宇宙の視察団
その日、地球は極度の緊張と興奮に包まれていた。 銀河連邦から、正式な「視察団」がやってきたのだ。彼らは高度な文明を持ち、友好的で、そして何より裕福なバイヤーでもあった。彼らの眼鏡にかなう輸出品があれば、地球は一夜にして銀河一の富裕な星になれるかもしれない。
政府代表のR氏は、額の汗を拭いながら、視察団のリーダーを案内していた。 「こちらが、我が星が誇る科学技術の結晶、最新鋭の核ミサイルです」 R氏は胸を張った。この破壊力を見せつければ、一目置かれるはずだ。 しかし、リーダーは銀色の触角を少し揺らしただけだった。 「野蛮ですね。原子を分裂させて熱を出すだけでしょう? 原始的な花火のようなものですな。興味ありません」
R氏は慌てて次のプランに移った。 「では、こちらはどうでしょう。人類の叡智、芸術作品です」 美術館には、モナ・リザからピカソ、最新のデジタルアートまでが並べられていた。 だが、リーダーはあくびを噛み殺した(ような仕草をした)。 「データの配列ですね。幾何学的に不完全だし、色彩の波長も単調だ。我々の星の幼稚園児でも、もう少しマシな絵を描きますよ」
万策尽きた。科学も芸術も通用しない。R氏が絶望して、視察団を建物の外へ誘導したときだった。 前日に雨が降っていたため、舗装されていない裏庭には、大きな水たまりと、ぬかるんだ泥があった。そこには雑草が数本、無造作に生えている。
リーダーが突然、足を止めた。 「おおっ!」 彼は泥の方へ駆け寄ると、震える手でその黒く湿った土をすくい上げた。 「なんと……なんと素晴らしい! この不規則な粒子の結合! 有機物と無機物が奇跡的なバランスで混ざり合った、この混沌!」 他の団員たちも集まってきた。 「見てください、この緑色の突起物(雑草のことだ)を! 設計図なしに、勝手に生えてくるなんて! 究極の自己組織化ナノマシンだ!」
R氏は唖然とした。 「あ、あの……それはただの泥と、雑草ですが」 「ただの泥ですって!?」 リーダーはR氏に詰め寄った。 「宇宙は真空と無機質で満ちているんですよ? このように適度に湿り、バクテリアが蠢き、踏めば『グチャッ』と音がする物質が、どれほど希少か分かりますか! 我々の星では、合成樹脂と金属ばかりで、こんなに“官能的”な物質は存在しないのです!」
視察団は、その場で商談を申し込んだ。 彼らが泥一キログラムに対して提示した対価は、地球の国家予算数年分に相当する「純粋エネルギー結晶」だった。雑草に至っては、一本でダイヤモンド鉱山ひとつ分の価値がついた。
「とりあえず、ここにある泥をすべて買い占めましょう」 視察団はホクホク顔で泥を回収し、宇宙船へと戻っていった。「またすぐに来ます。在庫を確保しておいてください」と言い残して。
R氏は呆然としながらも、手元にある莫大な報酬を見つめた。 泥だ。泥さえあれば、人類は遊んで暮らせるのだ。
翌日から、世界は一変した。 人々は、ツルハシとショベルを手に取った。 まず、アスファルトが剥がされた。道路は不要だ。そこにあるのは、宝の山(土)を隠している邪魔な蓋でしかない。 次に、コンクリートのビルが爆破解体された。ビルの下には、手つかずの土壌が眠っているからだ。 美しい公園も、整備された広場も、すべて掘り返され、水を撒かれ、グチャグチャの泥沼に変えられた。
「文明なんて捨てろ! 泥を作れ!」
誰かが叫んだ。高層マンションは瓦礫となり、その上で人々は嬉々として泥をこねた。雑草を生やすために、除草剤は禁止され、街は緑に覆われていった。
数年後、再び宇宙船がやってきた時、地球の様子は激変していた。 かつての摩天楼は消え失せ、地表は見渡す限りの泥と雑草に覆われていた。人々は泥まみれになりながら、原始的な穴居生活を送っていた。
リーダーは宇宙船の窓からその光景を見て、満足げに頷いた。 「素晴らしい。これほど大規模なプラントを用意してくれたとは」
人類は、文明を完全に破壊することで、銀河一豊かな星になったのである。 泥の中で転げ回るR氏の顔は、かつてないほど輝いていた。




