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千夜一夜物語  作者: 冷やし中華はじめました


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現代版・金の斧

エヌ氏は、山奥で伐採作業に従事していた。  彼が愛用しているのは、最新型の電動チェーンソーだ。軽量でハイパワー、希少なレアメタルを使用したバッテリーを搭載し、クラウド管理機能までついた高級品である。


 ある日、エヌ氏は作業中に足を滑らせ、あろうことかそのチェーンソーを深い泉の中に落としてしまった。 「しまった! まだローンが残っているのに」  エヌ氏が青ざめて泉を覗き込んでいると、水面が光り輝き、美しい女神が姿を現した。女神は右手にピカピカと光る金の斧を持っていた。


「あなたが落としたのは、この金の斧ですか?」


 女神は厳かに問いかけた。童話通りの展開である。通常なら、ここで「いいえ」と答えれば正直者として賞賛され、金と銀の斧、そして元の斧のすべてが与えられるはずだ。  しかし、エヌ氏は眉をひそめて首を横に振った。


「いいえ、違います。それに、そんなものは要りません」 「なんと」  女神は驚いた。「これは純金ですよ? あなたの落とした道具より、はるかに価値があるはずですが」


 エヌ氏は鼻で笑った。 「女神様、あなたは現代の相場をご存じないようだ。金塊なんて重いだけで、換金するには身分証明書だのインボイスだのと手続きが面倒くさい。それに、そんな斧で木が切れますか? 金は柔らかすぎてすぐに刃こぼれする。実用性ゼロだ」


 女神は困惑し、今度は左手に持っていた銀の斧を差し出した。 「では、この銀の斧ですか?」


「それも違います」エヌ氏は食い気味に答えた。「銀はすぐに酸化して黒ずむし、手入れが大変だ。私が落としたのは、チタン合金の刃と高密度リチウムイオン電池を搭載した、メーカー保証付きの電動チェーンソーです。昨今のレアメタル高騰を考えれば、将来的価値は金銀よりも上かもしれない」


 エヌ氏はさらに続けた。 「それに、もしあなたが『正直者へのご褒美』として金や銀の斧を押し付けようとしているなら、お断りします。贈与税がかかるし、固定資産としての申告も面倒だ。私の仕事道具を、今すぐ、そのままの状態で返してください」


 女神は呆れ果てた。  数千年の間、この泉で多くの人間を試してきたが、ここまで夢がなく、計算高く、そして可愛げのない人間は初めてだった。 「……あなたは、本当に正直で、そして合理的なのですね」 「効率的に生きるのが、現代人の美徳ですから」


 女神は深いため息をつくと、泉の底から泥にまみれたチェーンソーを取り出した。 「わかりました。あなたの望み通り、このチェーンソーをお返ししましょう。金も銀も渡しません」 「助かります。すぐに午後の作業に戻らなきゃならないんでね」


 エヌ氏はチェーンソーを受け取ると、礼もそこそこに陸へと上がり、スイッチを入れた。  ブォン、と小気味よい音が響く。故障はないようだ。 「さすが最新型だ。水没してもビクともしない」


 エヌ氏は満足して、目の前の大木に刃を当てようとした。  その瞬間、手の中のチェーンソーが勝手にアイドリングを止め、スピーカーから電子音声を発した。


『警告。現在の作業は、費用対効果が見合いません』


「な、なんだ?」  エヌ氏は驚いてチェーンソーを見た。液晶画面に文字が流れている。


『対象の木材市場価格と、私のバッテリー消耗コスト、およびあなたの労務費を計算した結果、赤字になる確率が98パーセントです。よって、切断動作を拒否します』


「おい、動けよ!」  エヌ氏がトリガーを引いても、チェーンソーはうんともすんとも言わない。それどころか、勝手にスリープモードに入ってしまった。


『休息を推奨します。あなたの疲労度が規定値を超えました。これ以上の労働は生産性を下げるため、許可できません』


 女神の声が、泉の方から微かに聞こえた気がした。 『あなたのあまりにも合理的な精神に感服しました。ですから、その道具にも、あなたと同じだけの“計算高さ”を与えておきましたよ』


 エヌ氏は、完全に沈黙した高性能チェーンソーを抱え、途方に暮れた。  損得勘定だけで動く道具は、利益の出ない仕事には決して付き合ってくれないのだった。

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