とりかえばや!?
第1章:現在のM
夜の東京、高層ビルの灯りが星空を覆い隠すように輝いていた。その中で、一つの窓だけがまだ明るく光っている。35歳のMは、デスクに向かって黙々とキーボードを叩いていた。
「くそっ、まだ終わらないのか」
Mは苛立たしげにつぶやいた。彼の目は赤く充血し、顔には疲労の色が濃く出ていた。時計を見ると、すでに午前2時を回っている。
「このプロジェクト、絶対に成功させてみせる」
彼は歯を食いしばって仕事を続けた。Mにとって、仕事こそが全てだった。家族も恋人もいない彼にとって、成功することだけが人生の目標だった。
しかし、その心の奥底では、ある不安が渦巻いていた。
「このままでいいのだろうか...」
ふと、窓の外に目をやると、一筋の光が夜空を横切った。流れ星だ。
Mは思わず両手を合わせ、目を閉じた。
「本当の幸せとは何なのか...知りたい」
彼の願いは、夜空に消えていった。
第2章:50年後へのワープ
「ん...」
Mは、まぶたの重さを感じながらゆっくりと目を開けた。視界がはっきりしてくると、そこは見慣れない白い天井だった。
「ここは...どこだ?」
声を出そうとしたが、喉から出てくるのはかすれた音だけ。体を動かそうとすると、全身が重く、思うように動かない。
「あら、目が覚めましたか?」
優しい声が聞こえ、Mの視界に中年の女性が入ってきた。白衣を着ているところを見ると、看護師のようだ。
「わ、私は...」
「Mさん、大丈夫ですよ。ここは病院です。昨日、意識を失って救急搬送されてきたんですよ」
看護師の言葉に、Mは混乱した。昨日?彼の最後の記憶は、オフィスで仕事をしていたことだ。
「鏡...鏡を見せてください」
看護師は少し躊躇したが、Mの強い口調に小さな手鏡を渡した。
鏡に映ったのは、しわだらけの顔。白髪まじりの薄い髪。そして、くぼんだ目。
「こ、これは...」
Mは震える手で自分の顔を触った。鏡の中の老人が、同じように顔を触っている。
「私は...何歳なんですか?」
「Mさんは85歳です。来月でちょうど86歳になりますね」
看護師の言葉に、Mは息を飲んだ。
「冗談じゃない!私は35歳だ!昨日まで...」
「Mさん、落ち着いてください。きっと夢を見ていたんですよ」
看護師は優しく諭すように言ったが、Mの混乱は収まらなかった。
その時、部屋のドアが開き、白衣を着た男性が入ってきた。
「Mさん、お目覚めですね。私は主治医の佐藤です」
「先生、私...私は...」
「わかっています。時々こういうことがあるんです。記憶が一時的に混乱することがね」
佐藤医師はMのベッドサイドに座り、ゆっくりと説明を始めた。
「Mさん、あなたは昨日、自宅で倒れて救急搬送されてきました。検査の結果、残念ながら...」
医師は一瞬言葉を詰まらせた。
「余命はあと1週間程度です」
Mは言葉を失った。頭の中が真っ白になる。
「そんな...そんなはずは...」
「記憶が混乱しているのも、病状の進行によるものかもしれません。ゆっくり休んでください」
医師と看護師が部屋を出ていった後、Mは天井を見つめたまま動けなかった。
そして、少しずつ、50年分の記憶が蘇ってきた。
第3章:人生の振り返り
Mは、まるで古いフィルムを見るように、自分の人生を振り返っていた。
35歳の時のあの夜から、彼の人生は仕事一筋だった。プロジェクトは大成功を収め、Mは次々と昇進していった。40代で役員、50代で社長、そして60代で業界トップの座を射止めた。
しかし、その輝かしい成功の裏で、Mは多くのものを失っていた。
両親の最期に立ち会えなかったこと。親友の結婚式をドタキャンしたこと。そして、何度かあった結婚のチャンスを全て仕事を理由に断ったこと。
思い出すたびに、胸が締め付けられる。
「Mさん、お食事の時間です」
看護師の声に、Mは現実に引き戻された。
「あ、ありがとう...ところで、私に面会に来る人はいないのかな?」
看護師は少し困ったような表情を浮かべた。
「実は...Mさんの緊急連絡先には誰も登録されていなくて...」
その言葉に、Mは深い孤独感を覚えた。
「そうか...そうだよな...」
その日の夜、Mは眠れずにいた。窓から見える夜空には、50年前と変わらない星々が輝いている。
「俺は...間違っていたのか?」
彼の問いかけに、答える者はいなかった。
翌日、主治医の佐藤が回診に来た。
「Mさん、調子はいかがですか?」
「先生...私の人生、間違っていましたか?」
突然の質問に、佐藤医師は驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔に戻した。
「人生に正解も間違いもありません。ただ、後悔しないような生き方をすることが大切だと私は思います」
「後悔...ですか」
「はい。Mさんは素晴らしい成功を収めました。多くの人がうらやむような人生です」
「でも...今、この最期の時に、そばにいてくれる人が誰もいない」
Mの目から、涙がこぼれ落ちた。
「人は誰でも、最後は一人です。でも、その一人の時間までに、どれだけ多くの人と心を通わせたか。それが大切なんじゃないでしょうか」
佐藤医師の言葉は、Mの心に深く刺さった。
その後の数日間、Mは自分の人生を必死に振り返った。仕事での成功は確かに大きな喜びだった。しかし、それ以外の場面では、彼は常に孤独だった。
友人との楽しい時間、家族との温かいひととき、恋人との甘い瞬間。そういった人生の彩りを、彼は全て仕事と引き換えにしていたのだ。
「もし...もしもう一度チャンスがあったら...」
Mはそう呟きながら、徐々に意識が遠のいていくのを感じた。
第4章:現在への帰還
「ん...」
Mは、まぶたの重さを感じながらゆっくりと目を開けた。視界がはっきりしてくると、そこは見慣れた自分の部屋の天井だった。
「ここは...」
彼は慌てて起き上がり、鏡を見た。そこには35歳のMの姿があった。
「夢...だったのか?」
しかし、その「夢」はあまりにも鮮明で、まるで実際に体験したかのようだった。
Mは震える手で携帯電話を取り、日付を確認した。昨日、彼が流れ星に願いを込めた日付だった。
「信じられない...」
彼は深呼吸をし、ゆっくりと立ち上がった。窓からは朝日が差し込んでいる。新しい一日の始まりだ。
Mは決意に満ちた表情で、携帯電話を手に取った。




