部長の目は厳しく、R.を見つめていた。R.は背筋を伸ばし、真剣な表情で答えた。
「はい、決して冗談ではありません。私も最初は信じられませんでしたが、これは紛れもない事実なのです」
部長は椅子に深く腰掛け、しばらく黙考した後、ゆっくりと口を開いた。
「わかった。君の話は聞いた。だが、夢や催眠療法の結果だけで、会社の生産計画を変更することはできないよ。具体的な証拠がなければな」
R.は必死に食い下がった。
「でも、部長。エチレンオキシドの生産量が増え続ければ、リスクも比例して高まります。今のうちに対策を」
「enough!」部長の声が強くなった。「R.君、君は疲れているんだ。少し休暇を取ったらどうだ?」
R.は肩を落とした。説得は失敗だ。しかし、諦めるわけにはいかない。
「わかりました。休暇を取らせていただきます」
オフィスを出たR.は、すぐにS.に電話をした。
「先生、会社は信じてくれませんでした」
「そうですか...」S.の声には落胆が滲んでいた。「でも、諦めてはいけません。私たちにはまだ時間があります」
「はい、ありがとうございます。これからどうすればいいでしょうか?」
「まずは、もっと具体的な証拠を集めましょう。そして、可能であれば他の専門家の意見も聞いてみたいですね」
R.は新たな決意を胸に、行動を開始した。休暇を利用して、化学プラントの安全性に詳しい専門家を訪ね歩いた。エチレンオキシドの危険性や、長期的な生産量増加のリスクについて、客観的なデータを収集した。
同時に、S.との実験も続けた。より詳細な夢の解析を試み、少しずつ情報を蓄積していった。
ある日の実験中、R.は衝撃的な光景を目にした。夢の中で、巨大な爆発が起こり、街全体が炎に包まれる様子が見えたのだ。
「先生!見えました!大規模な爆発が...」
S.は慌てて記録を取り始めた。「R.さん、冷静に。できるだけ詳しく説明してください」
R.は震える声で、夢で見た光景を克明に描写した。街を覆う巨大な火の玉、逃げ惑う人々、そして遠くに見える工場の残骸...
「間違いありません。これは私たちの工場で起こる大惨事の予兆です」
S.は深刻な表情で頷いた。「これで、より具体的な警告ができるようになりましたね」
新たな証拠を手に、R.は再び会社に警告を試みた。しかし、反応は以前と変わらなかった。
「R.、また夢の話か」同僚のK.は呆れた様子で言った。「いい加減にしろよ。みんな不安になってるぞ」
「でも、K.。これは本当なんだ。このまま生産を続ければ、必ず事故が起こる。僕には確信がある」
K.は深いため息をついた。「わかったよ。君がそこまで言うなら、安全対策チームに話を通しておく。それでいいだろ?」
R.は少し希望を感じた。「ありがとう、K.」
しかし、その後も事態は大きく動かなかった。安全対策チームは形式的な点検を行っただけで、根本的な対策は取られなかった。
時は容赦なく過ぎていく。R.の警告から10年が経過した。彼の夢を知る人も少なくなり、警告はほとんど忘れ去られていた。
R.自身も、日々の業務に追われ、夢のことを考える時間が減っていった。しかし、心の奥底では常に不安が渦巻いていた。
そして、運命の日が近づいてきた。2XX5年5月14日。
R.は一睡もできずに夜を明かした。明日、あの予言の日が来る。彼は早朝から工場に向かい、全ての設備を細かくチェックした。
「R.さん、どうかしましたか?」若い作業員が不思議そうに尋ねた。
「ああ、いや...念のための点検だ」R.は取り繕って答えた。
一日中、R.は工場のあちこちを歩き回り、少しでも異常がないか確認し続けた。同僚たちは彼の様子を怪訝そうに見ていたが、誰も何も言わなかった。
そして、5月15日の朝を迎えた。
R.は一番早く工場に到着した。全身の神経を研ぎ澄まし、わずかな異常も見逃すまいと警戒していた。
午前9時、通常の朝礼が始まった。R.は落ち着かない様子で、常に周囲を見回している。
「どうした、R.。具合でも悪いのか?」上司が心配そうに声をかけてきた。
「いえ、大丈夫です」R.は生返事をした。
午後3時を回ったころ、突然の警報音が鳴り響いた。
「エチレンオキシド貯蔵タンクの圧力異常です!」制御室からの緊急連絡が入った。
R.の背筋が凍りついた。ついに来たのか。
「すぐに生産ラインを止めろ!」R.は咄嗟に叫んだ。
現場は混乱に陥った。作業員たちは慌てふためき、上司たちは次々と指示を出す。
R.は必死に対応策を考えた。「貯蔵タンクの冷却システムを最大にしろ!周辺地域の避難準備を!」
彼の的確な指示のおかげで、徐々に状況が落ち着いていく。タンクの圧力は危険水準を脱し、大規模な事故は何とか回避された。
数時間後、事態は完全に収束した。工場長がR.に近づいてきた。
「R.君、君の機転のおかげで大惨事を免れたよ。本当にありがとう」
R.はほっとため息をついた。「いえ、私は...」
その時、彼は驚愕の事実に気づいた。自分の警告が、結果的に事故を防いだのだ。そして、その功績で自分は評価され、恐らく昇進するだろう。
まさに、夢で見た未来の自分...
R.は苦笑いを浮かべた。皮肉な結末だ。しかし、多くの命が救われたことに、彼は心からほっとしていた。
その夜、久しぶりに安らかな眠りについたR.の夢の中で、未来の自分が優しく微笑んでいた。




