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千夜一夜物語  作者: 冷やし中華はじめました


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秘密の金庫

 その夜、泥棒のエヌ氏は、ある富豪の屋敷に忍び込んだ。  事前の調査によれば、この家の主人であるR氏は、業界でも名の知れた実業家で、莫大な資産を持っているという。  エヌ氏はプロだった。赤外線センサーをかいくぐり、警備員の巡回ルートを完璧に把握して、書斎へとたどり着いた。


 そこには、壁一面を覆うような巨大な金庫が鎮座していた。 「これだ。この中に、金塊か、あるいは裏帳簿か、とんでもないお宝が眠っているに違いない」  エヌ氏は愛用の聴診器と解錠ツールを取り出し、ダイヤルに手をかけた。  カチ、コチ……。  難攻不落に見えたが、エヌ氏の腕にかかれば時間の問題だった。三十分後、重たい金属音がして、扉がゆっくりと開いた。  エヌ氏は懐中電灯を向けた。 「……ん?」  期待していた札束の山はなかった。宝石の輝きもない。  そこに入っていたのは、大学ノートの束だった。何十冊も積み上げられている。  表紙には、マジックで乱暴にこう書かれていた。 『我が魂のポエム 第一巻』


 エヌ氏は拍子抜けして、その一冊をパラパラとめくってみた。 『ああ、孤独な夜よ。私の心は漆黒の闇に染まるカラスのようだ……』 『部下たちは私の笑顔に媚びるが、私の真の涙には気づかない……』  中学生が書いたような、恥ずかしいポエムがびっしりと書き連ねてある。 「なんだこれは。ハズレもいいところだ」  エヌ氏が舌打ちをして、ノートを戻そうとした時だった。  部屋の明かりがパッとついた。


「動くな!」  背後から鋭い声がした。  エヌ氏は観念して手を挙げ、ゆっくりと振り返った。そこにはガウン姿のR氏が立っていた。手には拳銃……ではなく、なぜかブランデーグラスを持っていた。  R氏は開いた金庫と、エヌ氏の手にあるノートを見て、顔を真っ赤にした。 「き、貴様……それを見たのか?」 「へえ、まあ少しだけ。金目のものかと思ったんですがね。あんた、意外とロマンチストなんだな」  エヌ氏は皮肉っぽく言った。警察に通報されるのを覚悟した。  しかし、R氏の反応は予想外だった。彼は崩れ落ちるようにソファに座り込み、頭を抱えたのだ。 「終わった……。『冷徹な経営の鬼』と恐れられる私が、こんな甘ったるいポエムを書き溜めていることがバレたら、私の威厳は丸つぶれだ。社員になんて言われるか……」


 R氏は涙目でエヌ氏を見上げた。 「頼む! 誰にも言わないでくれ!」 「言わないでくれって言われてもなあ。俺は泥棒だぜ? 口止め料くらいは貰わないと」 「払う! いくらでも払う!」  R氏はポケットから分厚い札束を取り出し、テーブルに叩きつけた。盗むつもりだった額よりも多い。 「これでこの事は忘れてくれ。……いや、待てよ」  R氏は何かを思いついたように顔を上げた。 「貴様、これを『読んだ』と言ったな?」 「ああ、数行だけどな」 「どう思った?」 「どうって……まあ、正直、クサい詩だなとは思ったが、情熱は伝わってきたよ」


 R氏の目が輝いた。 「そうか! 情熱は伝わったか!」  彼はグラスを置き、エヌ氏の手を握りしめた。 「実はな、誰かに聞いてほしかったんだ。でも、家族にも部下にも見せられない。孤独だったんだよ。なあ、泥棒さん。今夜は朝まで、私の新作の朗読を聞いてくれないか? 追加料金は払う」


 結局、エヌ氏は朝まで拘束された。  R氏の朗読は下手で、内容は退屈極まりなかったが、相槌を打つたびに新しい札束が積まれた。  空が白む頃、すっかり満足したR氏は、玄関までエヌ氏を見送った。 「ありがとう。こんなにスッキリしたのは初めてだ。また新作が溜まったら来てくれ。鍵は開けておくから」


 屋敷を出たエヌ氏は、懐の重みを確かめてニヤリとした。 「こいつはいい商売を見つけたぞ。危険を冒して盗むより、金持ちの『誰にも言えない秘密』を聞いてやるほうが、よっぽど実入りがいい」


 数日後、味を占めたエヌ氏は、別の豪邸に狙いを定めた。  あそこは大物政治家の家だ。きっと彼も、誰にも言えないストレスや、恥ずかしい趣味を金庫に隠しているに違いない。  エヌ氏は鮮やかな手並みで侵入し、巨大な金庫を解錠した。 「さあ、今夜のお客さんはどんな悩みをお持ちかな?」


 重い扉が開く。  中には、ノートの束があった。 『X社からの収賄記録』『Y議員への裏金リスト』『反対派の暗殺計画書』  エヌ氏は顔をしかめた。 「うわあ、こっちはシャレにならない『ノンフィクション』かよ。退散だ」  扉を閉めようとした瞬間、背後に冷たい気配を感じた。  振り返ると、政治家が立っていた。手にはブランデーグラスではなく、サイレンサー付きの拳銃が握られていた。


「見たのか?」  政治家は低い声で言った。  エヌ氏は必死で首を横に振った。 「い、いいえ! 何も見てません! ポエムも小説も!」 「ポエム? ……ふん、残念だが、私の書く筋書きに、目撃者という登場人物は不要なんだ」


 乾いた音が響いた。  エヌ氏は薄れゆく意識の中で思った。  ――やっぱり、芸術は爆発だ、なんて言葉を信じるんじゃなかったな。現実は小説より奇なり、そして小説より危険なり、か……。


(了)

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